ART-HIKARI株式会社/代表取締役社長 古川一敏氏
資源を持たない日本が世界と勝負するには、「モノづくり」しかない。資源を手に入れるために起こした先の大戦は、戦闘機や戦艦などの技術力では勝っていながら、最終的には資源不足によって敗戦したという見方もできる。 敗戦後は、食べ物も仕事もない貧困が待っていた。焼け野原となった一等地には安価で工場が建てられ、生き残った人々は「食えないよりはいい」と握り飯ひとつでも仕事を受けた。 アメリカの下請けとして自動車や船を作る仕事からの再起だったが、工場もタダ同然、人件費もタダ同然、技術力は世界随一であれば、成長しないわけはない。戦勝国を向こうに回し、敗戦国日本は経済大国へと駆け上った。現役の技術者である同氏だが、工場内でも常にスーツ姿だ。理由を尋ねると「作業着を着るのは、失敗したり汚したりするから」。工場をバックに、痺れる一言だ。 「ニーズが生まれてから開発するのでは遅い。今後は電子工学の時代から遺伝子工学の時代になる」と予測する同氏は、将来のニーズに即座に応えられるよう、既にさまざまな開発を行っている。また、日本のエネルギー問題に貢献するべく独自の発電システムも研究するなど、幅広く「先回り開発」を進めている
同社が2014年に開発した「シーム溶接」。アルミのシーム溶接は神業とも言える技術だ。現在でも、窓枠などアルミ素材を接合する方法はほとんどがネジ止め。それほどアルミ溶接は難しい。 神業を実現させたのは、理想的な溶接への熱意だった。理想の溶接は、他社の既製品を組み立てた機械では成しえない。多くはそこで諦める。不可能とされていることはやはり不可能、夢のまた夢なのだと。 しかし同社は違う。なければ作ってしまえばいいと、電源も、トランスも、モーターも自作した。結果生まれた理想の溶接機では、不可能とされていたアルミの溶接も可能だった。小さく軽いため、ロボットにも搭載できる。「アルミの連続シーム溶接をロボットで行う」という、夢のような技術の実現だ。アルミのシーム溶接機(写真右)。200kgという軽さと大電流4万Aを兼ね備えた自社製電源機構を搭載。従来の電源機構を搭載したシーム溶接機械(左)の重量は約4t
同社が独自の技術を開発し続けてきた背景には、大量生産品は大企業に任せ、大企業にできない「一品もの」を創出し続けるという経営戦略がある。大企業の弱点は、小回りが利かず、スピードや機動力に劣ること。ならば中小企業は、中小企業ならではの機動力を駆使し、大企業から業界の最新の動向などの情報を入手できる存在になれば良い。大企業と対等に情報を交換するためには、大企業に技術を提案できる立場にたつこと、そのための「一品もの」だ。羽田空港のD滑走路(2010年10月オープン)工事で活躍した「鋼管ジャケット溶接」機械(クライアント:新日鐡住金)。海上に敷設された桟橋部において、海中で滑走路を支える柱を錆びさせず、コストも抑えたいという難題に対し、鋼管の表面に0.4mmという薄さのステンレスを貼り付ける発想力と技術力で応えた。旅行で訪れた金閣寺から発想を得たという
1951年、長野県に生まれた同氏。父は飛行機の設計、叔父は自動車関係の仕事をしていた。親戚の集まりで交わされる技術の話に付いていきたいと、負けず嫌いな古川少年は必死に勉強した。 自然と興味は機械いじりに向かい、おもちゃの自動車や家の柱時計に至るまで、どうしてこのように動いているのかと、ばらばらに分解せずにはいられなかった。手当たり次第に分解と組み立てを繰り返すうちに、簡単な玩具や道具であれば、自分で一から作ってしまうようになった。壊れて直らなくなった物も多かったが、そこから原理を学んだ。 生活費を稼ぐためのアルバイトは、機械を触れる弱電関係の仕事を選んだ。戦後の貧しい時代は、急成長の時代でもある。同氏は、猛スピードな技術の進歩に立ち会った幸福な世代だ。小学校時代は真空管、中学のときトランジスタが出てきた。高校時代にIC、大学を出る頃にはコンピューターの時代を迎えていた。どこにもない技術の「先回り開発」には、独自に開発した電源の制御機構が大きく貢献している。小型・軽量ながら大電流を流せる同社の電源には、幅広い企業や研究機関から電源のみの発注もあるほどだ
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「尊敬する人はレオナルド・ダ・ヴィンチ」と語る同氏。同社のロゴマークも、ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」をアレンジしたデザインだ。イメージを現実に変えてきたのが日本の製造業。我々が失ってしまったものは、夢を見続ける力かも知れない。
ふるかわ・かずとし…1951年、長野県生まれ。
学 歴
1972年 東海大学短期大学電波通信工学科卒業。
2007年 九州工業大学大学院生命体工学研究科博士後期課程修了。
職 歴
1972年 愛知産業株式会社に入社。
2002年 取締役第一事業本部長に就任。
2008年 東京工業大学非常勤講師。
2008年 愛知産業株式会社を退社。
2010年 ART-HIKARI株式会社代表取締役社長に就任。現職。
2012年 東京工業大学特任教授。
受賞歴
2004年 第1回金澤賞
2007年 第19回中小企業庁長官賞(低加圧・片面スポット溶接機)
2007年 第10回ベンチャー技術大賞 都知事特別賞
2007年 第28回発明研究奨励金
2007年 東京都産業労働局 助成金(東京工業大学・愛知産業・渡辺解体での「先進的モバイル型アスベスト溶融無害化リサイクルシステム」共同開発)
2007年 優秀省エネルギー機器表彰(小型スパッタレス抵抗溶接用トランス)
2008年 省エネ大賞
2009年 「ぐんまの1社1技術」に選定(抵抗シーム溶接機)
2010年 群馬県中小企業団体中央会 ものづくり補助金
2011年〜2013年 戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン事業)に採択
他、現役の技術者として、現在までに研究開発歴・受賞歴多数。
ART-HIKARI株式会社
http://www.art-hikari.co.jp/
〒374-0054群馬県館林市大谷町2918番地
TEL 0276-71-1180
FAX 0276-71-1182
〈東京営業所〉
〒141-0033東京都品川区西品川3-19-6リビングライフ大崎ビル1F
TEL 03-6420-0246
FAX 03-6420-0247
主要納入先(同社サイトより転載):
トヨタ自動車、トヨタ車体、日産自動車、日産車体、本田技研工業、本田技術研究所、三菱自動車、富士重工業、日野自動車、スズキ自動車、ダイハツ、日立製作所、東芝、三菱重工業、三井造船、新日本製鉄、JFE、神戸製鋼、トステム、パナホーム、日立金属、アイテック、タナカ、富士フィルター工業、川崎重工業、他