紺屋製紙株式会社 代表取締役 山本久也 氏
紺屋製紙株式会社は、明治時代から製紙産業が栄えていた紙のまち・富士市で1957年に誕生した会社だ。現社長である山本氏は、初代から数えて4代目にあたる。
創業当初はちり紙や紙紐原紙の製造を中心としていたが、社会環境の変化に伴い、公共の場のトイレなどで使われる手拭き用タオルペーパーの需要が増えてきたことを受けて、1971年からタオルペーパー事業部を追加。注文に波のある家庭用紙と波の小さい産業用紙、両方の製造を行うことで、生産高の安定化に成功した。
現在は、工業製品の包装や梱包に使われる産業用クレープ紙、紙バンド製品やタオルペーパーなどの家庭紙の3種類を、本社とグループ工場・会社5社で連携して製造・販売。グループで年約30億超の売り上げを上げている。
「うちは昔から、タオルペーパーと産業クラフト紙という、あまり大手がやらなそうなものをやってきましたから。今、雑誌用のザラ紙の需要が減り、ザラ紙メーカーがタオルペーパーに来たりはしていますが、産業紙や特殊な紙はまだまだニッチな需要がある分野。十分私たちが商売する隙間があります。これらは爆発的に量が出ることはありませんが、いろいろ工夫しながらやっていますよ」と、山本氏。
一方、品質についての同社の強みは、山本氏の父である先代社長・山本尊久氏の「環境問題について語る時は、地球全体のシステムを考慮しなければならない」とのポリシーから、いち早く環境を重視した原材料選び・設備を確立したことにある。資金的に決して簡単なことではなかったが、「ここぞという時期には、資金的に無理をしてでも対処するべき」との尊久氏の信念に基づき、10年以上前に、リサイクル紙を原資として高品質・多品種の製品を作ることができる抄紙機(ルビ:しょうしき)(紙をすくための機械)・N2号を導入。
この設備投資と創意工夫により、100%再生紙を原紙としながら、パルプから作ったものと同等のソフトな手触りを持つ商品の生産に成功したことが、自社ブランドの確立と他社との差別化につながった。
山本尊久氏
「製品を作って卸問屋に入れて……という従来の方法だけでなく、我々の作った製品を、直接ユーザー様にお届けすることをやっていこうとしています。これからは下請けではなく、自分で値段を付けて販売していける会社にしたい。そんな思いで今いろいろ工夫しているところです」
ここで山本氏が注目したのは、同社のビジネスの主役であるタオルペーパーではなく、産業用の紙紐から生まれた手芸用の紙バンド。グラデーション鮮やかな色鉛筆のようにカラーが豊富で、アイデア次第で小物入れにぴったりのカゴやバッグ、インテリア、アクセサリーまで手作りすることが可能な、子どもから年配者まで誰でも簡単に楽しめるグッズとして人気のアイテムだ。
インターネットショップ「蛙屋」をオープンし、紙バンドの作品紹介や作成キットの販売を始めたのに続き、2016年には、一般ユーザー向けに手芸用紙バンドをはじめ、紙にこだわったDIY・文具・手芸用品を提案・販売するグループ会社「紺屋商事株式会社」を設立。
続いて2018年には、JR東海道新幹線新富士駅の商業施設「アスティ新富士」内に「紙と富士山」をコンセプトにした紙バンド・紙雑貨の店「カミレオン カフェ 58」を開店。1ドリンク2時間600円(子どもは300円)とお手ごろ価格で、作り方を教えてもらいながら紙バンド手芸が楽しめるスポットとして、地元のテレビでも紹介されている。
努力の甲斐あって、カフェには静岡県内のみならず、全国各地から来客があり、紙バンド手芸の人気も少しずつ拡大。紙バンド製品の直販は、まだ細いながら、これからの同社を支える新たな柱となりつつある。
「プラスチックやフィルムは便利ですが、近年ではマイクロプラスチックによる海洋汚染や生態系への影響を考えて規制しようという動きもあり、紙の方が自然ではないかと見直される流れも出てきています。スターバックスやマクドナルドがプラスチック製のストローをやめ、紙ストローに変えるというニュースもありましたよね。自然への負荷が低いという点で、紙の良さはまだまだ訴えられると思います。
うちの強みでもある古紙再生技術もですが、日本の紙の技術は海外でも一目置かれている所。今後、自然への負荷が少ないもので生活しようとの動きが強まっていく中で、紙の良さが見直される時はきっと来ると思いますし、紙の良さを広めていきたいと思うんです」
しかし同時に、紙という素材が評価されることと、同社が継続していくことは別問題だとも言う。
「大事なのは、みんなに必要とされ、楽しいな、明るいな、嬉しいなという喜びを提供できる会社であること。うちが生き残れるか否かは、紙の需要が伸びるか否かより、その点にかかっていると思います。だからこそ、今めざしているのは、紙を素材としてみんなに喜ばれるものを作り上げていくこと。繰り返しになりますが、そういうライフスタイル提案型企業へのシフトというのが、今後生き残っていくためのキーワードではないかと思います」。
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紙は昔から人々の生活になくてはならないものであり、紙コップから段ボール、雑貨、アクセサリーまで、時代に沿って多彩な製品が生み出されてきた。今後、社会がどのように変わるとしても、紺屋製紙株式会社の手により生み出された紙製品は、変わらず私たちを喜ばせてくれることだろう。
【プロフィール】
山本久也 (やまもと・きうや) ……静岡県富士市生まれ。静岡県立富士東高等学校卒業後、観光関連の職業を希望し、熱海市でホテル勤務などを経験。後、日本エンドレス株式会社に入社し、営業をはじめビジネス全般の経験を積む。1990年に、ラップ株式会社設立に合わせて先代社長である父・尊久氏に呼び戻されたことで、同社に入社。2011年より先代に代わって紺屋製紙株式会社、ラップ株式会社、ベトナム工場の代表取締役となり、現在本社とグループ5社を率いる。
【会社情報】
紺屋製紙株式会社
〒417-0061 静岡県富士市伝法3199