
深刻化する労働力不足と熟練技能者の高齢化。日本の産業界が直面するこの構造的課題に対し、テクノロジーの巨人が新たな解答を提示した。23日、日立製作所は、現場で自律的に学習し動作を最適化するフィジカルAI技術を開発したと発表した。
かつて製造業を支えた職人のカンとコツは、長らくデジタル化の壁に阻まれてきた。しかし、今回の技術は、その壁を越えうるポテンシャルを秘めている。
そもそも「フィジカルAI」とは何を指すのか。読者の中には、昨今のAIブームを牽引するChatGPTなどの生成AIを思い浮かべる方も多いだろう。しかし、両者の主戦場は全く異なる。
生成AIがテキストや画像といったデジタル空間のデータを処理するのに対し、フィジカルAIは現実の物理空間で直接作用する知能を指す。具体的には、ロボットの目(視覚カメラ)や皮膚(力触覚センサー)から得た現実世界の情報をもとに、対象物の重さ、硬さ、摩擦などの物理法則を瞬時に理解し、ロボットの身体(アームなど)を最適に動かして物理的なタスクを完遂する技術である。
情報空間の計算にとどまらず、現実世界のモノに触れ、繊細に動かすことができる点が最大の特徴だ。日立製作所が今回発表したのは、まさにこの物理空間において、人間のように高度な適応能力を持つ次世代のAI技術である。
日立製作所の発表によると、今回開発された技術は、同社がグローバルに展開する次世代ソリューション群「HMAX by Hitachi」の中核を担うものだという。
従来のロボット技術では、定型的な単純作業の自動化は進んだものの、多様な製品を扱う現場や、繊細な力加減が求められる工程においては、依然として人の手に頼らざるを得なかった。作業環境が変わるたびに設備の停止や大規模な再学習が必要となる点が、現場導入の大きな障壁となっていたためである。
しかし、新たなフィジカルAIは、導入後も現場の動作データや作業ノウハウを継続的に取り込み、自ら学習する。成功した作業データを自律的に収集・追加学習し、精度を高めていくその姿は、まるで現場で反復訓練を積む新人技術者のようだ。設備変更があった際にも大規模なシステム改修を必要とせず、現場の最新情報を糧に最適化を続けるという。
特筆すべきは、その処理速度と繊細な制御力である。従来の産業用ロボットにおけるAIの動作指示は毎秒10回程度が限界であり、ワイヤーハーネスの組み付けのような、柔らかい部品を扱う繊細な作業には不向きであった。
この課題を克服するため、日立製作所は早稲田大学との共同研究を通じて深層予測学習を基盤とする独自のAIモデルを開発した。これにより、毎秒100回という、人間の無意識的・反射的な筋肉調整に匹敵する高速指示を実現している。
視覚や触覚センサーなどの情報を瞬時に処理し、人間と同等の速度と精度で複雑な作業をこなす。さらに、このAIモデルは数十万パラメータという小型・省電力設計に抑えられており、少ないデータでも効率よく学習が可能なため、多様な現場への迅速な導入が可能だという。
さらに、このフィジカルAIは腕や手の動きだけでなく、上半身・下半身を含めた全身協調動作を学習するアルゴリズムを備えている。
人間が作業を行う際、無意識のうちに最も動きやすい姿勢を選び、全身のバランスをとりながら効率よく動いている。日立製作所はこの身体のメカニズムに着想を得て、ロボット自身が対象物に対して最適な位置や姿勢を自律的に取りながら動作する仕組みを構築した。これにより、無理な体勢による作業品質のばらつきや手戻りが抑制され、安定した品質と速度の維持に貢献する。
日立製作所は2026年4月1日、協創施設Lumada Innovation Hub Tokyo内にフィジカルAI体験スタジオを開設し、社会実装に向けた動きをさらに加速させる構えだ。
一連の技術開発は、単なるロボットの性能向上にとどまらない。現場で培われた暗黙知をAIに組み込み、設計から運用改善までを一貫して提供する姿勢は、テクノロジーがいかにして人間の技能を継承し、産業基盤を維持していくかという問いへの、日立製作所が示したの明確なアンサーである。
少子高齢化という抗えない波の中で、テクノロジーは人間の代替ではなく、良き協働者へと進化しつつある。自ら学び、最適化を続けるフィジカルAIが、日本の製造・物流現場の風景をどう塗り替えていくのか。その真価が問われるのは、まさにこれからである。
(文責:綿引亮介)