ニーズはいつも現場(使う人の側)から生まれているーー

今や衰退の危機とすら言われている日本のモノづくりを再生するには、この原理原則に立ち戻り、新興国には到底マネのできない、真に求められる付加価値の高い製品を開発するしかない。

そう思っていた矢先に、まるで申し合わせたかのようにユニークな情報が、雪国新潟から舞い込んできた。とある中堅の測定工具メーカーが、こんなものがあればいいなと思うアイデアを、広く一般から募る「測定工具コンテスト」を始めたというのだ。

それも聞くと、単なる話題集めではないという。早速取材に赴いた。そこで見えてきた本当の狙いとは何か。

キーワードは”チェンジ=変革”である。

 

ユーザーの意識は確実に上がり、購買傾向もはっきり変わった

コンテストを実施しているのは新潟精機(本社・新潟県三条市)。SKマークの〝ゲージ〟をつくっている会社といえば分かる人も多いだろう。規模だけを見れば中小に違いないが、ブランドの認知度でいうと、あのミツトヨに優るとも劣らない、国内屈指の測定工具メーカーである。

本稿はその若き(先ごろ40歳になったばかりの)2代目社長、五十嵐利行氏へのインタビューの内容を中心に進めていきたい。まずは件のコンテストについてだ。

 

主に穴径を測定する「ピンゲージ」。直径の寸法が非常に精密に作られている

「ずっと前から思っていたんです。メーカーはユーザー目線だとか顧客満足とか口では言いますけど、実のところやっていることは、ほとんど押し付けに過ぎないって。

たとえば(テーブル上のシュガーポットのトングを手に取って)これだって、本当にこの形やこの材質でいいと思って消費者は使っているんでしょうか。おそらくは、こういうモノだと思わされて使っているに過ぎないと思いますよ」

言われてみればその通りだ。しかしそれで消費者が満足していれば、何も問題はないとは思うがどうだろうか。

「もちろん満足していれば、何の問題もありません。

 

しかしそれで本当に満足していると決めつけていいんでしょうか。そう思っているのは、もしかするとつくっているメーカーだけかも知れませんよ。たまたまどれもこれも同じような形ですから、消費者は仕方なく使っているということも考えられるわけです。というのもですね。最近はこういうモノはできないか、ああいうロットでできないかという、何でもメーカー本位でやってきた昔の職人さんが聞くと、ベラボーめ!って怒鳴り出すような無理難題を普通に言ってくるユーザーも少なくないんです。もちろん受けるほうはたいへんですが、それが〝本当のニーズ〟であることも事実なんですよ。

つまり、メーカーが考えている以上に、ユーザーの意識は確実に上がり、購買傾向もはっきり変わってきているんです」

 

確かに上がっているし変わってもきている。いわゆる自我の目覚めだ。

高度経済成長期からバブル期にかけて、日本人は得体の知れない化け物にずっと踊らされ、食い物にされてきたという苦い過去を持つ。銀行の薦めで異常に高い家やゴルフ会員権のローンを組まされた人、儲かるからと言われてチャートの見方も分からないのに株に手を染めた人、便利だからと言われて収入の数倍ものキャッシングができるカードを持った人、有名人が使っているのをテレビで見てわけの分からない健康器具や健康食品を買い漁った人。

その多くの人たちが酷い目にあって、たいへんな思いをしてきたという過去である。よほどのバカでもない限り、ほとんどの日本人はしっかり学習したに違いあるまい。自分の目と耳、知識と経験を基に、より〝確かな買い物〟をするようになった、ということだ。

 

「したがって以前のように、メーカー本位でつくっていてはやがて相手にもされなくなります。そうでなくても本来、ニーズは使う人の側で生まれるものです。要はそれをどう見付けるかでしょう。もちろんまだ顕在化していないニーズを掘り起こすという手もありますが、それには莫大な宣伝費が掛かりますし、おまけに必ずしもそれが的を射るとは限りません。

とすると我々中小メーカーがやることは、使う側で生まれたニーズを逸早く察知し、テーブルに上げて、さてどう料理するか、ということにほかならないわけです。これが原理原則ではないでしょうか」

 

要するに、そのニーズを効率よく見付ける手段としてコンテストを実施した、ということなのか。

「ハハハ。そんな簡単なことでも、実はありません。もちろんアッと驚くようなアイデアが寄せられて、それが大ヒットするような製品に繋がれば万々歳ですが、まずそれは考えにくいと思いますよ」

 

では何のためのコンテストなのか。

「1番の狙いは、それによる人材育成面の相乗効果ですよ。端的に言えば、変革のために全社を挙げて推し進めている、これも〝意識改革〟の一環です」

 

自社ブランドは掛け替えのないアドバンテージ

さて、ここからがいよいよこの稿の本題である。氏は何をどう変革し、その手段としてどのような意識改革を進めようとしている(してきた)のかだが、そのためにはまず、この会社の足跡と現在の姿かたちについて、有り体に述べておかねばならない。

創業(会社設立・新潟県三条市)は1960年。もともと同市は包丁や工具など、金物製造の盛んな工場密集地だが、今やその中でも老舗中の老舗といっていい。現会長の五十嵐茂夫氏(利行氏の実父)が起こした会社で、現在でこそDIY工具メーカーとしても知られているが、当初はスコヤやケガキ(罫書き)、ゲージなど、さまざまな製造資材の工作用PT(測定工具)専門メーカーとしてスタートしている。

「会長はモノづくりが好きで好きで仕方がなかったみたいですね。朝から晩まで図面を引いたり、切削機をいじくったりして、次から次へと新しい工具をつくっていたと人伝に聞いています。得意先のどんな無理難題にも応えたことから、大手製造業も含めて、みるみるうちに信頼を勝ち取っていったようですよ」

 

溶接加工時専用の「溶接ゲージ」。溶接の肉盛・すみ肉・脚長等の寸法測定に使用する

とき折しも高度経済成長の真っ只中だ。事業は順調を通り越して毎年ふた桁以上の急成長を果たし、1969年には最新設備を整えた自前の工場を市内に新築、その5年後には同じく市内に近代的研究所を創設、さらに4年後には、またまた市内に新工場を新築したというから、文字通り日の出の勢いである。

 

ちなみに現在はさらに増えて5工場。営業所やキャリブレーション(機械調整)センターを含めた事業所は東京、大阪、名古屋など国内5カ所、海外2カ所(台北、上海)。従業員は200人。

 

表看板の自社ブランド「SK」や業界でのポジショニングは前述した通りで、今や押しも押されもしない超優良企業といっていい。

その意味では、

「会長をはじめ、今まで頑張ってきてくれた社員の皆さんには本当に感謝しています。とくにSKという自社ブランドを確立していただいたことです。これがあるというのは、僕にとって大きなアドバンテージですからね」

 

で、この会社のどこをどう変革しようと、氏は言うのか。

「ある意味で、すべてと言っていいかも知れません」

(驚!)。して、その理由(わけ)は…。

 

 

ただの歯車にはならない、大切なのは〝考えてモノをつくる〟という意識

簡単にいうと、裸一貫から40数年かけて、会社をここまで成長させた〝あまりに大きい父=会長の残像〟を如何にきれいに消し去り、〝真の意味の企業化〟を如何に果たすかという、次の時代を勝ち抜くには避けて通れない、きわめて重要な課題がそこに横たわっているからである。残像とは何か。

 

「先代が持っているある種のカリスマ性と、それにオンブしてきた会社全体の体質というか風土ですね。ワンマンといえばワンマンですが、あの強烈な個性と責任感、バイタリティーとリーダーシップがこの会社を引っ張ってきましたし、極端にいえば、社員は何も考えずに、会長の言うことさえ聞いていれば十分食べていけましたし、きちんとした人生設計もできたんです。

しかし残念ながら、その血を受け継いでいるとはいっても、僕にはとても同じことはできません。というか誰にもできないんじゃないでしょうか。ではどうするか。そのオンブ体質をそっくり変えるしかないんです。オバマじゃありませんがチェンジ、変革ですよ。そのためには誰彼ではなく、全社挙げて意識改革するしかありません」

 

その第一歩が、

「ただモノづくりの歯車になるのではなく、こうすればもっとこうなる、ああすればもっとああなるという風に、考えてモノをつくるという意識を持つことです」

なるほど。シンキング・ベースボールならぬシンキング・プロダクションだ。考えてモノをつくるようになれば自分で〝目標〟が立てられる。目標を立てて仕事するようになればやがて高い〝志〟を持つようになる。すでに全社的にもジワリ浸透しだしたようで、随所にその兆しがみられるそうだ。元々が土台のしっかりした会社である。これさえ成ればまさに〝鬼に金棒〟といっていいだろう。

 

「メーカーの仕事をしていると、どうしても上から目線になりがちですが、さきほども言いましたように、それでは真のニーズを見付け出すことができません。今度のコンテストにはそういう意味合いもあるんです。目線は低く、志は高く。これですよ」

 

 

 

万事全力、1分1秒も疎かにしない

最後に、この超円高や電力不安、労働規制といった現在の経営環境も鑑みて、今後の抱負や計画など期するところがあればと訊いてみた。

「実は政府のやることにはあまり興味がないんです。当てにもしていませんしね。それよりはまず、繰り返しになりますが、変革をより一層みんなに見える形で推進して、より一層強い企業にしたいと考えています。事業展開という意味では、具体的にはまだ先の話になりますが、今後の有力な市場として中国を視野に置いています」

 

ただし、生産拠点を向こうへ移すつもりは毛頭ないそうで、

「国内でモノづくりを続けるのはコスト的に難しい、という声をよく聞きますが、僕は必ずしもそんな風に思ってはいません。向こうも人件費が高騰していますし、輸送の手間や品質の維持、納期の問題などを考えると、国内でつくるほうがまだまだメリットは多いんじゃないでしょうか。また、中国製品に席巻されて商売できないという話もよく耳にしますが、これも一過性のものであまり気にしなくていいと思いますよ。だって日本のモノづくりとあちらのモノづくりは、行き着く先が違いますからね。

我々が目指しているのは精度や付加価値のきわめて高いモノづくりですけど、あちらはそうじゃないでしょう。いずれにしても、何でもあまり悲観的に見るのはよくないと思いますよ。それより大切なことは、できる限り頑張って国内でモノづくりを続けること、そしてできる限り雇用を守ること。日本のモノづくり経営者は、これに専念することだと僕は思っています」

 

正論以外の何モノでもない。ちなみに氏は燕三条青年会議所の理事長をしており、その年頭の挨拶で次のように語っている。

「今年はより一層、人材育成に努めたいと考えています。同時に新潟県の豊かな資源と技術を、全国に向けて発信(アピール)したいと考えています。そのためには〝万事全力〟。1分1秒も疎かにはしません」

地に足がついた、とはこういうことを言うのだろう。

 

プロフィール

五十嵐利行(いからし・としゆき)氏…1972年、新潟県三条市生まれ。

地元の高校から埼玉県内の高専に進み、卒業と同時に都内のとあるメーカーに入社、約2年間勤務する。その後、語学及びコンピューター技術習得のためアメリカに留学。約1年半後、いきなり父親(新潟精機創業社長=当時=)から「帰ってこい。就職が決まった」という連絡を受けて帰国、大阪の商社に勤務する。

結果として約8年間の遊学、研鑽を積み、2000年、新潟精機に入社。幅広い部署、さまざまなポジションを経て2001年、8代目代表取締役社長に就任する。

今年からは、一般社団法人燕三条青年会議所、第16代理事長としても活躍。とみに新潟県産業界を担う次世代のリーダーとして、将来が嘱望されている1人である。

 

新潟精機株式会社

〒955-0061 新潟県三条市林町1−22−17

TEL:  0256(33)5501

URL: http://www.niigataseiki.co.jp

URL: http://www.sokuteikougu.com

 

 

※本記事は2012年3月号掲載記事をもとに構成しています。