雌伏8年 敗戦で解散するも請われて再興

経営者道と云ふは人をつくる事と見付けたり。見渡す限りの焼け野原を瞬く間に世界トップ級の経済大国につくり直した、これが日本型経営のパワーの源泉である。それが今はどうだ。合理化と称し、市場原理と称して、人を人とも思わないエセ経営を肯定する風潮さえ、一部メディアも含めて罷り通っているのが実情だ。

「このままでは、国は衰退どころか滅びてしまうぞ」。そう憂慮する向きは少なくない。そこで当編集部はある企業とその創業家に注目してみた。東京商工会議所の「第6回勇気ある経営大賞」にも選ばれた、大和(やまと)合金並びに三芳合金工業とその代表取締役、萩野茂雄氏の一族である。

 

家庭、地域から躾・教育をしてくれる
頑固親父やカミナリご隠居がいなくなった

特殊銅合金のトップメーカー 大和合金株式会社/三芳合金工業株式会社 代表取締役 萩野茂雄氏

「目的と手段を履き違えちゃいけないよってんですよ。こないだ塀ん中入った何とかエモンとか、今どきの企業屋さんは」

開口一番、萩野氏は苦笑とともに小気味の好い江戸弁でこう吐き捨てた。間もなく傘寿だそうだが、下手に労わるのは失礼なほどその目許も所作も生気に溢れて凛としている。 言うまでもないが、履き違えるなというのは経営の目的と手段のことだ。

「利益追求は経営者としちゃあ当たり前のこってすがね、そんななあ、手段に過ぎませんやね。企業は何のためにあるか、人は何のために働くか。きれいごとを言うつもりは毛頭ありませんが、そいつを考えたら自明の理でしょうよ、経営の目的なんてのは」

人の役に立つ(モノづくりやサービスを提供する)ことであり、社会の役に立つ(雇用や配分をする)ことであり、国の役に立つ(納税や富国に資する)ことである、と氏はキッパリ言い切る。

「だってそれが延いては自分のため、家族のためってこってすから」

けだし至言、である。しかし近年もう一つ、さらに重要と思える目的が企業にはできたと、氏は続ける。

「人間教育ですよ。昔はどこの家や地域でも普通にやってきた、躾(しつけ)とか情操教育とかをやんなくなっちゃったんです。おっかない頑固親父とか、悪いことをしたらカミナリを落としてくれる近所のご隠居とかがいなくなっちゃってね。いるのは優しくて物分かりのいいパパとオバちゃんばかり。先生もPTAや教育委員会が怖くて叱りもしない。だから見てご覧なさいよ。人間力がまるでなってない。困ったことができたら簡単に投げ出す。しかもやんなきゃなんない義務はすっとぼけておいて権利ばかり主張する。

そんな不心得者の何と多いことか。恥を知れっていうの。武士道もへったくれもあったもんじゃない。こいつを放っておいたらこの国の将来はどうなっちゃうの?その前にこの会社の将来はどうなっちゃうの?火を見るより明らかじゃないかってんですよ」

 

鉄は熱いうちに打て強靭な人間力標榜産業人育成のための私塾の様相も

ではどのような社員教育をしているか。それを書く前にまずこの会社がどういう会社なのかを、簡単に述べておこう。

子供のオモチャの金型から光ファイバー海底ケーブルの中継器筐体、飛行機のランディング・ギア(離発着用歯車)まで、この国のありとあらゆる工業分野に用いられている「特殊銅合金」のパイオニアであり、とりわけNC(ニッケルクロム系)合金では世界で初めて開発・実用化したとあって、圧倒的シェアを誇る事実上のガリバー企業体(大和合金・三芳合金工業)である。

もともとは1941年に創業した東京板橋区の大和合金だけだったが、いわゆる岩戸景気からいざなぎ景気にかけての需要拡大で工場が手狭になり、埼玉入間郡の三芳に工場を新築、新会社を設立(1963年)し、2社体制にした。当初は大和合金の埼玉工場のつもりで建てたそうだが、当地の首長から「できるならこちらにも税金を納めるよう、会社登記をしてほしい」といわれ、「なるほど、それもそうだ」(萩野氏)と思い直し、町の名を拝借して三芳合金工業にしたという。

ちなみに大和合金は亡き創業者が命名している。その創業者については次章で詳しく述べるが、それによって命名の理由も自ずと見当がつくものと察する。

とまれ話は社員教育だ。氏自ら「相当にうるさい(笑)」という。ことに礼儀、仕事と向き合う姿勢においてである。

「まずは挨拶からですよ。長くいる社員はともかく、若い人はこれがまたできないんだな。それに声。元気も明るさもまるでないんだから。でも考えたら仕方ないかも知んないよね。だって街を行く彼らの親と同じ年代のサラリーマンを見てご覧なさい。み~んな下を向いて歩いてるじゃないですか。あれじゃ子供も元気に育ちません。可哀相だよ。でもきちんと飽きずに教えてやれば、そのうちきっとできるようになるんですよ、誰だって普通にね」

仕事と向き合う姿勢についても妥協は一切しない。とくに新人のうちは徹底して教える必要があると力説する。

「大学の理工系を出たからって現場の仕事なんて何も分かっちゃいないんですよ。だって斯く言う私がそうだったしさ。それを分かった振りなんかしちゃってね。自分の殻に閉じ籠る子が少なくないんですよ。でもそんな殻なんか木っ端微塵。熱い鍛造部所に一週間もぶち込んどきゃあね(笑)。それだけで学生気分がすっかり抜けて仕事人の顔になっちゃうから。そこからですよ、仕事を覚えるようになるのは」

これがホントの鉄は熱いうちに打て、である。もちろんこの頑固親父的な躾だけが教育ではない。ほかにも氏以下、全社員が集まっての読書会や外部の講師を招いての研修会、意見交換会を頻繁に開くなど、今や同社は職人というより、強靭な人間力を備えた産業人育成のための、さながら私塾の様相を呈しているのだ。とまれこの国のモノづくりも、いよいよもう一つ上のステップに向けて動き出したことだけは確かなようだ。

 

国を思う心、武士道精神、家訓〝誠実一路〟
満9歳にしてインプット

それにしても氏の、これほどまでの問題意識や進取の気象は、いったいどこからきているのだろうか。それを解くヒントが筆者の手許にある。氏の亡父、萩野茂氏の足跡を克明に記した文献だ。掻(か)い摘まんで紹介しよう。

今でいう山口県下関市の出身で、親、長兄とも銀行家(萩野銀行)の家に生まれ(1899年)育っている。長じて旧制三高(後の京都大学)に入学するも、長兄が急逝したことで中退し、家業を継ぐ。しかし約10年間の銀行家修行でようやくそれらしくなった頃に、銀行法が改定され、大手行と合併するか廃業するしかなくなる。で、どうしたか。茂氏は父の助言もあって廃業、無禄浪人の道を選び、すべての預金者に預金を払い戻す。人さまの大切なお金をこちら側の都合で勝手に移しちゃいけない。預金者のご意思にお任せすべきだという判断からだ。ちなみに当時から今に伝わる萩野家の家訓は「誠実一路」。これである。

とまれ茂氏は職を求めて単身上京。そのためにはもう一度学業をと現在の千葉大学に入学する。入試に失敗していられる余裕はないので比較的定員の多い金属学を選んだが、実はこれが現在の大和合金、三芳合金工業のシーズ(種)となる。卒業後に入った東京鋼材(後の三菱製鋼)で合金の第一人者、朝戸順博士と出会い、銅合金スペシャリストへの道を歩み出すのだ。

そして1941年。時は開戦前夜だ。国の役に立ちたいとの強い思い(この思いは東京鋼材の頃からで、そのための工場設立を強く上申していた)から茂氏は一念発起、会社を辞して戦車や戦闘機など、軍需向けの銅合金サプライヤー、大和合金を東京板橋に立ち上げる。このとき、現社長の茂雄氏は満9歳である。当時の子供の年齢からすると、氏は父の燃えるような思いを十分に感じ取っていたに違いあるまい。まさに士魂商才。前述した氏の国を思う心と今なお盛んなその武士道精神も、誠実一路の産業人精神も、おそらくこの頃には刷り込まれていたものと推測されよう。

 

解散した会社の全株式引き受ける 粗にして野だが、卑ではない

最後に茂氏の士魂というより、この一族の産業人精神をシンボリックに表す貴重なエピソードをもう一つだけ挙げておきたい。

敗戦でやむなく会社を解散するに至った際の話だ。家や工場、残った機械などの資産額が、発行済み株式の額面にほぼ相当すると分かった氏は、なんと株主たちに手持ちの株式を引き受けたいと申し出たのである。しかも謝意の込もった包みを下げて、一軒一軒丁寧にだ。その長子である茂雄氏の、「きれいごとを言うつもりは毛頭ありませんが…」の言葉も、なるほどこれでは腑に落ちざるを得まい。

ちなみに現在の大和合金は1953年に茂氏が再興した会社である。当時メキメキ頭角を現し始めたいすゞ、日野といった国産自動車メーカーが、わざわざ茂氏と茂氏の発明したYG合金を探し求めてきたのがそのきっかけだ。くどいようだが、これもこの一族の気風を物語る逸話だろう。

余談だが氏は、取材の後に筆者を社食堂でもてなしてくれた。献立は素朴だが強烈に辛いカレーライス。氏はそれを目一杯頬張りながら〝企業秘密〟を一つ、明かしてくれた。

「ホントは医者になろうと思ってさ。それで慶応の医学部を受けたら落っこっちゃったんだよ。で、しょうがなく会社を継いだってわけさ。でもまあ、継いだ以上は一生懸命やろうと突っ走ってきてね。少々カッコつけながらも、粋に、痩せ我慢しながら…」
粗にして野だが、紛れもなく卑ではない。      ■

YG円板と棒

 

<プロフィール>
萩野 茂雄氏(はぎの しげお)
1932年、東京・板橋生まれ。
早稲田大学理工学部卒業。1983年、大和合金の代表取締役に就任。現在に至る。

大和合金株式会社
〒174‐0063東京都板橋区前野町2-46-2
TEL 03-3960-8431
URL http://www.yamatogokin.co.jp/

三芳合金工業株式会社
〒354-0045埼玉県入間郡三芳町上富508
TEL 049-258-3381

※本記事は158号に掲載した記事を基に構成しています。