ひっそり目立たずしっかり仕事──。

そんな日本の職人魂にも似たある〝渋い〟技術が、今、土木建築業界の熱い注目を一身に集めている。関東以北と九州一帯の大工職人なら、知らない人はいないという〝安田釘〟の宗家、安田工業(本社・東京千代田区)が開発した一連の災害予防製品群である。中でも秀逸なのは、耐力壁構造用の合板止め付け釘と、コンクリート補強用のスチールファイバーだという。開発を主導した同社社長、荒木信仁氏の思いと、今後の戦略など、諸々の情報を交えて詳しくリポートしよう。

 

創業者・安田善次郎の志を今に受け継ぐ国内最初の洋釘メーカー 安田工業株式会社 取締役社長 荒木信仁氏

 

新たなパイ(市場)を創る

何はともあれ、まずは〝釘〟だ。

 

面白いもので、と言えば少々誤解を招くかも知れないが、市場的にみると日本の釘は、幕末の開国以来、淘汰と勃興、天国と地獄を行ったり来たりと、時代に翻弄されてきた漂流物のような存在と言っていい。建築様式が西洋化するにつれて、フランス、イギリスなどから洋釘が入ってきたときは、飛鳥時代から我が世の春を謳歌してきた和釘がものの見事に淘汰され、その洋釘が国内でもつくられるようになると、今度は舶来の洋釘が姿を消すことになり、建物のコンクリート化が進むと、釘自体の需要がみるみる減っていき、木造建築が見直されると、また一気に息を吹き返し、アジアから安いモノが入ってくると、ジリジリ端っこに追いやられるといった具合だ。しかし、

 

「今度はこれまでと少し様子が違う」(荒木氏、以下同)

 

という。 四分どころ(国内シェア40%くらいのところ)で何とか、日本製の洋釘が踏みとどまっているのだ。ちなみに今、国内で消費されている洋釘の〝外来種〟はほとんどが中国製である。試しにネットで日本製と比べてみたが、確かに安い。それもベラボーに安い。それでいて四分どころで踏みとどまっていられるのは、

 

「やはり品質の差ですね。一度(中国産に代えて)離れていった顧客が、3~4年前から徐々に戻り始めているんです。やっぱり安田さんところの品質でなければダメだって」

 

かと言ってもちろん、あちらの賃金や材料費が日本並みにまで上がるなら話は別だが、そのうちみんな戻ってくるなんて甘い考えは通用しない。早い話が〝住み分け〟である。言うまでもないが、どんな製品にもローエンドとハイエンドがあり、用途によってはローエンドで十分、問題は価格だけだという顧客と、安いに越したことはないが、品質的にどうしても譲れない一線があるという顧客がいる。その住み分けが進んできたということだ。これは一見、好都合なようにも思えるが必ずしもそうではない。パイ(市場)が縮小したまま、半永久的に固定してしまう恐れがあるからだ。おまけに釘は一般的な工業製品と違って、

 

「輸出は無理」

 

ときている。となるとパイが小さくなった分だけ競争が熾烈になり、やがて業界全体が消耗し、疲弊してしまうだろう。それではいけない。ではどうするかだが、これは新たなパイをどこかから見付けてくるか、それとも新たに創るかしかあるまい。ということで開発されたのが、冒頭に書いた耐力壁構造用の合板止め付け釘、「スーパーエルエル釘」というわけだ。

 

災害予防が期待できると各方面から関心

地震にめっぽう強い釘、というのがこの「スーパーエルエル釘」の売りである。

 

ご案内の通り釘は、素材、形状、寸法から用途までJIS規格で厳格に定められており、規格外の製品は製品として認められない。例えて言えば、香水入りの釘や、ピッケルにも使える長い釘なんてのは、釘としては認めないということだ。

 

「その分、たいへん差別化の難しい分野ではありますね」

ただし別途、ある用途において顕著な機能性が認められると所管する省庁が判定した場合は、大臣が許可し、認定されることがある。この「スーパーエルエル釘」がまさにそれで、耐力壁構造用の合板止め付けに使用できるステンレス釘として、国交大臣が許可し、認定した国内唯一の釘である。その意味では十分に差別化ができたと言っていいだろう。

 

従来の釘と比べると一目瞭然だが、まずは釘の頭が大きい(2倍)。素材がステンレスでできている。そして胴部にスクリュー状のリング加工が施されている。これらがどういう効果をもたらすかというと、まずは壁がガタガタ揺れても合板にめり込まない。もちろん貫通しない。逆に合板が浮き上がろうとしても引き抜けることがない。おまけに錆びにくい。

 

もともと在来工法の住宅には鉄丸釘、枠組壁工法の住宅には太め鉄丸釘しか使えなかったが、これが使えるようになったことで、木造住宅の耐震性が格段に上がっただけでなく、家の寿命そのものが伸びたと、もっぱらの評判なのだ。昨今の防災意識の高まりを思うと、今後のPR次第ではあろうが、これを以ってすれば新たなパイを創ることもさほど難しくはあるまい。

 

次にコンクリート補強用のスチールファイバーだが、こちらの正式名称は「コンクリート補強用3次元立体波型鋼繊維・スーパークラックレス」。その名の通り、乾燥収縮、土圧などによるコンクリートのクラック(ひび割れ)や剥落を抑制・防止する補強用の波型スチールファイバーで、施工する際に現場添加するだけという手軽さが大きな特長だという。

 

通常の建物はもちろん、道路、トンネルから、防波堤、防潮堤、人工地盤や盛土のかさ上げ、山留め壁やノリ面の保護コンクリートなど、様々なシーンに応用が可能で、地震、津波、豪雨など、自然災害の予防が期待できるとして、各方面から大きな関心が寄せられているという。

 

いずれも関心のある向きは、同社のホームページ(別掲)をお訪ねありたい。

 

復興需要を当てにするのではなく独自の路線を切り拓く

さて、話が前後するようで恐縮だが、ここらでこの会社がどういう会社なのか、簡単に紹介しておこう。あの安田善次郎が1897年(明治30年)に創業し、旧安田財閥の一翼を担ってきた、国内最初の製釘会社である。ちなみに前々章で触れた〝舶来の洋釘〟を駆逐したのも、実はこの会社だ。ちなみに物の本によると、善次郎が当時の政府と密接な関係にあったことから、官営八幡製鉄所(現・新日鉄)を動かし、安く材料をつくらせ、それを武器に釘を大量生産して市場を席巻したようだ。おそらく〝国を富ませる〟という大きな志の下に闘志を燃やしたに違いない。

 

とまれ荒木氏で何代目の社長(昨年3月に就任)になるかと問うと、これがまた

 

「正確なところはよく分からないんですね(笑い)。今度、調べておきます」

 

それも無理はない。日露、日中に加えて太平洋と、事実上3度の戦争があり、おまけに関東大震災で本拠地(東京深川)を失くして福岡に移ったり、さらには財閥解体から合併、分社など、激変に激変を重ねてきた115年で、その間に社名も何回か変わっているのだ。

 

最後に今後の展望と決意などがあれば、と訊いてみた。

 

「実は社長就任と、東日本大震災がほぼ同じ頃でしてね。この1年半を振り返ると、その後片付けみたいなことばかりしてきた気がするんです。その意味では、これからが本当の社長の仕事だと思っています。幸いにしてスーパーエルエル釘とスーパークラックレスが好評を得ていますので、これからはもっと攻めの経営ができるのではないかと、大いに期待し、勇気を奮い立たせているところです。すでにいくつか成果も出てきておりましてね、液状化対策や耐震住宅で知られる愛知県のあるハウスメーカーは、全面的にスーパーエルエル釘を使ってくれているんです。復興需要ですか? それはまったくアテにもしていません。実際にほとんどありませんしね。それよりみんなにも言っているんですが、何かを待っているのではなく、ウチはウチで独自の路線を切り開いて突き進んで行こう。一生懸命に進んで行けば、必ずまた新たな道が拓けてくるという信念を持って、これからもやっていきたいと考えています。安田善次郎の創った会社をやっていながらこんなことを言うのはおかしいかも知れませんが、実は松下幸之助の生き方や考え方に心酔していましてね。心構えだけでも身に付けようと思って、毎日、著書を持ち歩いて繰り返し読んでいます」

 

聞けば今年62歳だという。安田善次郎の言葉を借りれば、〝五十、六十、洟垂れ小僧、男盛りは八、九十〟である。その伝でいくと、何とも楽しみな二年生社長と言っていいだろう。ちなみに荒木氏が持ち歩いているという松下翁の著書は、「PHP道をひらく」だそうだ。

 

「読者の方もたぶん感銘すると思いますよ」

 

というわけでその一部を、読者諸氏のご高覧に供したい。

 

自分の仕事

どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、世の中の人々が求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。人々が街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの商売は生まれもしないであろう。だから自分の仕事を、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、本当は世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。ここに仕事の意義がある。自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その人に熱意があればこそで、まことに結構なことだが、自分の仕事が世の中の仕事であることを忘れたら、それはとらわれた野心となり、小さな自己満足となる。仕事で伸びるか伸びないかは、世の中が決めてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、誠実に、謙虚に、そして熱心にやることである。世の中の求めに、精一杯応えることである。お互いに自分の仕事の意義を、忘れたくないものである。

 

松下幸之助著「PHP道をひらく」(PHP研究所)より

 

荒木信仁(あらき・のぶひと)

1950年生まれ。熊本県大津町出身。国立熊本大学(機械学部)を卒業と同時に安田工業入社。製造、研究、開発など一貫して技術畑を歩く。2011年3月、取締役社長に就任。

 

安田工業株式会社

【本社】

〒101-0054 東京都千代田区神田錦町3─23 MKビル7F

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