なぜ今ごろになって慌てているのか

このところ〝俄か〟にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)論議が喧しい。それも賛成と反対が真っ向から対立し、まるで収拾のつかない水掛け論のぶつけ合いである。それもその筈で、そもそもこれはどんなに丁々発止したところで俄かに答えの出る小さな問題ではない。この国の経済を根幹から揺るがす大問題であり、場合によっては国民投票を実施するなど、全国民を巻き込んだ議論を戦わすべき国の最重要課題である。

 

それがここまで先送りされたのは、言うまでもなく東日本大震災の復旧復興と、原発事故の収束に向けた議論を優先せざるを得なかったことによる。そのこと自体は正しいし、どこからも文句は出まい。問題は、それならなぜ今ごろこんなに喧しいのか、である。復旧復興も、原発事故の収束も、未だ目処が立ったとはとてもいえる状況ではないのに。

 

理由はただひとつだ。TPPに加盟、または加盟を表明している計9カ国の首脳が、「妥結と結論を得たい」とした2011年のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)がいよいよ間近(今月12、13日)に迫ったからにほかならない。

 

要するに158年前のあの黒船来航による幕府内のドタバタ騒ぎと同じで、1年前に大見得を切った(当時の菅直人首相が平成の開国といって協議を指示した)はいいが、実際は無為無策で何の進展もないまま期限を迎え、ズラリ並べて向けられた艦砲に戦(おのの)いているという構図だ。

 

実は、これがいけない。この構図の中にこそ今度のすべての問題の本質が隠されているのである。待っているのは〝安政の五カ国条約〟だ。TPP自体が不平等条約というのでは、もちろんない。結果としてそうならざるを得ない、というのが小誌の立場である。それについては詳しく後述するとして、まずはそもそも、なぜ今度のAPECまでに結論を出さなければいけなくなったか、である。TPP自体をそれほどの重要課題だとは、実のところ政府も財界も思ってはいなかった(それが証拠につい1年前まではろくに検討もされていない)のにだ。

 

 

「野田を手ぶらでオバマに会わせられない」

理由はただひとつである。アメリカが突然参加を表明し、それを加盟4カ国(シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ)が歓迎、事実上の議長国に祭り上げたからだ。ではアメリカが参加を表明した狙いは何か。日本市場の取り込み、これに尽きる。背景にあるのは自国経済の低迷と、肥大化を続ける中国経済をここらで牽制しておかなければ、という〝西側陣営の盟主〟としての立場だ。

 

TPP自体は、そもそもが実はきわめてローカルでちっぽけなFTA(自由貿易協定)、またはEPA(経済連携協定)に過ぎない。これに日本とアメリカが参加することになれば、この2国だけでなんと、全加盟国の合計GDP(国内総生産)の9割以上を占めることになるのだ。とすれば何のことはない。実質は日本とアメリカの2国間FTA、というわけだ。先ごろの日米首脳会談で、オバマ大統領が野田総理の尻を叩いたのも、そういう理由からにほかならない。

 

それにプラスして普天間の問題が重く伸し掛かる。これはおそらく次の沖縄県知事選まで1歩も前には進むまい。そんな状況下で迎えるのが今度のAPEC、というより2度目の野田・オバマ会談なのである。

 

ということでもうお分かりだろう。実のところ賛成も反対もない。もっというと経済も国益もない。あるのは「まさか2度も続けて、野田を手ぶらでオバマに会わせるわけにはいかない」という政権中枢のメンツと保身、それを見越して口先だけの〝国内産業保護〟を叫んでいる、点取り虫のさもしいパフォーマンスだけだ。この喧しい俄かTPP論議の、実はこれが正体である。

 

 

日米FTA交渉に踏み切れ

ここに1つの資料がある。TPPに加盟した場合と加盟しなかった場合の、関係省庁それぞれが出した経済効果の試算というやつだ。

 

ざっというと推進側の内閣府は、加盟するとGDPにして最大で3.2兆円増加するとしており、同じく推進側の経産省は日本が非加盟で韓国がアメリカ、中国、EUとFTAを締結したらGDPが10.5兆円減り、雇用が81.2万人減るとしている。一方、慎重側の農水省は、加盟するとGDPが11.6兆円減り、340万人の雇用が失われるとしている。推進側は、加盟すれば国内の空洞化は止められるとしており、慎重側はますます進むとしている。

 

なぜこんなにも違うのか。はっきりいっていずれもウソだからである。ウソといって悪ければ単なる戯言、我田引水でしかない。では実際のところはどうなのか。分っていることが2つだけある。1つは〝やってみなければ分らない〟ということで、今1つは、少なくとも当初はメリットよりデメリットの方が大きいということだ。とくに農業と医療は、ある意味で壊滅的痛手を被る恐れがある。かといって、米倉弘昌経団連会長の指摘したように、加盟しなければ日本は〝世界の孤児〟になるという可能性も否定できない。

 

ではどうするか。ここに1つのヒントがある。全国農業協同組合中央会(JA全中)の茂木守会長が打ち出した、「農業復権に向けた提言」なる改革案だ。言うまでもなく同氏は慎重側というより明確な反対側だ。改革案には次のような旨が記されている。

 

「これから5年の間に、全国の水田の面積を、中山間部で10ヘクタールから15ヘクタール、平野部で20ヘクタールから30ヘクタールに集約、各集落ごとにJA全中から実施担当者を出して配置する」

 

もちろん、そうしたからといって日本の農業がいきなり強くなるとは思えないが、きわめてポジティブかつ現実的な考えといっていいだろう。例えて悪いが、今年2月にさいたま市で開かれた政府の公開討論会「開国フォーラム」で、当時、内閣担当副大臣だった平野達雄氏が、一般参加者の質問に答えられずシドロモドロだったことを思うと、茂木氏の見識には小誌としても敬意を表するしかない。

 

とまれポイントはその5年間だろう。5年間はTPPを無視し、構造改革と労働規制を含む様々な規制緩和、実質法人税制の改正など、国際競争力をつけるための施策をどんどん推し進めることだ。同時に、アメリカとのFTA交渉に踏み切ることである。その中で例外的品目など、言うべきことははっきりと言えばよい。あの不平等条約を解消し、改正した小村寿太郎のような政治家が、このあとまた現れるとは限らないのだから。