オビ 企業物語1 (2)

派遣型から受注請負型へ。エンジニア業界の常識をぶち壊し、新たな仕組みで急成長!

〈引きこもり時代を経て得た「気づく力」が成功の鍵〉

株式会社シンクスクエア/代表取締役社長・ITコンサルタント 田中健一氏

オビ ヒューマンドキュメント

 

「この仕組みをぶち壊したい」─。

IT業界の実態に見切りをつけ独立した若きエンジニアは、10年後、自社シンクスクエアを非常識な仕組みで急成長させた。

同社が転換した仕組みはシステム開発の現場ではありえない受注請負型、エンジニアたちは全員営業までこなす。

 

そんな非常識さをもって業界に挑み続ける経営者・田中健一氏の過去は、プログラミングオタクの引きこもり。しかしこの引きこもりの経験が、後の成功へのフラグを立てていた。

非常識な成功へと導いた田中氏の「気づき」とは何か。株式会社シンクスクエア代表取締役社長、田中健一氏にお話を伺った。

 

 

順調だったビジネススタイルを一転。ワンストップ受注請負型へ

システムエンジニア(SE)によるITソリューションを提供する株式会社シンクスクエア。最大の特徴は「受注請負型」だということだ。同社がプロジェクトごと受注し、社内のチームで構築したソリューションを提供する。

SEがプロジェクトごと客先に常駐する派遣型が業界の常識の中、このスタイルで業績を順調に伸ばしていることは非常に珍しい。ITソリューションの主な提供先は中小企業だ。

 

「人口減少の中で、ITの役割とは何かを考えると、それは業務効率化です。この業務効率化を一番必要としている中小企業への貢献が我が社のミッションです」と、同社代表取締役社長・田中健一氏は言う。

 

同社の設立は2006年。大手IT企業から独立し、フリーランスのエンジニア活動の後に起業した。主にクラウドのITソリューション最適化サービス「Thinkumo(シンクモ)」の提供、企業の情報システム部門の自立支援、システム開発・構築を行っている。

現在の業務スタイルに方向転換したのは2008年。世界中の経済が混乱したリーマンショックがきっかけだった。

 

「ひとつの大企業との取引だけに頼るのではリスクが大きいと知りました。その企業が倒産してしまったら連鎖倒産になりかねません。ならば、本当にIT化を必要としている多くの中小企業と取引して、リスクを分散する必要があると考えました」

 

同時に、中小企業へのニーズ喚起・営業から提案、導入、アフターサービスまで一貫して行う〝営業もできるエンジニア〟を育て、派遣型からワンストップの受注請負型にシフトした。

しかし、前例がない方向転換は一筋縄ではいかなかったという。それでも、田中氏が独立時に胸に秘めていた決意は「気づき」を引き寄せた。この成功へと導く「気づき」の原点は、同氏の才能が開花した幼少時代へと遡る。

 

 

自分で作りたいものを作れる!プログラミングの可能性に歓喜

神奈川県川崎市で育った同氏は、小学校低学年時代は明るく成績も良く、クラスの人気者であったという。

 

「でも、宿題がどうしても出来なくて、高学年になるにつれて成績が落ち始めました。そしてだんだんと自信がなくなっていきました」

 

そんな時、遊びに行った友人宅で、パソコンでオリジナルのゲームを作れることを知る。

 

「その頃ファミコンが流行っていたのですが、ソフトをあまり買ってもらえませんでした。自分でゲームを作ることができるのなら、それは素晴らしいと思ったのです」

 

父親に頼み込んでパソコンを与えてもらい、ゲームを作るプログラミングに夢中になった。

 

「プログラミングばかりやっているので、成績は下がる一方。不登校気味で、母親や学校は心配していました。でも、父親だけは〝やりたいことがあるならやり続けるべき〟と、味方をしてくれて。小学生の自分でも好きなものが作れる、プログラミングの可能性の高さを感じて夢中でしたね」

 

そうしてプログラミング漬けのまま高校入学。「お前にも行けるぴったりの大学がある」と先生に言われたのが、UNIXとJava言語などコンピューター教育に重きをおいていた稚内北星学園短期大学だ。

 

「最新のIT環境があって、しかも自分の学力でプログラミング言語が学べる大学はここしかありませんでした」

 

当時、同大学の学長は日本のJava第一人者である丸山不二夫氏だった。

田中氏は、Javaを丸山氏に師事しプログラミングの腕を極めていった。

 

「環境としては最高です。周りに何もないので勉強するしかないんです。プログラミングするしかやることがなかったんですよ」と笑って振り返る。

 

 

理想と現実のギャップに苦悩。業界の仕組みをぶち壊したい

最高の腕を持つエンジニアに成長した同氏は、大学の推薦で伊藤忠テクノソリューション株式会社へ就職。就職氷河期の中の快挙であった。

しかし、同氏には違和感がつきまとい始める。

 

「エンジニアの命は高い技術力です。その技術力でものづくりを行います。でも、その命は必要とされませんでした。経済のパワーバランスを保つためだけに、エンジニアは受身の業務をすることしかできない仕組みであることに気づきました」

 

ひたすら受身の作業を行うジレンマとストレス。エンジニアが壊れていく原因だ。

 

「このシステムをぶち壊したい」。その思いがピークに達した時、同氏は独立した。ぶち壊しのスタートだった。

 

 

「自分の腕で社会貢献している」実感がもてる受注請負型

フリーランスの活動後2006年に同社を設立。2008年にメインターゲットを中小企業に変え、SE派遣型を受注請負型に転換した。

業界の常識をくつがえす受注請負型にシフトした理由について、「社員を大切にしたいという思いがありました」と同氏は言う。

今までと同じエンジニア派遣型スタイルでは、同氏が感じた違和感のように、やりがいを感じず壊れてしまうかもしれない。さらに、社員はどこの会社の所属なのかわからなくなってしまう。

「自分の技術力を以って社会に貢献しているという、自覚を持てるようになって欲しいのです」と、同氏は言う。

 

さらに、中小企業への営業が急務であった。スタイルをシフトしてから新規の受注はなくなっている。

しかし、通常に営業をしようにも、ITリテラシーが高いとは言えない客先はまずITの必要性が理解できていない。営業は、問題を掘り起こしニーズ喚起から行わなくてはならないのだ。

 

「例えば、中小企業は大企業と違い情報システム担当がいません。セキュリティの概念も薄いため、辞めた社員が自分のPCで会社のデータを取り放題ということも、普通に行われています」と同氏は指摘する。

 

「ITは人間の作業では困難で難解な部分を代行する道具です。中小企業こそITが必要なのに、理解してもらうのにはゼロベースからの教育が必要なのです」

 

 

前代未聞。営業も提案もできるシステムエンジニアを育成

通常ならば、ここで営業専任の人材を募集するだろう。しかし、同氏はまたも非常識な「営業もできるSE」の育成を始めた。

 

「大企業でも小さな組織でも、SEと営業は仲が悪いんです。険悪になってしまってはチームが回らなくなってしまいます。大企業ならそれで切磋琢磨して良いものができる場合もありますが、うちのような小さな組織では、1人で営業もできた方が効率的だと考えました」

 

また、中小企業へゼロからのニーズ喚起を行う上でも、SEが営業できることはメリットになる。

 

「技術がわかる人間がお客様に説明するのが一番早いのです。お客様が抱えている問題と要望について、的確にアドバイスをして提案ができます」

 

営業もできるSEであれば、ニーズ喚起から提案、ITソリューション提供、アフターケアまでワンストップでできる。客先企業に最適なものを提供するミッションが可能となるのだ。

 

 

気づく力育成で身につくエンジニアの基礎と営業力

日々行うワックス掛けや雑巾掛けなど、業務とは関係のない作業の中でもスタッフはさまざまな「気づき」を得ることができる(写真上)。また、道具をきちんと整理整頓するのも「環境整備」の一環。誰が持ち出したのかが分かるように、番号欄に使用者の名前を書いて管理している(写真下)。

SEの営業スキルを磨くに当たって、同氏が編み出した教育方法が「環境整備」だ。毎日ワックス掛けや雑巾掛けを、全員が回り順でそれぞれの作業を行う。

 

「おしゃべり必須です。この時間が相手の問題や自分の課題に気づく訓練になるのです」

 

業務と関係のない作業を「おしゃべり」しながら行うことで、自然なコミュニケーションが増え、現在の仕事の状態や他のチーム、担当者の課題に気づくことができる。

この「気づく力」を養うことで、様々な視点から客先の問題を見抜き、説得力のある喚起・提案が可能となるのだ。

 

また、問題を解決する方法を見つけ出しソリューションを提供するためには、高い技術力が必須だ。同氏はエンジニアの技術指導にも「気づく力」を利用する。

 

「まずはやってみて、理屈はあとで教えます。何度もやってみて、自分が予想した理屈と正解を照らし合わせて気づきを増やしていきます。そうして身についた技術は絶対に忘れません」

 

これらの「気づく力」強化型の人材育成について、同氏は「反面教師の結果です」と言う。

 

「自分はやりたいことだけやって、心配してくれる親や先生のことを考えていませんでした。人の気持ちに気づくことができなかったことで苦労したことを反省して、今社員にやってもらっているだけです」

 

心配しながらも、才能を信じ、開花させてくれた父親と教師。彼らの思いに同氏が気づいたからこそ、「反面教師」という名の学びとなり、今の成功を引き寄せている。

 

 

若手を積極採用育成。全国へシェアを広げることが目標

将来の展望について「全国の中小企業へシェアを広げることです」と同氏は言う。

 

「中小企業は今、慢性的な人材不足で、働き方問題を抱えています。ITによる業務効率化を推進していきたいと思っています」

 

現在は、若手新入社員を積極的に採用し育成している最中だ。すでに成長した社員たちからは「他の会社ではできないような仕事を任されている」「仲間と一緒にものづくりができる」「ビジネスの力も習得できる」とやりがいを感じている声が多いという。

 

「まずは、潰れない会社を構築していきたい」という同氏に、天下を取る予定を聞くと「まだ先です。今のわたしのポケットには大き過ぎます」と笑った。

 

 

 

業界の悪しき慣習へ挑み、非常識な方法で成功を続けるシンクスクエアの「気づく力」。この力は、エンジニアの命を取り戻し、新たなビジネススタイルを構築していく。

シンクスクエアが生み出す「新常識」に期待したい。

 

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

田中健一(たなか・けんいち)氏…1976年生まれ、神奈川県川崎市出身。小学4年生でプログラミング言語を習得しオリジナルのゲームを作る。1998年稚内北星学園短期大学卒業後、伊藤忠テクノソリューションズに入社。2002年創業、2006年株式会社シンクスクエア設立。代表取締役就任。

 

●株式会社シンクスクエア

〒108-0014 東京都港区芝5-31-17 PMO田町4F

TEL 03-6453-7261

http://www.sync2.co.jp

 

 

 

◆2017年6月号の記事より◆

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