地球環境の危機、資本主義システムの崩壊、そして旧来型の人事制度の破たんによって、企業の経営基盤が揺らぐなか、今ほど経営理念(理念体系)が重要な時はありません。会社への求心力を高めるために、組織よりも個に焦点をあて、個々の人材と向き合っていくというのが最近の人事アプローチの主流となってきていますが、その時に何を語るかが非常に重要です。そこで、どうしても考えざるを得ないのが、従業員にとっての幸福と、従業員と仕事の関係の言語化なのです。簡単なようで非常に難しいテーマですが、これに明快な答えを提示している歴史的な経営者が日本には3人いると考えらます。渋沢栄一、松下幸之助、稲盛和夫氏の3人です。なかでも、理念と行動、財務諸表と連結する、従業員の幸福と仕事の在り方を、体系的に言いきっているのは稲盛和夫氏を置いて他には存在しないでしょう。稲盛氏の経営哲学は京セラフィロソフィとして体系化されていますが、それが収斂されているのが、京セラの経営理念「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること。」です。ただ、経営哲学は時とともに進化しており、近年に至っては哲学の一線を超えたようにも思われます。そこで本稿においては、経営における理念の進化のさせ方の手本として、稲盛経営哲学を考察してみることにしましょう。

 

心の幸福とは

まず、京セラ理念で謳われている、「物心両面の幸福」について、もう少し考えてみましょう。物質的な幸福については、経済的に豊かになること、つまり自身の業績を上げ、評価を上げ、収入を上げることで手に入れることができます。これは非常に分かりやすいのですが、心の幸福とは何でしょうか?近年においては精神面の幸福がより重視されるようになってきたのは間違いありません。ところが、残念ながら日本においては仕事が必ずしも従業員の精神的な幸福につながっていないという結果が出ています。

 

例えば、米ギャラップ社が、2018年に世界各国の企業で働く社員1,300万人を対象に、働く人の働きがいや幸福度を調査しました。この「エンゲージメント・サーベイ」によると、仕事や会社へのエンゲージメントにおいて日本は139か国中132位と最下位レベルでした。何より、やる気の無い人の比率が70%と高く、さらに、無気力や不満を撒き散らす人が24%を占めている。残念ながら、熱意溢れて働いている人は6%しかいないという結果になっています。

 

心理学の発達

一方、近年では、心理学の実証研究も進み、どうすれば幸せになれるのかの追求も進んできています。その結果、一定の方向性が見えてきています。ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンは、幸福を測定可能な要素に分解した、ウェルビーイング(well-being)という概念を用い、PERMAモデルを提唱しました。

 

そもそも幸福の定義が難しいので、ウェルビーイング(well-being)と称されるのですが、ウェルビーイングには、含まれる要素が多いのです。したがって、訳しきれずウェルビーイングと表記されるわけなのです。このウェルビーイングの中で、人間が持続的に心理的に好ましい状態を保つことをフラリッシュ(flourish)と呼び、このような状態は5つの領域が関係しているというモデルです。これがPERMAモデルです。

 

5つの領域とは、P(Positive emotion,ポジティブ感情)、E(Engagement,物事への積極的な関わり)、R(Relationship,他者とのよい関係)、M(Meaning,人生の意味や意義の自覚)、A(Accomplishment,達成感)のことです。

 

最近、こういった、指標を基に設計した測定ツールを基に、幸福な度合いを可視化し、マネジメントに生かそうというアプリやサービスも増えてきています。さらに、AIを活用した高度な指標化も投入されてくるようになりました。ある意味、科学の力によって、従業員にとって納得性のある測定が可能となってきているとも言えます。

 

しかし最大の問題は、そういったツールを活かしながらも、最終的に個人が持続的な心の幸福をいかに獲得していくかなのです。科学的なデータは客観性があるため、それなりに納得性のあるストーリーも作れ、施策が打ちやすいという利点はありますが、科学に拘るあまり、エンゲージメントの数値指標を上げることに熱中し、それ自体がゴールになってしまうこともあります。そうなると担当部門は施策に走り、結果として個人を見ていないという状況に陥りかねません。

 

そこで、一見効率が悪そうですが、一人一人個人に向き合い、対話を繰り返しながら、本質的に自身の幸福を高めるためには、自身の成長は不可欠なのだと気づいてもらう仕組みを構築する必要があります。成長するためには当然、楽な環境ではだめで、取り組むべき課題に全身全霊を傾ける必要があります。これが稲盛氏の提唱する価値体系においては、アメーバ経営の実践ということになります。しかしながら、次に出てくるのが全身全霊を傾ける価値のあるものを見つけるのがなかなか困難だという課題です。

 

自己実現すれば心は幸福になるか?

ポジティブ心理学の前にはアブラハム・マズローが主導する人間性心理学が流行りました。人間の五段階欲求説はあまりにも有名ですが、それによると人間の欲求はプリミティブなものから、だんだんと高次元のものに移っていくというのがその主旨でした。その頂点が自己実現ということになりるわけです。

 

ところが、自己実現を目指そうと言われても、従業員にとってなかなかイメージがつきにくいものがあります。自己実現とは自分にとっての夢なんだと言われても、資本主義経済が行きつくところまで行きつき、人口減少によってトレンドが右肩下がりになっていくなかで夢を持てといってもなかなか難しいことです。さらに、どうやら日本の文化や国民性が影響し、自己実現についてモチベーションが上がらないという状況もあるようです。

 

幸福を巡る日本人の国民性

2008年に、ミシガン大学のロナルド・イングルハートが行った調査では、GDPの大きさと、幸福度は概ね相関関係があります(一定程度GDPが高くなると相関は薄まる)が、GDPの大きな国の中でも日本の幸福度は低いという結果が出ています。この原因をつきとめるため、京都大学の内田由紀子氏らが、日米で比較研究したところによると、次のような傾向があると指摘しています。

 

米国人は、良いことがさらなる幸福を招くという、上昇的幸福をイメージする傾向があり、上昇の中に幸福を感じていること。日本人は、良いことと悪いことのバランスを重視する(負の内包)。したがって、良い要素と悪い要素は混在しており、一概にどちらだとは言えないという態度を持つこと。

 

そして、特筆すべきは、米国人が、自己価値・自尊心を満たすことや個人の目標達成に幸福感を感じるのに対し、日本人は、関係志向が強く、ソーシャル・サポートといった、他者とのかかわりにおいて幸福を見出す傾向があること。つまり、自己実現は米国人にはしっくりきても日本人には、さほどピンと来ないということです。

 

逆に、日本人は、自分が個人で何かを達成するより、チーム皆で何かを達成したほうが満足度が高いという特性を持っています。チームで一つの目的を追いかけるという仕組みはまさに、会社組織での仕事の取り組みに他なりません。誰でも理解でき、参画でき、挑戦できるものが、企業での活動ということになります。そこで、仕事を通して、個々人が成長することでチーム目標の達成に近づけるプロセスが、日本人の精神的幸福の醸成に大きな役割を発揮する可能性があります。よって、無理に自己実現目標を考えてもらうよりも、チームでの目標を達成しているうちに、幸福感に気づいていくほうが、精神的な幸福の獲得には近いのかもしれません。果たして、先述のアメーバ経営は、マイクロプロフィットセンターを通して、全員が経営参画し、経営の中で全員が達成感を味わえる仕組みとなっています。バランスコアカードよりも、アメーバ経営が好まれているのは、このような制度のほうが日本人に合うからとも言えます

 

さて、日本人が自己実現目標を持つことは困難ですが、次の段階の承認欲求はすべての人が持っているわかりやすい欲求です。したがって、仕事に邁進する態度、成果を上げたことに対してはっきりと承認(感謝含む)をすることで精神的幸福をもたらすことは現実的であると思われます。承認欲求を得る成功体験を積み、さらに承認を得たいがために努力しいることが契機となり、成長につながるのであれば、承認欲求を活かすことは大いに意識する必要があるかもしれません。また、知らず、承認を求めて成果を上げているうちに成長し、本当に自己実現したい道に気づくかもしれません。

結局のところ人は仕事を通して成長し、幸福に近づく

稲盛氏は次にように指摘しています。「そもそも人間が働く目的とは、報酬を得るためではないと考えています。人生の目的は、その自分の人間性を高めることであると信じています。(中略)では生きる中で人間性を高めていくには、どういう方法があるのでしょうか。それには哲学などの勉強をすることも有効でしょうが、もっと確実に心を高める方法があります。私はそれが『労働』だろうと考えています。働くということは、人間性を高める、人間を練磨するということについて、最も有効で基本的な手段だと思うのです。」※1

 

会社組織の中で、会社が発見した問題つまり、経営上の目標に対して、問題解決に向かって困難を乗り越えようと全身全霊を傾けると、自身の能力が高まり、目標が達成できるようになります。会社には顧客があり、取引先や、金融機関、株主、地域社会、はたまた地球環境というステークホルダーがあります。会社各部門のそれぞれの役割において、各ステークホルダーに価値提供を行うため、全力を尽くす時、相手の要求水準が高ければ高いほど、求められる努力量は多く、成長確度も上がることになります。今までの自分ならざる新しい自分に成長することによって、心を高めていく。この高め続ける終わりのない活動こそが、心の幸福ではないのかと稲盛氏は指摘しています。

 

経営哲学を超えて

さらに、稲盛氏は、経済発展至上主義から決別し、「足るを知る」経済に舵を切るべき時代に来ていると主張しています。

「私のように、企業経営者で『もはや経済成長は不要』という発言をする者は異端かもしれません。ただ、仏教を中心とした東洋思想を少し勉強した立場で考えると、いまの社会を見て、まず思い浮かぶのが、仏陀の説いた『足るを知る』という言葉です。とくに先進国には、『もう十分に満ち足りているではないか』と、自国の成長よりも、後に続く発展途上国の成長を促すような経済政策がいま望まれているはずです。そのときに必要なのが、この『知足』の考え方なのです。」※2

 

足るを知るという思想は、資本主義が生み出してきた成長が前提の経済にあって、ひたすら物質的な幸福を追い求めてきた我々に警鐘を鳴らしています。現実の地球に資源の有限性の問題があり、環境破壊の許容範囲にも限界がある以上、このまま人間の欲望に任せて、経済の成長を追いかけていてよいのか。さりとて、足るを知って次に求める成長の姿とは何なのか?どこに向かって成長するのか?

 

人間の成長を考える時、人間とは何かが最終の問いとなります。突き詰めると、過去世も未来世もわからない人間にとっては、そもそも人生の意味を明確に定義することはもとより不可能だということになります(ビントゲンシュタイン的に言えば、問いが無意味であると)。したがって、人間存在自体が人智を越えているものである以上、考えれば考えるほど宗教の領域に近づいていきます。あるいは経営者の死生観のようなものになると言っても良いでしょう。さて、一方でこの広いパースペクティブの中で思索することによって、今、従業員ともに成そうとしている会社の仕事の意味をより新たに発見することができます。

 

稲盛氏の経営哲学を参考にしつつ、広い視野を持って従業員のことを考えると、どのような事情があれ、わが社で働いてくれていることに関して特別な意味が見えてくるはずです。地球ができて46億年、人類が二本足歩行を始めたのが約500万年前、農耕文化が生まれたのが約1万年前。今地球に70億人の人類がいて、建国してから1300年以上の歴史、文化を持つこの日本の中の、たまたま令和のこの時代に、ビジネスパーソンとしての活動期を同期し、この場所にあるわが社に集ってくれている従業員たち。この仕事をするための集まりはいったい、どういう意味を持つのか。何か特別なミッションを担っているのか?そのような意味を考えたほうがよいのか、考えないほうが良いのか?

 

この数奇な巡り合わせと、一方では資本の欲望に任せた地球資源の乱獲、グローバル化、IT化が進んだことによって、かえって地球の有限性や人のかけがえのなさ、共通認識の重要性が浮き彫りになってきた今日、改めて死生観を問い直し、経営哲学を見直して、高める時期がきていると言えます。

 

そもそも多くの働く人々は成人すると、いかにあるべきかの教育を受ける機会がなくなり、言われた職務さえ全うしていれば、倫理道徳なくとも過ごせる物質的に豊かな世界に生きています。一方、経営者は多くのリスクを背負い、日々刻々と困難に対峙し、ひとり思索を深めているのです。そして、リーダーであるからこそ、従業員に見えてなくて、自身にはありありと見える景色があります。見える立場によって哲学を生み出し、人を感化できるのも経営者の重要な役割と言えるかもしれません。稲盛氏の経営哲学は、ついに哲学を超え、宗教的領域にも広がり、我々により深く考えるべき思索の機会を与えてくれます。

 

最後に、稲盛氏は経営者になったからこそ、哲学を磨く必要性を感じたとしています。

「学生時代は学生服を買うお金もなく、ジャンパーを着て下駄をはいて大学に通いました。

そういう田舎者が、鹿児島から出てきて4年もたたないうちに、京セラと言う新会社の経経営を任されることになったのです。そうなると、その瞬間から経営のトップとして従業員をまとめていかなければなりません。(中略)それは一介の技術者に過ぎなかった私にとって、大変な問題でした。そのとき私は、私自身が立派な考え方や人生観というものをもっていなければ、決して人をひきつけることはできないだろう。だから、立派な経営をしていくためには、私自身の考え方・人生観・哲学というものを磨いていかなければいけないのではないか」と思ったわけです。※3

 

さて、経営者自身の経営哲学について多くの経営者にお聞きすると、「道」のようなものだと表現される方が少なからずおられます。何かを極めていきながら、人間性を高めていく在り方が、日本企業の経営には合っているのかも知れません。道なのだとすれば、経営者の生きる姿勢、生き様が、言葉になることで、徐々に従業員の心の在り方を高めるものとして、伝わっていくことにもなります。そしてもし、道なのであれば、経営者が成長すると同時に、従業員も成長し人間性を高めることができます。稲盛氏はこのことを「魂を磨く」と表現しています。つまり、磨き続けることが重要なのであって、実はゴールというものもなく、磨き続けるというのが、心の幸福なのだ、磨き続ける以外にあとは何もいらないではないかとも受け取れます。是非、これを機に理念の見直しや経営哲学の深化に繋げて頂けますと幸いです。

 

特定非営利活動法人 日本ITイノベーション協会 理事長 増山弘之

 

※1稲盛和夫、梅原猛 哲学への回帰 PHP

※2稲盛和夫、梅原猛 哲学への回帰 PHP

※3稲盛和夫 京セラフィロソフィ サンマーク出版