◆取材:加藤俊 /文:大澤美恵

「65歳になったら、現役を退いて悠々自適に暮らしたい」そう思う経営者は少なくない。しかし、その夢を周りに公言しない限り、夢は夢で終わってしまうのではないだろうか。

そんな中、自ら65歳でトップを退くことを宣言し、宣言通り、後継者にバトンを渡したのが、経営コンサルティング会社であるTOMAコンサルタンツグループ株式会社の代表取締役会長 藤間秋男氏だ。藤間氏に、TOMAコンサルタンツグループがたどった変遷とともに、自らの事業承継についてお話を伺った。

 

明治から続く代書店に生を受ける

藤間氏は、明治から続く代書業(現在の司法書士)の4代目である父のもとに生を受けた。藤間秋男氏の曽祖父に当たる藤間秀孝氏が1890年、藤間代書店を創業したのがはじまりだ。代書とは、文字が書けない人に代わって書類を書くことだ。

現在の近代的な高層ビルが立ち並ぶ景色からは想像もできないかもしれないが、当時丸の内にはまだ東京駅の駅舎はなく、警察署や留置所、裁判所、区役所しかなかった。ある日のこと、藤間氏の曽祖母が、区役所の前でとても忙しそうに何か書類を書いている人がいるのをたまたま目にしたという。

秀孝氏はその時期、時間を持て余していた。そこで、妻の熱心な勧めもあり、代書業を始めることにしたそうだ。

二人の間には子どもがなかったため、当時住み込みで働いていた藤間楠一氏と養子縁組し、2代目として事業を引き継がせた。楠一氏は小学校を飛び級して卒業するほどの秀才だった。当時は手書きが主流であった登記簿作成に、いち早くタイプライターを取り入れたのも楠一氏だという。最終的に司法書士会の会長として業界を牽引するほどの存在となる。

その後、楠一氏の長男秀夫氏が3代目として、三男・松男氏が4代目として事業を継承していった。その松男氏の子供が藤間秋男氏だ。

 

父から突然「会計士になれ」と言われ、公認会計士の道へ

代々司法書士業を営む家庭に生まれ育った藤間氏は、「自分もゆくゆくは司法書士となって、父親の後を継ぐのだろう」と考えていた。しかし、祖父が常々「うちには会計士や弁護士はいないのか」と口にしていたことから、大学3年生だったある日、父に「お前は会計士になれ」と命じられ、公認会計士への道を歩むことになる。

その理由を、藤間氏はこう推測している。

 

「曽祖父は、大正・昭和の時代に当時最新鋭の機械だったタイプライターを導入するなど、斬新な取り組みを行っていました。そうしてビジネスを大成功させ、大企業からも登記業務の依頼がしきりに舞い込むようになったそうです。そのとき、『うちに会計士や弁護士がいたら、お客様にワンストップサービスが提供できるし、司法書士界のトップになってより多くの挑戦ができるのに』と曽祖父は考えたのではないでしょうか。

『うちに会計士や弁護士はいないのか』という言葉には、そのような想いが込められていたのだと思いますね」

 

藤間氏は学生時代、決して成績が良いほうではなかったものの、そこから一念発起して公認会計士試験に向けて勉強を始め、2回目の受験で見事合格した。こうして、藤間秋男氏の会計人としての人生がスタートしたのである。

 

相次ぐ幹部の退職

公認会計士試験に合格した藤間氏は大手監査法人に5年間在籍し、会計業務の基礎を学んだ。その後、1982年に藤間公認会計士税理士事務所を開設し、念願の独立を果たすことになった。

その後、営業活動を活発化させ、事業を拡大した。同時に、セミナーや執筆業務も精力的にこなすようになる。事務所設立後10年を迎える1992年にはバブル崩壊による平成不況に見舞われたものの、顧問先は300社、従業員数も40名を突破した。

しかし、平成不況のあおりを受けて、事業は停滞、従業員も定着しない時期が続いた。そんな中、20周年を迎える頃の2001年9月に、幹部4人が同時に退職するという事件が起きる。その中には、初代の副所長やコンサルティング部門の立ち上げに関わった人物も含まれていた。

藤間氏にとって、まさに青天の霹靂だった。「私の振る舞いが悪かったんです。独善的なところがありました。いつしか幹部たちは不満を募らせていたのだと思いますね」と、藤間氏は自嘲気味な笑みを浮かべて語った。

 

独裁から「信じて任せる」理念経営へ

新人が入ってきても幹部が辞めていく。そんな苦悩の時期を過ごしていたとき、自らのルーツを辿るべく、長寿企業はなぜ長寿企業となるのかにふと興味が湧き、調べ出した。やがて企業の持続性には経営理念が極めて重要だという事実に気づいた。そこから独裁から経営理念を重んじる「理念経営」へと徐々にシフトすることになる。

藤間氏は、経営理念に自分の性格である「明るく・元気・前向き」という言葉を入れた。その理由をこう語る。

 

「数多くいる公認会計士の中で私は、勉強は得意ではないし、頭も良くないほうではありますが、“明るくて元気で前向き”ということだったら誰にも負けないと思ったんです。なので、私の個性を経営理念に盛り込み、一流専門家集団として、お客様にそして社会に貢献することを誓いました」

この経営理念を掲げて以降、社員の意識、そして藤間氏自身も確実に変わっていったという。何より大きかったのが、藤間氏がどんな場面でも前に出ていってしまう、いわば独裁のような状態から「社員を信じて任せる経営」にシフトしたことだ。

「松下幸之助が、『経営の成功要因は、経営理念の確立が5割、次の3割は従業員の個性を最大限に発揮できる環境』ということを言っていたんです。だから私は『信じて任せる経営』に変えていきました」と藤間氏。

以来、様々な会議の場で経営理念を唱和するようになったため、社員全員に経営理念が徐々に浸透していった。それに呼応するかのように、業績も停滞期を脱し、右肩上がりの成長を見せ始めたのだった。

 

2017年10月に事業承継し、理事長の座は現代表の市原和洋氏に譲っている。藤間氏は、やろうと思えばまだまだ現役の理事長として采配を振るうことができるはずだ。しかし、それをしてしまっては、TOMAコンサルタンツグループのさらなる発展は期待できないという想いが強かったという。

 

「私たちTOMAコンサルタンツグループは現在、事業承継のスペシャリストとして多くのお客様の相続を支援させていただいています。当然、私たち自身がお客様の見本となるようなモデルケースとならなければなりません。経営というのは経営者となって初めてわかる世界です。多くの経験を経ながらトップとして苦労を重ねていくことで、後継者が真の経営者としての責任感が生まれ、成長するのではないでしょうか。ですから、しかるべきタイミングでスパッとバトンを渡してあげることこそが、事業承継の成功の秘訣です。

なにより多くのお客様の事業承継を手助けしている私たち自身が、事業承継を成功させなければ誰も話は聞いてくれませんよね。市原理事長は、その点とてもよくやっています」

市原理事長率いる、今後のTOMAコンサルタンツグループに注目である。

 

【プロフィール】

藤間 秋男(とうま あきお)

1952年生まれ、東京都目黒区出身。1890年から続く司法書士事務所を切り盛りする藤間松男・和子の長男として生まれる。慶應義塾大学3年生のときに公認会計士試験の勉強を始め、卒業の翌年に合格。大手監査法人を経て、1982年に藤間公認会計士税理士事務所を設立。2012年にはTOMAコンサルタンツグループ株式会社を設立し、理事長に就任。2017年10月、理事長職を辞して代表取締役会長に就任。以後、現職。

TOMAコンサルタンツグループ株式会社

本社所在地:〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-8-3 丸の内トラストタワー本館3階

TEL:03-6266-2555

FAX:03-6266-2556

代表取締役社長:市原和洋

設立:1982年12月1日

グループ会社:TOMA税理士法人、TOMA社会保険労務士法人、TOMA監査法人、TOMA弁護士法人、TOMA行政書士法人、藤間司法書士法人TOMA 100年企業創りコンサルタンツ株式会社、ほか