知恵とアイデアで市場を開拓。
省資源ストレッチフィルムで世界を狙う

会社というのは確かに人があってこそである。人だけでまとまる会社などあるはずはなく、それは銀行ならば資金であったり、モノづくりであれば、技術や製品、ノウハウであったりする。そうした人が一つになれるための「モノ」。そこから世界を視野に入れた戦略も生まれてくる。そうした自論を持つ一人の経営者の姿を追った。

 

ストラシステム株式会社 代表取締役 古市良也氏

 

誘われるまま包装業界へそしていつしか社長

「この業界に入ったのは1968年。ですからもう40年以上この業界にいることになりますね」

と、ストラシステム代表取締役の古市氏は述懐する。だが同氏は最初からこの業界を目指してきたわけではなかった。

 

「これといったきっかけと呼べるものもなく、大学を卒業して、同じ会社でサラリーマンをずっとやっていても面白くないから、何回かは会社を変わろうと当時から思っていました」

 

最初は道路の舗装会社に就職。

「友達は就職活動にいそしむ中で、こっちはノンポリで、ブラブラしていたものですから、夏ごろになってようやく就職課に行ったら、『今頃来たって就職するところなんてないよ』と言われて、たまたま先輩が働いていた道路の舗装会社を紹介されたので、商学部出身だったものですから、そこで経理として働くことになりました」

そして、当初の予定通り2年後に転職。

 

「義理の兄が、良かったらこっちで経理として働いてみないかということで、その会社は包装材料関係の老舗で30人ぐらいの会社だったのですが、新製品を開発してメーカーになろうというタイミングでもありました」

 

ちょうど企業がコンピューターを導入し始めたはしりの頃で、経理関係のコンピューターの立ち上げを任されることになる。その頃はまだコンピューターといっても売上の管理や給与計算などのプログラムを自分で組まなければならず、相当苦労もあったという。しかし2年ぐらい経つと、突然営業に回らないかと声をかけられる。もちろん、営業など一回もやったことがなかった。

 

「名古屋の支社を任せられるようになって、小さい会社でしたから、営業や、経理、製造関係などいろいろ携わっていくなかで、自分の力でやろうと思えばなんでもできるという前向きな姿勢が生まれて、誰がリーダーということもあまり関係なく、人から使われているという意識もあまりありませんでした」

 

そういう自由な気風の中で会社は成長し、当初は30人だった会社も気付けば250人にまで成長していた。全国の販売網づくりや世界戦略といったことまで考えるまでになったが、バブルが崩壊。その後は同社も業容の縮小を余儀なくされ、人員整理や希望退職といった言葉が出始める。

 

「みんなでやってきたのに『いまさら守りに入るなんて』と思いました。だったら自分でやろうということになって、1993年、51歳の時に同僚と共に会社を立ち上げたのです」

 

考えつきそうで、考えつかないアイデア世界一の製品が認められる

右肩上がりの高度経済成長では、皆が豊かさという同じ方向、目標を目指すことができ、経営でも父親がやってきたことを息子に継がせる場合でも「俺と同じことをしろ」と堂々と言うことができた。いわば、誰もが真面目にやっていれば生きていける時代が高度経済成長だったといえる。

 

ところが80年代後半、バブル期の価値観の変化とその後の「失われた10年」はそうした時代が終焉を迎えたことを如実に物語った。

 

古市氏は「いままでは努力が試される時代だった。しかし、これからは能力が試される時代。努力をすれば認められていた時代は、ある意味、出社から退社まで真面目にやっていれば食べていくことはできた。けれども今の時代は真面目にやっていても上手くいくとは限らない。常にアンテナを張って知恵を使わなければ生き残れないという意識がますます顕著に、シビアになってきました」と分析する。

 

では、市場や人々が求めているものと、自分の中の知恵というものとをどう歩み寄らせるのか。古市氏の導き出した答えの一つが〝世界で一番のモノをつくる〟だった。

 

「日本だけではなく、世界視野で考えて業界で一番になれるものが、果して作り出せるのか。難しいけれども、そこに挑戦してみたのです」

 

古市氏には一つのアイデアがあった。精密部品やプラスチック製品などの壊れやすい品物を送る際の封筒として、いらなくなった新聞をクッション材に応用して緩衝封筒をつくろうというのだ。

 

新聞紙ならば、一回新聞紙として使われたあとは破棄するだけだから、いわゆる環境負荷はかからない。雑誌では大きさが違ったり、形も素材も違うことがある。ところが新聞はタブロイド版か、全版しかないので、紙質においても世界でも違いはほとんどない。原料が均一でなければ、できあがった製品も一定のグレードにはならないからだ。これを完成させれば、世界中で採用されるのも夢ではないと古市氏は考えた。

 

前述の会社を退職後、同僚と二人で新たな会社を創業し、すぐに特許申請を出した。そしてこの機械を是非採用してくれないかと各方面に営業に回ったのだが、完成した機械そのものがなく、手作りした封筒を見せて「これは世界で一番のエコ製品だ」といっても、なにぶん説得力に欠けた。かといって自分で装置をつくるほどの資金の余裕もない。

 

足を棒にして歩き回ってようやく、一つ二つと注文をとることができ、当時は創造法という中小企業の開発を支援する法律ができた頃で、その認定を受けたことで銀行から資金を調達することができた。実際にはそこからさらに2年間の試行錯誤があり、最終的には「本当につくれるのかと不安がよぎったほどだった」と古市氏は述懐する。

 

新聞古紙を利用した緩衝袋は同社のオリジナルブランド「ハイクッション」として評判を呼び、装置自体は一台一億円はする高価なものだが、古市氏の読み通り、ドイツや韓国など海外で紹介したところ、高い評価を得て数台の受注をとることができた。古市氏は「最終的には世界で50台は売れる」と自信をみせる。

 

 

同社のように、会社が独自に持つ技術を活かし、かつ世界と渡りあっていくような製品を中小の企業がいかに開発していくか。古市氏は「身の回りにあるものからアイデアを探していくことが重要」だという。緩衝封筒でいえば、気泡のもの(いわゆるプチプチ)よりも環境に優しいものは何かと考えてみた結果、その辺にあった読み終わった新聞紙を見て、アイデアがひらめいた。コロンブスの卵ではないが、そこに気付き、さらに実際に行動できるかの違いは実に大きい。

 

また、従来のものから置き換えられるもので発想するということも重要だと語る。

 

「新しいものを開発するといっても、何もないところから開発するというのは大学とか大きな機関の研究者がやるものです。例えば、梱包業界でいうと、物量が毎年3%ずつぐらい減っているのです。毎年3%減っているということは、10年後は30%減る。市場は確実に縮小しているわけです。

 

その時に従来と同じのものを扱っていたのでは、結局縮小するなかでの競争、既存のパイの奪い合いですから、所詮体力勝負になる。30%減ったと考えるか、視点を変えて70%残っていると考えるか。70%の市場でも価値観の変化、イノベーションを起こすことができれば、それは新しい市場になり、大きな成長の可能性が秘められている。そこにこそ知恵を注ぎ込むべきなんです」

 

梱包業界の新たな市場を席巻するか3年越しの新製品「コマキ」

物流には欠かせないパレット。その荷物を梱包、固定するためには、主にストレッチフィルムと呼ばれる巨大なラップが使用されているが、現在、縮小しているとはいえ日本の市場は年間200億円にものぼるといわれている。そこにどう新しい市場を生み出していくか。すでに古市氏は動き出している。

 

 

「コマキ」という商品がそれで、従来の手で巻くタイプのストレッチフィルムは月に300万本使われており、芯の部分の紙管は使い終わるとそのままゴミになっていた。紙に換算すると1万7千トンのゴミが年間に出ている計算になる。しかし、コマキは紙管の内径を3分の1にまで細くし、しかも持ち手のついたシャフトで構成された専用ホルダーを使用することで、大幅な運送コスト、ゴミ排出量の削減に成功した。従来のものと比べ、CO2を90%削減、紙管の使用量も9分の1にまで削減でき、さらに将来的には紙管そのものをなくすことを目指しているという。また、大きさも手で持てるサイズになっており、ホルダー部を固定することで手袋がなくても簡単に巻けるように工夫が施されている(上写真)。

 

2年ほど前から徐々にテスト販売を行ってきたが、去年の12月から正式に販売を開始、県の経営革新計画の承認も得て、評判は上々のようだ。

 

「物流に関わる全ての場面で利用できる製品をつくろうということで、最初は金属でつくってみたり、最終的にこの形になるまで3年もかかってしまいました。これから代理店を開拓して200億円の市場うち、10%ぐらいは獲得できると考えています」

 

古市氏は今後、世界で1兆円規模ともいわれる市場を又にかけ、勝負をかける。

 

外国人を増やして世界の知恵をもっと日本に呼び入れるべき

大局的に考えて、古市氏は日本が経済成長を遂げた時のような活力を取り戻すためには、もっと海外から広く人を呼び寄せる必要があると訴える。

 

「人口の減少が止まらないような国に政治なんてありえませんよ。出生率を増やすだけではもはや限界がある。私が政治家だったら、もっと外国人を広く受け入れますね。人のいないところで世界戦略なんてできるわけがない。いまの政治家が一番やらなくてはいけないのは人の開国です。外国に出て行くばかりではなく、外国からどんどん呼び寄せられる魅力を持たなければならない。

シンガポールは80年代は200万人ぐらいだった人口が、今では5、600万人になっていますよ。日本と同じ天然資源が少ないにもかかわらず、それでいて一人当たりのGDPは日本を上回っている。外国人を受け入れると、なにかというと治安が悪くなると言う人がいるが、治安はそこに住む人次第で良くも悪くも変えていけるものです。ですが人がいなくなることで生じるひずみは、どうにも解決しようがない。私は日本の人口が10億人になるのは十分ありえると思っています。北海道から九州まで東京みたいに都市化して活性化させればいいんです。日本を世界の知の集積所にするんですよ」

 

泣き言を言って状況が良くなるのであれば、苦労はしない。政治が悪かろうが、治安が悪かろうが、メシを喰わずにはいられないのだから、自分の力で考えて行動するしかない。今の日本人にはそういう世界と渡り合えるだけの力が欠けていると古市氏は考えている。

 

「私から言わせれば、人の意見を聞いて良い部分だけ採用してなんて考えは甘いです。人には持って生まれた資質がありますから、何でも決めつけるのは良くありませんが、自分の人生は自分で作っていかなければいけない。誰かから教わってできるものでは決してないのです」

 

この言葉が、これからの日本の進むべき道の一助となることを願う。

 

本の原子力行政に問題あり!

福島県出身の古市氏は3・11の大震災以降、福島第一原子力発電所のニュースを見る度に「津波の被害はともかく、原発そのものは明らかな設計ミス、人災ですよ」と怒りを隠さない。

 

「アメリカやロシアでも核実験は必ず地下で行われていたはずです。そんなに危険なものを何故、平和的に利用するからという理由だけで地上に建設してしまったんですか。私ならあんな設計は絶対にしない。地下に作られていれば津波が来ても問題はなかったはずです。科学者の考えることはその程度かと悲しくなると同時に、同じモノづくりとして情けなくなりましたよ」

 

モノづくり日本の復権を掲げる政府にこの声は届くだろうか。

 

 

 

古市良也氏(ふるいち よしや)

1942年、福島県生まれ。中央大学商学部卒業後、道路舗装の会社に勤務。のち、梱包機メーカーに25年間勤務、1993年ストラシステムを設立、代表取締役に就任、現在に至る。

 

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