オビ 企業物語1 (2)

淘汰の時代を生き抜くカギは「教育」にあり!元商社マン、人材派遣会社への挑戦

株式会社タスクフォース/代表取締役 淺田隆史氏

〈グループ会社〉株式会社IGC/代表取締役社長 市橋俊華氏

 

オビ ヒューマンドキュメント

株式会社タスクフォース 代表取締役 淺田隆史氏

 

 

1986年に誕生して以来、近年まで右肩上がりの成長を続けてきた人材派遣業界。

リーマンショックで落ち込んだとはいえ大きな需要がある一方、人材派遣業を営む事業者は全国で8万件以上とも言われ、倒産する会社も出るなど、淘汰の時代を迎えている。

そんな中、医療・介護を中心とした人材派遣会社・株式会社タスクフォースは2001年の創業以来赤字ナシ。

人材教育に力を入れ、これから大量の人手が必要となる介護分野に特化することで更なる飛躍を図る。

創業社長の淺田隆史氏に話を聞いた。

 

 

企業の海外進出を手がけた商社時代

淺田氏は元商社マン。38年間勤めた伊藤忠商事株式会社で数々の大きな仕事を手がけた後、2001年に起業した。

「今年の誕生日が来れば、後期高齢者の仲間入り」と笑うが、元気と若々しさに満ちた表情からはとてもそうは感じられない。

 

そんな淺田氏のキャリアは、大学を卒業し伊藤忠に入社した1965年、当時同社の取り引きの57%を占めていた繊維部門に配属されたところから始まる。

時は高度経済成長真っ只中。内需主導の成長から輸出主導へと移り変わっていく中で、商社のビジネスもエネルギーや化学品など新しい分野に注目が集まりつつあった。

対して繊維は、戦前の日本経済を支えた主力産業ではあるものの、人件費の安い海外製品の登場もあり、衰退は避けられない分野。

 

「入って2年目で役員に直訴して、繊維は向いてないから、新しくできる建設かエネルギーに変えてくれと言うたんですね。

でも〝お前は繊維に必要な人間なんやから、出てどないすんや〟と、うまいことなだめられて。

ただ、心の中では〝はよ変わりたい、変わりたい〟と思ってました」と、「繊維にはあまり興味がない」というのが、正直な感想だったという。

 

だが、たとえ興味が乏しくても、仕事となれば全力を尽くすのがビジネスマンというものだ。

今後は新興国の安い労働力を使った製品が台頭し、日本は輸入国に回ることが確定の繊維業界で、どうすれば利益を上げられるか?

 

そんな意識で淺田氏が取り組んだのが、台湾や韓国、タイに工場を作り、日本からの縫製オーダーに応えることだ。

できた製品を輸入して、当時日本全国に広がり始めていた量販店で販売しようという作戦だが、ビジネスは言うは易く行うは難し。

障壁としてまず立ちはだかったのは、日本とアメリカではオーダーする数量がまったく違うことだった。

 

例えば、アメリカの企業は10万ダースなど発注単位が大きいため、工場側からすれば一度オーダーが入れば2~3カ月は同じ製品を製造でき、仕事に困らないというメリットがある。

これに対し、日本企業のオーダーは多くて1000~2000ダースと小規模のものが主流。その上細かい注文も多いので、小さくて面倒くさいと縫製工場の所有者から敬遠されがちなのだ。

 

そんな状況をクリアするために淺田氏が取った方法は、商社の資本参加の下、海外進出を目指す日本メーカーと現地の人間で合弁会社を作り、そこで生産を行うこと。

この方式は1970年にワコール株式会社がタイワコールを設立したのをはじめ、多くの成功例をあげていった。

 

 

時代の変遷が転機に

しかし、80年代・90年代・2000年代と時代が移り、商社の会社規模が拡大するにつれて、同社の売り上げ全体に占める繊維の割合は5〜6%へと降下の一途を辿る。

海外進出の主役も大企業から中小企業へと移り、合弁会社形式では大きな利益を上げることは困難な時代がせまっていた。

そこで淺田氏は直接投資を提案するが、会社からは「同じ金なら石油やエネルギーに投資した方が効率がいいから」と突っぱねられてしまう。

だが、それは必ずしも悪いことばかりではなかった。

「〝そんならもう辞めよ〟と思って、定年の2年前に辞めました。それで、自分の会社を立ち上げたわけです」と、自ら起業する道を選ぶきっかけになったからだ。

 

 

顧客の必要に応え、人材派遣会社を設立

淺田氏が選んだのは人材派遣業。それだけ見ると氏のこれまでのキャリアとはまったく関係なく見えるが、実はそうではない。

淺田氏が人材派遣業と出合ったのは起業の時から遡ること数年前。

商社の代表として1998年の長野冬季五輪招致委員会委員としての活動を終え、再び伊藤忠商事での通常業務に戻った後の1990年代後半頃のことだからだ。

事業拡大のために商社から人材を得たいと考えていた人材派遣会社大手の株式会社スタッフサービス(現・株式会社スタッフサービス・ホールディングス)から伊藤忠商事に打診があり、ちょうど違う業界への転向を考えていた淺田氏が立候補したのだ。

 

当時のスタッフサービスは年商約200億円ほどの規模。

そのグループ内別会社の一つで、主に製造業や工場への人材派遣を行う株式会社テクノサービスのトップとして来てほしいというのが、スタッフサービスの提案だった。

いきなり未知の業種でトップをやれと言われても……と、普通なら尻込みしそうなところだが、

 

「いわば支店長をやれと言われたわけですが、おかげで下からじゃなく、管理の立場から派遣業界を知ることができました」

 

と、淺田氏はむしろこの状況を歓迎。

パナソニックやサンヨー、シャープといった大手企業を顧客として、3年間で大きな成果を挙げ、スタッフサービスの年商を大幅に上げることにも成功する。

 

だが、話はそれだけでは終らなかった。

出向を終えて伊藤忠へ戻った淺田氏の元へ、テクノ時代の取引先だったシャープ社の役員から「貴方がおるからテクノサービスを選んだのに、貴方がやめてどうすんのや。

頼むから一日でも早く会社を作ってくれ。貴方がやるならオーダーは全部出すから」という電話がかかって来たのだ。

人材派遣会社・株式会社タクスフォースは、淺田氏の実績と顧客からの信頼の結晶ともいえるわけだ。

 

 

年商50億、100億の企業を目指して

現在、同社がメインで扱うのは医療事務や看護師など医療系機関への人材派遣。

加えて、サブとしてオフィスやIT、営業など一般業種の派遣も取り扱いながら、近年では人手不足が深刻な介護分野の需要に応えて海外人材の確保・教育・派遣に力を入れている。

 

その活動の一翼を担っているのが、国際人材サービスや環境ビジネスを展開するグループ会社・株式会社IGCだ。

同社の社長を務めるのは、中国出身の市橋俊華氏。

人材派遣サービスでは、中国人看護師の日本医療機関への紹介をはじめ、技術者確保が難しいIT・電子分野、農業、漁業、建設業など幅広い分野で、確かな技術を持った外国人人材の紹介サービスを展開。

 

一方、環境ビジネス分野でも、中国における汚染土壌の処理・管理のコンサルティングから太陽光発電モジュールの販売、廃棄物処理専門設備の開発・設計・製造まで、社会のさまざまな要望に応え続けており、

環境分野で日本企業海外進出サポートも行うなど、海外とのコネクションを活かした多彩なサービスには、大きなニーズがある。

 

株式会社タスクフォースの創業は2001年と業界では後発組だ。

しかし、8万社のうち90数%までが年商1億円未満の中小零細企業に止まっている派遣業界において、同社は初年度から年間売り上げ3億円を達成。

16年経った今では、年間40億円以上の売り上げを上げるまでになった。

 

その成長の秘密、他社との違いを生み出しているのは一体何なのか?

淺田氏はそれはまずは心構え、考え方の違いではないかという。

 

「会社に入った早々に先輩から言われたのが〝お前がやっている仕事は全国でなんぼの消費があるんや? その中で今なんぼやっとんや?〟ということで、〝そういう頭でやれ〟と、度々言われてきました。

おかげで今自分のやっている仕事が全国的にどれだけの需要があるのか、その中でうちのシェア・売り上げはどれぐらいなのかは常に考えています」

 

さらにその見地から見れば、現在の成績はまだまだ「吹けば飛ぶようなもの」。

 

「商社では伝票1枚で何億円という金が動くことも珍しくありません。そんな世界に身をおいていたから、経営するからには10年で年商50億、20年なら100億円にして当たり前。

まず年商50億、100億ぐらいなければ、簡単に飲み込まれてしまうと思っている」と、その自己評価は非常に厳しい。

 

同時に、会社が成長した分、結果を残した社員には相応の報酬で報いることも、淺田氏が大切にしていることの一つだ。

 

「野球選手なら、シーズン中活躍すれば次の契約は1億、2億の単位で上がるでしょう?

まあ、それはちょっと特別としても、企業内で良くやった人は前年度の3倍ぐらいは給料をもらわんと、働く楽しみがないじゃないですか。

せっかく資本主義の社会に生まれて民間企業に務めたのに、公務員と同じではつまらない、人一倍働いて倍の給料をもらいたい。

力がつけば自分の会社を起こしたい。うちはそういう会社なんです」

 

 

差別化を生むのは教育への投資

「〝何でもできますよ〟というのは、得意なものが何もないのと同じ。ある部分で特化しないとダメ」だという淺田氏。

その特化すべき分野を医療に決めたのも、商社の経験を踏まえ、為替の変動や国際状況の変化に関わらず「どんな業態であっても日本に残る仕事」を選んだためだという。

人材派遣はどんなに利益が多くても、クライアントが海外に出て行ってしまったら成り立たない。

その点、医療は必ず国内でニーズが発生し、また高齢化の進行により需要が見込める分野だからだ。

 

そして同社は今、更に今後を見据えて介護分野への進出を進めている。

グループ会社・IGCにも通じることだが、その鍵を握るのは「何と言っても教育」。

ただ人を紹介するだけではなく、東南アジアの国々を中心とする外国人を主力とし、受け入れ手続きから日本語・マナー教育までしっかり施した上で紹介することで、同業他社との一層の差別化を図ろうというのだ。

 

2015年6月に厚生労働省が発表した試算では、2025年には約38万人の介護人材が不足する。

その対策の一環として、2016年11月には外国人の在留資格に「介護」が追加され、介護福祉士の資格を取得した外国人を対象に介護の在留資格を認める改正出入国管理及・難民認定法が国会で成立。

同時に、外国人技能実習制度を拡充する法律も成立するなど、介護業界で外国人人材への期待が高まっているのは間違いない。

そんな中、人材派遣会社としてブランドを確立し、価格競争に巻き込まれることなく売り上げを伸ばしていくための戦略は「教育しかない」という。

 

「大事なのは、いかに他所よりいい人材を育てるか。

例えば日本語にしても、他所の会社の紹介するスタッフが日本語3級、4級レベルなら、うちは2級や1級を取らすとか、そういう所が必要だと思っています。

それは外国人に日本で働いてもらうだけでなく、日本人を外国に紹介する場合でも同じ。

〝タスクフォースから来た人間は、他社から来た人間より能力もあるしマナーも立派だ〟と言われるようにならないとダメですね」

 

絶対的に人手が足りない業界だからこそ、人材の質にこだわることで他社との違いを打ち出していく。

将来を見据えた取り組みはもう始まっている。

 

 

社長は社員を背負うもの

淺田氏は今年で75歳。将来を見据えるといえば、後継者のことも出てきておかしくない時期だが、子どもをはじめ家族に引き継ぐ気はない。

 

「〝中小企業は自分の子どもに托すな〟というのが自論です。確かに創業者は立派ですが、子どもが立派とは言えないからね。

そこを子どもに継がせたりしたら、長年一緒に働いてきた従業員はどう思うか。やっぱり士気が落ちますよ」といい、社員の中から後継者を立てるつもりだという。

 

「できることならすぐにでも辞めたい」といいつつ、

「東京、大阪、名古屋の3つで180人の社員と、派遣中の社員がいるから、私が引いても何年間はできるようにしとかんと。

今やめたらどうしようもない」と話す声は明るく覇気に満ちている。

今後の活躍は、ますます目が離せないものになりそうだ。

 

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

淺田隆史(あさだ・たかふみ)氏…1942年、東京生まれ。甲南大学経営学部卒。1965年に伊藤忠商事株式会社に入社。大阪本社に勤務し、繊維部門で活躍。後に長野冬季五輪招致委員会委員や出向先で株式会社テクノサービス代表なども歴任する。2001年に退職し、株式会社タスクフォースを設立。代表取締役に就任、現在に至る。

 

《株式会社タスクフォース》

http://www.taskforce.jp/

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《株式会社IGC》

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〈東京〉

〒101-0043 東京都千代田区神田富山町9-3 千代田第3手塚ビル3F

TEL 03-5294-8066

 

 

 

◆2017年4月号の記事より◆

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