株式会社フクナガエンジニアリング 代表取締役 福永政弘

戦後間もない大阪の町で、小さなスクラップ屋として産声をあげた株式会社フクナガエンジニアリング(以下、フクナガエンジニアリング)。現在の同社を支える中核事業は、タイヤ事業とフレコン事業。これらはいずれも、スクラップ現場のニーズに端を発する。

業界の慣習に挑み、ゼロからイチを創る発想力を発揮しながら、バブル崩壊後の約30年を歩んできた同社。ベトナムに続き、エチオピアへの進出も果たした今、未来に向けて次なる「種」を探すべく、ミッション経営へと舵を切った。創業者である祖父、二代目のベンチャー精神を引き継いだ三代目・代表取締役の福永政弘さんに、同社の歩みとミッション経営に込められた社員への想いを伺った。

フクナガエンジニアリング本社外観

戦後間もない大阪市城東区の下町で、小さなスクラップ屋として産声をあげた株式会社フクナガエンジニアリング(以下、フクナガエンジニアリング)。現社長・福永政弘さんの祖父の代で創業し、父にあたる二代目社長が承継、金属リサイクル事業を営む福永商店として名を成した。

現在は、創業事業のノウハウと持ち前のベンチャー精神を生かしてフレコンバッグ(フレコン)事業、タイヤ事業、金属リサイクル(リメタル)事業の3事業を展開。果敢に海外へも進出し、ベトナム法人設立に続いてアフリカ・エチオピアへの進出も果たした、稀有な中小企業だ。

外部環境の変化を受けて傾き始めたスクラップ業を縮小する英断を下し、再起させた会社を海外展開まで導いた立役者が、三代目の政弘さん。大学卒業後は貿易会社に就職して大阪を離れていたが、稼業を立て直すべく舞い戻った。

バブル崩壊後からコロナ禍までの時代を生き抜いてきた同社だが、タイヤ事業とフレコン事業の創成期からそれぞれ約30年と約20年を経た今、停滞感は否めない。コロナ禍という逆風も襲った。「次の10年、20年に向けた飛躍を遂げるには、根本的な経営改革が必要だ」。政弘さんは、ミッション経営へと舵を切った。

ミッション経営への転換「社会に埋もれている種をみつける」

工場にて、タイヤ事業の説明をする福永社長

「死ぬときにお金をもって逝けるわけじゃない。限られた人生を悔いなく全うするには、どうあるべきか」。

経営の立て直しから海外進出までひた走ってきた政弘さんは、ある経営コンサルタントとの会話を機に、自問自答した。

「海外展開が成功して経営は安定したが、社内の人を大切にする視点が欠けていたかもしれない。過去には優秀な人材の流出もあった。事業の落ち込みはないものの、目立った伸長はない。状況が変われば、財務基盤も揺るぎかねない」

危機感を抱いた政弘さんは、3人の役員をオンライン会議に招集し、ミッション経営の重要性を訴えた。コロナ禍1年目、転換の必要性と方向性を徹底的に話合い、経営陣の意識のすり合わせを行った。2年目に入り、ようやくミッションが固まり、6つのバリューへと落とし込んだ。

掲げたミッションは、「社会に埋もれている種をみつけて新しい価値に育てよう」。既存事業の「深化」と新たな領域の「探索」の両利きの経営を目指すもので、「会社で働く一人ひとりが、仕事を通じて自分の夢を実現できるよう後押しする」ことを確認した。

こうして完成したミッションは現在、経営陣からマネージャー層、そして全社へと、浸透していく過程にある。

慣習に挑んだタイヤ事業「ユーザーを見て商売しよう」

工場の様子

ミッションの中核にある「種の発見」と「新価値の育成」は、同社の歴史を遡ると、実は同社が得意としてきたことだと分かる。

創業事業であるリメタル事業を大幅に縮小し、新事業に資源を集中するという判断は、安全圏からの脱却を意味する。容易なことではなかったはずだが、外部環境の変化を冷静に見極めた末の英断だった。

「モノが作られなくなる国で、スクラップの量は増えない。残りの事業に集中しよう。幸い、我々にはタイヤ事業がある。フレコン事業も育てられる。そう考えて、決断しました」(政弘さん)。

タイヤ事業は、二代目社長が見出した“種”から芽吹いた事業だ。スクラップ現場などに乗り入れる車両は、釘や鋭利な部品に乗り上げてタイヤがパンクする危険性がある。そのため、産業用のノーパンクタイヤが装着されるが、コストが嵩むうえ、乗り心地も悪い。

そこで、現場のニーズを捉えてタイヤのパンクを防ぐカバーのような製品を開発、国際特許まで取得した。

諸事情で同製品の事業化は頓挫したが、スクラップ現場で捉えたニーズと政弘さんのコネクションが活き、ノーパンクタイヤの委託製造・販売を開始した。
政弘さんは、「父の夢だったタイヤ事業。なんとか形にしたくて、攻めの姿勢で商売しようと心に決めていました」と振り返る。

どう「攻め」たのだろうか。タイヤ事業を始めた当初、同社も他社に倣い、ディーラーを介した販売方法をとっていた。ディーラーを介せば一定の売り上げは確実に確保できる。一方で、大手が優先され、後発で小規模な同社は弱い立場に追いやられる。不甲斐なさが募った。

「我々がタイヤ事業に参入する意味は?」悩んだ末、「業界のしがらみがないからこそ、エンドユーザーを見て商売しよう」と決意し、ディーラーを介さない直接販売に乗り出した。
慣習に囚われない方法で果敢に攻める商売への風当たりは強かったが、2020年にはついにユーザー売り上げ比率(直接販売の比率)が50%を超えた。

スクラップ現場で見つけた「種」、フレコンバッグの常識を覆す

フレコンバッグの検品作業の様子。フレコンバッグがスクラップ現場の救世主に

フレコン事業もまた、リメタル事業の現場で「種」を見出し、既成概念を打破することで生まれたビジネスだ。

スクラップ現場では、重くて鋭利な金属部品を運ぶために、さらに重く丈夫な金属容器を使用していた。運搬用のトラックには重量制限があるため、容器が重いと運べる量は限られる。過積載の問題も頻発していた。

「なんとかならないだろうか?」思案した政弘さんの頭に閃いたのが、前職の貿易会社で目にしていたフレコンバッグだった。

フレコンバッグは、樹脂繊維を編んで作られた丈夫な袋で、韓国で製造した合成樹脂を日本に輸入するのに使われていた。当時は一部の大手メーカーしかアクセスできない代物だったが、なんと港で荷物を積みだした後は産業廃棄物として捨てられていたのだ。

そこで政弘さんは、前職のコネクションを辿って交渉し、廃棄されていたフレコンバッグの回収に乗り出した。縫製を繕い、中古品としてアクセスしやすい価格で10枚単位で販売したところ、大当たり。レアメタルを扱う現場を中心に需要が伸び、次第に中古品だけでは追い付かなくなった。

数枚単位で即日発送のフレコンバッグを必要とする業種は、スクラップ業者だけではない。農業、建設業、業種を問わずクライアントが拡大し、フレコン事業は同社の中核事業へと成長した。

同社のフレコンバッグの製造は現在、2014年に現地法人を設立したベトナム・ハノイの生産拠点が担っている。同社がベトナムに進出した当初、現地ではリメタル事業を中心に展開していたが、環境の変化とともに現在のフレコンバッグ事業へと形を変えた。

 

「対等な関係性を培うことが、日本企業が果たすべき役割」

エチオピアとのつながりが新たな事業の種を生む。イベント、エチオピアンナイトの様子。同社の社員も参加しているとのこと。

政弘さんがベトナムの市場調査を開始した10年以上前、ベトナムには、ホンダやスズキなどの自動車メーカーの下請けを担う部品メーカーが多数進出していた。よって、アルミの需要に供給が追い付いていないにもかかわらず、現地で十分に循環していない現状があった。

そこで、同社は率先して現地に金属リサイクル技術のノウハウを伝授した。リメタル事業では一定の成果を収めたものの、じきに現地のメーカーだけで技術をまかなえるときが訪れた。

国内同様、海外でも外部環境に応じた変化は必至だ。ここ10年前後のハノイの変遷を目撃してきた政弘さんは、現地のメーカーや働く人々に対する心境の変化をこう語る。

「ベトナムなどの新興国は、日本から技術を学びたいと思っている一方で、アウトプットばかり求めていては、先はない。彼らと対等な関係性を培うことが、日本の企業が果たすべき役割ではないか。目先の売り上げばかり考えていては時代の荒波を乗り越えていけない」

現在は、単にQCD(品質、価格、納期)を合わせるだけの製造ではなく、川上から川下まで見渡したものづくりの「考え方」自体を伝えるビジネスモデルを模索している。

そもそも同社では、いち早く海外留学生の積極採用を行っていた。「海外からの留学生の中には、優秀な人材が豊富」と、高く評価する。政弘さんが海外からの目線に敏感なのは、彼らの目線を通して、会社を、そして日本を見ることができるからかもしれない。

 

廃タイヤリサイクルでエチオピアの課題解決に貢献

2018年から調査に乗り出したアフリカ・エチオピアでも、現地課題の解決から発想することに変わりない。

内戦で国内情勢が不安定なエチオピアは、国内調達できる資源の不足と外貨不足にあえいでいる。しかし、「将来性はある」と、政弘さん。「かつてのベトナムもそうでした。エチオピアも10年後、20年後には必ず、内戦や貧困を乗り越えて経済発展するときが訪れます」と、確信を込めて話す。

 

「少子高齢化の一途をたどる日本を出て、海外へとマーケットを拡大しなければ生き残れない」。日本企業の多くが共有する危機感だろう。しかし、本格的に海外展開している中小企業はまだまだ少ない。まして、アフリカ・エチオピアというと、大企業でさえ慎重になる場所。なぜフクナガエンジニアリングはエチオピアへ向かったのか。

「今やアジアは誰でも行けます。誰も行かないアフリカのニッチな場所なら、我々のような小さな企業でも勝てるチャンスがある」。実際にエチオピアでビジネス展開するロードマップは見えているのだろうか。

 

「エチオピアの課題は、資源と外貨が少ないことです。そうすると、農業で作物を生産するか、国内で調達できる資源を活用して産業を作るかということになります。そこで調べてみたところ、エチオピアには未処理の廃タイヤが大量に放置されて問題になっていることが分かりました」

廃タイヤのリサイクルは、同社がこれまで手掛けてきた事業の技術とノウハウを活用して、大いに貢献できる分野だ。すり減った産業用タイヤの外側を削り、新たにゴムを貼り付けて再生(=リトレッド)することで、中古タイヤを新品同様のタイヤへとよみがえらせる。この技術を現地に伝え、さらにビジネスモデルも搭載することで、産業を生み出すことができるのだ。

イベントで出されたエチオピアの食事。

「やりたいことができる生き方を」ミッションに込めた想い

新事業創出に向けて新たなミッションを打ち出し、エチオピアという新天地でビジネスが動き出したフクナガエンジニアリング。その視線は、創業時のDNAを引き継ぎながらも、確実に未来へと向いている。

 

一方で、チャレンジには痛みもつきものだ。「ミッション経営の落とし穴が、自分の夢に気付いた人は辞めてしまうってこと」と苦笑する政弘さん。「でも、『そのときは喜んで送り出してあげよう』と、役員たちと話しています。綺麗事に聞こえるかもしれないけれど、去られることを恐れて飼い殺すようなことはしたくない。経営ってそんな次元のものではないはず」と、決意は固い。

「私は自分の夢や信念に沿って経営をすることができています。そんなふうに、自分がやりたいことができる生き方を、彼らにもさせてあげたい。それが仕事と多少なりともつながれば、とんでもなくモチベーションが上がるでしょうから」

次の未来を創る種は、そんなモチベーションから見出され、発芽するのかもしれない。

 

◎企業概要 企業概要、事業内容などを箇条書きで記載。

会社名:株式会社フクナガエンジニアリング

URL:https://www.ecosoft.co.jp/

本社所在地:大阪府大阪市城東区鴫野西5-13-30
設立:1994年
代表者:福永政弘
海外拠点:ベトナム・ハノイ、VIETNAM FUKUNAGA ENGINEERING Co., Ltd.