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果敢に、冷静に──。

株式会社三進製作所  1.5代目社長の「好〝〟一代記」

孫請け、曾孫請けから押しも押されもしないグローバル企業に

◆取材:綿抜 幹夫 / 文:大高 正以知 / 撮影:周 鉄鷹

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自己資本率75%&完全無借金経営を誇る創業68年の老舗金属プレス加工・精密筐体メーカー

株式会社三進製作所/取締役会長 谷治健一氏

アメリカの著名な経営学者、ダグラス・マグレガーによると、人は元々怠け者で食うためにやむを得ず働くものだとする考え方(X理論)と、そうじゃない、人は元々働くことが好きで、自己実現のために進んで行動するものだという考え方(Y理論)がある。周辺を取材し、ご本人の話も聞いてつくづく思ったが、紛れもなくこの人は後者の代表というか、井原西鶴流に言えば「好〝職〟一代男」である。金属プレス加工や、ATMなど精密機器の筐体メーカーとして知られる三進製作所(埼玉県戸田市)の取締役会長、谷治健一氏(76歳)だ。そのケタ違いの好〝職〟ぶりと、それによっていつしか姿を変え、みるみる進化を果たしてきたこの会社の道程を、詳しくリポートしよう。

 

町の自転車工場相手に文字通りの自転車操業

風景 (19)

「結局、今思うとボクは、モノづくりも然ることながら、若い頃からビジネスが好きで好きで仕方がなかったんでしょうね。苦労も多いけど、楽しいことも多いから」(谷治氏、以下同)
確かに、好きこそものの上手なれとは言うが、しかしそれだけじゃあこの成長っぷりはとても説明できまい。失礼を承知で言うが、元を質せば同社はいわゆる孫請け、曾孫請け会社で、金属板を切ったり揃えたりするだけの、板橋区(東京)の小さなシャーリング工場である。それを(氏が経営に携わるようになるや)瞬く間に、プレス加工から精密板金加工、塗装、各種筐体の組立まで、一貫して高品質多量生産のできるロボット化体制と従業員規模(国内外に7000坪クラスの2工場と3拠点、約300人)に整え、大手機械メーカーから直接受注するばかりか、海外でもバンバン売りまくるまでの、押しも押されもしないグローバル企業に成長させているのだ。

 

グローバルついでに言うと、ここ数年、同社のタイ工場(現地法人SHTT.LTD)は毎月数千万円もの利益を計上しており、三進グループ(国内外合わせて3法人)にとって今や大きな〝資金源のひとつ〟になっているという。このタイ工場を足掛かりに、近い将来のこととしてミャンマーへの進出も、どうやら視野に置いているようだ。

 

「この前アウンサン・スーチーさんが日本にきたとき、安倍首相が今後の支援を約束したじゃないですか。あの国もおそらくここ数年のうちに民主化が一気に進み、インフラも整備されて、著しく経済成長を始めると思うんですよね。そうするとほら、4〜5年先にはボクらにも大きなチャンスが巡ってくるじゃないですか」

なんのなんの。ビジネスが好きで好きで仕方がないという気持ちは、今も変わることなく健在である。しかしそれはそれとして、まずは同社が歩んできたこれまでの道程から振り返ってみよう。電車 過去 (2)

創業は終戦の年(1945年)の春。当時の屋号は谷治製作所(東京練馬区)である。

「親父と親父の兄弟合わせて5人で始めた会社でしてね。詳しい事情は分からないけど、鉄工部というのと製粉部というのがあったんですよ。それが昭和26年(1951年)に鉄工部の方で火を出しちゃいまして(火事になって)ね。それを機に上の2人が製粉部を継いで、親父たち下の3人が鉄工部を別会社にして板橋につくったのが、三進製作所ってわけですよ」

3人で力を合わせて、しっかり前に進もうという趣旨のネーミングだったようだが、上述した通り孫請け、曾孫請けで、しかもシャーリング1本では大した商売にはならない。言わずもがなだが、会社の米びつはいつも空っぽだったようだ。そこで始めたのが自転車の荷掛けとスタンドづくりだが、これも大量受注の見込める大手メーカーが相手ならいざ知らず、町の小さな自転車工場が相手では、文字通り〝自転車操業〟を続ける他ない。谷治健一氏が大学(中央大)を卒業し、入社したのは1959年、まさにその自転車操業時代だったという。

 

 

取引先が気を揉むほど投資、投資の連続02_sanshin02

コンビニ向けATM/組立品(下)と、銀行向けATM(右)

「親父が一応社長をやっていましたからね、ま、形としてはボクも2代目社長候補ってことで入社したわけですよ。ところがどっこい。実際に入って会社の内情を知ったら、そんなことを言ってる場合じゃないんですね。第一、ろくに仕事がないんですから。とくに夏場なんか酷いもんでしてね。下手すると丸々2カ月も遊んでたりするんですよ。で、これじゃあいけないと思ってあちこち営業に飛び回るんだけど、こっちは名もない孫請け会社で、しかもボク自身がまだ駆け出しじゃないですか。相手にもしてもらえないんですよ。そこで仕方なく、工場で出る端材か何か持ってってね、これでこうやれば、同じモノがこんなに安くできますとか言っていろいろ提案したりするんですけど、それでもなかなか。そうは問屋が卸してくれません(笑い)」

 

しかしこのときの営業活動こそが、結果的に同社にとっての一大転機となるから、ビジネスの世界は分からないというか面白い。それまで振り向いてもくれなかった大手電機メーカーや家庭用設備メーカーなどから、思いもしないオファーが続々と舞い込むようになったのだ。

「驚きましたよ。ただ中には、取引を始めて間もないうちに潰れた会社も幾つかあって、合わせて4千万円ほどの不渡り(手形)を掴まされる失敗もしましたけどね。でも大きな目で見ると、金属加工メーカーとして成長するという意味では、掛け替えのない有形無形のアドバンテージを、ボクたちは手にしたと思いますよ」

 

その第一は、何と言っても製造業界における同社の立ち位置であり、その立ち位置に背中を押される形で一気に進んだ、設備レベルの更新と技術革新である。中でも特筆すべきは加工ラインのロボット化だ。当時としては無謀と言われても仕方がない(現にそう言う人も少なくなかった)ほど先駆的な取り組みで、これによって無人化・省力化が一気に進んだばかりか、熟練の職人だけが持つ〝暗黙知〟を、見事〝形式知化〟してみせたのである。これが大手メーカーの注目を集め、やがて全面的な取引に繋げる最大の原動力になったと言っていい。

前段では言いそびれたが、現在同社が直接受注し、納品している大手メーカーは、国内だけでも日立製作所、日立産機システム、三菱電機、東芝、ソニー、コクヨほか約100社にも上るという。ついでながらもっとも得意としている精密板金加工技術は、高い精度を要求されるATM(銀行の端末機)やコンピューター、エアクリーナーなどの筐体づくりに欠かせない最新テクノロジーとして、今や確固たる信頼を獲得しており、これもまた氏の営業努力によって、(結果的には撤退したものの)かつて東芝のブラウン管に使う電子部品を手掛けたことが、大きな足掛かりになったと考えられる。

 

これまたついでながら言うと、一気に進んだのは設備の更新や技術革新だけではない。それに応じたハコ(工場)とヒト(人材)の拡充も同様だという。

「今思えば、取引先が気を揉むほど投資、投資の連続でしたね。昭和41年(1966年)から45年(1970年)の間に、本社第2工場、戸田第1工場、戸田第2工場に続き、電子機器専門の戸田第3工場も建てまして、従業員も毎年、数十人規模で増員したものです」

 

とまあざっと紹介したが、ここまでが入社した年(つまり大学卒業の年)から僅か11年間に、氏が果敢にやってのけたビジネス、仕事の数々である。巷ではよく、創業者が成した財を2代目が食い潰すなどと言うが、こうして見ると何のことはない。食い潰すどころか、氏がやってきたことはむしろ、本来なら創業者の範疇に属する仕事と言っていいだろう。

「ハハハ。最初っから呑気に構えていられる状況じゃあなかったですからね。そう言えば気の置けない連中はみんな、お前は2代目じゃなくて1.5代目だなんてよく言いますよ」

なるほど1.5代目──。言い得て妙とはこのことだ。

 

 

血は水よりも濃しで、この分だと……02_sanshin03

タイ工場・SHTT(左)と、新潟工場(右)

ちなみに同社のラインは現在、国内は新潟工場、国外はタイのアユタヤ県にあるグループ会社、SHTTの工場に集約されている。新潟工場は、氏が取引を決めた日立製作所の亀戸(東京)工場の移転に伴って設立(1974年)した新潟三進製作所を、改めて合併(2003年)した、事実上の本社工場である。面積がなんと7000坪という広大な敷地には、桃や梨の木がそこかしこに植わっており、さながら自然の果樹園といった趣きだ。地域社会にも様々な形で貢献しており、今ではすっかり地元に溶け込んでいるという。

 

しかし実はこれとて一朝一夕で成ったわけではない。というよりそもそもは、〝進出〟そのものすらが危うかったようだ。

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「だって電気を通さないって言うんですよ、当時の黒川村の村長が」

聞くとこうだ。今、工場のある辺りは平成の大合併で胎内市になっているが、元々は中条町と黒川村に分かれており、日立は中条町に、三進は黒川村に工場を建てることが決まっていたという。問題はその両方の電力供給を、黒川村の変電所が一手に引き受けていたことだ。

「日立さんの責任者と一緒に表敬訪問をしたんですが、村長は日立さんのほうの名刺を見て、開口一番にこれは〝ニッタチ〟と読むのか?と言うんです」

もちろん村長がヒタチを知らないわけがない。当時の日立製作所が飛ぶ鳥を落とす勢いだったのはいいとして、

「日立さんからするとそんなことはないんでしょうけど、村長から見ると、日立さんのやり方が傲慢と言うか、何かにつけて強引過ぎるように見えたんですね。もちろんボクのことも同族に見られたと思いますよ。それでヘソを曲げちゃったというわけですよ。今だから笑って話せますけど、それもちょっとやそっとの曲げ方じゃなくて、テコでも動かんというガチガチの曲げ方です」

とまれ電気が通らないとなると、莫大な資金と3年以上もかけて進めてきた計画が、立ち所に頓挫する。2人が慌てたのは言うまでもないが、もっと慌てたのは亀戸(日立)の幹部である。氏はいきなり呼びつけられて、大声で怒鳴りつけられたという。

「ま、でもその頃は解決していたので、何を言われても平気でしたけどね(笑い)」

 

冷静になった氏は、以来連日のように役場詣でをし、誠意と熱意を以って村長の説得に努めたようだ。

「今後の事業のあり方とか、地域社会との関わり方とか、いろんな方面から将来のビジョンを一生懸命話したものです。そしたらこっちがまだ30歳代の若い経営者ということもあって、村長も最後は気持ち良く了解してくれましてね」

「1.5代目社長」の面目躍如と言っていいだろう。ちなみに同社は現在、国内の需要にはこの新潟工場ですべて対応している。

 

一方のSHTTも、単なる製造拠点という位置づけではなく、タイ国内と近隣の製造業を相手に商いを展開しており、上述したが、月に数千万円もの利益を計上する超優良企業である。

「実は今でこそ優良企業ですが、10億円近く懸けて進出したのに、つい6~7年前までは酷い赤字会社だったんですよ。私の信頼する優秀な社員を社長にして送り込んでいたんですが、優秀な社員が必ずしも優秀な社長になるとは限らないんですね。そこで仕方なく呼び返して、代わりに倅を社長にして送り込んだんです。そうするとたった3~4年で赤字がキレイに消え去りましてね。それどころか投下した資金まで回収しちゃったんですよ。聞いたら、ボクが常々言っている納期、品質、原価をベースにし、すべての工程を見直して、ラインから経営管理まですべて刷新したと言うんです。自分の倅をあまり褒めるのもどうかとは思いますが、あれは見事と言う他ないでしょうね」

仕事は熱く果敢に進めるだけでなく、冷静に正すべきは冷静に正す。倅も見事だが、氏が下した決断や示した度量も、これまた見事という他あるまい。

 

とまれ氏の言う倅とは長男の谷治元弘氏(44歳)のことで、ここまでは敢えて紹介しなかったが、タイ法人だけでなく三進製作所本体の3代目社長でもある。

「ボクを反面教師として学んできたのかも知れませんが、ときとしてボクにはない発想をするようなんですよ。例えば顧客企業との距離感をどう保つかという問題です。普通、自動車なんかの場合は図面を起こす段階からボクらも関わるんですが、電器の場合はそれがまったくないんですね。ボクはそのことでとくに疑問を抱いたことはないんですが、倅はそれじゃあいかんと言うんです。より信頼関係を強めるためにも、また、より製品の完成度を高めるためにも、電器だって図面づくりから積極的に関わるべきだという主張です。言われてみると、確かにその通りですよ」

それが反面教師によるものかどうかは確かめようもないが、血は水よりも濃しで、この分だと少なくとも「好〝職〟一代男の血」は、そっくりそのまま受け継がれていると考えていいだろう。

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●プロフィール

谷治健一(やじ・けんいち)氏…1937年東京目黒区に生まれる。1959年中央大学(法学部)を卒業と同時に、実父が創業し、経営する三進製作所に入社。資材の仕入れから製品づくり、納品、集金まで「それこそ何でもやらされた」(本人)が、とりわけ営業面でメキメキと頭角を現し、28歳の頃からは事実上の経営トップとして采配を揮うほか、毎年のように工場を増設し、人材と設備の拡充を断行するなど、アグレッシブな経営スタイルが注目を集める。正式には2代目社長(50歳時に就任)だが、その意味で1.5代目社長と呼ばれることが多い。現在は同社取締役会長及びグループ会社SKKの代表取締役社長、更に(社)日本金属プレス工業協会の理事を務める。

 

 

●株式会社 三進製作所

【本社】

〒335-0026 埼玉県戸田市新曽南3-17-1 TEL 048-441-4455

【新潟工場】

〒959-2804 新潟県胎内市塩沢谷内166-4 TEL 0254-47-2055

【グループ会社】

株式会社SKK(埼玉県戸田市)/株式会社SHTT(タイ・アユタヤ県)

http://www.ys-sanshin.co.jp

 

町工場・中小企業を応援する雑誌 BigLife21 2013年7月号の記事より

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