本質を見極め、理念に沿って経営する
日々刻々と変わるもの、変わらないもの

美味しそうな匂いがすればすぐそちらに目を向ける──。

 

こんな(モノづくりにとっては六重苦とも七重苦とも言われる)苦難の時代だから、もちろんその気持ちも分からないではない。しかしこの人にかかれば、おそらくそれがすべての間違いの素だと気付くに違いない。重要なのは匂いではなく、本質だというのだ。この国の自動車と重電機産業のR&D(研究・開発)を、62年にも亘って支え続けてきた材料試験片加工メーカー、昭和製作所(東京都大田区)の次期(三代目)社長と自他ともに認める若きリーダー、舟久保利和氏(33歳)である。その〝本質〟に迫る。

日本の自動車・重電機産業のR&Dを支え続けて62年。材料試験片の老舗加工メーカー 昭和製作所 代表取締役副社長/舟久保利和氏

 

R&D機運の高まりを追い風に

まずはこの昭和製作所という会社の、アウトラインから簡潔に述べておこう。

 

ことここに至って、多品種・少量生産を謳うモノづくり企業が、雨後の筍の如くニョキニョキと出てきたが、この会社は創業以来、あの高度経済成長、大量生産・大量消費時代にも、一貫して工業製品の材料試験片をコツコツとつくってきた、生まれも育ちも正真正銘の〝多品種・少量生産品〟加工メーカーである。ここに至って、というのはもちろんアジアをはじめとした、ローコストカントリーの台頭に縮小を余儀なくされている今日の窮状を迎えて、という意味だ。したがってそれらの企業とは一日の長、とりわけ技術力においては、雲泥の差があるとの評判がもっぱらである。

 

「というのも材料試験片という分野が、おいそれとは形式知化できない、職人技と言いますか、暗黙知が大きくモノを言う世界だからです」(舟久保氏、以下同)

 

材料試験片というのは、ある素材をある機械なり装置の部品の材料に使いたいが、果してその素材がその〝任〟に耐えられるか否かを、厳格に試験するためにつくるいわば試作品であり、〝部品の部品〟である。それこそカーブひとつ付けるにしても、穴をひとつ通すにしても、ミクロンレベルの精緻な確度と完成度が要求されるという。それでいて依頼が回ってくるのはまだ研究の段階だから、依頼主としてはトップシークレットということで、素材に関する詳しい情報も提供されないことが珍しくないという。したがって膨大な知識量と経験値、余程に熟練した手技と機械操作技術、応用力と柔軟性を有していなければ、とても成立する事業ではない。

 

「極端なことを言うと、素材だけをポンと手渡されて、これでエンジンのどこどこの何々をつくってくれなんていうケースもあります。こっちはそれが鉄か非鉄かも分からないから、そんなときはまず磁石にくっつくかくっつかないかから始めるんですよ(笑い)。その意味では極めて面倒で手間のかかる仕事ですが、その分、他の加工業と比べても利益率はうんと高いですし、お金を頂戴して勉強の機会をつくってくださるというか、研究課題を与えてくださることになるわけですから、お客さまには本当に感謝する他ありません」

 

ちなみに業績はというと、あのバブル崩壊後も堅調に推移しており、近年はリーマンショック直後に多少の停滞はあったものの、それ以降はむしろ右肩上がりで、ことにここ数年の収益は、創業以来の最高レベルにまで達しているようだ。

 

「ありがたいことに、お客さまがお客さまを紹介してくれるケースが、このところ一段と増えてきましてね」

 

理由はざっくり言って、ふたつほど考えられる。ひとつは筆者も多くの企業を取材してきて実感しているが、製造業におけるR&Dの機運がこれまでになく高まってきたことである。言うまでもなく、今や避けられないローコストカントリーからのローエンド洪水に呑みこまれないよう、技術革新をより一層進め、製品の付加価値を高めるためだ。今ひとつは皮肉と言えば皮肉だが、その高まってきたR&Dの機運が、逆に業界の〝淘汰〟を進めてきたことである。というのも現に筆者は、単品・試作品を一枚看板にしてきた加工業者の多くが、そのメーカーのニーズに応え切れずに廃業、または転業を余儀なくされた事例を、ここ数年、山ほど見てきているからだ。

 

「確かにそれはあるかも知れませんね。今まではどこどこの何とかさんにお願いしてきたけど、それがどうやら雲行きが怪しくなって、という新規のお客さまも多いですから」

 

同じ機運の高まりが一方では追い風になり、一方では逆風になった格好だ。もちろん同社は前者である。この差は一体、どこから生まれたのか。今少し、別の角度から掘り下げてみたい。

 

まだ出会っていないお客さまがうんといる

ひとつはどうやら、創業時から受け継がれてきた一族の起業家精神にあると思われる。

 

「創業者の祖父(利作氏)が実は金属材料の研究者でしてね。その研究の過程で、素材がもっとこうだったら、ああだったらと思案したそうです。そこで一念発起して、材料の研究は後進に譲り、自分はそのサポート役に回るつもりで、金属素材の〝加工屋〟に転進したと聞いています」

 

これが1950年。この国が今まさに、工業先進国に向かおうという前夜の話である。

 

「おそらくこれからは自動車や重電機など、工業製品の行方がこの国の将来を左右すると見たんでしょうね。良い工業製品をつくるには良い材料が欠かせない。良い材料をつくるには良い試験片が欠かせない。そんな風に先を見据えて転進したのでしょう」

 

早い話が、先に述べた〝ことここに至って〟已むなく多品種・少量生産に方向転換した昨今の加工業者とは、起業の理念からしてまるで違うということだ。

 

「こんな時代ですから、隣の芝が青ければ隣に行きたくなりますし、どこからか良い匂いがしてくれば、すぐそちらに目を向けたくもなるでしょう。でも大切なことは、その本質を見極め、確固たる起業の理念やアイデンティティーに沿って経営することだと思っています。そのためには、日々刻々と変わるもの、変わらないものとをきちんと峻別すること。そしてそれぞれの鍛錬に日々努めることではないでしょうか。言うまでもありませんが、前者は市場のニーズであり、それに応えるための新技術です。後者はひと言でいえば人間性。人間力と言っていいかも知れませんね」

 

ちなみに筆者の見る限り、同社がローコストカントリーの攻勢に晒されることは、今のところまずはありえまい。62年間に亘って磨き上げられ、蓄積された独自のスキルとノウハウ、膨大な知識量と経験値はある意味、絶対的なもので、これが誰にも真似のできない最大の強みであり、同社のエッセンスだと考えるからだ。

 

最後に、今後の経営課題についてどう考えているかを聞いた。

 

「長期の課題やビジョンについては、社長就任までにきちんとまとめて皆さんにお伝えしたいと考えています。そのための覚悟とロードマップを以って、この会社を継ぐと決めて入社していますから。当面の課題として考えているのは、一層の品質(顧客満足)アップとスピードアップ(納期の短縮)ですね。これまでも力を入れてきましたが、まだまだ改善の余地はあると見ています。それが僕の考えているレベルまでできれば、売上も収益も飛躍的に上がる筈です。というのも、モノづくりの上流を遡っていくと、まだ出会っていないお客さまがうんといると思うからです。その意味では、今がチャンスですね」

 

とまれまずはこの若さと元気だ。小誌としても、今後の一挙手一投足に注目したい。

 

舟久保利和(ふなくぼ・としかず)氏

1979年、東京都大田区生まれ。順天堂大学(体育学部)在学中からスポーツトレーナーを目指していたが、ある時「いやいやそれはマズイ」と思い直し、「やっぱり愛着が強くて捨てきれない」ことから、2006年、祖父から続く父親(利明氏)の会社、昭和製作所に、自ら願い出て入社する。2011年、副社長に就任。

 

株式会社昭和製作所

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