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株式会社JMC  孤高の悪名。いくぞ、メイドインジャパン!

◆取材:綿抜幹夫

 

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「従来のメイドインジャパンはもういらない」

「アスリート出身だから世の中に寄与できる!」

社員の平均年齢が28歳という創造集団JMC。従来の方法を独自に進化させたアルミの精密砂型試作鋳造や、紫外線レーザーで樹脂を造形する光造形技術など、他社の追随を許さない技術力と稼動力で、いま、大きく成長している企業だ。精鋭を束ねるのは、38歳の若きリーダー渡邊大知社長。アスリートとして生きてきた特異なキャリアから導き出される、その成功哲学を取材した。

スピードが命。
365日稼動するサービス体制

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渡邊大知社長(写真右) アナハイムで行われた展示会にて

「ウチの仕事は、単位がDayではなくHourですから。朝に発注をいただいて夕方には納品する。あるいはお客様が取りに来られる。そんな光景は日常茶飯事です」

多忙なスケジュールを割いて取材に応じてくれた渡邊社長は、こともなげにそう言う。横浜の本社では、同社の事業の中でも最も大きな柱である「光造形」がフル回転している。光造形とは、紫外線レーザーで樹脂に精密加工を施す技術で、例えばインプラントやステント、矯正器具など、患者ごとにカスタマイズされた医療器具のデザインや設計も行う。

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JMCの光造形装置

「光造形の仕事は、1年365日、いつでも稼動しているんです。ですからお客様のお望みの時にいつでも御見積回答ができ、納品のタイムロスなどもありません。私は常々言っているのですが、ウチの下請けの会社などでも、『仕事がないから』という理由で5時に帰宅している企業があります。まず、それを改めろと。夜中までやっています、と言い、自分の携帯電話の番号も教えろと。

いま、世の中には困っている会社がたくさんありますから、そうしたニーズの受け皿になることが近道なんです。『あそこならなんとかしてくれる。時間とか、休日とか関係なく対応してくれる』。そう思われたら強いですよ。私は社員にいつも、『ウチはコンビニみたいな会社だ』と言っています。コンビニというのはいつでも開いているから頼りにされるのであって、コンビニで値切る人はいませんよね? コンビニより安い店はいくらでもありますが、しかし夜中はやっていない。だから会社がコンビニになれば、無競争で、言い値に近いビジネスができるはずなんです」

 

渡邊社長は、とかく技術力の高さを誇りたがる中小企業経営者に厳しい視線を向けている。技術は良くて当たり前。足りないのは「速さ」であると強調する。

「『中国やアジアの他の国にはできない技術の高さ』なんていいますが、日本の技術力が高いのは当然で、今さら口にすることではありません。それよりスピードが問題です。ウチは光造形のほかに、長野県飯田市の工場ではアルミニウムとマグネシウムの鋳造をやっていますが、こちらもスピードが命です。

鋳造は今、あまりやりたがらない傾向にあり、やっている会社も技術者はだいたい60代の方が多いですね。その点ウチの従業員はほとんどが20代。経験がないから初めは粗いですが、そこから独自に開発をし、今では他より速く、精度も良いものができるようになっています。人がやらない事業にいかに価値とスピードを付けられるか、その点に集中して努力すれば、他社は参入してこないし、独り勝ちが可能になります」

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飯田に流れる天竜峡

できることをやるのではなく、やりたいことをやる。それが仕事だと渡邊社長は語る。その信念にまったくブレはない。「やりたいこと」を貫いて力を付けて来たのが、新たに同社の柱になるべく成長している「医療モデル」事業だ。

「これは完全にオリジナルの自社製品なのですが、リアルな心臓の模型を作っています。研修医の方など、心臓のカテーテルのトレーニングなどに使っていただきます。理科室の標本みたいなものはありますが、生々しい本物の心臓みたいな模型はほぼ売っていません。そこに目を着けました。そもそも循環器はいちばん予算を持つところだし、心臓のドクターは最高にステータスが高いんです。もちろん保険外で買ってもらえますし、心臓の治療はこれからもずっと続きますから、心臓の模型は常に普遍的ニーズがあり、かつ、価格の下ブレがありません。たいへん難しいので参入障壁も高いんです」

 

なるほど、理論は明解だ。しかし、誰もがおそらく同じ疑問を抱くだろう。「では、そんな難しい製品をどうやって開発したのか」と。

「『専門バカ』という言葉がありますね。『専門バカ』って本当に多くて、大半の医療関係者は、専門外の人間にそんな高度な開発ができるはずがないと思っています。『できるはずがない』と言われたら、燃えませんか?(笑い)成功したらほぼ独占的に取引できるわけですから、社員のモチベーションはすばらしく高いです。そんな環境で努力を重ねた成果としか表現の仕様がありません。ただ、皆さんが思っている以上に、医療関係者でなくても作れる模型は、たくさんあるということです」

 

19歳でプロボクサーになり、
24歳で父と決別する

ボクシング

非常に強気で前向きな事業展開に驚きつつ、渡邊社長の経歴をうかがって得心したことがある。この人は、元プロボクサーなのだ。

「高校を卒業してすぐ、ファイティング原田さんのジムに入りました。原田さんには親同然に面倒を見ていただき、24歳までお世話になりました。残念ながら四回戦ボーイで終わってしまいましたが、ボクシングで挫折したからこそ、ビジネスでは誰にも負けたくない、いや、負けるわけにはいかないんです」

渡邊社長は自らを、アスリート出身者がその後ビジネスで名を成した「成功事例」にしたいと強く望んでいる。

「ボクサーに限らずアスリートの世界では、残念なことに、引退後に就いた仕事で大成した人ってほとんどいないんです。そのことが私はとても悔しいし、変えたいと思う。アスリート出身『でも』できた、のではなく、アスリート出身『だから』世の中に寄与できることがあるんだぞ、と多くの人から思われるような、シンボル的な存在になりたいんです

 

「3連敗したら辞める」。その言葉どおり24歳でボクシングを引退した渡邊社長は、父が経営するJMCに1999年に入社。しかしそれは、ボクシングの夢破れ、仕方なく父の下で働こうという後ろ向きの発想ではなく、会社を自らの手で再構築しようという意志に基づく選択だった。そのために取った手段が、父との決別、という荒行だった。

「親父とは仲が悪いんです。JMCはもともと保険事業がメインの会社で、モノづくりは1割程度に過ぎませんでした。私は保険の仕事はイヤだったので、父からモノづくりの部門を高く買い取り、保険の仕事を持って出てもらう形を取りました。不満を抱えながら同居するより、完全に袂を分かつほうがお互いのためだと思いました」

一見、冷徹に見えるこの判断。しかしそこには、「負けるわけにはいかない」という熱い闘志がみなぎっていたのである。

 

海外進出ではなく〝海外逃亡〟株式会社JMC (7)

JMC本社執務室の様子

「私はモノづくりこそが世の中で最高の仕事だと確信しています。ITだなんだともてはやされていますが、それらはモノづくりの下に来るべきものです。しかし私が考えているのは、従来のこの国のモノづくりではなくて、徹底したサービス業としてのモノづくりです」

そんなヴィジョンを持っているリーダーだから、旧態依然とした中小企業オーナーに向けるまなざしはシビアだ。

メディアは『日本企業の海外進出』などと華々しく書きたてますが、その多くは『進出』ではなく『逃亡』でしょう。安い人件費を求めて出て行くという発想がすでに敗走の第一歩ですよ。それから、政治や経済のせいにする人が多すぎる。政権が変わったからどうだというんでしょう。そもそも為替の5円や10円の変動で仕事全部がひっくり返ってしまうような仕組み、そんなものはビジネスの名に値しないと思います」

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本社会議室の様子

それでは、この国のモノづくりは、今後いったい、どこに向かっていけばいいのか。

「現地の人をどううまく使えるか、そういうオペレーションに優れている企業以外は、なるべく海外に出て行かないほうがいいと思います。自社の技術や納品の速度に見るべきものがないと思ったら、徹底してそこを掘り下げてみること。勝てないと思ったら、異業種に目を向ける柔軟性も必要でしょう。競合の多い場所にいて『価格競争に巻き込まれて大変です』なんて、そんなの当たり前でしょう(笑い)。例えで言えば、クルマのように深い業界ではなかなか参入はできないかもしれないけれど、おもちゃのように小さな業界に行けば、やり方次第では急に独り勝ちの景色が見えてくることもある。そういうことです」

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JMCコンセプトセンター増床工事の様子(2013年1月)

JMCでは今後、飯田市の砂型鋳造工場の生産能力を1・5倍に増やし、さらに臓器模型事業では、ドイツに初の海外販売代理店を確保する計画が着々と進んでいる。

「ドイツに行って感じたことなんですが、いまだに『メイドインジャパン』という言葉に依存している人がとても多いですね。『ウチの製品は』が主語にならなきゃいけないのに、『メイドインジャパン』といえば信頼されると思っている。我々は『いくぞ! メイドインジャパン』をコーポレートメッセージに掲げていますが、これは時代を変える新しいメイドインジャパンを作ろうという気概を意味しています」

「メイドインジャパン」はまだまだ行ける。しかしそのためには、渡邊社長のように、365日戦えるファイティング・スピリットが不可欠なのだ。

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プロフィール

渡邊大知(わたなべ・だいち)氏…1974年、川崎市生まれ。高校卒業と同時にファイティング原田氏のジムに入門、プロボクサーとしての経験を積む。1999年、父の経営するジェイ・エム・シーに入社(同年、有限会社から株式会社に組織変更)、以降、保険事業を切り離し、モノ作りに一本化する。2004年、代表取締役CEOに就任し、今日に至る。

 株式会社JMC (ジェイ・エム・シー)

【Head Office】

〒222-0033 神奈川県横浜市港北区新横浜2-5-5 住友不動産新横浜ビル1F

TEL 045(477)5757

http://www.jmc-rp.co.jp

【Concept Center】

〒399-2431 長野県飯田市川路7502-1

TEL 0265(27)5501

※この記事はBigLife21 2013年2・3月合併号の記事を再構成したものです。
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