株式会社プレコフーズ/代表取締役社長 髙波幸夫氏

 

株式会社プレコフーズ/代表取締役社長 髙波幸夫氏

今や年商約170億円の生鮮食品の総合卸となったプレコフーズ。事業の種は64年前、父親の手による鶏肉小売店開業とともに撒かれていた。

1985年時点で3万6000店以上存在した国内の食肉小売事業店は、2014年には9500店を切り、その減少に歯止めがかからない(経済産業省商業統計)。

しかし、プレコフーズは家業を引き継いだ髙波現社長の指揮のもと小木から大木へと葉を広げ、小売りから食肉の卸を中心に業態転換し成長。東京、神奈川、千葉、埼玉の約2万軒の飲食店の顧客を保有するに至る。

 

取引先は95%が街の飲食店であり、大手が取り扱わない小口取引の積み上げにより、今の業容を創りあげた。また、業界に先駆けてISO9001-HACCPを取得。国内最高クラスの衛生管理システムを持つことで、病院、高齢者福祉施設、教育機関等の顧客も獲得している。

 

飲食店の取引は約2万軒、都内だけでも約1万5000軒。シェアで言えば都内で約17%。都内飲食店の6件に1件は同社の取引先である。

当初は食肉卸が中心であったが、築地や大田の市場仲卸を吸収合併することで、食肉に加え野菜と魚、生鮮三品をすべて扱うようになった。

1つの事業体で生鮮三品を提供できるのは国内でも同社だけであり、多種多様な品目の取扱いにより他事業社との差別化にも成功した。

 

小さな精肉店の大発展はどのようにして成し遂げられたのか?

同社の足跡について髙波社長が語る。

 

「絶対に継ぎたくなかった」家業

もともとの話は昭和30年(1955年)にさかのぼります。品川区大井町で私の父と母が創業しました。父の名前は利夫で、その一字をとり、屋号を鳥利商店としました。

当時商店街によくあるような鶏肉店で、豚肉、牛肉も少しだけ扱っているだけの、小さな店でした。鳥利商店は1階が店、2階が住宅という作りで、父母の商売をいつも身近に見ていた私は当然のように仕事を手伝わされ、小学校のころから包丁を握り、鶏の解体などもやっていました。また、焼き鳥を焼いたり、販売もしていました。

そのうち、時給30円やるからもっと手伝えという話になり、子供ながらにそれは良いかなと思い手伝い始めました。台帳に毎日自分の収入をつけ続け、とうとう1万円に達した時、父に1万円くださいというと「子供に大金は持たせられないから、私が預かる」と言われました。

まあ、家業を手伝うとこんな調子でしたし、友達の家と比べても鶏肉店はかっこ悪いと思っていました。

 

高校生になると、何かと父と折り合いが悪くなり、いつも喧嘩ばかりしていました。日曜日に友達が家に来ていても、今から配達に行って来いと言われ手伝わされます。そんなことばかりでしたから、やがて、家業は絶対に継ぎたくないと思うようになっていったのです。

 

 

「米国でビジネスがしたい」渡米の決意に父激怒

高校卒業後、日本の大学に入りました。しばらく勉強していましたが、自分はもっと大きなビジネスがしたいと思うようになり、そのためには、アメリカに行く必要があると考えるようになりました。そこで一念発起し、大学をやめて、渡米資金を稼ぐため教育機器の営業をはじめたのです。

ちょうど学研が営業マンを募集しており、報酬もそれなりだったので早速応募しました。1日200件飛び込み、月5000件の訪問販売を行いました。この体験は、お金を稼ぐということに加え、営業の技術を獲得するよい機会にもなりました。

そして、8カ月で160万円貯め、いよいよアメリカへ旅立ちました。しかし、やはり生活は苦しく、生活費を得るためレストランで働きはじめました。その中でレストラン経営を学んだとともに、もっと広い視野のビジネスを学ぶ必要性があるということに気づきました。

そこでもう一度しっかりとビジネスを学び直そうと思い、アメリカで大学に入学することにしたのです。ところが、さすがに働きながら卒業できるほどアメリカの大学は甘くはありませんでした。

 

実は、不仲になった父にアメリカに行くと言ったのが渡航3日前で、さすがに父は激怒しました。「もう日本に帰ってくる場所はないからな!」とまで言った父に、意を決し手紙を書き、仕送りをお願いしたのです。

すると父は、家業の経営が大変だろうと思われる中、毎月1000ドルもの仕送りをしてくれたのです。

 

大学はブルックスカレッジ、専攻はファッションマーチャンダイジングでした。勉強していくうち、私は文化を売るような商売ができるようになりたい、卒業後はニューヨークで働きたいと考えはじめていました。文化の発信地ニューヨークでいろんな文化を見て過ごし、どのように身をたてようか…と夢を膨らませていくうち、いつの間にか、アメリカで4年が過ぎようとしていました。

 

 

父からの突然の帰国要請 ・泣く泣くブルックリンブリッジを渡る

ところがあるとき突然、父から「店の経営がだめになった」と連絡がありました。父からの手紙には、「日本に帰ってきて、うちの会社を立て直せ」と書いてありました。家業の経営が苦しい中で、学業の支援をしてもらった手前、知らん顔もできません。

悩んでいると、仕送りをしてもらうためにその場しのぎで私が書き送った『帰ったらあとを継ぎます』という手紙のコピーが送られてきました。ビジネスの中心地マンハッタンに行くべく意気揚々と通ったブルックリンブリッジを、今度は失意のうちに泣きながら通る羽目になりました。

帰国し、家業を手伝いはじめ、特売などの販促をやりながら、1日7万円の売上を13万円ほどにしていきました。

とはいえ、当時、心の中には忸怩たる思いがありました。英語が話せて、ファッションのことがわかっていて、それなのになぜ自分は肉屋をやっているのか…。

 

「会社をやるから好きにしろ」。ある時父はこう言いました。時に平成6年、36歳、私は経営を引き継ぐことを決意します。「肉屋は嫌いだが、経営は本分である」そう考えるとやる気が湧いてきました。

鳥利商店の名前を変えていいかと父に聞くと「好きにしていい」と。社名をプレコフーズに改め、経営理念を作り、当時まだ日本にはあまり普及していなかったCIを導入するなど、新しいスタートを切りました。

 

プレコフーズのロゴを、なぜ木にしたかというと、幹から枝葉が生えるように、会社を次々につくっていき、つくっていきながらみんなで頑張ってよかったなと言えるようにしたいという思いからです。

「PRECO」の意味は、『PRESIDENTS(社長達)』と『COOPERATION(共同体)』この2つのワードをあわせた造語なのです。すなわち『社長会』を意味しています。

 

 

個人商店から事業経営へ
自社の強みを生かし事業機会を生みだす

社長になった私は会社の理念を明快に示すことで、若い人材や女性にも入社してもらえる会社にしようと考えました。さらに、過去に訪問販売をやっていたときの経験を活かしてどんどん飛び込み営業をし、新規顧客の開拓を積極的に行いました。

しかし一人でやっていても、限りがあります。そこで、本格的に営業マンを採用、育成を行い、今日では35名の営業を有する会社組織にまで成長しました。

こつこつ積み上げて営業体制を強化した結果、取引軒数は50軒だったものが2万軒にまで増えました。

 

同業他社は大規模店舗との取引を優先するのですが、プレコフーズは個人が経営される飲食店、すなわち個店がほとんどです。

私は小売をやっていたので、個人のお客様が求めるものを理解しています。5分ほど世間話をし、1本100円のささみを売るようなこともあるのです。

つまりお客様一人ひとりを大切にするのが小売の精神なのです。現在のお客様平均単価は6万円。1000円以上のご注文は全て配送無料でお届けしています。こうした個店との取引は、非常に細かく手数がかかりますが、それだけに競合他社は対応しづらいものです。

 

また、大規模店舗は価格ばかりを優先した取引となり、どうしても利益が少ない商売になってしまいます。しかしながら、個店は品質、独自性にこだわるお客様が多く、弊社の価値を認めて頂けると思っています。

 

 

─事業の転換点は何だったのですか?

事業エリアを広げ、実績を上げていくうちに、事業発展の法則に気づきました。これを、目標売上算出式としてまとめたのです。15年ほど前から、営業マン一人当たりの生産性や季節指数、業界特有な指数を加味した計算式を使いはじめ、2年後、3年後の売り上げや営業利益を確実に予測できるようになりました。この方法で計算すると、誤差率2〜3%でほぼ正確に着地します。

 

この計算式があったことで、思い切った設備投資ができました。業界に先駆けた最先端の設備を考えられる限り取り入れた新センターの建設資金の借り入れを銀行から出来たのはこの計算式があったからです。

つまり、将来の営業利益を数値化して説明することで、無担保で3億円を銀行から借り入れたのです。「営業利益がこうなるので、返済計画はこうなります」と具体的な説明をすると、銀行は納得してくれたのです。これが元となり、食の衛生管理が行き届いた工場をもつことが出来ました。

 

その後、世間では狂牛病、O─157、鳥インフルエンザといった事件が次々と起こり「食の安全」が問われる事となりましたが、時代に先駆けられたことで弊社にとってはむしろ追い風となりました。

 

 

─学生へのメッセージをお願いします

弊社は、創業以来、努力を積み重ね、例えるなら一日1センチの努力を絶えず行い続け、今日の規模にまで成長してきました。

顧客数50軒の小さな卸事業から始まり、23年間毎日欠かさず努力を続けた結果が、2万店のネットワークにまで成長しました。創業者の精神である「商いは飽きない」、すなわち「商売は小さな積み重ねを絶えず行い続けることが最も大切である」という教えを実践できている人が活躍しています。

 

次に、弊社は年功序列ではなく、自ら手を挙げトライする者に仕事を任せる、積極性を重んじる社風です。一生懸命自ら考え、行動し、成果を上げた人が評価されます。実際に高卒でも29歳センター長で1千万円給料をもらっている人もいます。

 

そして、弊社の最大の魅力は成長し続ける企業であると考えています。

23年前に年商1億円で、売上50億円までは対前年比成長率30%、50億円から100億円の時が20%、100億円以上になった今でも15%平均で売上が伸びています。ちなみに10億の20%は2億ですが、100億の15%は15億。すなわち規模が大きくなれば成長率(%)は低くなりますが、成長額は増え続けています。もちろん、今後も確実に成長を続けていく予測を立てています。

 

常に会社が成長しているので、社員はモチベーション高く働いています。

新しいセンターの建設、新しい刺激、そういうことが好きな人が集まってくる魅力的な会社をいつも思い描いています。成長を止めてしまったら、企業としても人としても、魅力がなくなると思っています。

 

プロフィール

髙波幸夫(たかなみ・ゆきお)氏…1958年東京都出身。米ブルックスカレッジ卒。1983年(有)鳥利商店入社、1994年に(株)プレコフーズに組織変更、代表取締役就任。『食の楽しみと笑顔の創造企業』をスローガンに、次々と事業を拡大。現在は、(株)プレコフーズを旗艦企業として、食肉・冷凍加工部門の(株)プレコエムユニット、鮮魚・水産部門の(株)プレコエフユニット、青果部門の(株)プレコヴィユニット、サニタリー部門の(株)プレコサニオ、飲食店BS事業部門の(株)プレコダイニングラボとプレコグループを形成。2015年、外食産業記者会主催「外食アワード2014」を受賞。「カンブリア宮殿」を初めメジャー取材多数。

株式会社プレコフーズ

所在地:〒140-0013 東京都品川区南大井6-26-3 大森ベルポートD館4階

年商:170億円(平成29年3月期)

グループ合計従業員:873名(パート社員含む)

https://www.precofoods.co.jp/