オビ 企業物語1 (2)

株式会社鵞毛堂 ‐ 衰退する業界の中で会社を守り、伝統文化を守る 柔軟に時代と寄り添う老舗四代目の経営術

◆取材:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹

オビ ヒューマンドキュメント

株式会社鵞毛堂 (3)

 

すべて職人の手による筆の製造・販売を中心に、書道用具全般を取り扱う株式会社鵞毛堂

宮澤忠昭氏は、明治35年創業の同社四代目にして初めて「経営」の視点を持つ経営者だ。家族と数名の職人という規模だった家業を業界有数の大手に成長させた同氏に、産業として衰退してゆく伝統文化に寄り添いながら会社を維持する経営術を聞いた。

 

◎1世紀超の歴史を持つ鵞毛堂

■高品質な書道用品、ユニークな多角展開

株式会社鵞毛堂 (2)創業130年超の書道用具販売店 株式会社鵞毛堂/代表取締役 宮澤忠昭

同社は各種書道用品卸売業者として、地元埼玉県内の学校・教材販売者向けに書道教材を販売するほか、オーダーメイド品を含めた書道用品全般を製造し、関東圏の書家・書道教室向けに販売している。

筆の修理や書道錬成会場のレンタルなど、他社にないユニークなサービスが評価されており、ほかにもルートセールスで顧客の細かな嗜好に合わせた提案を積極的に行うことで顧客満足度を高めていることも特長だ。

 

■鵞毛堂・沿革

1902年(明治35年)、宮澤舛三郎氏が屋号を鵞毛堂と称し、日暮里の地で筆の製造を始めたのが同社の創業にあたる。ここから113年、厳密にたどれば創業はさらに遡り、130年超の永きに渡って、筆を製造してきた。

1927年(昭和2年)には二代目にあたる宮澤舛治氏が浦和に移転、毛筆の製造と卸の行商を行うようになる。三代目の宮澤悌三郎氏が毛筆の製造・卸に加えて店舗での小売販売を始めたのが1943年(昭和18年)。同じ年、後の四代目・忠昭氏が誕生している。

やがて1955年(昭和30年)、有限会社鵞毛堂を設立、15年後の1970年(昭和45年)に株式会社鵞毛堂に改めている。およそ5年後、職人気質だった父に代わって忠昭氏が実質的な経営者となり、正式には1991年(平成3年)、四代目社長に就任し、現在に至る。

 

■本社、工房、錬成会場

すべて職人の手作りによる筆は、大量の原毛の中から材料を選りすぐり、何工程もの手しごとによって作り上げられる。オーダーメイドも請け負っており、顧客には著名な書家も多い。もちろん、筆に限らず墨や硯、紙といった書道用品全般を販売。小売店舗を兼ねる浦和本社に加え、展覧会に出品する際などに用いる「表装」を仕立てる工房も近接。さらに、作品づくりや研究会に利用できる書道錬成会場も完備している。

 

 

◎バランス感覚に優れた経営手腕

■32歳で実質的な経営者に

株式会社鵞毛堂 (1)宮澤社長の息子であり、将来の五代目となる常務・啓人氏と共に

1943年生まれの同氏。家業である同社の本社所在地、埼玉県さいたま市浦和区高砂の出身だ。1964年に法政大学経営学部を卒業後、京都で2年間ほど、他人の釜の飯を食って修行した。曽祖父・舛三郎氏、祖父・舛治氏、父・悌三郎氏と代々みな生粋の職人気質だったが、同氏によって、同社に初めて『経営』の視点がもたらされることになる。

1991年、47歳のとき正式に四代目社長に就任した同氏だが、実質的にははるか以前、32歳頃から社長を継いでいたという。経営学部を卒業し、京都の修行先で経営を学んだ同氏。

自らが筆を製造する職人だった父までとは、まったく違う考え方で同社を率いるようになる。といっても、製造について知識・経験を持たないことはやはり不安で、入社後の数年間は猛勉強したという。とはいえ、製造・経営の両面に全力を注ぐことはできない。

最終的には、経営に重きを置いた社長として手腕を振るうことになる。それまでは家族に職人を合わせて4、5人という規模だった同社が大きく成長したのも、同氏の経営的視点によるものだ。

 

■地域との交流で成長

32歳で経営に携わるようになった同氏が「自分が大きく変化し、成長できた」と振り返るのは、地元地域との関わりだ。自分の会社や店舗だけではなく、地域には中小零細の小売店が何軒も連なる。社長就任と同時期の30代前半から、地域のさまざまな業者と関わるようになり、そんな中から青年会議所(JC)に誘われ、入会。

以降、一層経営者仲間と幅広く関わり、自分の業界や自分の会社のことしか知らなかった同氏の視野が大きく広がった。

 

「世間知らずだった私が、こういうケースもあればああいうケースもあるんだ、と世間のことが多少は分かるようになりました。それから、人間の性格についても学べましたね。この人はこういう性格なんだということがわかると、こういうところは得だなとか、その反面損していることもあるなということもわかる。本当に色々な方がいるので勉強になりましたよ。私としては非常にプラスでした。

もともと私の性格は、人をどんどん押しのけてというものじゃない。人と協調しながら組織を運営していく性格で、当社にとってもそれが良かったんじゃないかと思います」

 

■芸術の世界で会社を経営するということ

40歳になると、青年会議所から、今度は地元のロータリークラブに入会。現在も会員で、32年目になる。ロータリークラブでは、青年会議所の元気のいい青年たちとはまた違う考え方に触れることができ、ここでも新たな視野の広がりをもたらす有意義な交流を持つことができた。

 

「青年会議所しかり、ロータリークラブしかり、そういう環境にご縁をいただいてきましたので、私はコツコツと筆を作るというよりは、そうした仲間たちと話し合い、情報交換しながら当社を経営してきました。意識的にそうしたのではなく、自然とそうなったものですから、その方法がすっかり肌に染み付いています」

一方で、書道家をはじめとする職人肌の芸術家たちとの付き合いも多い。芸術家という「個」の世界と、経営という大きな「輪」の中の世界。ふたつのまったく異なる世界の「両方の良さがわかるようになった」と語る同氏は、その中で鵞毛堂としての立ち位置はどこにあるべきか、常に見極めてきた。「時代時代に即した経営の仕方がありました。と言っても、特別に何かを学んでこうしようという発想はあまりなく、環境によって自然と変化してきたという感覚です」

 

 

◎書道業界の現在、鵞毛堂の今後

 ■衰退する業界

四代目社長として経営に対する意識が芽生えると同時期に、業界のことを考え始めたという同氏。書道界について知れば知るほどに、このままでは将来性がないということが嫌というほどわかってきたという。現代は、趣味や職業、娯楽の選択肢の幅が広いことに加えて、我慢をし、自己を押さえつけられながら辛く苦しい修行を積むことを好まず、自由奔放に生きることを好む世へと変化している。

「道」という字が付く書道は、師匠に弟子入りして修行する古い世界。こうした生き方は、だんだんと受け入れられなくなっている。実際に、日展や、毎日展・読売展といった大きな展覧会への参加者数も年々減っているという。

「ほかの世界でもそうですが、その道の『バカ』がいなくなってきました。我々の世界で言えば、書道バカです。打算がまったくなく、ひたすらに自分の道を追求する、こういう書道バカが、昔はたくさんいました。そういう人たちが、いまの書道界を築き上げてきたんです。しかし、いまはそうではない人ばかり。これでは衰退の一途を辿るのみでしょう」

 

■会社と業界を守るために

とはいえ、書道というもの自体がなくなることはない。保護していくべき伝統文化として、生活や日常から離れた表面的な文化として継続していくだろう。しかし、そうなったときに、業界でも有数の規模である同社をいかに維持していくか。すでに、個人経営の同業者では廃業するところも出ている。時代の変化に加えて、後継者不足も大きい。

業界がなくなることはないが、先細っていくことを見越した同氏は、景気の良かった12〜13年前、会社を守り維持するための一手として、不動産経営を始めている。同時に、老舗の筆製造業として若い職人の育成も行っている。現在43名という社員を守る経営的な視点と、職人による筆づくりを継承し、書道という伝統の世界を守る視点。同氏の下でうまくバランスを取りながら、鵞毛堂は長い歴史を刻み続ける。

 

■五代目・啓人氏

将来の五代目は、同氏の息子である常務・啓人氏だ。現在40代前半の啓人氏は、別の世界でサラリーマン人生を歩んでいたが、3年前に同社に入社。はじめは継ぐつもりはなかったというが、同氏は「三人目に男の子が生まれたことで考えが変わったようだ」と見ている。六代目を連れての入社というわけだ。

「息子は、これまで私の背中を見てきて、業界がどのような状況にあるのかも分かっています。鵞毛堂の未来を自分なりに考え、その上でこの世界に入ることを選んでくれたのではないでしょうか。入社2、3年とまだまだ経験が浅いですから、彼をどう育てていくか。ここ5年ほどが勝負です。それに応じて、私の今後の経営戦略も変わってくると思います」

 

 

「書道界は、狭く小さな業界。立派な戦略を立てて、計画的に経営していくような世界ではないんです」と語る同氏。「そのときそのときの環境に応じて、自然と進んできただけ」と振り返るが、状況や相手に合わせて自らを自在に変化させ、歴史を築くのは日本の老舗ならではのあり方と言える。

一方で、踏ん張った足を動かさず、競争と拡大の濁流に身を置く経営は、いかにも欧米型資本主義的だ。「道」の世界に、ビジネスのヒントがある。
株式会社鵞毛堂 (6)

預かった作品を掛軸に貼り付けるための加工の様子(掛軸工房)

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筆づくりはすべて機械化せずに職人が手作業で行う(筆工房)

 

オビ ヒューマンドキュメントプロフィール

宮澤忠昭(みやざわ・ただあき)氏

1943年、埼玉県さいたま市生まれ。

1966年、法政大学経営学部卒業。

1968年、有限会社鵞毛堂(現・株式会社鵞毛堂)に入社。

1991年、代表取締役。

株式会社鵞毛堂 (4)

株式会社鵞毛堂

http://www.gamodo.co.jp

〈小売部〉

〒330-0063 埼玉県さいたま市浦和区高砂1-8-9

TEL 048-822-1105

〈外商部〉

〒336-0025 埼玉県さいたま市南区文蔵4-27-3

TEL 048-866-1131

〈製造部〉

〒336-0025 埼玉県さいたま市南区文蔵3-36-10

TEL 048-845-4701

 

◆2015年12月号の記事より◆

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