オビ 企業物語1 (2)

〈モノづくりの挑戦〉

株式会社西川精機製作所 – 下町の製作所×クリエイターでイノベーションを起こす

◆取材:綿抜幹夫

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自社の技術を軸に行動することが未来への鍵

 

日本のモノづくりを支える中小零細企業にとって厳しい時代が続いている。そんな中、精密機械加工・切削加工・板金加工といった技術を武器に、他業種とのコラボで新しい仕事を生み出そうとしている企業がある。その企業の名前は株式会社西川精機製作所。江戸川区の事務所・工場を訪ね、2代目社長・西川喜久氏に話を伺ってきた。

 

若手クリエイターと作品の前で

若手クリエイターと作品の前で

 

■時代のニーズに合わせ変化する会社

 株式会社西川精機製作所は、1960年に「西川製作所」として墨田区で創立。同区で本社・工場があった精工舎(現セイコー)からの仕事をメインに、卓上旋盤など小型の機械を使って部品を作るところからスタートした会社だ。扱うものが細かい部品が主だったことから、ほどなく社名を「西川精機製作所」に変更。それが今日まで受け継がれているわけだが、作るモノ自体は時代の流れと顧客のニーズに合わせて変化を続けてきた。

 

 まず先代の創業社長・西川氏の父の時代には、旋盤などによる切削加工品の製作や溶接機を導入しての組立加工品生産を開始。1987年に西川氏が入社した前後頃からは板金加工にも注目し、それらの技術を使った治工具(工作物を固定し旋盤などの工具の制御や部品の作業位置を案内するための器具。英語の「jig」に当て字したもの)の設計・製作へと仕事の幅を拡大。現在では更なる挑戦として数々の新しいプロジェクトも動き出している。

 

レーザー加工機で切り出した文字

(上)レーザー加工機で切り出した文字

(下)レーザー加工機

レーザー加工機

 

■モノづくりの軸に沿って新たな道へ

 西川氏は1965年生まれ。大学を卒業後一度外に修行に出るはずだったが、先代である父が心筋梗塞で倒れたことからそのまま会社に入社することになり、その後先代の死去に伴い1999年に2代目社長に就任した。小さい頃から門前の小僧なんとやらでモノづくりの環境に親しんでいたという同氏。入社後も最初は「うちは基本的に機械加工屋」と考え、仕事の方向性としても機械加工で部品を作ることをメインに考えていたという。しかし経験が深まるうちに、部品加工を続けるためにはある程度高性能の機械を何台も持ち、一定以上の量を生産する業態に変更する必要があると実感。部品加工の道ではこれ以上先には進めないと感じるようになっていったという。

 

 「我々の軸でありモノづくりの基本は何かと言えば、それはあくまで〝我々の持っている技術で、お客さんに響くものを作る〟ということ。だから大量生産用の生産ラインはうちには似つかわしくない。それはうちにはできないし、やり続けるという方針はありませんでした」と西川氏は当時を振り返る。そんな仕事の転換を考える中、付き合いのあった会社が非常に必要としており「こういうものが作れないか」と持ち込んできたのが、メッキや塗装をする際に製品を固定しておくためのハンガーや定盤の上に部品を固定するものなど、製品の製造工程に欠かせない治工具だった。

 

地元小学生へ向けた工場を使ったワークショップ

地元小学生へ向けた工場を使ったワークショップ

 

■板金技術を学び治工具作りを開始

 この注文にそれまで培った切削加工・精密加工技術を駆使して取り組んだ同社だが、精度の高い治工具を作るためには切削加工だけでは限界があることを感じ、新たに精密板金の技術に注目。レーザー加工や精密板金の技術を取り入れ機械加工した部品と融合させることにより、パソコンなどに使われる集積回路の生産ラインで表面処理の際に使われるハンガーをはじめとする治工具の生産を手がけるようになった。治工具はあくまで生産ラインで必要なものであるため、顧客の中心は生産ラインの整備会社。同社の製品が消費者の手に触れることはないが、同社の治工具が使われた生産ラインでは、古くはファミコンの基盤から最近ではノートパソコンやIC関係部品など社会に深く浸透した製品が作られてきた。

 

若手クリエイターとの設計会議の様子

若手クリエイターとの設計会議の様子(上)

若手クリエイターとのコラボ作品(下)

若手クリエイターとのコラボ作品

 

■問題点から次なる一手を模索

 だがこの業界も競争が熾烈であることは部品業界と同じだ。そんな中、同社も10年ほど前までは主力製品を開発して特許を取るという戦略を取っていたが、顧客と一緒に試行錯誤しながら1から作り上げて製品化したものを、特許を取る少し前に他社に模倣されるという痛い経験をする。

 

 「零細企業であるうちはイニシャルコストを掛けられないので、材料1つとっても少ない量で作り始めました。けれどマネをされた方はある程度資本力があるところで、鋼材などの材料を数トン単位で発注することで相当安く作ることができた。そうするとうちの製品の市場競争力は低くなってしまう。そういう風に切磋琢磨しながら作り上げたものが実を結ばない、ということが何回も続いている業界です」と西川氏は語る。根本的な解決策としては、「逆の発想で、ある製品を開発したら1回ずつ売ってそれで終わりにするしかない」というが、毎回新しいものを作ることで模倣を避けるという、そんなことが可能なのだろうか。

 

 「我々は既知のデータを積み重ねることでモノを作ることをメインにしています。新しいものを開発するとなるとそれだけイニシャルコストが必要になりますが、治工具業者はほとんどがうちと同じような零細・中小企業でそんな力はないところがほとんど。元々持っている技術をいかに上手くチョイスして融合させることができるかがその会社の持ち味で、それの繰り返しなわけです」

 

 だがその一方でこのような疲弊するやり方は長く続けられるものではないとも西川氏は語る。近年ではプリント基板自体の生産そのものが減少していることも踏まえ、将来的に業界が大きくなる可能性は非常に低いと判断。今後については「今まさに暗中模索の最中で、2009年に有限会社木村工機、2011年に理化学機器メーカーの株式会社中川製作所の経営権を取得して系列会社とし、医療用・歯科技工用の機器の製造販売に乗り出したのも、その模索の一環だという。

 

 その挑戦はまだ続いている最中だが、具体的に形になりつつあるものもある。

 

若手クリエイターとのコラボ作品

若手クリエイターとのコラボ作品

 

■デザイン×技術でイノベーションを

 その一つが、2011年度に始まった東京藝術大学と連携した産学連携の取り組みだ。学生や教師が持つデザインアイデアに技術力を掛け合わせて新たな価値を創造しようというもので、数坪ながら社内の工房スペースを学生たちに公開し使ってもらえるようにもしているという。

 

 「きっかけは東京都の政策で、モノづくりの中でイノベーションを起こすにはデザインが必要だろうという企画でした。それ自体は1年間で終わったんですが、たまたま知り合った学生さんと先生がいて、『僕の考えているこういうものは作れますか?』というお話をいただくようになって。今は毎年仕事として、学生さんの卒業製作や製品を作る手助けをさせていただいています。デザイン科にお世話になっている先生が2人いるんですが、学生さんの間でも『板金の仕事だったら江戸川の工場へ行ってみたら』という空気が徐々にできてきたように感じています」という西川氏。今年はさらに、卒業生を中心としたデザイナーと金工作家10人による商品開発プロジェクト「交場 co-ba」も始動。秋頃に個展を開くことを目標に、現在もデザインを開発中だ。

 

 「うちの軸は〝モノづくり〟であり、1台ずつながら切削加工、板金加工の機械も備え、金属なら自分たち自身で1から作り製品化できる基盤があるのが強み。一方、学生さんたちクリエイターは知識とイメージ、感性はあるけれど、実際にモノを作るに至るには塀が高い。我々がそこに注力できれば、彼らの中にある世に必要とされているものの種を育てることができる。そういうメーカーになりたいというのが、今の僕の考えの中心になっています」

 

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■行動するから出会いが生まれる

 このほかにも収穫に使う農業用機械の開発、今年4月から本格始動する城東地区の金属加工会社2社との同業連携「つながる町工場プロジェクト」など、現在5~6個のプロジェクトが同時平行で進行中だ。「ぶれていると言われるかもしれませんが、中心にあるのは〝自分たちの持つ技術〟。その我々の〝力〟を提供できる場所はまだまだいろんなところにあると思う」という西川氏。同時に、そんな出会いを見つけるには自分が動くしかないとも言う。

 

 「外に出て誰かと話をすることから、ビリヤードのようにカチカチとぶつかっていって、考えてもみなかったところに話がいったりします。僕は大学卒業後すぐに工場に入り、ここまで来たので視野はすごく狭かったと思うし、常に頭の中を駆け巡るのは〝井の中の蛙〟という言葉。あちこちに出向いて自分の技術なりをお話させていただくことができる力、それを営業力というのかもしれませんが、それを培うしかないんだと思います」

 

 その行動を支えるのは同社が磨いてきた技術への信頼にほかならない。揺ぎ無い軸を持って大海を泳ぐ「蛙」の行く手には、きっと明るい未来が待ち受けていることだろう。

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プロフィール

西川喜久(にしかわ・よしひさ)氏

1965年6月、墨田区生まれ。同区で成長し、1988年に日本大学農獣医学部農業工学科(現生物資源科学部)を卒業。先代社長である父の病気から、そのまま同社に入社する。父の死去により1999年に代表取締役就任。現職。

 

株式会社西川精機製作所

〒132-0031 東京都江戸川区松島1-34-3

TEL 03-3674-3232

http://www.nishikawa-seiki.co.jp/

 

◆2016年2・3月号の記事より◆

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