
プラスエンジニアリング株式会社 創業者・海野光三郎氏
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と、お先真っ暗なことを書き連ねてきたが、それでも会社は生き続けなければならない。そして、現実にうまく承継を終えて、セカンドライフを満喫している元経営者だって存在している。その代表選手、精密機械加工部品のトータルソリューションカンパニーとして名高いプラスエンジニアリング株式会社の創業者・海野光三郎氏は準備の大切さを力説する。 「しかるべき歳になってからは、引退に向けて勉強と準備をしてきました。その体制が整った矢先に、私自身脳梗塞に倒れ、図らずもその日がやってきてしまいましたが」 では、具体的な準備とは何だったのだろう。 「もし自分が継ぐことになったらと思うと、やっぱり借金があれば躊躇しますよね。だから、最低限無借金経営にしておかなければならない。他人を呼ぶにはこれが必須条件でしょうね」 そのためには、社業がある程度順調でなければならない。だが、それだけでは不充分だ。新社長が思い切った施策に打って出られるような資金的裏付けが必要になる。 「利益が出ていても、無策で税を納めていてはダメ。我が社の場合、レバレッジド・リース(オペレーティング・リース)が成功して、大きな節税になった。これで収益を10年先送りにできたのは大きかったですね」 レバレッジド・リースとはリースの一形式で、貸し手であるリース会社が少ない自己資金と多額の借入金によりリース物件を購入し、その物件をリースするというもので、出資者は物件購入価額の一部分を負担するだけで、大きな利益を得られる。さらに、物件全体についての設備投資税額控除や加速償却といった税制上のメリットを享受できる。 もちろん、投資である以上リスクは存在する。最終的なリース物件の売却時に、社会情勢の影響を受ける可能性があるからだ。為替差損が出たり、物件そのものの価値が急落することも起こりうる。 リスクをとってでも会社に遺すべきものは遺せた。これが承継のための会社としての準備ということはわかったが、辞めていく経営者自身にとって必要な準備はなんだろうか。 「経営者保険で自分の退職金分を確保しました。従業員には退職金があるのに、創業者はキャピタルゲインがあるんだからガマンしろというのはおかしな理屈だと思いますから。ちゃんと積み立てておいたわけです。もちろん、金額は役員報酬から算出される適正な額です。そこは創業者だからなんてお手盛りはありません」 こうして、万難を排して2009年、プラスエンジニアリング新社長には、みずほ銀行から来た鈴木重人氏が就任した。
海野氏がプラスエンジニアリングを創業したのは40年前の1974年。社長交代を含めて、ここまでの道のりは幸運だったと振り返る。
「運命という縦糸と、因果応報の法則という横糸で織り成す織物が人生と、かの稲盛和夫氏(京セラ創業者)は言っています。それを思うと、私の人生における縦糸はずいぶんと幸運なものだったように思えてきます。会社を興してこの仕事を始めてから、半導体業界の最盛期が来て(80年代は日本半導体が世界市場の半分を占有した)、そのメーカーさんが軒並み顧客となったとか、産業用ロボットの分野にも食い込めたとか、日の出の勢いの業種にことごとくご縁ができたのは、これはもう運以外の何ものでもないでしょう。こういう幸運も、最後の最後で病気になって倒れる不運でチャラになってしまいましたが(苦笑)。ところがどっこい、鈴木社長に引き継ぐという僥倖も得た。やっぱり私は運がいいんでしょう。だからこそ、経営者はその運を引き込む会社経営をしなければいけないと思いますね」
もちろん、運がよかったというのは謙遜だろう。確固たる経営哲学が運を呼び込む。何もしないで運が転がり込んでくるほど世の中甘いわけがない。
「教科書的なセオリーがない、こうあるべきだというものがないと経営など成り立つわけがありません。哲学がない経営で会社が発展することなどありえない。私は学生の頃から学んでいたドラッカーに倣いました。経営者が陥りがちなのは、自身の儲けにのみ腐心すること。人が一生に使えるお金なんてたかが知れている。それ以上をガツガツ求めるのはいかがなものかと思いますね」
海野氏のセオリー、それは若かりし日からずっと学んできたピーター・ドラッカーの経営学が色濃く影響を及ぼしている。例えば、『企業は社会の公器』という考え方など、その典型と言えるだろう。
「事業は家業ではありません。身内を使わないのは、公平、平等の原理原則に反するからです。会社は社会の公器である以上、私物化はできない。だから、身内を会社には近付けてはいけないわけです。そうしなければ、従業員に厳しい要求はできなくなる。それに身内の人生を会社で縛るわけにもいかない。選択の権利はあるはずです」
だが、実際のところ、創業社長は社業が大きくなればなるほど、その『美田』を身内に残したくなるのが人情だろう。さらに現実的な問題として、中小企業のほとんどが同族会社であり、出資の大部分は社長若しくはその親族からだということだ。金融機関からの借入れの際に社長及び親族が個人保証するケースが多い。その為、親族以外の者から後継者を選ぶのは難しいのが実情だろう。
能力を優先して後継者を選ぼうとしても、会社所有と経営の分離がなされていない場合、優秀な従業員に『代表取締役社長』の座を譲っただけでは、全く事業承継になっていない。単に、先代経営者が会社を実質的に支配する『オーナー』、現経営者が『雇われ社長』という関係になるだけだ。
この場合でも、オーナーである先代経営者が存命のうちは経営に大した支障は生じないだろう。しかし、先代経営者が亡くなり、株式の相続が発生した瞬間に問題が生ずる。会社の株は先代経営者一族の何人かに相続され、結果、その相続人たちの意見が一致するという保証はない。また、会社やその経営に何らかの想い入れや愛着も持ち合わせていない場合は、株式が第三者に渡ってしまう可能性だってある。会社を『私有』していることのリスクは思いの外大きいのかもしれない。
「創業の原点が自営業の延長のような場合、往々にして世襲が起こるものです。まあ、そうやって長く続く会社があるのも事実ですが、それで後継者難などと言ってはいけないでしょうね。特に借金で人に任せられないような状況にしておいて『後継者がいない』もないでしょう」
社会の公器として、次代が喜んで引き受ける会社を作った自負がある海野氏であるが、それを社内の人材に求めなかったのはなぜだろうか。
「我が社では、本社の営業部門と工場の製造部門が物理的にもマネジメント的にも分離していました。残念ながらその両方をわかった上でマネジメントできる人材が育たなかった。目標を設定し、人を組織し、動機付けを行い、仕事を評価し、人材を育成し、という全体を行える人材がいなかった。そこで、中小企業である我が社の人材より、最大手銀行出身の高いレベルの人材に賭けたわけです。それに、似たような業界の人間がいきなりトップに立てば、従業員たちから『俺たちの方がわかっている、できる』という反発も招きかねない。その意味でも畑違いの銀行員というのは正解だったと思っています」
会社が新社長の手に委ねられて5年の歳月が流れた。海野氏の方法、判断が正しかったか否かの答えはもう出ているはずだ。まあ、聞くまでもないことであろうが……。
プロフィール
海野光三郎(うんの・こうざぶろう)氏…昭和17年生まれ。中央大学商学部経営学科在籍中、「経営学の神様」ピーター・F・ドラッカーの著書に出会い、経営学に傾倒。昭和49年、プラスエンジニアリング株式会社設立、代表取締役就任。平成21年代表取締役退任、経営から退く。
プラスエンジニアリング株式会社
〒171-0014東京都豊島区池袋2-47-3
TEL03(3985)3221(代) FAX03(3986)0770(代)
http://www.pluseng.co.jp/index.html
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