オビ 企業物語1 (2)
【巻頭特集】企業を、そして〝日本〟を強くする改革!

確かなモノづくりで「世界へ」「未来へ」つなぐ!
受託生産〜設計開発から製造に至るまでワン・ストップ!!

 

〈4月1日から新体制スタート〉
●株式会社ワイ・デー・ケー/取締役副社長 西田荘平氏

◆取材:綿抜幹夫

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「受託生産こそが日本の足腰を支え、モノづくりの崩壊を防ぐ手立て」という信念のもと、わが道を行く企業がある。小誌にも数度に渡って登場していただいた八巻信男氏が率いる株式会社ワイ・デー・ケーだ。紆余曲折を経て、赤字体質を脱却しつつ改革を推進してきた同社は、この4月からはこれまで14年間継続してきたカンパニー制を廃止し、体制を一新、次のフィールドへと突き進む。その革新の影の立役者で、現・八巻社長を支えてきた西田副社長に話を伺った。

 

八巻氏、躍動!

経営危機を乗り切る

製品を製造加工し輸出して外貨を獲得するいわゆる「モノづくり」で成り立ってきた我が国。高度成長期には当たり前だった受託生産を主とする企業は、戦後70年が経ちニッポン経済の変化もあって、大手企業がモノづくりから撤退する傾向にあるなど、ここへ来てめっきり減ってしまった。そんな中、IT分野におけるモノづくりのトータルソリューションを提供する株式会社ワイ・デー・ケー(YDK)は、1952年の設立以来一貫して、設計から機械加工、組立、検査、出荷まで、モノづくりを通して顧客の要求に応える受託生産を行っている。ただここまでの道のりは決して平坦ではなかった。

 

簡単にその歴史を振り返ってみよう。日本電気株式会社(NEC)の協力工場として、機械部品の切削を主業にスタートした後、搬送電話装置の組立作業、コンピュータ関係の製造など、着実に技術を培っていったYDK。高度経済成長期を経て、現在の半導体/液晶製造・検査装置、産業用設備、放送、伝送通信機器、制御機器、CATV装置など社会のインフラ、産業の基盤を支える様々な分野へと、ビジネスを切り開くことになる。

 

しかしバブル崩壊後の金融不安や市場の縮小傾向には対応しきれず、90年代後半から2000年代初めにかけては、営業力の強化に向けた部署の統廃合などガバメントの見直し、リストラなどを余儀なくされている。経営危機を迎え、苦肉の策として2002年に導入したのがカンパニー制だった。それはいわば疑似分社化された自立的独立的事業部のことで、開発製造販売といったバリューチェーン機能の大部分を有する自己完結型の組織だ。

 

メカトロニクスとコミュニケーションズ、テクノロジーズなどのカンパニーのうち、YDKコミュニケーションズ(以下、コム)は、当初から6年間不採算事業のレッテルを貼られ、社内のお荷物的存在だった。赤字で社員の新陳代謝も進まず、暗い未来しか描けないような状況のコムに、4代目社長として2008年にNEC出身の八巻信男氏が就任した。同氏はNEC時代に生産管理を中心に辣腕を振るい、その子会社を成功に導いた経営手腕を見込まれての起用だった。

 

コムに来て同氏は驚いた。あまりにも社員の士気も意識も低すぎたのだ。そこでビジョンを語ることで打開しようと試みた。『外に通用する一流を目指す人、一流を目指す会社になろう』とコムのビジョンを語った。社員一人一人の将来に明るい道筋を示すことができれば、希望も生まれる。来る日も来る日も社員たちと直にふれあい、話をし、話を聞き、また話をするという使命を自らに課した。課長以上の幹部には日々の作業や段取りの確認を含め、生産を高めるための朝会を毎日義務付け、月に1回は自ら全社員を集めて意識の共有を目的とした全社会も開いた。1年が経った頃には社員の目の色がはっきり変わり、従来のようにただ歯車のように作業をこなすのではなく、考えた仕事をするようになっていった。わずかな利益は社員のスキルアップに向けた国家資格取得や新卒社員の採用にあてた。
そして就任わずか1年で業績はV字回復、コムを稼ぎ頭にまで急成長させたのだ。八巻氏はそのコムでの実績を買われてYDK全体の統括を任され、さらに改革を推進していく。

 

株式会社ワイ・デー・ケー02

株式会社ワイ・デー・ケー 代表取締役社長 八巻信男氏

 

西田氏、登場!

八巻体制をがっちり支える

ここで今回の主人公、取締役副社長の西田荘平氏に登場していただこう。
「私はYDKの主要取引銀行の横浜銀行出身です。銀行推薦もあって第二の職業人生の場として、2013年6月に常任監査役として入社し、一旦任期を待たずに2015年6月に辞任、その直後から取締役副社長に就任しました」(以下同、西田氏)

 

さらりとその経緯を話すが、実は入社を決める際にYDKのホームページを見た。第一印象は『変な会社だなあ』だったという。
「社長の挨拶もなければ、企業理念や経営理念も書いていない。ビジョンがない。社内カンパニーが各自作成したホームページをつなぎ合わせただけ。だからYDKがどんな会社であるかまるでわからない。入社してみるとまさにその印象のままでした。戦略がないため、半導体に軸足のある会社ですが、独自開発に手を付け失敗するなど大赤字を抱えていました」

 

確かに当時のYDKはオーナー企業にありがちなバブル期の投資や採算性に疑問符のつく投資の失敗等が重なり、結果として多額の借り入れが残った。その間、2015年4月には八巻副社長が社長に就任。その経緯はどのようなものだったのだろう。
「まずコムで実績を上げた八巻さんが2014年の4月にYDK全体の副社長になりました」

 

そこではコムだけでなく他のカンパニーでも明確なビジョンを掲げることを柱とする八巻改革が推し進められた。当時のオーナー社長が高年齢ということも要因となって、
「〝八巻改革を推し進めるには、やはり社長になってもらわないとできない〟〝この会社は八巻さんが社長じゃないと立ち行かなくなるだろう〟という機運もあって、メインバンクの横浜銀行に相談して八巻さんに社長になってもらうことになったのです」
こうして2015年4月、八巻氏は株式会社YDKの代表取締役社長に就任したのだ。横浜銀行出身の西田副社長。となれば、八巻現社長とも面識があったとは思うが、「実は銀行時代はその存在は全く知りませんでした」。それでも、入社してからはその経営手腕の凄さに魅入られた。

 

「八巻社長はざっくばらんで、厳しいことも言うけれど結構暖かい面もある。リーダーとしての人間味が感じられます。数字も全部頭に入っているので、ものすごく回転が速い。それとマニファクチャリングのことをすべてよくご存知ですよね。頭の中で有機的に数字とつながっている。客観的に見ても大変優れた経営者だと思います」

 

株式会社ワイ・デー・ケー01

株式会社ワイ・デー・ケー 取締役副社長 西田荘平氏

 

副社長、活躍!

徹底したリサーチで改革を後押し

従業員もグループで700人、派遣社員を入れると1200人という会社は苦境に陥ったからといって簡単に潰すわけにはいかない。
「横浜銀行は地元に根ざした銀行なので、中小企業には有益な人材が少ないことを承知しています。この会社の場合、オーナー経営でコーポレート・ガバナンスが弱い。私は銀行時代に企業調査、融資部、コンプライアンス部門、証券会社の監査役も経験していますので、YDKの弱点をカバーする役割を担っているということでしょう」

 

強いリーダーシップを持つ八巻社長を支える立場の西田副社長。その具体的な役割を語っていただくと、
「私は八巻さんのサポート、裏方というか管理面を主に見ていて、企業の黒子に徹しています」
入社してすぐに、採算性に問題のある投資をやめてもらうことからはじめた。それまではたとえば事業投資ひとつとっても、あまり吟味をしないで機械を次々に購入してしまう傾向にあったからだ。次に財務規律をしっかり定めた。取引先の信用状況もきっちり調べる。
「新しい事業をやる時は、きちっと精査すること。徹底したリサーチが必要です」

 

たとえばオーナーが関心を持った航空機産業への参入は、事業体力が続かないことやリターンがなかなか得られないことを理由に断念していただいた。
「やはり自分たちの戦略は、コアになる強い事業を増やしていく。ウチで言えば半導体だけでなくて、産業設備や産業機械についても得意の分野ですが、そこから派生する事業を発展させるためにも、リサーチをして財務のバランスを考えること。これを今後も徹底したいですね」

 

財政面で見れば、出身が横浜銀行ということもあって、取引金融機関の理解を得ながら保有株式や資産売却、預金の取り崩し等により借入金を4分の1程度減らした。
「これで多額の利子を返さなくてよくなり、多少楽になりました(笑い)」

 

品質保障 出荷検査風景

品質保障 出荷検査風景(上)と有資格者掲示板(下)

多くの国家資格保有者が高品質な製品づくりを支える

有資格者掲示板

 

カンパニー制の廃止!

八巻改革の完成へ

八巻社長との二人三脚でますますの活躍が期待されるが、今後の戦略を伺おう。
「この4月から、14年間続いていたカンパニー制を廃止します。もともとこれは八巻社長の意向でして、昨年から議論に議論を積み重ねて、いよいよ組織改革を断行することとなりました」

 

具体的には?
「営業も一本化、技術も全て一本化。工場ごとにプロフィットセンターを置き、お客様の窓口もシングルウィンドウで、営業本部に置きます」

 

一般的に工場をプロフィットセンターとすると、特注品でも積極的に受注していこうというインセンティブが働くことになる。受注生産が中心のYDKにとっては望ましい形といえよう。またカンパニー制でのデメリットのひとつ、人事交流の少なさによる人材の固定は、良い人材を育まない環境となるが、壁を作るようなカンパニー制の廃止で人材もある程度流動化できるようになる。実際に関連会社である株式会社ワイ・デー・ケー九州や中国の旺天凱精密機器(昆山)有限公司も含めて、適材適所への人材の交流が始まる。さらにオーナー家の存在と経営はきちんと分離する。オーナー家では若手世代に交代を図るとともに経営は現執行側が取り仕切ることで、「ようやくこれで八巻改革が完成形を見ることになるでしょう」。

 

株式会社ワイ・デー・ケー05

東北工場の大型機械加工工場

 

受注生産で行く!

社会的使命を帯びた企業として

世の中のIT化によって、アナログからデジタルに移行しても、受託生産でのモノづくりに特化して存在価値を高めているYDK。
「受託生産はなかなか難しい。受託生産では形になって見えるモノは少ないが、出来上がったモノが世の中に役立っていることをきちんと意識することが大事。最近は大手企業がモノづくりをやらなくなっているので、日本の足腰が非常に弱くなっている。でもこのまま行くと日本のモノづくりは本当にダメになってしまう。だからわが社のような生き方は社会的使命を帯びていると思っています」

 

そのために4月からは、まず経営理念を掲げる。それが〝確かなモノづくりで「世界へ」「未来へ」つなぐ!〟だ。今までは接ぎ合わせだったホームページも、YDKとして一体化したものにつくり替える。
「5年後、10年後を見据えて、総合力を結集して行かなければいけない時期なのですから」といい、ポスト八巻の成長にも期待を寄せつつ、西田副社長が中心となって役員定年制も敷いた。もっとも社長定年には柔軟性を持たせているため、八巻社長の退陣はもう少し先のことになりそうだ。

 

八巻社長が提唱するQCDプラス3S(クオリティー=品質、コスト=価格、デリバリー=納期を意識し、サービス、スピーディー、サプライチェーンを実現する)の方針は今後も揺るがない。
その上で改革が成されたYDKは、西田副社長が言うところの「第一に『全社員の一割近くの技術者集団を抱えていることを背景に、技術力とモノづくりで社会に世界に貢献していく』、第二に『受託を受けている以上、お客様に最も信頼されるサプライチェーンの一部となってきちんと役目を果たす』、第三に『お客様に信頼される品質の基には、社員の幸せがある』」そんな姿を具現化する。
新生YDKは、ニッポン経済の荒波の中にあっても、極めてまれな受託生産を武器に、今後も日本のモノづくりを牽引していくことになるだろう。

 

株式会社ワイ・デー・ケー06

工場敷地内緑地公園

 

株式会社ワイ・デー・ケー07

大型基板対応セルパレット

 

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八巻信男(やまき・のぶお)氏
1946年生まれ。法政大学卒業。大学在学時より日本電気で働き56歳で退職後はNEC子会社でその手腕を発揮する。2008年、YDKコミュニケーションズ4代目社長に就任。2012年、株式会社ワイ・デー・ケー専務取締役昇進。2014年同副社長に就任し、ワイ・デー・ケーグループ総括を担当。2015年4月に株式会社ワイ・デー・ケー代表取締役社長に就任。2016年4月1日から株式会社ワイ・デー・ケー九州の代表取締役社長も兼任する。

 

西田荘平(にしだ・そうへい)氏
1953年4月3日生まれ。東京大学法学部卒業後、株式会社横浜銀行入行。英国Guiness Mahon & Co.への出向後、融資、コンプライアンスなど管理職を歴任。2008年浜銀TT証券株式会社監査役に就任。2013年6月株式会社ワイ・デー・ケー常任監査役に就任。2015年6月同社監査役を辞任後、取締役副社長に就任。2016年4月から中国旺天凱精密機器(昆山)有限公司の董事長も兼任。

 

株式会社ワイ・デー・ケー
〒206-0811 東京都稲城市押立1705
TEL 042-377-3831
http://www.ydkinc.co.jp/

売上高72億円(2016年3月期)連結 105億円
従業員数 425名 連結657名 (2016年4月1日現在)

 

◆2016年4月号の記事より◆

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