遠く離れたからこそ気付いた、中小モノづくりのあるべき姿

需要、流通事情、同業他社との横のつながり……。さまざまな面からみても、一般的に「地方の中小企業は都会と比べて不利」といわれている。

 

だが今回、そのようなセオリーを越えて、あえて「田舎に戻る」との選択をした企業があると聞き、その経営者を訪ねた。山形・庄内からモノづくりの心を伝える金属加工の雄、株式会社グローバルマシーンとは、どのような企業だろうか。

株式会社グローバルマシーン 代表取締役 山形県倫理法人会副会長 菅原勝安氏

 

あえて、地方に戻るという選択をしたモノづくり

内閣府が発表する統計の一つに、景気ウオッチャーと呼ばれる調査があるのをご存じだろうか

これは企業経営者や小売店主、タクシー運転手など「経済の実現場に近い位置にいる」とされる2000人超を対象に、それぞれが感じる「現状の景気」や「先行きの景気」の聞き取りを行うものだ。いわゆる「街角景気」といったほうが知られているかもしれない。

 

つい先日公表された同調査の9月の結果は、現状が「2カ月連続のマイナス」、先行きが「3カ月連続のマイナス」。ただし基調判断は、「円高の影響もあり、持ち直しのテンポが緩やかになっている」とされた。このことから、政府が考える景気の見通しはさほど暗くはないといえよう。とはいえ、東日本大震災を経ても7月まではプラス成長だっただけに、昨今の超円高や世界規模での経済不安がいかに影響を及ぼしているかが分かる。

 

「私も経営者ですし、日本経済新聞などには日々、目を通しています。景気や経済に関する調査結果や記事などを見ると動揺しますし、不安にもなりますよね。倒産した企業のニュースを見る度に、『自分たちは大丈夫だろうか』と考えてしまう。おそらく都会にいると、新聞の記事のなかのことがすごく身近に感じるのです」

 

そう話す菅原勝安氏は今回訪ねた株式会社グローバルマシーンの代表取締役、一経営者だ。

同社は、いわゆる中小モノづくり。一般機械から試作まで幅広い分野で活躍する金属加工の雄である。本社工場のほか、中小規模ではめずらしく分工場と営業所を構え、周辺の評判も上々とのこと。だが今回、筆者が興味を抱き同氏を訪ねた最大の理由は、そこではない。技術的な面ではなく、経営者としての考えに惹かれたのだ。

 

「出身は山形県、起業の地は東京。以後、神奈川・相模原市に本社工場を構えてモノづくりをしてきましたが、今年からこれまで工場を置いていた私の地元、山形・庄内に本社機能を全面的に移転させることにしたのです」

 

自らそう説明するように、グローバルマシーンは「あえて都会から離れた」という、いわば「Uターン企業」なのだ。

 

 

秀でていても「ちょっとした」では、埋もれてしまう

山形県東田川郡、庄内町。同町は庄内地方中央にある人口約2万4千人の町だ。最上川と立谷沢川の流域に広がる豊富な水源をもつ地域であり、現在は全国でも有数の稲作地帯として知られている。

 

菅原氏がこの地で生まれたのは第二次世界大戦終結の年、1945年のこと。

 

「中学を卒業してすぐに就職し、都会で技術を磨いて起業。そのあとは時代の流れに沿って、高度経済成長、バブル、リーマンショック……すべて経験しました」

 

特に、庄内工場を建設したのは1991年、バブル崩壊と同年である。それまで神奈川・相模原で実績を重ね、「さらなる飛躍」を目指した直後の出来事だった。

 

「建てた途端、大変でしたよ。新聞やテレビからも不況をひしひしと感じ、周りの同業他社も軒並み打撃を受けて、当社もなんとか持ち堪えたといった状態でしたね」

 

苦笑しつつもそう言えるのは、その後、しっかりと持ち直したからこそ。しかし、地方で中小モノづくりを営むのは並大抵のことではなかった。

 

「流通の問題、雇用の問題、立地の問題などなど。最初は、都会と同じように考えていたので落胆の連続でした」

 

最も頭を悩ませたのは、ヒューマンエラーだった。「モノづくり」が根付いていない地での「モノづくり」は、想像以上に困難であったという。

 

「いわゆる初歩的なミスが多くて苦労しましたね。それもまた、モノづくりが発達した地、神奈川・相模原の工場と比べてしまったからかもしれません」

 

そこで、同氏がまず自身に改革を起こした。「都会とは違う」ことを前向きに捉えることにしたのだ。

 

「それだけ、この地で金属加工を営むのが珍しい。それを逆手に取ればいい、と気付いたのです」

 

具体的には、どのようなことだろうか。そう問うと、菅原氏は次のように切り出した。

 

「当社のように創業40年程度の企業など、東京、神奈川にはごまんといる。ちょっとした特長、ちょっとした製品、ちょっとした技術ではなかなか注目を集めることができません。特に、私たちのように『当たり前なこと』をウリにしているような企業は、どうしても埋もれてしまう。それが、地方に来ると変わるのですよ」

 

 

自信があるからこそできること

都会では「数ある中小企業の一つ」であっても、絶対数が少なければそれだけ目立つ。それを、自らに言い聞かせた。その気持ちを後押ししたのは、培った経験が生んだ「自信」である。

 

「自動車部品の加工ではいすゞ自動車系が多いのですが、同社から質はもちろん、納期の早さで評価されることが多々ありました。質とコストを保ちつつ、納期をどこよりも早く、感動的なスピードで仕上げる。それが私たちにとって『当たり前』であり、最大の特長なのです。それを武器にすれば、庄内でも必ずやっていけると……」

 

1991年に操業させて以来、基盤を固めるために頻繁に庄内工場へと訪れていた菅原氏は、いまから10年前に自身も相模原からこの地へ引っ越すことを決意した。

 

「ここにいると雑音が聞こえなくなるというか、都会で受ける刺激がなくなるだけ、自分の考え方がぶれないでいられるのです。新聞一つ読んでもそれを感じますね」

 

これが、冒頭の同氏の話へとつながる。

 

菅原氏は、「都会にいると新聞やテレビのなかのことが身近に感じる」と述べていた。それは決して悪いことばかりではないが、それだけ「景気悪化」「不況」「倒産」といったネガティブな言葉に踊らされてしまうことも少なくない。

 

だが、中心から地方へと離れることで、世の中を客観的に見つめることができるようになった。すなわち、より冷静に物事を見極められるようになったのだ。

 

「それに、お恥ずかしい話ですが、同業他社が周りに多いことで『多数決』に流されてしまうこともありました。いま思えば、皆が横並びで同じ行動をとっているなんて中小モノづくりとしてはダメですよね。それに気付かされたのです」

 

また、「そもそも、神奈川、特に京浜工業地帯の製造業はかつての勢いが薄れてきているのです。周辺に分散するどころか、海外に流れた企業も多々あります。衰退していく様子を見るのも切ないものですよね。だからいっそのこと、私も地元に戻り、地域に根差そうと思ったのかもしれません」と同氏。

 

 

山形・庄内で本格稼働、そして創業40年に向けて

今年、グローバルマシーンはいよいよ本社機能を全面的に庄内へと移転させた。基本は庄内を中心とし、今後は新規市場の開拓に挑む。

 

「そうはいっても、庄内では需要に限りがあります。ここで売上を伸ばすことは、他社の仕事を横取るという意味。それは、新参者にとってタブーですよね」と菅原氏。

 

そこで取り組み始めたのが、隣接する県にも目を向け、「市場」とすること。モノづくりの需要が見込まれる宮城・大崎市には営業所を新設し、これから本格的な営業戦略を図る予定だ。

 

「自分たちの特長は、先ほどもお伝えしたように『スピード』です。大げさにいえば、不可能を可能にするほどのスピードを目指しています」

 

なんと、グローバルマシーンは現在の製造業ではめずらしく、技術者は2交替で「ほぼフル稼働」の体制をとっている。具体的には土日の夜以外、何かしらの活動をしているのだ。だからこそ、「顧客に感動を与えるスピード」が実現できるのだという。

 

同氏は「ギリギリのところまで人の技術に頼っているため、当然ながら最低限の時間がかかります。そうなると必然的に土日も稼働せざるを得ないのですよね」と苦笑するが、その目は穏やかだ。

 

当然ながらもっと効率良く機械を使用することも考えたが、「数値制御を備えた機械ばかりを使用すると、本当の意味でのモノづくりは途絶えてしまいますよね。それはそれで、どうなのかと。新しい機械の性能を取り入れつつ、古い匠の技も生かす。そういった新古を融合した新しい技術を生み出すことが、次世代のモノづくりにとって必要なのではないかと思うのです」

 

結果として、安定した質に、ほかにはないスピード、それを「他社に負けないくらいのコストで提供できる」ことがグローバルマシーンの最大のウリとなったが、そこには「ここにしかない技術」も隠されているのだ。

 

一歩ずつ、しかし着実に山形・庄内の地で根付きつつあるグローバルマシーン。菅原氏の目には、いまの日本の製造業はどのように見えているのだろうか。

 

「やはり、混沌としていますよね。それでも負けないと思いますよ。日本のモノづくり、私たちは強いですから」

 

習慣として行っている週に一度の朝礼では、自身の考えを真摯に伝えているという同氏。そこには希望が満ちあふれ、いかに日本の製造業に対し、夢を抱いているかがうかがい知れる。

 

「繰り返しますがここでは誰かの考えに左右されることなく、自分の思いを伝えることができるのですよ」

 

最後にそう締めくくって、笑顔を見せた。

 

来年は創業40周年であり、地方に本社移転後2年目を迎える。さらなる成長を臨めるか否か、菅原氏の手腕が問われそうだ。

 

大いに期待しつつ、今後も注目していきたい。■

 

 

菅原勝安氏(すがわら・かつやす)

1945年、山形県生まれ。1961年、地元の中学校を卒業後、上京し、製造業で技術とノウハウを培う。1972年に東京・町田市でグローバルマシーンを設立。同時に代表取締役となり、現在に至る。山形県倫理法人会副会長、酒田市倫理法人会相談役。

 

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