開発することで、提案することで、製造することで、人材を派遣することで……。

今回訪問した経営者は、ありとあらゆる角度で〝モノづくり〟を担ってきた。

御年76歳、この道、約半世紀。

いまもなお、野心をもって歩み続けんとするその力、その心を支えるモノとは一体、何であろうか。

 

 

2011年を振り返れば

「どこからか」と問われればもちろん、3月に勃発した東日本大震災だろう。

そこから端を発したいわゆる原発問題や節電、経済的な面でいえば中東の春からギリシャを中心とする欧州危機、さらには歴史的円高にタイの大洪水による水害……、振り返れば2011年は、まさに激動の一年であった。

 

そもそも、昨年の初頭までの日本が経済的、政治的に安定していたかと言われれば決してそうではない。

政治はもとより、経済は不安定のそのものだった。

中小製造業にとっては少子超高齢化社会問題に関連して「跡継ぎ不在」が最大の問題であったし、リーマン・ショックもまだ終わった話ではなく、「好景気」とはいえない状況が継続していた。

 

そこからの、前述の出来事である。

「いままで体験したことのないようなことばかりだったのだから、戸惑って当たり前ですよね。数年後に改めて振り返れば、現在の段階でここまで持ち直しつつあるのも、ある程度評価されるべきことなのかもしれない。ともあれ、日本人は強いですよ」

そうしみじみと語るのは、株式会社ナプレBCの代表取締役、佐々木卓也氏だ。

失礼ながら年齢から公開させていただくと、御年76歳、モノづくり歴は約半世紀。いわば、業界の生き字引である。

そんな同氏をもってしても、2011年は「過去の経験則が利きづらい状況」であった。企業は規模や業種に関係なく、いまもなお苦戦を強いられている。

 

とはいえ、佐々木氏に限っては悲観的ではないようだ。

「だからこそ、自分たちにできることをしっかりと見極めなければいけない。モノづくりがすべきことはモノづくり。金策や政治的な問題に悩む前に、新しいモノを生み出すのが私たちの仕事ですからね」

なんとも冷静な意見である。

 

よく考えてみれば当然だ。

現在の状況こそ経験したことはないが、年齢を見れば同氏のこれまでの人生も平坦な道ばかりではなかったはず。想定の範囲、とは言えなくとも、そこまで落胆するようなことではないのだろう。

 

 

特許申請数、90件という実績

では、佐々木氏が代表取締役を務めるナプレBCとはどのような企業なのであろうか。本人に尋ねてみると、明解な答えが返ってきた。

「一言でいえば、中小モノづくりでしょうか。現在の主力製品は冷凍機用のボール洗浄装置です」

対象となる冷凍機は、半導体や食品製造工場などに置かれる業務向けのもの。機内の湯あかをボール状のスポンジで自動洗浄させる装置であるという。

ボール洗浄運転の確性試験状況/同社の開発した確性試験装置により、運転特性や信頼性を確認

無礼を承知でいえば単純な仕組みのようだが、「どこにでもあるようなもの、誰にでもつくれるようなものであれば、いまさら開発なんてしませんよ。他社にも似たような製品はありますが、コスト面でいえば同じようなタイプと比べて約20%の低コスト。細かな特徴は専門的な話になりますが、自信をもっておすすめできる製品です」と胸を張る。

 

そんな同氏は、根っからのモノづくりである。

地元の工業高校を卒業した後は、ごく自然に製造業への道を選んだ。

そこから定年まで、日立製作所で優れた技術者として活躍していた経歴をもつ。

同社在籍中からナプレBCの関連会社となる企業の設立、経営にも一部携わってはいたが、モノづくりに従事した場としては「日立一筋」である。

 

筆者は専門家ではないが、日本のトップ企業で培ったモノづくり、技術力は、独学で学んだそれとはまた違う基盤がつくられよう。

身に付く自信や知識、ノウハウ、人脈でいえば比べものにならないかもしれない。

「戦後から高度経済成長期の日本の製造業というのは、いまとは勢いがまるで違いますよね。特に大手でしたから、それを後押しするパワーがすごかった。上司からは『日本で一番の機械をつくれば、世界のなかでも10本の指に入ることができる』と言われて育ち、次から次へと製品を開発しては特許申請をしていました」

 

佐々木氏が定年までに特許申請すべく開発した製品、機能の数は、90件にも上るそうだ。

「結局、実際に取得に至らなかったものや振り落とされたものもありますが」と謙遜するが、結果よりも「新しいモノを生み出した」ことこそ、評価されるべき事象であろう。

 

 

「東海村発モノづくり」だからこそ

「モノづくりに従事した年月は確かに半世紀近くありますが、ナプレBCに関しては誕生して間もないのですよ」

自ら説明するように、同社の設立は2011年2月のこと。「それもひと月後であったら、どうなっていたか分かりませんね」と同氏は苦笑する。

それもそのはず、時期はもとより起業の地として選ばれたのは茨城・東海村だ。

何やら、にわかに東日本大震災との不思議な縁を感じるが、その思いは話を聞くにつれてさらに強くなる。

ボール洗浄装置制御盤の内部/装置のシステマチックな運転を盤内に組み込んだCPUで制御

東海村といえば、1957年に当時の日本原子力研究所の施設が建設され、日本初の原子炉、JRR-1が置かれた場所である。

故に、「日本で最初に原子力の火が灯った村」として有名になり、JRR-1以後も多くの原子力関連施設が設置されることとなった。

「東京電力福島第1原子力発電所の一件で、東海村で過去に起きた事故にも改めて注目が集まっていますよね。そういうことばかりに目を向けられるのは、当然ながら好ましくはありません。

この地域には、そこから端を発した分野を含め、優れたモノづくりがたくさんあるのです。確かに原子力関係で成長してきた地域ではありますが、それだけではない。それをもっと分かっていただきたい、そういう思いがあります」

 

佐々木氏自身、原子力関係にも決して縁遠くはない。現在、福島第1を含めた原子力発電所では同氏が携わった機械も多く使用されている。

「複雑な思いもあり、何もできないのはもどかしいですが、だからといってやはり、モノづくりがモノづくりをやめてはいけない」

そこでいま思案しているのが、「東海村のなかで一つの製品をつくりあげること」であるという。

 

「東海村で生まれた企業ですから、地元に貢献するというか、地元のモノづくりで団結して地域をPRするのも使命の一つなのではないか、と思うのです。原発だけではない、新しい東海村のイメージを広げていきたいですよね」

 

原子力開発には、当然ながら優れた知識や技術力が必要となる。それが集積している地、東海村であれば確かに素晴らしい製品が生まれそうだ。

そう伝えると佐々木氏は「その前に、自社をきっちりと確立しなければなりませんが」と、照れくさそうに笑った。

 

 

少年のように輝く瞳をもって

説明したように、佐々木氏個人はある企業の起業に携わっている。それがナプレBCの関連会社、株式会社ナプレだ。

「ナプレでは一応会長職に就いていますが、創業時はまだサラリーマンですから、私自身が表立って何かを行っていたわけではありません」

設立は1997年、法人化を完了したのが10年後の2007年であるという。

同氏が特許権を取得した製品を使用し、開発や製造を行っていたこともあるが、現在の主力事業は人材派遣業だ。

「人材派遣といっても、発電プラントの設計や製作、検査、保守などをはじめとする特殊な知識と技術をもった技術者の派遣です。原子力開発には放射線管理の資格なども必要になりますから、まずは資格を取得させ、即戦力として働ける人材を育ててきました」

 

ナプレBCの誕生により、ナプレは人材派遣業として一層の強化を図っていく方針であるとのこと。

「ナプレBCの〝BC〟は、〝ビジネスセンター〟と〝ボールクリーニング〟の二つの意味を兼ねています。当社ではモノづくりを極めて、新しい製品の開発を進めていくつもりです」

前述の冷凍機用ボール洗浄装置については、一般販売こそスタートしたばかりだが、特許申請は数年前に済まされ、取得済みであるという。なんと某大手企業の半導体工場では取り付けも行われているそうだ。

 

「今後は大型の総合病院などにも市場を開拓していきたいと思います。売上を伸ばしたいというよりも、ランニングコストの面に注目していただきたい。節電やCO2の削減を考えても、自信をもってすすめられます」

 

佐々木氏の「売上を伸ばすことより……」との思いは本物である。

なぜなら、「一台500万円ベースですから、季節によって冷凍機の使用量が異なる中規模のスーパーマーケットでは、設置してもコストの回収に相当な時間がかかってしまうのでおすすめはしません」と驚くほど正直に話してくれたからだ。

 

さらに、「最低目標は年間10台程度。もっと売れても良いのですが、手づくりにこだわりたいので量産は考えていません」と、経営者としてはあるまじきような発言も平気で述べる。

呆れてしまうほど、どこまでも素直なモノづくりである。が、それこそが社員に「ついていきたい」と思わせる魅力の一つなのだろう。

 

現在もなお、新たなモノづくりを考案中である佐々木氏。

最後に自社の抱負を尋ねると、「まったく異なるナプレBCの2号機に着手していきたいと思っているのです。まだまだ引退する気はありませんよ」と朗らかな笑顔を見せてくれた。

 

さまざまな問題がある昨今、中小製造業には楽観視できない現実もある。

だが、少年のように輝く同氏の瞳からは、期待と希望しか感じられない。

 

 

佐々木卓也(ささき・たくや)氏…1935年、岩手県生まれ。

福島・いわき市で育つ。1954年に地元の工業高校を卒業後、日立製作所に入社。

電力部門で技術を培い、定年まで同社関連に従事する。

2011年2月、ナプレBCを創業と同時に代表取締役に就任し、現在に至る。

 

 

株式会社ナプレBC

〒319-1118  茨城県東海村舟石川駅東4-8-9 東昭ビルド3階

TEL:029-306-1533