株式会社ササキ 代表取締役会長 佐々木弘勇氏(写真右)・代表取締役社長 佐々木啓二氏(写真左)
株式会社ササキは、1995年、佐々木啓二社長の父親である弘勇氏(現会長)が、ワイヤーハーネスの製造・販売を目的に設立した。佐々木弘勇氏はそれまで農林水産省の官吏だったというから、同社は異色のスタートといえる。それから21年。昨年設立20周年を期して息子の啓二氏にバトンタッチ、代表取締役社長の座を譲った。 代表者承継にあたって「摩擦はなかったか」との問いに、弘勇会長はこのように答えた。 「全然、ありませんでしたね。私は、もともと技術屋ではありませんし、もう私の時代ではない。これからは、若い人の技術力と知恵を持って会社をさらに大きくしていってもらいたいというのが、私の念願だったし、現社長が必ず期待にこたえてくれると思っていました」 弘勇会長が息子の啓二氏に社長職を任せるにあたって、無類の信頼を寄せていたのが、トップの指導力であった。従業員のうち、20代が圧倒的に多い中で、若い人々をぐんぐん引っ張っていく啓二社長の能力は、学生時代からのスポーツ経験で培われたようだ。 「小学校から大学までサッカーに明け暮れていました。高校は地元韮崎高校。そのサッカー部は全国的にも知られています。多くのプロ選手を輩出していて、あの中田英寿も私の後輩です。大学は明治大学。体育会サッカー部に所属していました。こちらも強豪校で、現在イタリアで活躍する長友佑都もOBです」(啓二社長) 高校3年の頃にはキャプテンも務め、明治でも活躍したという啓二社長。その頃からリーダーシップが備わっていたのだろう。 そして、大学卒業後、啓二社長は某大手企業に入社する。 「いずれ父の会社を継ぐにしても、一度他人様の飯を食ってこいというのが父の方針でしたし、実際この時の経験が現在の社長業にずいぶん役立っています」 ところで、弘勇会長がササキを興したきっかけは何であったのか。 「もともと農林水産省にいたのですが、このまま斜陽産業である農水の役所にいても先が見えていると。さらに私は職場結婚で、妻と同じところで働いているのもどうかって気持ちもあって、民間に移ったのです。そこで30数年勉強しました。そして19年前、大手装置メーカーの軒下をお借りしまして、4人で始めた会社がササキです。それから倍々ゲームで人が増えまして、もう20周年を迎えました。私の代で今は従業員が92人ですが、息子の代には将来200人、300人の中堅企業に発展させてもらいたいですね(笑い)」 設立20周年を迎え、会社組織の改革に合わせて世代交代が行われたが、啓二氏が社長職の重責に圧迫感を受けることはなかった。 「世の中では、創業者が会長なんて名誉職に退いても、それこそ『院政』を敷くことがよくあるようですが、父は実務について一切口出ししません」(啓二社長) これに対し、弘勇会長は、 「財務的な部分、例えば銀行とのお付き合いとか、あるいは地元との交流みたいなものは私がまだ引き受けています。これは創業者としての義務みたいなものですから」 事業承継に対して弘勇会長は実にあっさりしていて、啓二社長もそのことをありがたく思っているようだ。動力用ハーネス:各種産業機器の動力用ハーネス。大型機械から精密検査機器用まで製作しています。
大中含めて数あるハーネス・ケーブルメーカーの中で、株式会社ササキが揺らぎないモノづくりメーカーとして成功している秘訣は、まず、何といっても時代の動向を見据えた経営戦略と中長期の組織戦略のたまものであろう。 弘勇会長は、すでに遠い昔、旧世代の人間でありながらもアナログからデジタルへの時代転換を敏感に洞察する眼力を備えていた。電気を使うもので、ケーブル類が使われないものはない。すなわち、あらゆる産業機械で同社の製品に需要があるということである。そしてその需要こそが、同社創業の原点だと弘勇会長は言う。製造業の下請けとしては、金型作りやそれを使った加工などが花形だった時代において、「父は目の付け所が違った」と啓二社長は言う。 「一見ニッチに見えても、電気を使わないなんてありえないわけです。ところが、ハーネス屋なんてぜんぜん聞かない。大企業か、本当に町の小さな工場くらい。だからこそチャンスがあったんです」通信用ハーネス:各種産業機器の神経に該当するハーネス。髪の毛程の微細ケーブルから製作しています。
さらに弘勇会長は、「今では異業種の方たちまでもが我が社の工場見学にお見えになります。見られることで、会社全体が引き締まると言いますか、よりよいものを作っていこうという空気が醸成されますね。同業者にも門戸を開放しています。これには『みんなでもっと発展していこう』という部分と、『うちは業界の先頭を走っているぞ』という自信もあるのです」 啓二社長は、「我々の仕事は細かい手作業の部分が多いので、若い戦力が必要になります。ですから、お年寄りの内職のような形では、複雑化する現状にとても対応できません。そういう意味で、高齢化が進んでいる同業者は年々減ってきているように感じます。我が社では若い従業員を積極的に育成していますから、遠くない将来、我が社なくして産業機械の業界は成り立たないと言われる存在になれるんじゃないか、と、心密かに期待しています(笑い)。初代が土台を作り、2代目が成長させ、3代目で安定させる。私がその2代目ですから、成長の柱を構築していくことが使命ですね」束線ハーネス:上記通信用ハーネスを産業機器に合せて束線化する製品。後工程の煩雑な作業を吸収し工数削減に役立ちます。
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さすが甲斐の国の企業。まさに『人は城、人は石垣、人は堀』を地で行く。やがてササキの名は、業界を席巻する『無敵の軍団』として鳴り響くことだろう。
プロフィール
佐々木弘勇(ささき・こうゆう)氏…昭和14年3月生まれ。平成7年有限会社ササキ(現株式会社ササキ)創業。平成22年、山梨産業大賞(経営革新部門)受賞.平成25年、代表取締役会長就任。
佐々木啓二(ささき・けいじ)氏…昭和45年山梨県韮崎市生まれ。韮崎高校卒業。明治大学政経学部卒業。平成25年株式会社ササキ代表取締役社長就任。
株式会社ササキ
〈韮崎工場〉 〒407-0175 山梨県韮崎市穂坂町宮久保1155-1
TEL 0551-22-3733
http://www.sasaki-harness.co.jp/
〈宮城工場〉 〒981-3623 宮城県黒川郡大和町テクノヒルズ31
TEL 022-346-1511
産学連携から産まれたモノづくり。町工場の星 無人海底探査機「江戸っ子1号」。「弱者が集まって何か大きな目標を達成しようという共同開発、これができるのは日本だけだと私は思っているんです。日本はもともと農業国です。共同して山を開墾し、田植えを行ってきました。苦労も報酬も分かち合える民族性がある。その原点に立ち返って、さあ皆さん、同業の方たちと共にがんばってみませんか」
江戸っ子1号 町工場は日本のお家芸、「共同開発」で乗り切れ! 株式会社杉野ゴム化学工業所
「ここを選んだのは、電車が好きだったのが理由ですが、最初見学した時はそれほど来たいと思わなかった。部品が重そうだし、実際重いんですが(笑い)、でもやってみると面白い。
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老人性難聴で苦しむ方の苦労を和らげたい。もしかしたら、我々の製品で、一旦音を失っても、それで終わりじゃないと希望を持たせてあげることができる。一人でも多くの方に、難聴でも聞こえるようになる喜びを届けたい、それだけです。
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