徐々に外堀を埋める算段!?

茶番劇だとの議論がある。閣内不一致だとの指摘もある。ご案内の向きは少なくあるまい。去る5月11日、トヨタの2011年3月期決算説明会の席で〝演じ〟られた、豊田章男社長と小澤哲副社長の掛け合いである。

 

小澤氏が、

「今の円高で、CFO(最高財務責任者)としては、日本でモノづくりを続けていくことに限界を感じています。ユーロ安、ウォン安のドイツ、韓国メーカーと競争力において大きな差が開きつつある。(それでもまだ)日本のモノづくりにこだわり続けるのか。すでに一企業(の努力)の限界を超えているのではないか。社長に進言せざるをえません」

 

と発言したのに対し豊田氏は、

 

「日本のモノづくりを守りたいという(私の)思いだけではやっていけないと、十分に理解しています。(政府・日銀に)世界の強豪と同じ土俵で戦える環境を整備してもらうことが、歯を食いしばって、雇用を守って頑張っている、(我々)製造業が望んでいることです」

 

と、トヨタというより製造業全体に置き換えて同感して見せたが、明らかに〝不快の念〟を示したともいえる。

 

言うまでもないがトヨタは従業員32万人(連結)、協力会社など裾野に広がる零細企業の家族まで含めると、数百万の人たちの生活に多大な影響を及ぼす超マンモス企業だ。そのトップエグゼクティブ2人が、公の席で、微妙とはいえ認識の違いを露呈したものだから、当然、様々な憶測を呼ぶことになる。これが冒頭の議論や指摘の発端である。

 

茶番劇だとする推論、及びその論拠はこうだ。

 

豊田氏も実のところは、日産がマーチをタイに移したように、とりあえずひとつくらいは、生産拠点をアジアのどこかに移したいと考えている。しかしそれを自ら口にするのは、報国、報恩、家庭的美風を謳った〈豊田綱領〉にもとる。そこでまずは観測気球的に小澤氏に口火を切らせ、その反応を見つつ微妙な言い回しで制し、さらに反応を見て次の機会を窺う。そうこうしながら徐々に外堀を埋める算段に違いない。それが証拠に、最近(8月3日)も伊地知隆彦専務が、

 

「もはや輸入部品に手を付けざるをえない」

「これまで9千円だった期間従業員の日当が1万円になったところもある。総合的にみて若干、採用しにくくなっている」

 

などと、海外調達、海外移転を公然と示唆しているではないか──。

ずいぶんと穿った見方だが、昨今の時局を鑑みるに、なるほど、あながちありえない話でもないように思える。

 

新たな価値観の胎動

閣内不一致のそれは、さながら講談調である。

 

しょせんは〝バカ殿〟だ。豊田氏が、である。お家(会社)のことも、家臣(従業員)のことも、仕置き(経営施策)のこともまるで念頭にない。あるのは宗家(豊田家)の面目、ただひとつだ。しかも自分の頭のハエも追えないくせして、

 

「元気な人が倒れた人を助ける。それが日本の元気につながる」(7月19日・仙台)

「国内生産3百万台を堅持する」(同13日・名古屋)

 

などとあちこちで受けのいい話ばかりし、自ら手枷、足枷をはめている。

 

これがお家大事で、経済合理性を重んじる執政や家老たちにはとてもじゃないが我慢ならない。そういえば豊田(章男)氏は、現相談役の達郎氏以来、久しく絶えていた宗家出身の君主ではないか。ここらで叩いておかないとまた世襲が慣例化しかねない。そんなこんなが〝閣僚〟らの相次ぐイレギュラー発言につながった─。

 

となるとこれはもうお家騒動だ。いかにも講談好きの日本人が聞けば、フムフムと頷きそうな話ではある。

 

しかし残念ながら、それらの議論や指摘は明らかに的外れというほかない。冒頭の両氏の掛け合いは、成熟し切った日本のモノづくりの試金石とでもいうべき、実は新たな価値観の胎動を物語っているからだ。順を追って説明しよう。

 

儲け過ぎることはない

まずは経営環境である。俗に六重苦といわれる。①想定をはるかに上回った円高、②一向に進まない貿易自由化交渉、③高い法人実効税率、④厳しい労働規制、⑤異様に高いCO2削減目標、⑥少子高齢化による国内市場の縮小、だ。最近はこれに電力不足をプラスして七重苦ともいわれている。

 

円が1円上がる毎に、トヨタは約3百億円の営業利益を失くす。昨年3月期(1ドル平均93円)からこれまで5千億円以上の利益が吹っ飛んだ計算だ。法人税は40.7%(政策減税除く)。中国が25%で韓国が24.2%である。ヒュンダイ(韓国)とトヨタの技術者の労働時間を比べると、年間で1千時間もトヨタが少ないという。あとは推して知るべしだろう。トヨタの〝閣僚〟たちが相次いでイレギュラー発言をするのも、実は無理からぬ話なのである。

 

ではやはり冒頭の掛け合いは茶番劇、または閣内不一致かというと、そうではない。

 

〝ある意味〟で豊田氏もその他の取締役も、同じことを言っているのだ。そのある意味とは何か。政府や日銀が有形無形に打ち立てた〝定立〟に対する否定、つまりはアンチテーゼである。ひとつひとつの発言を精査すると分かるが、彼らは「限界を超えて…」とか「…をえない」とは言っているが、ただの1度も「出る」、「やめる」とは言っていない。逆に豊田氏も、理屈の上からいくとと前置きしつつも、再三再四、「このままでは日本のモノづくりは成り立たない」と窮状を訴えているのだ。

 

ちなみに関係筋によると、豊田氏をはじめ先ごろ改選された11名の取締役は、全員が国内生産3百万台堅持を明言しているという。

 

ではトヨタは今後どのようなビジョンを描き、どのように進もうとしているのか。

 

ヒントは6月17日に開かれた株主総会での、豊田氏の報告の中にある。

 

「かつて2兆円出していたことを思えば物足りないかも知れませんが…」

 

4682億円という営業利益に対してだ。これはホンダ、日産のそれを下回っている。売上高では2倍以上(約19兆円)も離しているのに、である。

 

何故か。

 

それぞれの報告書を比較すれば一目瞭然だ。トヨタの海外販売比率は約7割で、ホンダ、日産はともに9割弱。海外生産比率はトヨタが5割未満で、2社は7割超である。

 

しかし豊田氏は、そのことには触れず、

 

「いいときにたくさん儲かる会社というより、厳しいときにも最低限の利益を出して、(きちんと)税金を納める会社でありたいと考えています」

平たく言えば、理想を捨ててまで〝儲け過ぎることはない宣言〟である。その理想とは何か。前記した〈豊田綱領〉の体現だ。そのひとつが、

「トヨタは日本で生まれ、育てていただいたグローバル企業です。(何があっても)日本でのモノづくりにこだわりたい」(5月11日・豊田氏)

 

である。普通なら会社もこれだけ大きくなると創業家は邪魔になるものだが、トヨタに限っていえば、邪魔どころかなくてはならない御旗であり、統合の象徴なのだ。

 

〈豊田綱領〉と〈世界戦略〉の両立。新たな時代の、新たな価値観が生まれつつあると言っていいだろう。

 

国を代表する企業の、これが矜持というものだ。