半世紀の歴史を持つ金属熱処理のエキスパート

金属加工を扱う数多の業種の中で、渡辺製作所は熱処理を専門に担ってきたメーカーだ。

製造業がますます冷え込む昨今の状況の中で、他社には真似のできない専門技術を生かして、今年の末には新工場が稼動の予定である。

とはいえ、たゆまぬ努力の過程では、海外からの撤退など、少なからず苦い経験もあったという。3代目・渡辺将志社長の話を交えつつ、その半世紀の歴史と、新たなステップを歩みだす同社について紹介する。

最大の特長は真空炉の熱処理担い手の少ない「ロウ付け」技術も強み

株式会社渡辺製作所の創業は昭和36年。まさに日本の高度経済成長期のど真ん中であり、渡辺将志現社長の生まれる前年のことである。

創業者は、渡辺現社長の父君。1970年(昭和45年)、大阪万博の年に、新潟県中之口に熱処理工場を設立し、本格的に熱処理メーカーとしてのスタートを切った。

 

熱処理とは何か、一言で簡単に述べるなら、金属がその求められる能力を最大限に発揮するために、体質改善を施してやる行為を指す。

「焼入」という言葉が最も一般的だが、むろん、それだけが熱処理ではない。他に、焼戻、焼鈍(なまし)、焼準(ならし)、浸炭、窒化など、さまざまな熱処理の仕方がある。今日、金属はカムシャフトをはじめとする自動車部品はもちろん、建設機械部品、精密機械部品、包丁や工具などあらゆる分野で用いられ、それらの機械や道具が十全に機能するためには、使われる金属そのものが高いパフォーマンスをたたき出す必要がある。そこを担う縁の下の力持ちが熱処理であり、スポーツに喩えるなら、アスリートを常にベストコンディションに導いてくれる優秀なトレーナーといったところだろうか。

 

「人間が地球上に誕生して以来、鉄とは非常に長い付き合いがあります。ですから、今のような変化の激しい時代でも、ここ数年、あるいは10年、20年で鉄がなくなるということはないと思います。鉄を扱うにあたっては、それを柔らかくしたり、逆に硬くしたりする過程はどうしても必要ですから、鉄がなくならないかぎり、熱処理業もなくならないだろうとは思っています」

渡辺将志社長はこう語る。そして、金属加工に係わる多くの産業の中で、熱処理業は〝少数派〟なのだという。

「金属を扱う仕事でも、削ることの得意な会社さんはたくさんありますが、メッキを主な業務にしている所はそう多くないはずです。熱処理業も同じで、いわば隙間産業だと私は考えています」

 

隙間産業。この言葉は、むろん謙遜を表わしてのことだが、同時に事実を端的に説明してくれてもいる。金属加工のメインストリームとは少し違うが、しかしそこには、他社でできない技術を担っているという自負が大いにある。

「従業員に常々言っているのは、お客様は自社でできないから、ウチに頼みに来るんだ、そのことを決して忘れないように、ということです。最初はなかなか利益が出なくても、お客様の要求を100%満たすように地道にこなしていけば、必ず次の仕事につながっていく、そういう気持ちで取り組んでいます」

 

三室型熱処理炉とロウ付けの様子

他社にはない、ニッチな技術を持っているからこその静かな自信。具体例を一つ挙げて説明しよう。渡辺製作所の得意技である真空炉での熱処理と、「ロウ付け」技術だ。

「弊社の特長は、真空熱処理、雰囲気熱処理、ロウ付け、窒化、高周波焼入、アルミ合金などです。最も力を入れているのが真空熱処理で、真空中で加熱、冷却をしてやると、鋼材の酸化防止や脱炭防止になり、金属は非常に優れた光輝性を発揮するようになります。

それともう一つはロウ付け。ハンガー式とプッシャー式の2種類の特殊な三室型熱処理炉を持っていまして、これを使えば大きな製品から小さな製品まで、真空炉で素材を加熱して接合を行うことができます。ロウ付けという接合技術を持っていることは、アドバンテージと言えるかもしれません」

 

ロウ付け技術による売上は全体のおよそ3割に達し、今や渡辺製作所の重要な柱になっているという。

 

高齢化・後継者不足の状況を尻目に 従業員の若いパワーが強み

地道に、堅実に、この深刻な不況を生き抜いているように見える渡辺製作所だが、過去には当然、試行錯誤もあった。率直に話してくれたのは、タイに進出して失敗した事例だ。

「8年前ですか、タイに工場を構え、進出したことがありました。私の叔父が2代目社長として指揮を執っていた時代です。しかし、これがうまく行かなかった」

 

モノづくりを担う多くの企業が、海外(特にアジア諸地域)に進出を試みる。そこには当然、競争があり、成功も失敗もあるが、今日では明らかに失敗事例の方が多いだろう。

「理由はいたって明白で、投資した分だけ回収できないからです。為替の差益の問題もありますし、非常に厳しかったですね。現地で作ってこちらに持ってくる、逆輸入のビジネスだけなら可能かもしれませんが、現地生産・現地販売も同時にやろうとすると、これは難しい。大企業なら、回収できるまで10年、20年と待てるかもしれまんが、ウチのような中小企業にとてもそんな体力はありませんでした」

 

結果、撤退をしたのが2011年1月30日。撤退の判断を下したのは、2008年に社長に就任した渡辺将志さん自身だ。投資額は十数億に上り、その幕引きをするのも、社長としては大きな、勇気を要する決断だったに違いない。

「ダメなものはダメ。これ以上傷口を広げるのは止めて、次に向かおうと思いました」

 

その「次」とは、抽象的な目標のようなものではない。現在建設予定であり、今年秋から冬にかけて設備の稼動が始まろうかという、福島県二本松市の新工場のことである。福島と聞けば、やはり震災のことが頭をよぎる。

「敷地の土地は、95年、創業者の時代にすでに取得済でした。というのも、ウチは新潟県内のお客様ばかりでなく、北関東の方々も非常に多いんです。ですから、お客様とのコミュニケーションを図るには、もっと物理的な距離の近いほうがいいと判断しました。しかし、この景気低迷で、工場建設を凍結していたというのが実情です。そこに、昨年(当時)3月11日の大震災と、その後の原発事故が起きた。これは復興支援の意味を込めて、できるだけ早く福島に職場を作ったほうがいいと考えたのです。そこで、当初は慎重に、2年後、3年後を考えていた計画を早めることにしました」

 

二本松工場では、むろん、現地から従業員を採用の予定だ。八万館工業団地内に位置し、敷地面積は約7200平方メートル。一部が2階建てで、床面積は延べにして約2750平方メートルに達する見込みだ。浸炭焼入炉などの熱処理設備を新規に導入し、建物、設備を合わせた投資額はおよそ6億円だという。

福島の地に、新たなモノづくりの芽が、もうすぐ生まれようとしているのである。

 

渡辺製作所の従業員は約90名ほどだが、平均年齢は20代後半から30代前半と、非常に若いのも特長の一つだ。

「社員は会社の最大の財産です。製造業はどこもそうですが、従業員がどんどん高齢化していたり、後継者が見つからずに廃業に追い込まれるケースも少なくないですね。ですからウチは、とても恵まれています」

渡辺さん自身、幼い頃から父や叔父の背中を見て育ち、自宅のすぐそばに工場がある環境で育っている。大学を卒業して3年、日本真空技術(現アルバック)に研修に行き、そこから帰ってきて25歳の時に渡辺製作所の工場に入った。先に挙げた技術「ロウ付け」は、この3年間の経験によるところが大きい。

 

「日本真空技術で学んだ時に、上司の方が〝これからは、炉中ロウ付けなども勉強しておいたほうがいい〟とアドバイスしてくれたんです。

〝あなたは現場の仕事を憶えることよりも、これから熱処理業がどうなっていくのかをしっかりと見極める努力をしなさい〟とも言われました。ですから、戻ってきて親父に〝炉中ロウ付けをやりたい〟と率直に言ったら、〝馬鹿野郎、こんな田舎にそんな仕事があるわけないだろう〟と、最初は一蹴されました(笑い)。しかしほどなく三室型真空熱処理炉を導入してロウ付けを始め、それがいまやウチの柱になっているわけですから、やはり若いうちに脳に刻まれた経験というのは、とても大きいと思います」

 

ロウ付けは、今をときめく花形製品の一つである「エコキュート」をはじめ、給湯器などに活用されている技術である。ロウ付けをする場合、部品はバラバラで送られてきて、それを工場で組み立ててロウ付け(接合)し、顧客に納品するシステムだから、地の利とは関係なく仕事ができるというメリットもある。熱処理業界でもロウ付け技術を持っている会社は少なく、そこが強みにもなっているのだ。

「ウチはいわゆる多品種少量生産で生きている会社でもあります。汎用性の高い技術ならどこでもできるが、細かい技術、面倒な処理については嫌がる企業も多くて、そういった所を積極的に引き受け、また、他人が嫌がる少ロットでの受注も厭わない。そこは心がけていますね」

 

ちょうどリーマン・ショックの2008年に社長に就任した渡辺将志さんは、現在49歳。今年8月には満50歳の節目を迎える。

「地味なようですが、目標は現状維持です。ヘタな冒険に打って出るのではなく、堅実に、コツコツとお客様に満足していただけるものを提供し続けていく。もっとも、現状維持するためにはいくらかでも売り上げを伸ばしていかなければならず、そうでなければこの時代、現状維持なんてできないと思うんです。ですからそれは、積極的な現状維持です」

 

渡辺将志社長は、自社の特長や、他社との違いをけっして声高に語らない。一家言持つ人が多いモノづくり企業の経営者としては珍しいタイプかもしれない。しかし、だからこそ、その内側には、未来に対する並々ならぬ自信が宿っているように感じられた。

 

 

●プロフィール

渡辺将志(わたなべ・まさし)氏…1962年8月8日、新潟県新潟市生まれ。

関東学園大学経済学部経営学科卒業後、3年間、日本真空技術(現アルバック)で経験を積む。25歳で父の経営する株式会社渡辺製作所に入社、2008年から2代目の叔父の後を継いで、3代目の代表取締役社長に就任。

株式会社渡辺製作所

〒950-1455 新潟県新潟市南区新飯田3000番地

TEL:025(374)2146

URL: http://www.watanetu.jp/