オビ コラム

準備を整え素早く動く

◆文:筒井潔(創光技術事務所 所長)

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「準備を整え素早く動く」という戦い方について、孫子の中では次のような記述があります。甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」の原典でもあります。

 

故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変と為す者なり。故に其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。郷を掠むる(かすむる)には衆を分かち、地を廓むれば(ひろむれば)利を分かち、権を懸けて而して動く。先ず迂直の計を知る者は勝つ。此れ軍争の法なり。(軍争編第七)

 

どういうことかと言うと、次のようなことです。軍隊は敵の裏をかくことを中心とし、利によって行動し、分散と集合によって変化するものである。よって風のように迅速に、林のように息をひそめ、火が燃えるように侵奪し、山のようにどっしりと腰を落ち着け、暗闇にいるかのように身を隠し、雷鳴が轟くように動き、村落をかすめ取って民衆を分断し、領地を広げたいときには利を地域に分配し、万事についてよく見積もりを立ててから動くべきである。迂直、すなわち、遠くのことを近くに引き寄せる謀りごとを知っているものが勝つのである。これが戦争における原則である、ということです。

 

「準備を整え素早く動く」という戦い方で連想するタームがあるとすれば、「xx革命」や、「yyショック」の名前で歴史に残っていることかもしれません。

歴史を振り返ってみれば、前者については、政治的なものだけに限定しても、フランス革命、ロシア革命、アメリカ独立革命など多くの革命があります。ハンナ・アーレントが「革命について」という本を書いています。この本の中で、「革命」という言葉は元々、天文学の用語であったとハンナ・アーレントは書いています。

そして、「革命」とは、(1)その運動が人間の力では押しとどめられないものであること(2)循環する周期運動であること、の2つの意味があるといいます。現在、「革命」というと前者のことを連想する人が多いのではないでしょうか。

ハンナ・アーレントによれば、「革命」の第一の意味が重要視され、第二の意味は軽視されるようになったのは、1789年7月14日夜からだといいます。バスティーユ襲撃の日です。バスティーユ襲撃の知らせは直ちにヴェルサイユにいる国王ルイ16世の元にもたらされました。ルイが「暴動か?」と問うと、側近のラ・ロシュフコー=リアンクール公爵が「いいえ陛下、これは暴動ではありません。革命です」と答えた逸話が知られています。暴動であれば、国王は軍を使って事態を収拾させることができるが、革命であれば、人間の力ではどうにもならず、つまり国王といえどもどうにならない、という意味です。

 

フランス革命とロシア革命は、ブルジョア革命です。ブルジョア革命の定義として、フランス革命からの演繹から、「封建社会から近代資本主義社会への転換を実現するべく、新興の資本家とその利益を担う政治勢力が中心になって、封建支配のもとで苦しんだ市民などの社会層を決起させ、封建社会の支配権力を打倒し、資本主義社会に道を開く政治権力を打ち立てること」とするものがあります。

 

この定義を用いることで、明治維新によって成立した政権は絶対主義政権であるから、明治維新は革命ではあるがブルジョア革命ではない、という議論もありますが、そんなことはありません。明治維新とはフランス革命と同様、ブルジョア革命です。

明治維新を実際に指揮したのは勃興した都市商人階層とその利益を担った下層武士団でした。都市の大商人たちは維新軍の財政を一手に引き受けていました。下層武士団と都市の大商人たちが都市ブルジョア階級を構成し、封建制度のもとで苦しめられていた農民、下級武士、天皇のまわりの下級公卿と貴族と連合し、この力で薩摩藩と長州藩などを連合させ、「倒幕・王政復古」を実現したのです。明治維新後、日本も資本主義社会の仲間入りを果たしました。

 

革命の第二の意味、すなわち、循環する周期運動であることについて、アーレントはアメリカ独立革命で重要であったと指摘します。つまり、「アメリカの知識人は、ヨーロッパの伝統ではなく、それ以前のローマにあこがれを抱いていた。それが、超越的なつながりではないつながりを持っていた時代だったからである」と述べ、アメリカ独立革命に関わった人々は、新しいローマの建設を意識していたと言います。

 

歴史上の政治的な出来事で「ショック」の名前が付与されているものは、1971年の「ニクソンショック」です。当時のアメリカ大統領であったニクソンは、国内から失業とインフレに対処する新たな措置が求められている状況の中、新経済政策を発表します。その中でニクソン大統領は、次のように宣言をします。

 

「…最近数週間、投機家たちはアメリカのドルに対する全面的な戦争を行ってきた。…そこで私はコナリー財務長官に通貨の安定のためと合衆国の最善の利益のためと判断される額と状態にある場合を除いて、ドルと金ないし他の準備金との交換を一時的に停止するように指示した。…この行動の効果は言い換えればドルを安定させることにある。…IMFや我々の貿易相手国との全面的な協力の下で、我々は緊急に求められている新しい国際通貨制度を構築するために必要な諸改革を求めるだろう…」

つまり、金とドルの交換禁止を宣言したのです。しかし、金とドルの交換を止めてもドルの信用は回復せず、1971年12月にはドルは切り下げざるを得なくなります。スミソニアン体制と呼ばれています。それでも固定相場制を維持するのは難しく、各国が変動相場制に移行するのは、スミソニアン体制が始まってわずか1年3カ月後のことです。

 

アメリカという国は、これまで二度、通貨体制の変革をすることによって世界に対する影響力を強化してきました。一度目は第二次世界大戦の終局において、世界の基軸通貨をイギリスのポンドからアメリカのドルに変化させた時です。金(ゴールド)と交換できる資格をドルのみに与え、他の通貨に関しては、ドルとの関係を固定させるという戦後体制であり、ブレトン・ウッズ体制と呼ばれている体制です。

このブレトン・ウッズ体制の構築のためにアメリカが周到な準備を行っています。アメリカ財務省が、第二次世界大戦後の国際経済体制の検討を始めたのは、真珠湾攻撃から一週間後の日曜日でした。ハンス・モーゲンソーという財務長官が、部下のハリー・デクスター・ホワイトに調査を命じた日です。いわゆるブレトン・ウッズ体制案が出来たのは、1944年7月、終戦の1年以上前のことです。

 

戦後にアメリカはケインズとの理論闘争を経験します。ケインズは「決済同盟」を提案します。決済同盟とは、国同士で差額清算決済を行おう、そのために世界手形決済所のようなものを作ろう、というケインズの提案によるものでした。ある国にしてみると、複数の国とお金のやり取りをしますから、場合によっては時間のずれが生じ「当座貸越」を与える必要があります。その際の通貨として、「パンコール」という新しい通貨を作ろう、というのがケインズの案でした。しかし結局、ケインズの案はアメリカによって潰されます。

 

そして二度目がニクソンショックです。世界経済への影響という点では、金とドルの交換の禁止より、その後のドルを基軸通貨とする変動相場制への以降の方が大きいものでした。金の裏付けが必要なくなったドルは、輪転機を回すだけで得ることができるようになりました。そしてアメリカは、消費需要の拡大をドルによって賄えるようになります。

ニクソンショックをきっかけとするドルを基軸通貨とする変動相場制が重要なのは、これをきっかけにアメリカは新興国に容易にモノを売ることができ、アメリカの軍需産業を潤すことができたという点かも知れません。

 

最近では、中国が資金力にものを言わせて、アフリカなどの新興国に積極的に進出していますが、それは中国がアメリカの真似をしているだけという見方も出来ます。アメリカの軍需産業に資金繰りがついたことでアメリカはわが世の春を謳歌し、世界の警察としての地位を保全することができ、東西冷戦にも勝利することが出来たのではないかと私は思います。

ケインズのアイデアはアメリカによって別の形で用いられました。1967年から70年にかけて作られたIMF特別引出権(special drawing rights=SDR)のことです。SDRは、アメリカの経常収支赤字が膨らみ、アメリカが外国に対して持つ売掛金が膨らんだ時期に導入されました。

大雑把に言えば、IMFへの出資比率に応じてその国が支払い手段として持つ外貨準備金のようなものです。現在は、SDRが導入された頃とは異なり変動相場制なので、SDRは主要通貨の加重平均(バスケット)で決まります。バスケットを構成する通貨は、ドル、ユーロ、円、そしてポンドです。

 

SDRについて触れておくべきことは、2015年の今年、アメリカの反対にも関わらず人民元がバスケットに加えられようとしていることです。このことの意味については後ほど触れますが、G20の金融問題会合を翌月に控えた2009年3月に当時の中国人民銀行総裁の周小川(しゅうしょうせん)が「Reform the International Monetary System(国際金融システムの再構成)」という論文を発表したことに端を発します。中国も用意周到に「何か」を準備しているのでしょう。中国は孫子を生んだ国ですから。

周小川論文を受けてか受けずしてか、2010年11月に、世界銀行総裁のゼーリックが英フィナンシャル・タイムズ紙への寄稿で、ドル、ユーロ、円、ポンド、人民元を巻き込んだ新たな通貨協調制度を提唱し、「インフレ、デフレ、将来の通貨価値に関する市場の見方を示す参考指標として金を使用すべき」と主張しています。この後ゼーリックは欧米メディアにインタビューを受け、総裁は「金本位制や固定相場制に戻すことを狙ったものではない」としながらも、通貨価値や物価を測る「指標」として金を活用すべきだと説明しました。ゼーリックを「ブレトン・ウッズⅡ」のように言われることもあります。

 

いよいよ本論に入りたいと思います。

今回、話したいことは、言ってみれば、基軸通貨をめぐるアメリカと中国の駆け引きと、仮想通貨革命の可能性です。(つづく)

 

※以下の見解は、事務所、会社としての見解というより、所長である私個人の見解であることは先に断っておきます。所内にもいろいろな意見があります。

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〈筆者プロフィール〉

筒井潔

筒井潔(つつい・きよし)…経営&公共政策コンサルタント。慶應義塾大学理工学研究科電気工学専攻博士課程修了。財団法人技術顧問、財団法人評議員、一般社団法人監事、一般社団法人理事などを歴任。大学の研究成果の事業化のアドバイザとしてリサーチアドミニストレータの職も経験。現在、合同会社創光技術事務所所長、株式会社海野世界戦略研究所代表取締役会長、株式会社ダイテック取締役副社長等を務める。共訳書に「電子液体:電子強相関系の物理とその応用」(シュプリンガー東京)、共著書に「消滅してたまるか!品格ある革新的持続へ」(文藝春秋)がある。

 

2015年7月号の記事より
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