株式会社ライフ・パル 粋なシニアを、しようぜ

見事なまでに貫いてきた〝商人道〟

◆取材:綿抜幹夫 /撮影:周鉄鷹

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社会福祉法人プラモウト・サークルクラブ/理事長 株式会社ライフ・パル/会長  増井正彰氏

 

〝四十にして惑わず〟なんていうが、そんな人がいたらお目にかかりたい。むしろ40歳からがああでもない、こうでもないと惑い惑わされるのが男の人生ってものだ──。

とまあそんな風に思っていたところ、人に紹介され、なんと弱冠37歳で、ある意味の〝悟り〟を開いた人物に出会った。自ら創業した不動産会社を経営しながら、私財を投じてつくった特別養護老人ホームの理事長という要職を、無報酬でこれまで34年間も努めている増井正彰氏(73歳)である。後継者問題や、第二の人生設計に苦慮されているシニア諸氏、この人の人生観、仕事観は、もしかしてそれらを解決する大きなヒントになるかも知れませんぞ。

天皇陛下から御下賜金の栄誉

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先ずはこんな情報からお届けしたい。今、筆者の手許に古い新聞記事と、埼玉県政ニュースの写しが各1枚ずつある。

新聞は昭和53年(1978年)7月の読売新聞で、「坂戸に特別養護老人ホーム完成」の見出しが付いた写真入りの記事だ。要約すると次の通りである。

 

 ─(埼玉県)坂戸市石井の農村地帯の一角に、社会福祉法人プラモウト・サークルクラブ(増井正彰理事長)が建設していた、特別養護老人ホーム「坂戸サークルホーム」が完成、8月1日からオープンする。約6600平方メートルの敷地の中に建てられた〝白亜のホーム〟。県下各地の寝たきり老人を中心に50人収容する。総工費は3億3459万円(うち自転車振興会1億1575万円、県の補助5258万9千円)。増井理事長が私財を投入して実現させた─。

 

 埼玉県政ニュースは平成18年(2006年)12月のトピックスで、見出しには「優良民間社会福祉事業施設に御下賜金を伝達」とある。以下、次の通りだ。

 

 ─今年の天皇誕生日に際して、優良民間社会福祉事業施設として、坂戸市の特別養護老人ホーム「坂戸サークルホーム」に対し、金一封が下賜されました。知事室で行われた伝達式で知事は、増井正彰理事長と渡辺恭一施設長に金一封を伝達し、「ただいま、天皇陛下からの御下賜金と表彰状をお渡ししました。改めて心からお祝いを申し上げます。どうか今回の御下賜を契機に、地域福祉の中核施設として、一層ご尽力いただくよう期待いたします」とあいさつしました─。

ちなみに冒頭で無報酬と書いたが、無報酬どころか氏は、ホームと自宅(東京・上板橋)を行き来する車のガソリン代さえ自腹を貫いているという。

 

早い話が、正真正銘の篤志家と言っていい。しかし篤志家と呼ばれる人物は他にも少なからずいる。尊敬はもちろんするが、とくに小誌が紹介するものでもない。テレビや新聞に任せておけばいいと考えているからだ。ではなぜここで氏を取り上げたか。ひと言でいうと、各方面を取材した結果、この人物はよくテレビや新聞に紹介される篤志家とは、まるで違うタイプの篤志家だということが分かったからである。以下、その取材で得た情報に、筆者なりの解釈を混じえて詳しく報告する。とくとご吟味ありたい。

 

 

汚く儲けてきれいに使え!?

〝情けは人の為ならず〟という諺と同様、よく意味を違えて覚えている言葉に、〝汚く儲けてきれいに使え〟という上方商人の教えがある。違えて覚えているのは〝汚く儲けて〟というところで、儲けるためならどんなに汚い手を使ってもいいと解釈している人が少なくない。汚く、というのは商人が自らへりくだるとともに、支配者階層に対する痛烈な皮肉を込めて言った言葉である。

 

背景にあるのは江戸時代の四民(士・農・工・商)制度だ。言うまでもないが四民制度は、農民や職(工)人が何らかの〝生産〟をしているのに対し、商人は口舌と算術だけで何の生産もしないくせにひとり腹を肥やしているとして、(農・工の不満を和らげる=ガス抜きをする意味で)最下階層に貶めた幕府の統治システムである。

 

しかしそのシステムをむしろ逆手に取ったのが商人で、知恵と汗と進取の精神を武器に、江戸中期以降、この国の事実上の支配者階層に伸し上がったのは周知の事実だ。要するに上方商人の〝汚く儲けて〟という言い方には、負けるが勝ちではないが、何ごとにも控え目にして出しゃばらず、どんなに辛くとも我慢を重ね、厳しい競争を何としても勝ち抜くんだという、賢くて粘りの利いた強い意志を表しているのである。

 

なぜ藪から棒にこんな話を持ち出したかというと、増井氏が篤志家である以前に商人であり、それも〝汚く儲けて〟きれいに(社会に役立つために)使うという理想の商人道を、見事なまでに貫いてきた、中小企業経営者としては極めて稀有な人物だと感じたからだ。しかもおまけに、世にいう篤志家のほとんどは事業の成功者であり、事業の成功者には数々の武勇伝が付きものだが、この人にはその武勇伝らしきものが、まったくないのである。それどころか、

 

「ケンカらしいケンカは、あとにも先にも20代の頃に1回したきりですかね」 と、氏はまるで屈託がない。

 

「だってそうでしょう。ケンカして何か物事が前に進むとか、建設的な結果が得られるというのならまだしも、何ひとついいことはありませんよ」

この辺りからしてすでに、並みの経営者や篤志家とははっきりと一線を画していると言える。

 

 

ほんの少し我慢すれば済むこと

ここでひとつ、思わず膝を叩きたくなるエピソードを紹介しよう。
不動産業界には〝抜く〟とか〝抜かれる〟という隠語がある。簡単に言うと、すでにある業者と媒介契約や代理契約をしている依頼主(大家・売主)を、別の業者が裏で小狡く立ち回り、頭越しに取ったり取られたりする〝仁義なき闘い〟だ。一定の法的規制はあるものの、この手のトラブルは尽きないという。宅建取引を生業としている限り、避けることのできないケンカの種と言っていい。

 

「それがイヤでね。黙っていると商売は上がったりですし、かといってケンカをすると、迷惑を被るのはお客さん(依頼主や買主・借主)ですから」

 

しかしだからといって、氏が営む不動産会社だけが例外というわけには、もちろんいかない。

 

「30年以上も前の話ですが、酷い〝抜き〟を仕掛けられましてね。気が付いたときはもはや、二進も三進もいかないややこしい状況になっていたんですよ」

 

問題はそこで氏が取った方策だ。我々凡人には思いも寄らない徹底した和戦の道である。なんと手数料を通常の3倍出すから、抜き行為を止めて正規の手続きを踏むよう相手方に申し入れたと言うのだ。もちろん相手に異存があろう筈はない。一も二もなく承知したのは言うまでもない。

 

「おそらく同業者の中には、丸増(当時の商標)も意気地がねえなあ、なんて思った人が少なからずいたと思いますよ。でも商人にとって一番大切なのはお客さんですよ。お客さんをトラブルに巻き込むわけにはいきません。私どもがほんの少し我慢をすれば済むことです。もっともそのあとは、二度とそんなことのないよう、きっちりと釘を刺しておきましたけどね(笑い)」

 

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ちなみに氏の不動産会社(現在の屋号はライフ・パル)は、今や東上線沿線を中心に、自社物件だけでも22棟を擁する、押しも押されもしない超優良企業である。と同時に、中小企業の経営者としては稀に見る篤志家として、前述した通り氏は多くの人望を集めている。

 

さらにいうと、坂戸ホームも二度に亘り増床。現在では収容人数100人、デイサービスも運営する規模にまで発展している。目先の損得やメンツに固執する人たちと、その生き方、理念において明確に一線を画し、堂々と歩んできたからに他ならない。

 

一方、通常の3倍もの手数料をせしめてニンマリしたであろう件の業者が、その後どこでどうなったかは知る由もない。

 

 

好きこそモノの上手なれ

ということで話は前後するが、その堂々たる〝生きざま〟の源泉を探る意味でも、ここらで氏が歩んできたこれまでの道程と、その都度どういう思いで事業に取り組んできたか等々について、少しく触れておきたい。

 

「趣味と実益が直結する仕事ばかりやってきましたから、これまで苦労らしい苦労を感じたことは一度もないんですよ」

 

こう聞くと、(ふ~ん。こりゃまた羨ましい御仁だ)と鼻白む向きがあるかも知れないが、実のところそんなに羨ましがる話でもない。現に氏は、家が(当時は大方がそうだったが)貧しくて新制高校に進めず、中学を出てすぐに双眼鏡の組立工場に勤めている。しかし凡庸な人かそうでない人かは、おそらくこうした局面でその違いが出るのだろう。 当時の氏は、

 

「これはメチャクチャ〝美味しい〟仕事に就いたぞと、飛び上がって喜んだものです」

 

と言うから、めっぽうポジティブな少年だったようだ。時折しも戦争(朝鮮動乱)特需の真っ只中で、双眼鏡をはじめ、光学機器が売れに売れていた時代ではある。そのことが大きなインセンティブ(動機付け)になったであろうとは推測するが、それにしても当時はまだ15歳。生半な少年でなかったことだけは間違いあるまい。

 

次に就いた職は自動車のセールスだ。昭和30年代の前半で、ほとんどがアメ車だったのに加え、1ドルがまだ360円だったことから、そこらの下手な一軒家より、遥かに高嶺の花だった時代である。おいそれとは売れるわけがない。しかし氏はセールスを始めて2カ月目にまず1台、半年も経った頃にはなんと、一人で10台以上も売ってみせたのである。

 

「もともと車が好きでしてね。車が欲しくて仕方がなかったんですよ。でもまだ、普通のサラリーマンをやってて買える時代じゃなかったじゃないですか。だったらまずは車に囲まれた職場に入りたいと思って飛び込んだんです。でも好きこそモノの上手なれって言いますが、結果的に見れば本当にその通りですね。上司と話し合ってコミッション・セールスを始めたら、これがドンピシャだったわけです。おかげでまだ20代のうちに、中古ながらもオースチンを買うことができました(笑い)」

 

そんなこんなで15年が経ち、氏が現在の不動産会社を起こしたのは、30歳になって間もなくの頃(1970年)だという。とくにこの業界に精通していたわけでもなく、何らかの伝があったわけでもないようだ。

 

「その頃には私も結婚していましてね。子供もすでに3人いましたから、この先を考えると〝こりゃ家がないとまずいな〟と思ったのがきっかけですよ。一旦そう思うと、今度はそれまで気にも止めなかった街の家々とか、マンションがやたらと目に着きましてね、道を歩いていてもつい立ち止まって、気が付いたらしげしげと眺めていたりするんです(笑い)」

 

早い話が、これまた趣味と実益が直結して始めた事業、というわけだ。ちなみに言うと、その後に生まれた四女が現在の社長(2代目)である。

 

「仕事の仕方も、人との付き合い方も、ようやく社長らしくなってきたと思いますね。坂戸ホームの施設長をやっている娘婿の渡辺(恭一氏・前出)に対してもそうですが、私としてもこれからは一つひとつ整理しながら、彼女らに粛々とバトンタッチをしていきたいと思っているところです」

順風満帆、とはこのことだ。

 

 

個人的な欲がスッポリ抜け落ちた

最後になったが、氏の仕事観と、今後の人生設計についてもそれとなく訊いてみたので、一問一答形式で見ていただくことにしよう。
─次の世代の人たちに伝える、という観点からお訊きしたいんですが、結局のところ会社を経営する、仕事をするという上で、もっとも重要で鍵となるファクターを、増井さんは何だとお考えですか?

 

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増井「必ずしもみんなに当てはまるとは思いませんが、私の場合はその事業、その仕事が、本当に好きか好きでないかということが、もっとも大きなウェートを占めるのではないかと思っています。本当に好きだったら、少々厚い壁にぶつかっても頑張れますが、ただ収益を上げるためだとか、給料のためにだとかで、とくに好きでもない事業や仕事をやっているとしたら、厚い壁どころか、目の前に障子1枚立ちはだかっても、突き破るのは難しいと思いますよ」

 

─よく分かります。しかし若い人の感覚で言うと、会社に入るということは、就職するというより〝就社〟するという意識のほうが強いかと思います。となるとそこには、その仕事が好きだとか好きでないとかのファクターは加味されません。その場合、指導者はどう(仕事が好きになるよう)誘導すればいいと思いますか?

 

増井「ひと言でいうと、自らやって見せることですね。例えば自己啓発のための合宿型の研修があるじゃないですか。朝6時に起きて掃除をし、ランニングをし、大声で発声練習をし、会議では人格否定まで容赦なくするあの集団研修です。私どもでも専務以下全員が参加しましたが、それより先、一番最初に参加したのが、実は私なんです。掃除ついでに言いますと、ウチは5人娘なのですが、妻に『やりなさい』と言われても、放っておくと誰ひとりトイレ掃除をしません。でもたった1カ月間、私がやって見せるとみんなが交代でするようになりました。先の集団研修もそうですが、嫌いなことでも実際にやってみると、けっこう感動したり好きになったりするものです。そんな風に誘導していけば、少なくとも障子1枚くらいのハザードは、簡単に突き破れるようにはなると思いますよ。

 

─なるほど。最後にもう一つ。ご自身は今後、どのような形で、どのような役割を果たしていきたいとお考えですか?

 

増井「ハハハ。第二の人生というやつですか? さっき言いました粛々とバトンタッチをしていくという以外は、まだどうこうと決めているわけではありませんが、はっきりしていることが一つだけあります。墓場まで金は持って行けないということですよ。だったらこれからは無理して金を稼ぐ必要はないでしょう。その分、若い人たちがもっと稼いで、社会に還元できるような形になったら素晴らしいんじゃないですか?

 

そのためのお手伝いが少しでもできれば、私としても本望ですね。だってこの歳になって言うのも何ですが、改めて自分一人では何もできないことに気付きましてね。考えると今まで多くの人に出会い、ご厚情やご指導をいっぱい賜りました。その感謝の気持ちを込めて、今後も世の中に少しでも役に立てるよう、前に進んでいきたいと思っています。

 

あとはやっぱりそうですね。とくに贅沢するという意味ではなく、ずっと一緒にいてくれた妻や娘たちと旅行に行ったり、気の置けない仲間とほどほどにゴルフを楽しんだり、たまに銀座に行ったりと、それなりに味わいのある日々が、それとなく送れれば何も文句はないでしょうね(笑い)」
冒頭でも書いたが、氏は37歳の年に社会福祉法人「プラモウト・サークルクラブ」を設立し、翌年には「坂戸サークルホーム」をオープンさせている。

 

不動産業界はある意味で〝生き馬の目を抜く〟みたいなところがありましてね。何だかイヤになってきたところへ友人がきて、だったらこういう事業もあるぞって紹介してくれたのが、社会福祉事業なんですよ。目からウロコが落ちる思いをしたものです。不思議ですね。それ以来、個人的な欲みたいなものが、私の中からスッポリと抜け落ちたんですよ」

 

さて読者諸氏。増井氏が、よく見る篤志家とはまるで違うタイプの篤志家だと言った筆者の思いも、ここまでくればもうお察しいただけたのではあるまいか。昨今の若手歌舞伎役者程度では、足許にも及ばない見事な〝粋人〟ぶりと筆者は見たが、皆さんはどうお感じになっただろうか。ご意見があれば、編集部までご一報いただきたい。
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●プロフィール
増井正彰(ますい・まさあき)氏…1939年東京生まれ。6歳の時に父親が戦死。幼少期を疎開先の岐阜県で過ごし、戦後、東京に戻る。15歳から仕事(双眼鏡の組立工~自動車のセールスマン)に就き、30歳で独立。増井建設(不動産取引業/現ライフ・パル)を設立し、代表取締役に就任する。37歳の年に、「社会福祉法人プラモウト・サークルクラブ」を設立、理事長に就任する。翌年(1978年)、私財約1億7千万円(総工費約3億4千万円)を投じて建設した老人ホーム、「坂戸サークルホーム」をオープンさせる。2006年、優良民間社会福祉事業者として、天皇陛下から御下賜金と表彰状を授与される。

 

●株式会社ライフ・パル
〒175-0083 東京都板橋区徳丸1-7-12
TEL 03-3550-0005

 

●社会福祉法人プラモウト・サークルクラブ
特別養護老人ホーム坂戸サークルホーム
〒350-0212 埼玉県坂戸市大字石井1684
TEL 0492-83-7851

 

町工場・中小企業を応援する雑誌BigLife21 2013年8月号の記事より

町工場・中小企業を応援する雑誌BigLife21 2013年8月号の記事より