コラム

なぜ、東大工学部はMITやケンブリッジと単位互換をするのか

2017.05.03
オビ コラム

イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ! その34

なぜ、東大工学部はMITやケンブリッジと単位互換をするのか

  business_column201703ワタシはご承知の通り、しがない浅学非才のライターである。 でも時々大変学のある人たち、徳のある人々にインタビューをする機会がある。 で、ある取材で東大の教授にお話を伺った。   自身の口からは断言しなかったが、 それとなく「ノーベル賞のリストに入っている」的な事実を述べられていたので、 おそらくあと何年か何十年か存命であれば、その首にあの大きなメダルがかかるのかもしれない。   浅学非才のライターであるがゆえに知らなかったが、いま東大では海外の有名大学と単位交換ができるようになっている。   たとえば工学部ではアメリカのMITと単位交換ができるようになっており、まもなくイギリスのケンブリッジ大との単位交換が可能になるという(いま交渉中。しかもケンブリッジ大からオファーがあった、らしい)。   なんだか、航空会社の「なんちゃらアライアンス」や「なんちゃらワールド」みたいな世界に象牙の塔がなっているようなのだ。 超一流大学アライアンスとそれ以外のアライアンスに分かれるのか。 それとも超一流アライアンスのなかで幾つかの連合が併存するのかは分からないが、そんな感じが今後進んでいく。   そこで確認したいのは、東大がMITとケンブリッジと提携する意義だ。   その有名教授いわく、「学問的にも研究的にもMITやケンブリッジに負ける気はしない。ただ学生が海外に出ていく意義は多いにある」と。 で、続いて出てきたのが、「海外の文化に触れることが重要なのだ」という言葉だ。   厳密性をもって行うサイエンスに対して文化というものがどれほど重要なのか。ワタシは思わず問うた。 「それはいかにサイエンスと言えども、文化を無視することはできないという意味ですか」と。   白髪の目立つ有名教授は、「そうではなく、リーダーシップの問題」と答えるのである。   アメリカはご承知のように建国以来、多種多様な移民で成り立った国である。実はイギリスもそうで、自国の人口減少に悩み、移民を受け入れ多様化した。 昨今聞かれるダイバーシティという言葉は、英語であるが、そうせざるを得なかった彼の国の標語であるとも受け取れる。   白髪に銀縁眼鏡をかけた有名教授は、「母国語や宗教、食べられる物も違う、時として正義も違う人を1つの目的にもっていくために、組織をまとめ統率する力がリーダーシップ」と説く。   「日本のように単一民族で先進国に入った国は例がない。故にそういった多様な文化のなかで学ぶ経験、研究をすることが必要なのだ」と。   “ツーカー”“阿吽の呼吸”が通じるのは日本人と、ごく一部の日本通の外国人だ。昨今は日本人自体もアヤシイ。 もはや研究の世界でも協業をしないと成果は生まれない。 理系でもとくに工学系は企業の新製品開発や新市場の開拓にダイレクトに繋がる。   その研究開発プロジェクトはどんどん大きくなり、グローバル企業では世界中の拠点をネットワークして研究開発が進められる。 その時多様な文化的バックグラウンドを考慮したリーダーシップが発揮されないと、数億、数百億単位の開発費がムダになるのだ。 白髪まじりの銀縁眼鏡のおそらく将来のノーベル賞候補の教授は、そこを指摘する。   そしてその文化は我々日本人が想像する以上に多様で深い。 件の教授はケンブリッジの教授からこんな話をされて、仰け反ったと話す。   「MITの連中が話すアメリカの英語と、我々ケンブリッジの人間が話す英語と一緒にするな。彼らの使う英語は我々にとって日本語と同じくらい遠い」と。   TOEICの結果が何点以上だから十分ということではない。何点以下だからダメということでもない。 言葉はその世界と文化・価値観を司っている。 その差を知らずに使っている限り、ダイバーシティのなかではリーダーシップは機能しないということなのだ。   ただそこで生まれる齟齬や危機は、ちょっとした気遣いでカバーできるかもしれない。   「これってこういうこと?」「内容はあとでメールしておくよ」「これを聞いたらまずいよね」とかとか……。 その一言、その一手間をかけられるかが、ダイバーシティのなかの日本人のリーダーシップに求められているような気がする。   イマドキのビジネスはだいたいそんな感じだ。     オビ コラム     ◆2017年3月号の記事より◆
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