企画立案、開発、運用など、顧客の課題をICTで解決する株式会社エヌエルプラス。

「社員は2020年10月時点で300名を超えました。大手ITベンダー企業と比べると小規模ですが、どの領域の課題にも対応できる布陣を敷いています。とにかく業種や業態を問わず、お客様の困りごとの解決に心血を注いでいるのです」

そう語るのは、代表取締役CEOの笠間一生氏だ。

2020年9月に株式会社電警からエヌエルプラスへと社名変更したばかりの会社を率いる笠間氏のルーツを探ると、課題解決にかける純粋な想いが見えてきた。

社名を変え、社員の足並みを揃えて先へ進む

株式会社エヌエルプラスは、コンサルティングや開発、企画設計など、ICT分野の多岐にわたる業務をひととおりこなすソリューションカンパニーだ。多種多様な依頼に対応し、企業が抱える課題を解決している。

エヌエルプラスの以前の社名は、株式会社電警だった。インターネットのセキュリティを守るというコンセプトで、2009年に設立。その後社員や顧客の増加に伴い、ICT分野のさまざまな課題を解決できる会社に成長していった。その結果、警備に特化したイメージを与える「電警」という社名では、事業内容との乖離があるように感じられ、社名を変更することにした。

また、社名変更の背景には、社員の足並みを揃えたいという考えもあったと笠間氏は話す。

 

「3年ほど前まで社員数は約60名でしたが、その後どんどん増えて今では300名を超えました。社員の入社時期は、創業期と成長期前半、そして直近である成長期後半の大きく3つに分けられます。

入社時期が異なる社員は、向いている方向も少しずつ違います。そのため、社名変更することで今まで培ってきた良いところは残しつつ、さらに先へ進むため皆で足並みを揃えたいと考えました」

電警時代にはグループ会社が8つあったが、2019年に全て一本化。合併したグループ会社のひとつに、開発を行う株式会社 New Life Plusがあった。エヌエルプラス(NL PLUS)という新しい社名は、このNew Life Plusがベースとなっている。

 

「当社の業務は多岐にわたるため、「N」と「L」で始まる単語を各部署のコンセプトとして付けています。例えば営業本部であれば、New Life Plus。また、新しい仕事を作る事業企画本部では、New Lift Plus。それらの総称として、会社名をエヌエルプラスとしました」

笠間氏は、電警時代に入社し会社を支え続け、代表取締役となった。しかし、最初からIT・ICT業界で働いていたのではない。働くまでに、紆余曲折を経たのである。

 

電気工事士から修行を経て、IT・ICT業界を志す

東京都大田区で育った笠間氏は、18歳で社会に出た。当時進学は特に考えておらず、好んでいた力仕事をするために、電気工事士の道へ進んだ。しかし、18歳の少年は、現場仕事を通じて多くのことを感じることとなる。

 

「主に工事現場で仕事をしていました。日々学びがあり、とてもやりがいがありました。その一方で、現場では立ちっぱなし動きっぱなしでとにかく体力勝負の環境です。ふと、この世界で、自分はずっと生きていくのだろうかと考えました」

メンタリティの強さは培われたものの、体を壊すと働けなくなってしまう肉体労働は、保証もなく長続きしないと感じた笠間氏。将来的に長く働くことを考えた結果、3年間の電気工事士としての生活から抜け出し業種を変えることにした。

そしてタイミングよく、会社を経営している叔父から声がかかり、ソフトウェアの開発会社でパソコンの修行ができることになった。2年ほどプログラミングなどの基本を学び、自身に合っていると感じた笠間氏は、IT・ICT業界への転職を志すようになるのである。

派遣→契約→正社員と駆け上がり、トラブル解決に尽力

IT・ICT企業で働きたいと考えたものの、当時は現在よりも学歴が重視される時代。最終学歴が高校の笠間氏は、面接に進むことすらできなかった。そこで、まずは派遣社員として働くことにしたのである。

26歳のとき、派遣会社から大手ITアウトソーシング企業を経由し、あるメーカーのIT研究開発センター内にあるヘルプデスクに配属された。ここから、笠間氏のIT人生が始まった。

人懐こく真面目な性格の笠間氏は、お客様だけでなくアウトソーシング企業の部長にも気に入られた。その結果、入社から半年後には派遣会社を通さずアウトソーシング会社と直接契約し、契約社員となる。その後も必死で働き、約2年で念願の正社員となった。

さらに、笠間氏の快進撃はここでは終わらなかった。

 

「業務の性質上お客様先での勤務が多かったのですが、私は当時渋谷にあった本社での勤務に憧れていました。そこで上司に、1年で売上を10倍にできたら1つ役職を上げてほしいと頼んだのです。無事に達成でき、28歳のときに晴れて本社勤務となりました」

本社勤務が叶うとともに役職が上がりマネージャーになった笠間氏は、社員の管理業務を担当。関わる顧客も変わり、部下も100名ほどに増え、第二のIT人生を歩み始めた。

マネージャー職に就いてからも、笠間氏は顧客の課題を解決するためトラブルが起きているところに飛び込んでいくことが多かった。

 

「トラブルが起こっているところは、最初は喧々轟々としています。お客様に詰められ、社員も疲弊しきっている状態です。しかし、そこから立て直してトラブルを解決することで、関わった全ての人が味方になるのです。ひとつの大きな山を共に乗り越えることで、絆も強くなります。それを繰り返し、40社を超える企業の課題を解決してきました」

困っている人たちを助けたいという想いで動き、その結果人間関係が強化される。これは、笠間氏がIT業界に飛び込んでからエヌエルプラスの代表となった今まで、一貫して大切にしていることだ。

お客様のために行動したいーー独立、そして電警へ

念願のIT企業に正社員として勤務し、水を得た魚のように次々と顧客の問題を解決していった笠間氏。しかし、今度は大手企業のマニュアル重視な姿勢に悩むこととなる。

 

「大規模にサービスを提供する会社だったので、とにかく標準化して皆同じように動くことが求められました。私は課題を解決する方法をどんどん思いつくので、お客様のために提案したかったのですが、それを続けられる人員がいないからと本社に却下されてばかりだったのです。

お客様のために行動したいのにさせてもらえず、フラストレーションがたまり、上司の指示を無視して提案し契約を取ることもありました」

IT・ICTを使ってこのようなシステムやプログラムを作れば、あるいはこの分野が得意な人材を採用すれば、確実にお客様のためになる。そうわかっているのに会社から提案を制限されてしまうことで、笠間氏の心に葛藤が生まれていった。

そして、約8年間勤務した大手ITアウトソーシング企業を辞め34歳で独立し、2年間ひとりでITコンサルティングを行った。前職時代にトラブル解決を通してコネクションを培っていたため、多くの人から仕事の依頼が来て、初月から仕事に困ることはなかった。

そんな折、以前から関わりのあった電警の創業者と再会し、電警へ入社することになる。笠間氏は会社のナンバー2として、営業や事業企画をしながら事業を連携できるようカスタマイズし、事業拡大に努めた。さらに、トラブル案件をひとりで担当することも多く、問題解決に貢献したいという気持ちは転職後も変わらず持ち続けていた。

会社外でも問題解決のために動く

問題解決に貢献したいという想いは、エヌエルプラスでの仕事だけにとどまらない。笠間氏は、2019年から一般財団法人PEACE BY PEACE COTTONの業務執行理事を務めている。

PEACE BY PEACE COTTON PROJECTは、2008年に株式会社フェリシモでスタートした。インドの貧しい農村では、綿花を作るために大量の農薬や化学肥料を投入し、その結果健康被害や借金苦による自殺で年間約3万人が命を落とす。そのような負の循環を断ち切るため、オーガニックコットンを育てて売り、自走させるのがプロジェクトの目的だ。

笠間氏はもともと、財団のクローズドなSNSやアプリを作ってほしいという依頼を受けており、それがきっかけで現地の視察に同行した。現地には今まさに困っている人々がいて、自身は問題解決の進め方を知っている。これまで数多のトラブルを解決してきた笠間氏だからこそ、ICTを活用した解決方法を思いつき、財団に提案した。それが財団に受け入れられ、笠間氏は業務執行理事となったのである。

 

「15年以上IT・ICT業界で働き、企業の担当者の課題を解決して大金を頂き、それを営業費用に充ててさらに課題を解決するというサイクルを回してきました。もちろんやりがいはありますが、大きな消費活動に疲れていた部分もあったのだと思います。

そんなときにインドへ行き、全くお金儲けのにおいがないところで課題を解決することに心が動きました。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響でインドに行けていませんが、ライフワークとして取り組みは続けています」

さらに笠間氏は、フェリシモやセイノーホールディングス株式会社とともに出資し設立した株式会社LOCCOでも取締役を務めている。物流におけるラストワンマイル課題を解決するため、ICTを活用し荷物の情報を連携したり、ギグワーカーとマッチングできるようにしたりと、新たな世界を作ろうと奮闘しているのだ。

 

上場をやめ、筋肉質な組織づくりを目指す

会社外での活動にも力を入れている笠間氏は、当然自社の発展にも注力している。笠間氏がエヌエルプラスの代表取締役となる前に、一度株式上場させようという話が出た。上場が得意なメンバーを迎え準備を進めたものの、事業拡大によって社員が増えちぐはぐさが目立っていたこともあり、明らかに社員が疲弊しているのが見て取れた。

 

「何のために上場するかを役員間で改めて話し合い、一旦やめることにしました。本当に上場すべき理由があるならば全員一枚岩となって進むべきですが、経営側が上場しようと言っているだけで、社員は混乱している状態でしたから。

そこで、非上場のまま会社を続けるのであれば、今までずっと経営を拡大させてきた私が適任だと判断され、代表取締役に就任しました」

また、上場をやめたもうひとつの理由として、資金調達が挙げられる。上場することで広く資金が集められるようになるが、現在のエヌエルプラスは営業黒字が続いており、そこまで大規模な資金調達を必要としていない。そのため急いで上場するのではなく、強い組織づくりを優先させることにしたのである。

 

「マインドや醸成される雰囲気などは、会社にとって非常に重要です。それが崩れたまま上場しても、いずれ組織は分解するだろうと考えました。

今後サービスを作って大きく打ち出したいとなったら上場する可能性がありますが、今すぐ行うわけではないので、現時点で上場は不要です。それよりも、今は筋肉質な組織の構築を優先させる必要があると判断しました」。

 

毎日少しずつ背伸びをすることで、着実に成長を続ける

社員だけでなく、顧客も売上も増え、成長を続けるエヌエルプラス。意外なことに笠間氏は、理想像を目指して進んできたのではなく、気付いたら自身も会社も成長していたのだと話す。

 

「今でもこうなりたいという理想はあまりなく、今日ギリギリできるところまで背伸びしようと思いながら毎日生きていたら、いつの間にか社員も増え、会社としてできることも広がっていました。

今の自分と向き合い、もう少しいけるだろうと跳んでいたら、ものすごく高く跳べたようなイメージです。自分や周りの仲間の価値観で醸成されたことをやり続けた結果、ICTを活用した課題解決という価値提供につながっているのです。

私は刺激や変化が好きで好奇心が強く、1回しかない人生いけるところまでいってみようという気持ちで今まで走ってきました。その結果、昔では考えられないポジションで現在働いています」

IT・ICT業界へ飛び込んでから、自身にできることを日々更新し、数多の企業の課題解決につなげてきた。そして代表取締役に就任した笠間氏は、これからも自身にできることを追求しながら会社を成長させていくだろう。

 

プロフィール

笠間一生(かさま・かずたか)氏…1978年9月7日生まれ。高校卒業後は電気工事士として働き、大手ITアウトソーシング企業へ転職。その後独立してITコンサルティングを行い、株式会社電警へ入社。株式会社エヌエルプラス代表取締役CEO。一般財団法人PEACE BY PEACE COTTON業務執行理事、株式会社LOCCO取締役。

株式会社エヌエルプラス

〒107-0052 東京都港区赤坂6-13-13 エスト・グランディールCARO赤坂1F-2F

URL:https://nl-plus.co.jp/

社員数:323名(2020年10月1日現在)