オビ 企業物語1 (2)

太協物産株式会社 ‐ 日本唯一! 魚の廃棄部位を飼料用に再加工

◆取材:綿抜幹夫

 

太協物産株式会社/代表取締役 宇壽山純一

太協物産株式会社/代表取締役 宇壽山純一

 

人間関係が繋いだ『運』で幾多の危機を乗り越える

宮城県石巻市で魚粉や魚油など養殖業向け飼料の原料を加工・販売する太協物産株式会社。創業64年の歴史を築いた秘訣は、競争を避け独自性を模索する姿勢にあった。「不安定の中に安定を求めてきた」と振り返る二代目社長、宇壽山純一氏を取材した。

 

◎養殖用飼料の原料を加工販売

畜産業向けから水産業向けにシフト

地元石巻港を中心に漁獲された雑魚や水産加工の残さいを利用し、魚粉や魚油など養殖用飼料の原料を加工販売する同社。宮城県は緯度の関係からギンザケの養殖が盛んで、国内の8〜9割を生産しているが、その養殖ギンザケ用の飼料が主な製品となる。同氏の父・新喜治氏による1951年の創業から3度の移転を経て、養殖業向けに飼料の加工販売を始めたのは今から20年ほど前。それまでは豚や鶏など畜産業務向けの飼料を手がけていた。

ちょうど1950年代前半、国内で配合飼料が盛んになるとともに、農家で豚を数頭飼うような「庭先養豚」から企業養豚・企業養鶏の時代を迎える。この流れに合わせて、大手の飼料会社に飼料の原料を納めていたのが創業当初の生業で、現在でも売り上げの2〜3割は畜産業向け飼料だ。

 

日本唯一の再加工飼料

漁獲高などの外的環境に左右されやすい水産業。生き残るため、同社は独自の製品を生み出した。魚が加工され店頭に並ぶまでの過程で出る骨や頭、内臓など人が食べない部位。これらを再加工し、飼料に変えているのだ。生物濃縮が起きないように他の魚を混ぜながら加工するシステムを構築、こうした再加工を行っているのは日本でも同社だけだ。実は、かつて石巻には同社のような飼料工場が10社ほどあったというが、現在は3社にまで減っている。

 

「その10社の中でも、当社は生産能力も売り上げも言わば『下位グループ』だったんです。何かほかのことをしないと、ただ競争をしているだけではとても勝てない。ですからあまり競争にならないように、自社品を売りたいという意識を持つようになりました。安定した仕事をするために、少ない原料からなんとか自分たちで売れる製品を作れないかと考えたんです」

 

零細企業が生き残るコツ

競争を避ける戦略をとり、畜産から養殖への転換など徐々に形を変えて生き延びてきた同社。もう一つの特徴は、同業者との協力関係だ。特に、遠方の同業者と信頼関係を築いておくことで、原料が足りないときに補い合うなど、さまざまなメリットが生まれる。遠方であれば、こちらで不漁でもあちらでは余っているという状況も多いのだ。また、手を組んだのは同業者だけではない。2000年には大手企業と合弁でEP飼料(水産養殖用固形飼料)工場を竣工、技術指導を受けたことも大きな転機となった。石巻で配合飼料の加工に乗り出そうとしていた大手企業、その条件に合う魚粉を同社が生産していたことがきっかけだ。

中小企業では技術の研究には限界がある。大手企業が研究した技術を身につける千載一遇のチャンスだった。

 

「そのとき技術を覚えさせてもらったおかげで、当社の力だけではできなかった飼料も作れるようになりました。私は、中小企業の武器はフレキシブルな考えと、人付き合いではないかと思っているんです。それから、当社がこれまで何度かの危機を乗り越えてこられた一番の理由は『運』だと思っています。私は運が強く、それがなければ当社は2、3回は潰れていたでしょう。さまざまな局面で誰かに助けてもらったり、情報をいただいたり。そうしたご縁には本当に感謝しています」

 

 

◎不安定の中に安定を求める

大学卒業後すぐに入社

同社創業の前年、1950年に生まれた同氏。大学は東京の玉川大学に通った。ちなみに、長女夫婦もともに玉川大学の出身だ。1973年に同大を卒業し、すぐに同社に入社。他人の釜の飯は食っていないことになる。

「親父に、卒業後は東京でちょっと修業させてくれって言ったら、バカヤローって。そんなことをしたらお前は絶対帰って来ないからって、卒業式の翌日に『連行』されたんです。3日目には作業服を着せられ、現場に入っていましたよ」

 

数字を持ち込んだ経営に転換

こうして、特別な意識もなく入社し働くようになった同氏。とはいえ、新喜治氏が亡くなり32歳で社長に就任するまでの10年の間に、自分なりに同社の経営に対する考えが芽生えていた。明治生まれで戦争も体験した新喜治氏は、並大抵ではない精神力や根性を経営にも活かしてきたが、そうした父の姿を見る一方で、同氏は数字を取り入れた理論的な経営に取り組んだ。ちょうど今年で新喜治氏と同じ年数、社長を務めたことになる。

「工場で機械を動かしてみて、計算通りの結果が出ると非常に嬉しかったですね。こうするとこういう結果になるんだ、それはなぜだろう、という疑問から、それならこうすればこうなるかな、と試行錯誤を始めて。たとえば水分計算して機械を動かしてみて、計算通りにうまくいったとか、そういう喜びはよく覚えています」

 

10年ごとに転換期があった

ドルショック(1971年)、オイルショック(1973年、1979年)、200海里の排他的経済水域(1977年)といった政治経済の問題に加えて、不漁や取引先の倒産など多くの危機を乗り越えてきた同社。不安定な水産業界にあって、長期的に安定させるための同氏なりの結論は、「現状にあぐらをかかず、不安定の中に安定を求めること」だ。というのも、畜産業向けから養殖業向けにシフトしたことをはじめ、飼料の原料加工をベースとしながらおよそ10年ごとに事業を転換している。

「変えようと思っていたわけではないのですが、だいたい10年ごとに事業方針や仕事のやり方を変えてきているんです。なんとなく、ちょっとこれはヤバイな、何か別のことをやった方がいいかな、と感じるときがある。そういうときにスッと新しい仕事が来たり、アイデアが出たりしたおかげで、なんとか今までやってこられました」

 

 

 ◎東日本大震災

突然の大災害

2011年、東日本大震災が発生する。石巻市ではすべての事業者が被災したが、「同じ水産業ということで共通の意識を持てたために、ある程度まとまれたのだと思う」と語るように、その後の復旧・復興への団結力は強かった。

太協物産株式会社 (2)東日本大震災・被災直後の工場

「突然のことで、ショックというより何が起こったかわかりませんでした。会社や有形資産が一瞬で消えてしまうという、予想だにしなかったことが起きて、震災後はボロボロの服で瓦礫の町に暮らす状況です。しかし、そんな中でもすれ違う人がお腹を空かせていたら、余ったパンを『これ食え』って。みんな当たり前のようにそうしていましたよ。いろいろな行列にも、みんな整然と並んで。あれは立派でした」

 

早かった復興

太協物産株式会社 (3) 太協物産株式会社 (1)復旧後の工場建屋と工場内設備

沿岸部の被災地域の中でも復興が早かった石巻。1976年に作られた水産加工団地がまるごと被災したが、計画的に作られた団地だったため整地作業がスムーズに進んだことが理由だ。加えて、団地ではもともと組合会議が頻繁に開かれるなど、強い結びつきがあった。被災時にもすぐに集まり、協力して復興に努力。自然に統制が取れ、まとまって動くことができた。

「とにかくみんなで一緒に復興しようと、一致団結して取り組みました。とはいえ、決して自分たちだけの力で復興できたわけではなく、国や県からも多くの補助金をいただきました」

 

将来の後継者とともに

同社には5年ほど前から、長女の夫が加わっている。震災時にも復興のために活躍した将来の後継者だ。入社の翌年に東日本大震災が起こったことに「こんなときに引っ張りこんで悪かった」と気遣いを見せる同氏。承継についてはどう考えているのだろうか。

「創業した父は、戦争など大変な時代を生きました。私はそういう経験もないし、どこかで『自分は二代目だからな』という気持ちでいたんです。ところが60歳で東日本大震災があって、ああ、これで自分も親父のような苦労をしたなと思いましたよ。60歳という年齢でのあの経験は辛かったですが、義理の息子という後継者がいるから頑張れました。いま私は64歳、引き際だけは自分でうまく決めて、10年以内には引き継ぎたいですね。『子孫の為に美田を買わず』とは言いますが、少なくとも無駄な苦労をしなくて済むようなシステムは残したいと思っています。財産も残せませんし、私個人に信用があるとして、その信用を引き継ぐこともできませんから、システムだけは残してやりたいんです」

 大手企業との提携や、同業者との協力関係があって生き残ってきた。東日本大震災でも、地域の水産業全体で団結し復興を成し遂げた。同氏は「自分の武器は運」と語るが、同氏の言う「運」は信頼関係や助け合いを生み出す「人間力」に言い換えられるだろう。

 

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プロフィール

宇壽山純一(うじやま・じゅんいち)氏

1950年 宮城県石巻市生まれ。

1973年 玉川大学を卒業後、太協物産株式会社に入社。

1983年 代表取締役に就任。現職。

 

太協物産株式会社

〒986-0022宮城県石巻市魚町1-11-3

TEL 0225-93-1133

http://e-taikyo.co.jp/

従業員数:25名

年商:9億円(2015年3月期)

 

2015年9月号の記事より
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