プリント貸出金・年金シェア1位『郷土と共に発展する』甲斐の国の信組その躍進の根源と未来像を探る

都留信用組合/理事長 細田幸次氏

◆取材:綿祓幹夫

オビ 特集

都留信用組合/理事長 細田幸次氏

富士山の世界文化遺産登録で観光関連の消費が好調な山梨県東部の郡内地方。

その中心都市・富士吉田市に本店を置くのが都留信用組合だ。

しかし、同組の5代目理事長・細田幸次氏は「富士山の上に胡座をかいていては本当の地方創生は叶えられません」と語る。

その真意と同組が仕掛ける富士山に頼らない産業とは何かを探る。

 

山梨県認可第1号。郷土のために生まれた信組

山梨県に、ナンバーワンにこだわる協同組織金融機関がある。富士山の北麓、富士吉田市に本店を置く都留信用組合だ。

事実、同市内における同組の貸出金シェアは55%、年金シェアは86%といずれも地方銀行をはじめ、そのほかの金融機関を抑えて堂々の1位。

加えて、この本店所在地における取引シェアの数字は全国の信組と比較しても1位の業績を誇る(全国信用組合新聞、2016年9月5日付)。

 

もちろん、全国ベースでシェアを算出すれば、メガバンクなどにはかなわない。

しかし、同組の富士吉田市における圧倒的な強さは、地域に根ざした協同組織金融機関である信組の底力を感じさせるものである。

 

「当組合は1952年に山梨県認可第1号の信用組合として幕を開けました。私どもはこの地域では絶対にどの金融機関にも負けない、そういう気概を持って今日まで邁進してきました」

 

そう語るのは、同組の5代目理事長・細田幸次氏だ。

 

営業エリアは富士吉田市や都留市を含む富士五湖地域の4市2郡にまたがる。

郡内地方と呼ばれるこのあたりでは古くから織物業が盛んで、今でもネクタイの生産量は日本一である。

設立当時、銀行に相手にされず資金繰りに悩んだ織物業者たちが、当時の山梨県知事に直談判する形で同組は誕生した。

「郷土のために生まれた都留信用組合は郷土と共に発展する」設立時から変わらない組合信条には、そうした背景がある。

 

「地元の中小零細企業を救済し援助するという地域帰属の創立精神は、今日でも引き継がれています。

当組合は郡内地方をこよなく愛し、営利に関わりなく、そこに暮らすすべての生活者のために何ができるかを常に考えてきました」と同氏。

 

合併話と歴史の狭間で

本店外観と富士山

同組と地元の結びつきの強さ、そして、同氏の地域愛を知るエピソードにこんな話がある。

 

山梨県では同組の設立以降、11の信組が誕生したものの、バブル景気が弾けると合併統合を繰り返していった。

そして、2000年、同組にも合併の話が持ち上がる。

 

「その3年前には北海道拓殖銀行が経営破綻に陥り、連鎖的に金融機関が倒産した時代でした。

私が総務部長に在席していたある日、当時の理事長に『飲みに行こう』と誘われ、何かと思ったら、『私は悩んでいる。実は合併の話があるんだ』と打ち明けられました。

バブルが弾けて以降の経営状態や時流を鑑みれば、合併は自然なことでした。

 

しかし、よくよく話を聞くと登記簿上の継続信組は都留信用組合じゃないと言うんです。

その理由は県庁所在地である甲府市に拠点を置く信組が引き継いだほうがいいだろうという理屈でした。

当組合は設立以来、県内認可第1号の信組として先人たちが確固たる基盤を築き、培ってきた自負があります。

私が反対を進言したところ、理事長は『実は私もそのつもりだ』と言われました。

 

後日、交渉の場で当組合が存続組合で本店を富士吉田市に置くという代替案を提案しましたが、結果的に合併話はなくなりました。

当時、そのことが新聞に取り上げられ、『身勝手な都留信は今に破綻する』と叩かれましたが、

私どもには『郷土と共に発展する』という組合信条を胸に地元の皆様と歩んできた歴史があります。

だから、看板を下ろすわけにはいかなかったのです。

地元の皆様からは『郡内に本店がある金融機関がなくなるのは困る』『よく断ってくれた』と励ましの言葉をいただきました」

 

現在、山梨県には県内に本店を置く4つの信金・信組がある。その中でも微小ながら融資を伸ばしているのは同組の他1機関だけである。

 

 

富士山の世界文化遺産登録

前述のように郡内地方はもともと織物業が盛んな地域であった。

しかし、1960年代に入ると繊維業界そのものが慢性的な不況へと陥り、同地方の織物業も衰退の一途をたどることとなる。

いっぽう、このあたりでは電子機器に関する上場企業や富士山麓の土地を利用した工業用ロボットの工場などがある。

そのため、それらに関連した製造業へと業種転換した織物業者は少なくない。

 

そして、郡内地方の産業と言えば観光だ。

富士登山の北口玄関として古くより栄えた同地方は、近年では富士河口湖町を筆頭に多くの外国人観光客が訪れるようになっている。

 

「2013年に富士山が世界文化遺産に登録されてから観光客は増加しています。当然、観光は当地域の大切な資源です。

ただ、それと平行して、ものづくりにも注力するべきだと考えています。やはり製造業というのは地域における大切な経済基盤となります。

私は理事長に就任して以来、『不易流行』という言葉をよく使っていますが、時代の流れとともに変化しながらも、世の中には本質的に変えてはいけないものがあると思っているんです」

 

ものづくりに携る事業者を支えたい

同氏にとって変えてはいけない「不易」とは何か。

それは、かつて銀行に見放された地元の織物業者、つまり、ものづくりの中小零細企業を救済し援助するために生まれたという同組の設立経緯のことだ。

だからこそ、同氏にはものづくりに携る事業者を支えたいという強い思いがある。

 

「大企業はアベノミクスの恩恵があるかもしれませんが、私どものお取引先である製造業関連の中小零細企業は景気回復を実感できていません。

でも、私どもは最後の最後まで情熱を持ってお客さんを支えたいと思っています。

地元の人たちから私どもは『銀行』と呼ばれています。厳密には信組は銀行ではありませんが、金融の専門家として皆様から頼られているんです。

だから、職員には勉強が必要だと常々言っています。

地域の発展のために、一人一人が自分の担当するお客さんよりも、その業種について詳しくなり、中長期的な見通しが立てられるような見識を持っている必要があるのです」

 

同組では現在、地域支援部という中小零細企業支援のための専門部署を設置、コンサルティング機能の充実を図っている。

また、創業・新事業開拓におけるアイディアの発想方法や事業計画策定について学ぶスクールを開催するなど、広く中小零細企業を支援する取り組みを行っている。

 

「郡内地方の将来的な発展のためには、農業も含めて新しい独自産業を生み出す必要があります。そのためのサポートは惜しみなくやっていきたいと思っています」

 

 

夏イチゴを新たな独自産業に

「新しい独自産業」として、同組が着目するのが夏イチゴの栽培だ。

イチゴは冷涼な気候を好み、通常は低温で日照時間の短い秋にしか花をつけず、収穫は春から初夏に限られている。

しかし、夏イチゴは比較的高温で日照時間が長い時期であっても花を咲かすため、夏場の収穫が可能となる。

ただし、通常のイチゴと同様に暑さには弱いことから、栽培には夏でも冷涼な土地が適している。

 

「富士山の裾野に広がる郡内地方はまさに夏イチゴの適地です。きれいでおいしい水も豊富にあります。

観光地としての知名度を活かし、夏イチゴの一大産地にしていきたいと考えています。

現在、当組合が音頭を取って、行政や建設業者、小売業者とも連携を図り、夏イチゴの農業法人を作る方向で話がまとまっています」

 

同氏がもうひとつ夏イチゴに期待しているのが高設栽培による高年齢者の雇用だ。

高設栽培とは地面より高い位置に棚を組むことで立った状態のまま作業が行える栽培方法を指す。イチゴはこの高設栽培に適しているとされる。

 

「高齢者にとって中腰での作業は大きな負担です。

しかし、高設栽培であれば作業が軽減できるので、定年退職しても仕事がしたいと考える方々に働く場が提供できればと思っています。

早ければ今年の夏、遅くとも来年の夏には最初の出荷が行えるよう計画を進めています」

 

 

原石からダイヤモンドを見出す眼力

全国の信組と連携強化を図る第一勧業信用組合(東京)の新田理事長と同氏が面会したのは2016年6月のことだった。

信組として地方創生にどう向き合うかなど意見交換をする中で意気投合していったという。

 

「使い勝手のいい小さな貸付商品を販売したり、その商品に訴求力のあるネーミングをつけたり、新田理事長の発想力には驚かされます。

信組は銀行ができないことを積極的にやっていかなければいけません。

例えば、銀行が融資しないような小さな事業所でも我々が金融支援をすることで、原石からダイヤモンドに変わることがあります。

なので、我々は原石を見出す力を養わなければなりませんが、新田理事長にはそうした眼力を感じました。

 

第一勧信さんとは2016年の9月に連携協力の協定を結び、今後はお互いの取引企業の販路拡大など、相互的な支援を積極的に行っていきたいと思っています」

 

 

今回の取材の中で同氏は「人は城、人は石垣」という言葉を幾度か口にした。

これは、人と人との結びつきは強固な城に匹敵するという武田信玄の言葉だ。

強いリーダーシップを発揮する同氏であるが、何よりも人とのつながりを大切する姿勢が垣間見える瞬間であった。

「郷土と共に発展する」という組合信条を胸に、山梨県下、そして全国の信組の中でナンバーワンを目指す同組に、さらなる期待がかかる。

 

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山梨県富士吉田市から望む冬の富士山

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◉プロフィール

細田幸次(ほそだ・こうじ)氏…1946年、山梨県富士吉田市生まれ。地元の高校を卒業後、1965年、都留信用組合に入組。2010年、同組の5代目理事長に就任し、現在に至る。

 

◉都留信用組合

〒403-0004 山梨県富士吉田市下吉田2丁目19番11号

TEL 0555-22-2131

http://www.tsurushinkumi.co.jp

 

 

 

◆2017年3月号の記事より◆

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