オビ 探訪

探訪 in Myanmar

『社会貢献型資本主義』還元していく〝人〟そして〝社会〟へ

 

◆文:櫻庭由紀子・高永三津子/撮影:高永三津子

 

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現地の人々から記念撮影を求められる熊野⽒。行く先々で声を掛けられるほど慕われている。

 

 

ミャンマーと聞いて何を想像するだろうか?

多くはスー・チー女史や揺れ動く社会情勢からの民主化、あるいは先の大戦や小説『ビルマの竪琴』かもしれない。

 

だが、この地においてとても有名な日本人が存在するのを知らない人が日本では多いと思われる。

 

民主化以前の激動の時代からミャンマーとの関わりが始まり、歴史ある301体もの仏像を逆巻く政情から守り抜いたその人は、

「マネーイズハッピーの私利私欲の時代は終わり、これからは〝私欲の利よりも社会の利を目的とする〟『社会貢献型資本主義』の時代にならなければならない」と強く語る。

 

ミャンマー国内の訪れる先々で現地の人達から熱い歓待を受けるその〝有名な日本人〟とは、配管防錆装置を主力商品とする日本システム企画株式会社の熊野活行社長だ。

 

「最初の仏像修復から12年。それに続く仏像301体を保護する奇跡。そして社会貢献の中での数々の出会いが巡り巡って今日のビジネスに結びついています」と語る。

 

民政化から5年、そして本格的な民主化から1年が経った今、経済開放により外国資本が投入され日本企業も数多く参入、現地邦人会も数え切れないほどだ。

ヤンゴンでは日本文化のイベントが行われたり、日本語対応のホテルも増え始め、日本人にとってより近い存在となりつつある。

そんなエネルギーに満ち溢れた〝東南アジアのラストフロンティア〟ミャンマー。現地へと向かう熊野社長に同行した。

 

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夜のヤンゴンにて。ミャンマーの人にとって外食は楽しみのひとつで多くの人が集っていた。

 

 

日本人が救った301体の仏像。 ジャパンパゴダから世界へ繋ぐ、金色の祈り

ミャンマー連邦共和国ヤンゴンのモウビタウンシップに建つアウンザブタイヤ寺院。中に入ると、その金色に輝く荘厳な仏像達に目を奪われる。

仏像は世界最古のものを含めて301体。日曜日ともなれば、ミャンマー中の仏教徒や海外からの人も含めて約5万人もの人々が、この仏像へ祈りを捧げるために訪れるという。

 

301体の歴史的仏像を寄贈したのは、日本システム企画株式会社社長・熊野活行氏。

これらの仏像達は、ミャンマー国全体で起きた仏教協会の反政府デモの結果、経済的に困窮に陥った300余りの寺から国宝級の仏像が闇に流れそうになっていたところを、熊野氏が独り命をかけて保護したものだ。

 

ブッタの御心に守られた幸運な日本人。ミャンマーの人々は仏像が寄贈されたこの寺院を、愛を込めて「ジャパンパゴダ(日本の仏塔)」と呼んでいる。

 

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芸術関係にご利益があるこの仏像は約2600年前のもの。国内映画賞でもらう「星」を寄進する俳優や監督も。

 

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ジャパンパゴダには様々な種類の仏像がずらりと並ぶ

 

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希少な半⾝を起こした涅槃像

 

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多くの祈りの手が触れた跡

 

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僧や尼僧を含め、数多くの人がジャパンパゴダを訪れる

 

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礼拝に訪れた小学生たち

 

 

 

自分にしかできないことは何か。見つけた信念は人智を超え、運命を引寄せる

熊野氏は、約10年前まだ軍事政権時代であったミャンマーで全国的に起きた仏教徒による反政府活動の結果、

寺院へのお布施禁止令を受けて困窮した寺院が止む無く秘蔵の仏像を手放すと聞き、

その仏像を全て自費で購入し、その仏像をトラックに積み込み、各所にある軍の検問の目をかいくぐるため野菜を満載し仏像を覆い隠して自宅まで運んだ。

 

もし検問所でトラックに仏像が隠してある事が見つかれば、当時は銃殺も免れないほど命の危険が伴うもの。

それほどの行動へと突き動かした信念を問うと「自分しかできる人間はいないと思ったからですよ」と飄々と同氏は答える。

 

ミャンマーとの縁ができたのは、2003年。当時は観光が目的であった。

しかし、翌々2005年、熊野氏はふとした事で古都バガンにて道に迷い、うっかり入ってしまった古く朽ち果てた寺院で、恐ろしい形相の煤けた仏像に出会う。

 

その時は驚いて逃げ帰ってきたのだが、日本に戻ってからも恐ろしいながらも何か伝えようとしている、その仏像が毎晩夢枕に現れたためにすぐにミャンマーへ戻り、その朽ち果てた寺の修復を申し出た。

 

「思えばこの時から、何かに引き寄せられていたんでしょうね」

 

偶然にもその寺は、ミャンマーでは最古のピュー時代の由緒ある寺だったという。こうして、いささか強引に運命の針は回り始めた。

 

 

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古都バガンで道に迷った熊野氏が偶然に出会い、寺院とともに修復をしたインワチャンウー寺院の仏像。当時の寺院は朽ち果て仏像も恐ろしい形相をしていたが、現在ではご覧の通り。また、周辺の村で絶えなかった自殺者が修復後には途絶えたという不思議なエピソードも。

 

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インワチャンウー寺院外観

 

 

 

仏像を無事に保護できたことについて、僧侶達は熊野氏に「貴方はブッタの御心に守られたのだ」と言う。

 

「彼らの言う通り、何かの力に守られていたんだと思います。できるのは自分しかいないと、それだけの思いだけで行動することができた。怖いというよりも、自分がやるしかないという思いが強かったのです」

 

301体の仏像が安置されているこのジャパンパゴダは、熊野氏が仏像を保護し始めた同時期の2005年に建築が始まり、仏像を寄贈する2カ月前に完成した。

今から4年と4カ月前にジャパンパゴダ(アウンザブタイヤ寺院)を建立したパナウンタ大僧正と熊野氏が初めて会った瞬間、お互いに「前世で離ればなれになった兄弟」であると確信したという。

 

「仏像を安置できる場所を探していたのです。一目見て、この方に仏像を寄贈しようと決めました」

 

ジャパンパゴダがヤンゴンの奥地にある集落に建てられた当時、周辺の住民たちはそんなに大きな大講堂を何に使うのかと、首をひねったという。

 

そのがらんどうだった大講堂の中に、2カ月後には今まで誰も見る事ができなかった国宝級の301体全ての仏像が収まることとなる。

それは、まるで天に全てが仕組まれたかのようであった。

 

「見えない糸で導かれていると感じた時、その出来事をラッキーだと思えないならチャンスを逃してしまいます。

こんな経験は2度とできない。私はラッキーだったんです」

 

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運命的な出会いを果たした熊野⽒とパナウンタ大僧正

 

 

 

熊野氏が持つ理念は「日本の経済のシステムを変える」「社会の役に立つ事業を行う」「社会貢献」の3つだ。

その3つの理念の根幹には、「自分にしかできない」という確信がある。

人に「生きる意味」があるとすれば、それは「自分にしかできないことを成し遂げる」ことなのだろうか。

 

世界最古である2600年前の仏像を見ながら、熊野氏は微笑んだ。

 

「仏像を保護するための購入費用ですっかりお金はなくなりましたけど、私はお金を持っている時より幸せです。

自分にしかできないことをしたら、大変多くのミャンマーの人々から感謝の言葉をいただき、仏像もより幸せそうなお顔で微笑んでいらっしゃる。これだけでもう、世界一の幸福者です」

 

熊野氏が聞いたかもしれない「お前にしかできないことは何か」を問う声は、ジャパンパゴダを訪れ301体の仏像に祈る人々の心を動かし、世界を変える祈りへと繋がっていく。

 

 

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2015年7月のサイクロンによって氾濫したイラワジ川。沿岸に住む被害を受けた人々は33万人。その一部の人達がインワチャンウー寺院周辺で仮住まいを建て暮らしている。

 

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村にはインワチャンウー寺院のほかにも寺がある。その中の一番の高僧にも出会った。

 

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古都バガンはヤンゴンから国内線で1時間半弱。イラワジ川中流域の東側、広がる平野と森の間に1000年の時を経た無数の仏塔がそびえている。2016年8月の地震で多くの仏塔に被害が及んだ。

 

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カメラを向けると仲良く笑顔でやってきた現地の子供達。顔に塗っているのは「タナカ」と呼ばれるもの。樹木と⽔を石板でこすってできる液体で、日焼け止めの効果があるのだとか。

 

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イラワジ川のほとりには、先の⼤戦でおびただしい数の日本兵の遺体が並んでいたという。寺院のそばには英霊の慰霊碑が建っていた。

 

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バガンでは得度式の行列にも遭遇した。ミャンマーでは子供のころに出家をする。この得度式のあと、男の子は頭髪を剃り、寺院に1週間ほど入り仏の道を学ぶ。⼤人になってからも⼈生の岐路や願いのある時、思い悩んだ時に寺院に⼊り一定期間を過ごすこともあるという。

 

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日本人オーナーの『ホテルガンゴウ』はヤンゴンにある。⽇本語の通じるスタッフがいて日本人シェフによる日本料理店もあり、ビジネスや観光で訪れるのに頼れる場所だ。「⺠主化後から大きな変化を遂げているヤンゴンの街はここ5年でさらに様変わりしていくと思います」とホテルマンは語る。

 

 

熊野氏の取り組みについてはコチラから!

 

 

 

オビ 探訪

tanbo_myanmar_F◉日本システム企画株式会社

(代表取締役社長:熊野活行氏

〒151-0073 東京都渋谷区笹塚2-21-12

TEL 03-3377-1106

http://www.jspkk.co.jp

 

 

 

◆2017年3月号の記事より◆

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