プリント経営再建と震災復興  公的資金注入を受けた信組の反転攻勢が今はじまる

那須信用組合/理事長 亀田 均氏

◆取材:綿祓幹夫

オビ 特集

那須信用組合/理事長 亀田 均氏

栃木県那須塩原市に本店を置く那須信用組合は、大規模な合併後、それに伴う諸問題や東日本大震災など数々の困難に直面してきた。

しかし今は同組理事長・亀田均氏のもと、前向きに地方創生に取り組み、地元の協同組織金融機関として、その存在意義をアピールし輝き始めている。

同組が歩んだ再建への道のりと今後の展望を追う。

 

苦境の中を歩いた14年間

那須信用組合(栃木県那須塩原市)が県内の3つの信用組合と対等合併したのは2002年6月のこと。その前年の暮れ、栃木県の金融業界にはある激震が走っていた。

県内の信組の半数にもおよぶ5つの信組、そして、県内最大の信用金庫が立て続けに経営破綻したのである。

2003年には県内のガリバー的存在であった地方銀行・足利銀行も経営破綻に陥り、まさに金融動乱のただ中で同組は「新生なすしん」として再スタートを切ったのであった。
「4つの信組が対等合併しましたが、それと同時に、破綻した3つの信組の事業も譲受したため、当組は合計7つの金融機関が1つにまとまった信組になります」

 

そう話すのは新生那須信組となって5人目の理事長にあたる亀田均氏だ。

栃木県は首都圏という地理的優位性に加え、那須塩原市をはじめ、鬼怒川や日光など関東有数の観光地としても知られる。

また、北関東工業地域の一部であるほか、関東平野の水源地であり、豊かな水や自然を利用した農業や酪農も盛んだ。

 

そんな地域産業資源をバランスよく有した同県であるが、バブル期に加熱した北関東周辺への投資を背景に、その後の長引く不況が都市部の空洞化や地価下落を深刻化させ、やがて県内の金融機関は多額の不良債権にあえぐようになった。

 

「順風満帆とは程遠い苦境の中を当組合は歩いてきました。

営業エリアは大規模合併により那須塩原市、宇都宮市など県北地域の広範囲にわたりますが、複数の信組の合併だったこともあり、不良債権の問題が重くのしかかりました」

 

 

合併による諸問題、そして東日本大震災の発生

同氏が理事長に就任したのは2013年のこと。つまり、大規模合併後の11年間に5人もの理事長が誕生した計算になる。いかに同組の経営を安定させることが難しかったかがうかがい知れるだろう。

さらに問題となったのは7つもの信組が合併した点だった。

 

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本店外観

「経営の建て直しには職員が一致団結しなければなりません。

しかし、地域金融機関である我々はその地域の経済を末端から支えてきたという自負があり、そうした思いが強い旧信組の職員ほど、合併後も『この信組は俺たちの信組なんだ』という意識が各々にありました。

それを融合・融和させるための環境づくりに長い年月を要しました」

 

経営の効率化を図るために同一エリアで重複した店舗を統廃合する際にも、この問題はついてまわった。

 

「地元地域と強く密着していた旧信組の組合員の方ほど、『自主独立でやるべきだった』と主張されました。特に店舗統廃合の結果、残すのが破綻した組合の店舗だった場合、存続組合の組合員から不満が噴出しました。

事前説明会を重ね、戸別訪問を行い、ていねいな説明を繰り返しながら、17店舗から9店舗にまで減らしたプロセスは極めて大変なものでした」

 

同時に内部においても旧組合による優劣が起きないよう融合・融和策を実施し、「大規模合併から10年近く経ち、ようやく一枚岩で顧客本意の業務運営に取り組める体制が整ってきました」と同氏は振り返る。

しかし、新たなる試練が待ち受けていた。2011年3月11日、東日本大震災の発生である。

 

 

ベクトルは震災復興へ

栃木県では那須塩原市や宇都宮市など多くの市や町で震度6を観測、住家やライフラインなどに大きな打撃を受けた。しかし、それ以上に問題となったのが福島第一原発事故に起因した放射能汚染であった。

それは主要産業である観光業をはじめ、農業や酪農にも多大な影響を及ぼした。

 

「経営健全化計画を進めている中で起った震災でした。これまで当組合では地域の皆さんが抱く信用不安を取払い、職員同士の融合・融和を図り、不良債権処理を進め、安定した収益性を構築するという、いわば内側に向いた運営を行ってきました。

しかし、この震災を機に『とにかく地域を復興しなければ』というベクトルに一気に転換しました。それこそ職員が一丸となった瞬間でした」

 

震災が起きた翌年には、被災した信組としては全国で3件目となる金融機能強化法に基づく公的資金の資本注入を受け、復旧・復興支援を柱とした経営強化計画をスタートさせる。

本部に事業再生や復興のための融資推進を目的とした支援チームを新設するなど、「地域の皆さんと力を合わせながら復興に邁進しました」と同氏は語る。

そうした最中、新たな理事長として同氏は就任することとなる。

 

 

現場で感じた信組の本義

新理事長として掲げたスローガンは「ストップ・ザ・マイナス」。それは震災や放射能問題はもちろん、預金・貸出金を含め、すべての面でマイナス思考を払拭しようという決意表明でもあった。

そして、そのために「顔の見える金融機関」を目指すことを同氏は職員に訴えた。

 

「この地域に生まれ育ち、この地域に貢献したいという職員が、地元の皆さんとしっかり接点を持っておつき合いをする。それこそが復興の基盤になると考えました。

だから、トップである私も顔の見える行動を率先して行い、さまざまな取引先を訪問しました」

 

このとき同氏は多くの感謝の言葉を耳にする。そして、地域住民がどれだけ〝なすしん〟に愛着を持っているのかを肌で感じることとなる。

 

「『この事業が成功したのは組合のおかげです』とおっしゃるお客様が大勢いらっしゃいました。中には『理事長さんが初めて来てくれた』と喜んでくれた方もいらっしゃいます。

この方たちのために我々は何をするべきなのか、これまで以上に考えるきっかけとなりました」

 

実は、同氏は同組の生え抜きではない。もともと足利銀行からの転籍で、存続組合の1つである矢板信用組合に大規模合併前に入組、いくつかの営業店の支店長を経てから同組の常務理事となった。

 

「営業店でお客さんと接することで、株式会社である銀行とは違う信組の役割を身体で覚えることができました。

信組は地元に密着しながら相互扶助の精神で地域に貢献することが本義です。それが身に染みているから、率先して現場に出るようにしています。

私は『好循環』という言葉が好きなんです。お客様に貢献すれば必ずそれが返ってくる。そういう循環の中で経営を強化し、地域を復興し、発展させる。それが我々の目指すべき姿だと思っています」

 

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地域経済の活性化や地域PRの一環として、イベントに参加した時の様子。「西那須野ふれあいまつり」(左)と「那須野ヶ原うんまいもんフェスティバル」(右)

 

すべてにおいて前向きに

東日本大震災から5年が過ぎた。地元紙の下野新聞が県内の市町長などに実施したアンケートによると、県内の道路や公共施設などのハード面における復旧については「ほぼ完了」「おおむね完了」が全体の9割を占めたという。

そのいっぽうで、原木シイタケ等の出荷制限、あるいは風評被害といった放射能汚染の問題が未だに残っている。それでも同氏は「すべて前向きに取り組んでいます」と力強く述べる。

 

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「なすしん経営クラブ」の様子

「大規模合併当時は20%近くあった不良債権比率も今では6%台まで減らすことができました。観光業における宿泊数も震災以前の水準を超えるまでに回復しています。

車の両輪としてこれまで経営の健全化と復興に取り組んできましたが、今後は地方創生に注力していきたいと考えています。

例えば、後継者育成や経済の好循環を構築する目的で一昨年、なすしん経営塾(現・なすしん経営クラブ)を発足させました。

有料のこうした会を企画するのは当組合において初の試みでしたが、毎回、若手を中心に90名近い参加者があり、ビジネスマッチングの場にもなっています。

また、中小企業診断士、税理士など外部の専門家と提携して、お客様の課題を適切に支援する態勢を構築しながら、我々自身も単なる仲介役ではなく金融のプロとしてスキルアップを図る努力を重ねています。

今は地方創生へ向けて、すべてにおいて前向きに取り組んでいる状況です」

 

 

東京のチャンネルが大きな力に

こうした同組の姿勢を後押しする形となったのが、11月9日に締結された第一勧業信用組合(東京)との連携協定である。

第一勧業信組では今年から地方創生のための連携強化を全国の信組と図っていて、これが13組合目の締結となる。

 

「今まで東京のチャンネルを持ち合わせていなかった我々にとっては大きな力です。

さっそく第一勧信さんに当地域の物産品を購入していただいたり、那須高原のホテルに視察に来ていただいたり、具体的な連携を進めている最中です。

地方自治体などからも問い合わせがあり、企業誘致等の活動につなげることができればと考えています。

我々の使命は地元の身近な金融機関として地域経済の活性化や地方創生に貢献することです。そして、地域やお客様とともに発展し、経済の好循環を生み出せるよう、今後も精一杯取り組んでいきたいと思っています」

 

 

栃木県内で営業する信組は現在、2つしか残っていない。同組自体も店舗数を一時期より半数近く減らしてきた。

しかし、これからは「反転攻勢に打って出て、店舗数を増やしたい」と意気込みを語る。

新生那須信組となって14年目。亀田理事長体制となって3年目、同組の底力が試される時期に差しかかっている。

 

 

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◉プロフィール

亀田均(かめだ・ひとし)氏…1951年、栃木県栃木市生まれ。1970年に栃木県立大田原高等学校を卒業後、足利銀行入行。2002年、一条町支店長を最後に同行を退職し、矢板信用組合に入組。同年、4組合の対等合併により現在の那須信用組合へ。矢板支店長、黒羽支店長を経て常務理事就任。2013年、同組の理事長に就任し、現在に至る。

 

◉那須信用組合

〒329-2727 栃木県那須塩原市永田町6番9号

TEL 0287-36-1230

http://www.nasushin.co.jp/ 

 

 

 

◆2017年1月号の記事より◆

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