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かに道楽元副社長に聞く「人が辞めない」経営

◆取材・文:加藤俊 /文:菰田将司obi2_human

かに道楽 新宿店かに道楽新宿本店外観
株式会社コミュニケーションオフィス57 今津久雄 (5)今津久雄(いまづ・ひさお)氏…1950年兵庫県生まれ。近畿大学農学部卒業後、スキーカメラマンを経てかに道楽入社。1990年東京かに道楽代表取締役、「かに」に不都合があるときのことを考慮し、常々「3本柱経営」「心ある経営」を提案。2005年かに道楽代表取締役副社長、東京剣道ライオンズクラブ設立。2008年かに道楽代表取締役副社長を退任し、株式会社コミュニケーションオフィス57を設立して、代表取締役として現在に至る。

新宿三丁目。靖国通りに面した場所で一際目を引く巨大なカニ。外食チェーン「かに道楽」の有名な看板だ。新宿歌舞伎町に足を運ぶ者なら、いまや誰もが知っているかに道楽だが、この店の出店に際して、大きく尽力した人物がいる。

今津久雄。かに道楽創業者今津芳雄氏の息子にして、現社長今津文雄氏の弟であり、元かに道楽代表取締役副社長である。東京かに道楽(年商70億円)の立ち上げ経営を担った今津氏に、かに道楽時代の話をお聞きし、事業成功の秘訣を伺った。

 

三本柱の経営

「私はビジネスというのは、三本の足、つまり三つの事業でバランスを取る経営が大事だと考えています。椅子も一本や二本の足ではバランスを崩して倒れてしまう。だからといって足が五本や六本と多すぎても安定性はあるが、平坦なところでしか発揮できない。ところが、三本足であれば、地面がどんな傾斜地でも安定して立つことができます。

ビジネスもこれと一緒で三本柱を立てる。これが大事だと思っています。たとえ一つの目標に挫折しても、第二・第三の道を常に考えに入れておけば進路に悩むことはありません」

 

父の経営、伯父の姿勢

今津氏が三本足の中に敢えて外食産業とは全く違う畑である教育事業を入れて、社員のモチベーションを上げる努力をしてきた影には、創業者である父今津芳雄氏と伯父今津文治郎氏の姿があった。

……兵庫県城崎で観光業をしていた父と伯父が、阪神地域でカニを売り始めたのがかに道楽の始まりだった。

 

かに道楽 創業者 今津芳雄かに道楽創業者 今津芳雄

「小さい頃、よく観光地の草取りをやらされていましてね。その時、伯父や父も共に草取りをしていましたが、伯父は黙々と作業しているので近づきにくく、子供たちは楽しく話しかけてくれる父のほうに自然、集まっていきました。もちろん、手が止まっていたら注意はされる。しかし日々の出来事など気さくに話しかけてくれる父のそばでの作業は楽しかった」

 

昔ながらの職人気質な伯父と、人に仕事を与え動かす父。二人の経営方針の違いともいえる差を、今津氏は幼い頃の日常から見て取っていた。

 

「特に、父は周りの人間を使うのがうまかった。人のモチベーションを上げることが上手でしたね。社員寮に卓球台を持ち込んだり、飲み会を開いて社員と交流を図るのを大切にしていました。私が子供の頃、自転車が欲しいといった時も、他の同世代の社員と差をつけてはいけないと絶対に買ってくれなかった。今にして思うと、人を扱うということにかけては、天才的な人でしたよ」

 

かに道楽は働きたいとは思えない環境だった

「それだけに、こんな変わった会社あるのかなって(笑)」子供の頃の今津氏の目には、株式会社かに道楽は「働きたいとは思えない」風変わりなものに映ったそうだ。今津氏の父今津芳雄氏の起こした同社の商習慣が、一般的な会社とあまりにも違ったからだ。“今津教”とも称されるほど、父今津芳雄氏の強烈な個性に惹き寄せられ猛烈に働く従業員たちがいる一方で、数十年前の飲食業という厳しい環境から、離職する従業員も多いという環境だった。

「子供の頃は、かに道楽でいつか働くであろうとは思っていたが、あまり望んではいなかった。ところが皮肉なものでね、私はプロスキーヤーになったのですが、鳴かず飛ばずでスキーカメラマンに転向後、父に説得され、見切りをつける気持ちで、かに道楽東京進出を機に入社したのです」

 

待遇改善に取り組むきっかけ

当時、外食業界は好景気の只中だった。関西発祥のかに道楽も、その頃には大阪の道頓堀本店が、大阪の観光名所と呼ばれるまでになっていた。次なる目標は、競合店との熾烈な争いに打ち勝つべく、関東への進出だった。その尖兵として東京赤坂店が位置づけられたのだが、そこに今津さんは配属された。

 

株式会社コミュニケーションオフィス57 今津久雄 (3)

「それはもう、酷かったですよ。かに道楽の決まりとして創業一族だから優遇されるとかそういったことはまずないので、一番下っ端から。時代が時代ですからね、それで朝九時から深夜三時まで働く毎日です。他の従業員たちも日々の生活のことで手一杯になり、お客様が喜ぶサービスを突き詰めて考える余裕なんかありませんでした。当然のことながら、過酷な労働環境に耐えかねた従業員が次々辞めていくような有り様で、一応私は入社した以上、自分の家のことでもあったから、その状況を危惧するわけですよ。どうすれば改善できるのだろうって。

そんな時期に、子供が早産で産まれました。毎週、板橋の病院まで通う必要があったのですが、生まれつきの未熟児のため、電車移動は混雑等から無理でしたので、タクシーを使うしかなかった。でも、そのタクシー代を毎回出す余裕がなかったのです。

このとき、かに道楽の環境の不安定さを痛感したのです。健康であれば生活していけるけれども、ひとたび身体や家庭環境に異変が生じると生活レベルを維持できなくなる。こんなに儚い環境で自分は生活をしていたのか。ならば、当然他の従業員も安心して働けるワケがない。猛省しました。子供を育て上げるための費用にしたって莫大ですし、生活の担い手が、事故や病気などで急に働けなくなってしまったら、従業員の家族はどうなってしまうのか。これは至急環境を改めなければならない、そう決意したのです」

 

モチベーションをあげる工夫

実際に待遇改善するにあたって今津氏は、「安心して仕事に打ち込める環境づくり」を第一に考えた。

「まずは福利厚生の充実です。寮や社宅を用意して、社員の生活の憂いを無くすことが先決でした。飲食業というのは、労働環境に関しては、あまり褒められた環境ではなかったのですが、かに道楽ではせめて全産業の平均ぐらいの給料は出そうということにしました。文字通り、楽な仕事ではありませんから、せめて待遇面は良くして、従業員のモチベーションを上げる工夫に重点的に取り組んだのです」

 

それが功を奏したのか、辞めていく従業員は着実に減っていった。さらには社員の定着率が上がった先に、生産性も上がった。この「社員を辞めさせない工夫」は、当時、定着率の低い飲食業界に一石を投じるほど革新的なものだった。ほとんどの業務をアルバイトやパートに委ね、正社員は削るのが定石の飲食業界で、かに道楽関東地区の正社員は全従業員の半数近くを占めたという。「四人しか採用しない年もありましたよ。社員が辞めなくなったから」という今津氏の言葉が飲食業界において、環境づくりの大切さを物語っている。

 

河口湖の社員研修

かに道楽といえば、もう一つ、社員教育も非常に有名である。

株式会社コミュニケーションオフィス57 今津久雄 (4)

「教育会社を設け、研修を体系化し、調理と接客を教えるようにしました。入社一年目は毎週、二年目も月に一度通って技術を磨く。ここで得た能力は、たとえ店を出て独立することになっても一生自分の身になります。こういった意識付けを行い、研修参加を積極的にしました。さらには、研修を受けると、各社員にランクが与えられます。このランクは名札に貼り付けられて、周囲(社員のみ)に分かるようにしました。さらに河口湖で三カ月、十八ヵ月と合宿形式で行うプログラムもあります」

 

この河口湖の研修は、社員が辞めなくなる研修として有名になり、多くのマスメディアにとりあげられている。慰労も兼ねて、と今津さんの話すこの研修で教えるのは三つのポイント。

 

三本柱の経営『ひとつの問題に対して3つの理由を書き出し細分化し、深堀りすることで、隠れていた物事の本質を見極めていく』。いろいろなことに応用できそうなこの方法を、取材時、今津氏が実際に図を書いて説明してくれた。

「①会社で幹部になること②独立すること③エキスパートになることを教えます。研修に参加する者一人一人に、十年後を見据えた自分の目標を考えさせる。全員が全員、店長にはなれないですから。だから目標はそれぞれ別であっていい。十年後に自分がどんな姿になっているかをイメージして、そこに向かって今、何を準備すべきかを考えてもらう研修です。

でも、この様な研修スタイルは批判も多いのです。取材に来た人から、あまりにも基礎的な研修内容に、『“家庭がしなければならない教育(しつけ)”をしているのですね』と皮肉交じりに言われたこともありますよ。

かつては親が教えたあたり前のことが、あたり前でなくなった。社員教育はそこを踏み込んで教える必要があります。あるとき元社員に『その時は嫌だった研修が、今は一番役に立っている』と言われたのが励みになりました」

 

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今津久雄(いまづ・ひさお)氏…1950年兵庫県生まれ。近畿大学農学部卒業後、スキーカメラマンを経てかに道楽入社。1990年東京かに道楽代表取締役、「かに」に不都合があるときのことを考慮し、常々「3本柱経営」「心ある経営」を提案。2005年かに道楽代表取締役副社長、東京剣道ライオンズクラブ設立。2008年かに道楽代表取締役副社長を退任し、株式会社コミュニケーションオフィス57を設立して、代表取締役として、現在に至る。

 

株式会社コミュニケーションオフィス57

〒116-0014 東京都荒川区東日暮里4-7-2

℡03-5604-0020

http://www.co57.jp/

 

2014年11月号の記事より
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