モノづくりの原点は何が何でもの現場主義と「人の喜ぶ顔が見たい」

「カツオ!またすぐ調子に乗って。できもしないことを引き受けるんじゃないの!」

 

もしその場にサザエさんがいたら、おそらくそう窘めたに違いない。

きっかけは、ことほど左様に軽いノリだったようだ。しかしこのカツオくんは、実に四半世紀もの歳月をかけて、そのできもしないことをやってのける。なんと深い海中でも、闇夜でもクッキリ光って見える、発光ダイオード(LED)を採用したという意味では世界初の〝光るロープ〟だ。

これが今、口コミで俄然、各方面から注目を集めているのだ。さっそくそのカツオくんならぬ開発者を直撃した。創業(大正14年)から一貫して漁業用のロープづくりを続けてきた三栄製綱(愛知県蒲郡市)の4代目社長、大竹宏幸氏(53歳)である。キーワードはズバリ、〝人の喜ぶ顔が見たい〟──これだ。

 

原料チップから完成品まで一貫体制 大正14年創業の合繊繊維ロープメーカー 三栄製綱株式会社 代表取締役社長 大竹宏幸氏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最大のネックは、繊維ロープとLEDをどう一体化するか

百聞は一見に如かずということで、まずは上の写真をとくとご覧いただきたい。オリンピックのマークではないが、5つの輪がそれぞれ意味を持つかのように、燦然と輝きを放っている様子がはっきりと確認できるだろう。もちろん変わり種の蛍光灯ではない。

道路や広場に張り巡らせたり、登山や潜水時のガイドに使ったりする紛れもない繊維ロープである。商品名は「HIKAROPE(ヒカロープ)」。果たしてどういう仕組みでこれほど輝いているのか、その発光性はどんな状況下でも有効なのか、またそれによって何がどう変わり、どんな効果が期待されるのか。とまれその辺りから稿を進めたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仕組みは極めてシンプルです。私どもの得意分野である合繊繊維ロープに、LED製のチューブライトを組み合わせただけのモノですから」(大竹氏、以下同)

ただし考えてもいただきたい。ご案内の通りロープは幾つもの繊維を撚(よ)り合わせるなどしてつくるが、電気製品であるLEDを果たしてそれと一体化できるのか。仮にできたとしても、ロープは引っ張ったり、何かに結び付けたり、ときには捻ったりして使うもので、その場合、LEDはどこまで耐えられるのか。現に試作の段階ではこれが最大のネックになり、それこそ膨大な数の電球と配線が、破損の憂き目に遭ったという。

 

「丸々2年間、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返しましたが、最終的にはLEDメーカーさんのご尽力と、私どもが培ってきたロープづくりのノウハウとがピッタリ合致して、十分に納得のいく製品をつくることができました」

 

ということでその完成度たるや如何ほどのものか、簡潔に、分かり易く説明しよう。

まずはロープとしての強度だが、なんと、約500㎏から800㎏(後述するが種類によって異なる)の圧力、引張力にも耐えられる(LEDが保護される)という。

 

「日本海事協会認定のスーパーハード原糸を、特殊な技術で撚り合わせるなどして、そこから紡がれたロープを一本一本のLEDチューブの被膜にすることで、現時点で可能とされる最大限の強度を実現しました。経年耐性は約5年としておりますが、これまでの実験による経緯や結果を見る限り、繊維そのものの劣化や変色の兆しは、それくらいではまったくと言っていいほど見受けられません」

 

輝度はご覧の通りで、これも(被膜の)種類によって少々異なるが、周辺が暗くなればなるほど強くなり、一層色が映えるのはいずれも共通している。また徹底した防水処理が施されており、水深30m、4気圧の水圧にも異常なく点灯し、はっきり目にすることが潜水業者らの実験協力で確認されているという。

 

しかも1m当たりに36個のLED電球が配されているにも拘わらず、消費電力は3W/毎分とすこぶるつきの省エネ仕様だ。電源は通常のAC100Vだが、専用の蓄電池を使えば野外やボート上などで、大いに重宝する(3時間の充電で連続4時間の使用が可能=30mの製品)こと請け合いである。

ちなみに種類は呼径14㎜の組み紐タイプと、同36㎜の三つ打タイプ、22㎜の八つ打タイプがある。それぞれ捻じれができにくい、強くて摩耗しにくい、柔らかくて型崩れがしにくいといった特長があり、用途に合わせて選んでもらうという。で、問題はその用途だが、実はここへきて、大竹氏も予想だにしなかった大きな広がりを見せているのだ。

 

ビジネスとして成立しない!?

 

後段のエピソードで詳しく述べるが、この研究を始めた当初の狙いは、〝集魚灯〟としての役割も兼ねたこれまでにない漁業用ロープの開発だったという。

 

「でもね。ご存知かと思いますが、魚って実は捕り過ぎちゃいけないんですよ。もちろん自然保護とか資源を大事にするという意味もありますが、捕り過ぎると値が安くなって漁業が逆に廃れていく状況に陥るんです。ということはですね、ビジネスとしてこれは成り立たないということですよ。途中でハタとそれに気が付きましてね……」

と、そんなところへ、思いもしないオファーが氏の元に舞い込む。同じ蒲郡で海洋調査や海洋土木工事を手掛けている、とある潜水会社のベテラン潜水士だ。

 

「これはいいよ。昼夜に関係なく、これがあれば安心して潜れる。よし、ウチで使わせてくれ、と言ってくれたんです。目からウロコとはこういうことですね。まさか保安用なんて考えもしませんでしたから。そうすると、それまで見えなかったいろんな用途が次々と見えてきたんです。ちょうどそれと前後して、今度は地元紙(東愛知新聞)が取り上げてくれましてね。その記事を読んだ行政や公共施設、テーマパークなどの関係者たちからも、相次いで問い合わせがくるようになったんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内容はいわゆる街づくり、話題づくりのためのデコレーション用からイルミネーション用、夜間の通路区分用、災害時の誘導用などに使えないかというから、まさに埋もれていた多様なニーズの顕在化である。ニーズが新たに生まれれば、それによって仕様も増える。その結果が先の3つのタイプであり、更にはエンターテイメント性という視点から新たに加えた、8種類のカラーバリエーションだ。

 

想像に難くあるまいが、使い勝手の良さといい、景観の美しさといい、優れたコストパフォーマンスといい、従来のそれとはまったく比べ物にならないのだ。その意味でこれは、平成の〝大発明〟といってけっして過言ではあるまい。関心のある向きは、是非とも同社のホームページ(別掲)でご確認ありたい。

 

退くに退けない!?光るロープへの思い

さて、ここらで唐突だが話は30年前にまで遡る。氏が大学を卒業し、晴れて家業の運営に参画するようになった(三栄製綱に正式に入社した)22歳の年だ。参画からほどなくして氏は、当時の主要な顧客の一、某大手水産会社の東京本社に、挨拶を兼ねた顔合わせに出向いている。

実はその折りに先方のトップと交わした他愛ない会話が、今回の発明の出発点だというから、考えると何とも壮大なプロジェクトと言えなくもない。

 

「どうせ家業を継ぐなら、これまで誰もやってこなかったことをやってみてはどうかと言われるんですよ。そこで、例えばどんなことですかと聞くと、少し考えて、光るロープをつくるというのはどうかと言われたんです。ご存知の通り、魚捕りに集魚灯は欠かせませんが、あれって実は凄くガソリンを食うんですね。だから光るロープができれば、漁師はずいぶん助かるし喜ぶぞって。ざっくり言えばそんな話でした。その〝喜ぶぞ〟ってひと言にすっかり参ってしまいましてね。はい、やります。必ずやりますって、それがどれほどたいへんなことか知りもしないのに、つい言ってしまったんですよ。それで退くに退けなくなったというのが、本当のところですね(笑い)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ、氏はまだホヤホヤの新米社員である。覚えなければいけないことは山ほどあった。ましてや氏が生まれ育った蒲郡の形原という町は、明治時代からの繊維ロープのメッカで、生産量は多いときで全国シェアの60%、今も40%(全国一)というとんでもない激戦地だ。海の物とも山の物とも知れない発明に取り組んでいる時間など、氏にあろう筈がない。そんなわけで頭の隅には残しながらも、しばしそのことには触れず、家業を継ぐための厳しい研鑽に、日々勤しんできたようだ。

 

その氏が、いよいよ本格的に光るロープの研究開発に取り組み始めたのは、代表取締役社長に就任した2001年頃からである。

 

「まず考えたのは光る塗料でした。そこで時計の文字盤で世界的に有名な、東京杉並区の大手蓄光塗料メーカーまで見に行きましてね。結果的に17~18万円ほど出して原料を買ってきたんです。しかしこれが大失敗ですよ。繊維ロープの原料チップと合わせて溶融機にかけたんですが、元々が石ですから溶けないんです。いけない!って思ったときはもうバリバリッ。機械がぶっ壊れて、直すのに260万円ほど掛かりました(笑い)」

 

さすがこれには精神的にも参ったようで、氏はまたしばし、光るロープを頭の隅に追いやることになる。それが頭の前面にまたぞろ這い出してきたのは、

「家内といっしょにラグーナ蒲郡というテーマパークに遊びに行って、夜空を彩る綺麗なイルミネーションを目にしたときです。これだ!と思いましてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが2004年のことである。その翌日から約1年間、優秀な技術を持ち、いっしょになって製品開発に取り組んでくれるLEDメーカーを求めて、氏は休みなく全国を飛び回ったという。これ以降の経緯は先に書いた通りだ。それが商売とはいえ、誰にでもできることではあるまい。凄まじいまでの思い入れであり、実行力と言っていいだろう。

 

「そんなに大層なものではないですよ。だってモノをつくる仕事をしている以上、それを使う人たちの喜ぶ顔が見たいじゃないですか。そのためには諦めずに頑張る。それだけですよ」

 

なるほど。おそらくそれが、ひたすらモノづくりを続ける氏の原点のひとつなのだろう。

 

現場とはつくっている所ではなく使っている所

最後に今、この国の中小モノづくり企業が抱えている問題点や、今後の方向などについて、考えるところがあれば披露して欲しいと請うたところ、次のような答えが返ってきたので紹介しておこう。

 

「どうも見ていると、全体的につくり手の考え方とか都合が中心になっている気がしますね。それでは本当のニーズが掴めないと思いますよ。そうすると結果的に価格競争だけになり、安かろう、悪かろうのモノづくりに走るしかなくなります。それではアジアの新興国に勝てるわけがありません。勝てなければ今度は、それなら税金も人件費も安いアジアでつくろうと考えるようになります。すると次は、技術が流出し、やがて品質的にも並ばれてしまいます。最悪のシナリオですけど、それが現実になりつつあるから問題は深刻です。それもくどいようですが、本を質せば本当のニーズを掴んでいないからですよ。本当のニーズを掴むには、現場に出るしかありません。よく現場主義なんて言いながら、(自社の)工場に入り浸りの経営者を見ますが、勘違いも甚だしいですね。現場とは製品をつくっている所ではなくて、製品を使っている所です。その現場に出て、使っている人の生の声を聞くことですよ。そうしなければ本当のニーズは掴めません。逆に現場の生の声を聞けば、何がしかのちょっとしたヒントを得ることができます。そのちょっとしたヒントが、実は大きな力になるんです。ちなみに私どもでは、間に入っている問屋さんの了解を得て、余程の事情でもない限り、必ず現場に出向いて使っている人たちの生の声を聞くようにしています。これは私たちがモノづくりを続けていくうえで、何が何でも譲れない原理原則だと考えています」

 

何が何でもの現場主義──。改めて指摘するまでもないが、これもまた立ち帰るべき日本のモノづくりの、原点のひとつに違いない。

 

大竹宏幸(おおたけ・ひろゆき)

1959年生まれ、愛知県蒲郡市出身。名城大学卒業。1981年、三栄製綱入社。約10年に亘り製造、開発、営業、商品管理など幅広い業務に従事した後、1990年、専務取締役に就任。2001年、創業から4代目のトップマネジメントとして、代表取締役社長に就任、現在に至る。

三栄製綱株式会社

〒443─0104 愛知県蒲郡市形原町西欠ノ上10番地

TEL 0533(57)6135