オビ 企業物語1 (2)

株式会社タキズミ ‐「何かお困りなことはございませんか?」 あらゆる建物・空間にマーケットを創出

◆取材:綿抜幹夫 /撮影:高永三津子

オビ ヒューマンドキュメント

株式会社タキズミ (2)

株式会社タキズミ/代表取締役会長 瀧住寿彦

 

人との出会いに支えられた波瀾万丈な人生

ハウスクリーニング業からスタートし、インテリア総合商社を経て、オフィスやレジデンス向け内装・レイアウトを手がける「株式会社タキズミ」。瀧住寿彦会長は、父が起こした会社の社長職を離れ、夫婦二人で同社を起業。10年足らずで年商30億円に成長させたのち、リーマンショックで危機に陥った同社を二代目社長・瀧住博幸氏とともに回復軌道に乗せた。

現在も限りなき挑戦を続ける同氏の、波乱に満ちた歩みを辿る。

 

◎瀧住電機工業株式会社時代

父の経営する瀧住電機工業に入社

株式会社タキズミ (8)【施工事例】レジデンス リノヴェーション工事
株式会社タキズミ (1)【施工事例】レジデンス エントランス改修工事

1947年、大阪生まれの同氏は甲南大学を卒業後、父の瀧住喜治郎氏が起こした照明器具メーカー、瀧住電機工業株式会社に入社する。

「瀧住電機工業は全国に支店や工場、営業所をすべて自社ビルで持ち、さらに奈良県桜井市には不動産のビルも持っています。父は20歳でゼロから起業し、60歳で亡くなるまでの40年間でこれらすべてを建てたんです。私は中学時代から家業を手伝っていて、甲南大学は神戸ですから大学4年間は神戸地区を担当し、トラックで仕事をして、ついでに大学に行っていました」

 

 

社長職にあった瀧住電機工業を離れる

入社後は名古屋、東京、奈良の支店長を歴任したのち、社長に就任した同氏。名張工場の移転や桜井市の「レジデンスタキズミ」落成後の入居者集めなど大きく貢献したが、1989年、42歳のときに同社を離れることになる。父亡きあと、それぞれ役員として経営に関わっていた5人兄弟の間で争いが絶えなかったのだ。会社を良くしたい気持ちは同じでも、その方法論が大きく違う兄弟たち。長男である同氏は社長職にあったとはいえ、実質的には船頭が多い状態だった。

「会長だったおふくろがボソッと『子どもが多すぎた』って。とうとう『私とお父さんのDNAを継いでいれば、兄弟のうち誰が残っても会社はうまく行くから』と、元気の良いのから出て行けということになったんです。つまり、出てもやっていける者から出ろと。それでまず私が会社を離れることになりました。私自身『オレは外でもやれんねん』と強がっていましたからね。まずお前が出なきゃ始まらない、ということになったんです」

 

 

今井寅吉氏の助言

株式会社タキズミ (7)
【施工事例】オフィス 入居工事

その少し前、あるセミナーがきっかけで株式会社紅屋印刷(現・紅屋オフセット株式会社)の故・今井寅吉社長と出会っていた同氏。長野県から夫婦二人で上京し、紅屋印刷を起こし100億円という財産を遺した人物だ。社長職を去るという大きな転機に、人生のメンター(助言者)であり、東京の父とも慕う今井氏に相談した。

「今井さんから、お前は両親の財産を当てにしているのかと訊ねられたのですが、正直言ってバリバリ当てにしていましたよ。親父が遺した自社ビルもたくさんありましたし、私自身が頑張って建てた工場なんかもありましたからね。売り上げも私の担当地域がかなりの割合でした。でも、今井さん自身も裸一貫で東京に来られて、そこから夫婦二人で財を成した人。境遇の重なる今井さんから、両親の言うことを聞くのは生きる上での基本だと、どうせならゼロからやれよと諭され、おかげでスッと出られたんです」

 

 

◎株式会社タキズミの歩み

インテリア総合商社として成長

母は準備期間として1年間の猶予を与えてくれたが、忙しく飛び回っていた社長が突然何もしなくなり、1年後に退職となれば、「辞めるために準備していたのか」と信用を失う。夫人からも「それじゃあ立つ鳥跡を濁しまくりやんか」と言われたといい、1年間を待たず3カ月後に退職、株式会社タキズミを設立する。はじめに手がけたのはハウスクリーニング事業だったが、やがてインテリア総合商社として、設立10年足らずで社員110人、年商30億円、3つの自社ビルを建てるまでに成長を遂げる。

「高1の長男と、中1の長女と家族4人で雑司が谷のアパート住まいで。六畳一間のオフィスを借りて、妻と二人で株式会社タキズミを始めたんですが、何もできない、やることがないから、ハウスクリーニングをしていたんです。息子も手伝ってくれて。そのうちに、野村不動産の方と知り合えたことが転機となってインテリアを扱うようになり、成長することができました」

 

 

リーマンショックでの危機、業態転換

ところが、2008年のリーマンショックを受けて同社は大きな危機を迎える。マンションが売れなくなり、大手も次々と倒れた。2年間で売上は40%になり、従業員は40人程度にまで減った。思い入れのあった自社ビル1号館も手放した。3年目で赤字を出し、取引先も少なくなった。一時は「左団扇、右扇風機、後ろエアコン」と言うほどの成功を手にしたが、金融機関も手のひらを返し、「タキズミさん、タキズミさん」と揉み手をしていた担当者が「本当に返せるんですか」という態度に変わった。業態転換以外に道はないと、5年間をかけてオフィス向けの内装・レイアウトを請け負う事業に完全にシフト。2013年には息子の博幸氏に社長職を譲っている。

「リーマンショックを受けての業態転換は大きな変化でしたが、5年間で16億円までに回復しました。あと5年で30億円に戻せます。これからはシステム化を進め、60人規模で30億円の売上が目標です。息子にも敢えて一番苦しいときに継がせ、一緒に頑張っています」

 

 

「Xデー」への備え

リーマンショックは「いい勉強になった」と振り返る同氏。ここでの教訓から、災害や人口減、デフォルトといった危機への対策、特に首都直下型地震への備えに取り組んでいる。具体的には、現金の確保だ。「Xデー」から1カ月間は銀行から現金は引き出せないと考え、現時点で銀行の貸金庫に3000万円を入れてあり、毎年増やしていく計画だという。現金を貯めていくためにも無借金経営を目指しているが、こちらも3年後には達成する見込みだ。さらに、取引先に社員を派遣し関係を密にすることにも努めている。

「首都直下型地震が起こったときに、当社に電話が鳴り止まない状況にしたいんです。そのときは、職人さんたちも含めてすべて現金で払いたい。取引先も囲い込んでおきたい。そのために、今から相当な準備をしているんです。私は、東京という街は『守られている』ように感じているんですね。ですから、2020年のオリンピックまでは首都直下型地震は来ないだろうと。2021年は危ないと予想しているのですが、それまでに1億円ほど現金を蓄えておきたいんです」

 

 

◎経営哲学・人生哲学

「何かお困りなことはございませんか??」

株式会社タキズミ (3)【施工事例】レジデンス リノヴェーション工事
株式会社タキズミ (4)オフィスビル 地下3階喫煙所新設工事
株式会社タキズミ (5)オフィスビル 共用部改修工事

同氏のビジネスでのキーワードは、名刺の裏に書かれている「何かお困りなことはございませんか??」という精神だ。タキズミ立ち上げ後に野村不動産との縁を掴んだのも、取引先に東証一部上場の一流企業がズラリと並ぶのも、この精神で挑戦を続けてきた結果だ。

「タキズミを立ち上げてしばらくして、野村不動産がマンションを販売していたのですが、分譲マンションは戸建住宅と異なり、照明やカーテン、エアコンなどは付いていないんですね。マンションを買った人からは、それらのインテリアへの要望が殺到した。かと言って、デベロッパーにはそんな暇はない。そこで、『うち、できますよ』って。もちろん、やったことなんかないですよ。でも、なんとかなるやろって。後でバレて怒られたりしてね。はじめは照明、カーテン、エアコンだけだったのが、バルコニータイルとか、すき間家具とか、お客さんの困りごとに応えていくうちに扱う商品がどんどん増えていったんです」

 

意識的に上場会社と取引

野村不動産、三井不動産、三菱地所など、得意先は上場企業ばかりの同社。リスクが少なくメリットが大きいため、意識的に上場企業と関係を築いてきたという。

「上場企業は潰れにくいですし、同じ雪だるまでも、小さい雪だるまの1回転と大きい雪だるまの1回転では、増える雪の量が違いますよね。つまり利益が大きいんです。それに、上場会社と取引していると人脈がものすごく広がります。色々な方とのお付き合いが生まれ、その方が異動した先で部長になることもあります。すると、フットワークが軽い当社は『困りごと』に対してまた仕事をいただける。上場会社ではなく、ナントカ商店と付き合っていてもそういう広がりはなかなか生まれないですよね」

 

人との出会いを大切に

株式会社タキズミ (6)【施工事例】オフィスビル エントランス改修工事

同氏の半生を語る上で欠かせないのが「人との出会い」だ。今井氏との出会いをはじめ、株式会社タキズミ立ち上げ当初に野村不動産の社員と知り合えたことや、その後も様々な人間関係を得て、ビジネス・プライベートともに成長することができた。そんな人生の中でも特に大きな人間関係が、夫人との出会いだ。

「瀧住電機工業を離れ、かあちゃんと二人、何にもあらへんかったですからね。退職するかどうかというときも、ストレスで原因不明の熱を出し、1週間ほど寝込んでしまったんです。妻は兄弟喧嘩ばかりでうまくいかない様子も見ていましたから、『お父さんあんた、そういうの我慢できひんやろ、いつか爆発するやろ。お父さんやったらなんとかなるわ』って背中を押してくれたんです。そんなんやったらいっちょこいつ煽てて辞めさそうか、という思いだったんじゃないでしょうか。両親の言うことを聞くことと、嫁はんと仲良くすること。私はこの2つを人生のベースに置いています」

 平坦ではない半生を笑顔で振り返りながら「私は多くの人にかわいがってもらった」と語る同氏は、父・喜治郎氏も重視した「運」を長年研究している。重要なのは運を「強く」すること、そのためには運の「良い」人と付き合うことだという。自分は相手の運を強くできる存在か、いま一度考えてみたい。   オビ ヒューマンドキュメント ◉プロフィール

瀧住寿彦(たきずみ・としひこ)氏 1947年、大阪府出身。甲南大学卒業後、父の経営する瀧住電機工業株式会社に入社。 名古屋・東京・奈良の支店長を経て、代表取締役社長に就任。 1989年、瀧住電機工業株式会社を退職、株式会社タキズミを設立。代表取締役社長。 2013年、代表取締役会長。

株式会社タキズミ

〒112-0012 東京都文京区大塚3-38-8

TEL 03-5395-7770

http://www.takizumi.com/

2015年10月号の記事より
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