オビ 企業物語1 (2)

株式会社シミズオクト ‐ 「裏方ひとすじ」舞台裏から見た日本のイベント産業の変遷

◆取材:加藤俊・米司隆明オビ ヒューマンドキュメント

株式会社シミズオクト 清水太郎氏 (2)

株式会社シミズオクト 代表取締役社長 清水太郎

 

スポーツ、芸術文化は社会の鏡。日本の経済成長に伴って、スポーツやエンタテインメントもその在り方を変えてきた。国際的なスポーツ大会や、国内外のスーパースターのコンサートの会場警備や舞台設営で最大手の株式会社シミズオクト。

六大学野球の巡視人としての創業時から変わらぬ企業理念は「裏方ひとすじ」のこころだ。

 

事業内容

創業80年を迎えるシミズオクトが関わってきたイベントは枚挙に暇がない。東京オリンピックやプロ野球、2002年の日韓FIFAワールドカップもそうだ。近年では50万人を集めた、と言われる銀座中央通りでのロンドンオリンピック日本選手団メダリストパレードを手掛けた。

 

事業は「来場者サービス」と「舞台設営サービス」の2本柱。「来場者サービス」は人的なサービスで、アルバイトを雇って、イベントやコンサート会場の来場者の案内や会場警備を行うもの。アルバイト登録者は学生やフリーターを中心に数万人。このうち数千名が各現場で働いている。

一方の「舞台設営サービス」はイベントやコンサート会場の設営業務。同社が特に得意としているのは、アリーナやドームでのコンサートや、東京マラソンや国際的なスポーツ大会など、数万人規模の大きな会場設営だ。

 

実際、国内で行われる大型のイベントやコンサートの多くに同社が携わっており、今日では、年商376億円(グループ計・平成26年度)、従業員1,143人(平成27年4月1日グループ合計)を有する業界最大手の企業として、日本のイベント産業を支えている。

面白いのは、一貫して裏方に徹してきたという在り方。そこにどんな物語があるのか。創業から紐解いていこう。

 

1932年、六大学野球の「巡視人」として創業

創業者の清水芳一氏は1896年石川県に生まれ、移住先の北海道で果実商を営んでいたが、この事業に失敗、仕事を探すために上京する。当時、人気の絶頂にあったのが六大学野球だ。会場の警備は学生たち自身が行っていたが、試合がヒートアップすれば喧嘩が起こる。イベント運営を滞りなく行うための専門の人間を置こうということになり、職を探していた芳一氏に声がかかる。これが創業のきっかけだ。

 

当時、今でいう警備員は「巡視人」と呼ばれていた。親方のような立場の人間が、人を集めてチームで警備にあたる。予算もなく、会場の設備も整っていない。来場客も荒くれ者ばかりだ。巡視人たちも、職にあぶれてぶらぶらしている者の寄せ集めで、組織としてまとめるのは容易ではない。

イベントの本数自体が少ない上に、天候が悪ければすぐ中止になってしまう。さまざまなリスクと隣り合わせの日々に、当時の芳一氏の日記には「今日も仕事がない。金がどんどんなくなっていく」と創業当初の苦労が綴られている。

 

 

1964年、東京オリンピック

飛躍のきっかけは、1964年に開催された東京オリンピックだった。六大学野球での実績を買われて東京オリンピックの仕事が舞い込み、1959年には株式会社として設立するなど、会社組織としての体裁が整っていく。「東京オリンピックを手がけたことで信頼も生まれ、仕事が増えていきました」と現社長の清水太郎氏は言う。

 

株式会社シミズオクト 清水太郎氏 (1)

「日本のイベント産業そのものが、東京オリンピックを機に大きく成長しました。運動会や六大学野球など、体育会の延長という色の濃かったそれまでの状態から、興行ビジネスへと成長していったのです。国立競技場や武道館といった会場をはじめ、高速道路など都市のインフラも整備されました。

同時に、スポーツ施設で行われる催しは野球の大会ばかりではなくなりました。東京オリンピックの2年後、1966年にはビートルズが来日しています。主催者、あるいは来場者のリクエストに応えていく中で、看板描きや、ステージ作りという舞台設営の仕事が発生し始めたのもこの時期のことでした」(清水氏、以下同)

 

 

1988年、東京ドーム開場

2度目の転機は、1988年、東京ドームの開場だ。5万人を収容できる屋内会場は業界を変えた。天候のリスクがない上、野球だけでなく巨大なコンサートも開催できる。当時はアジアで唯一、欧米と同様のステージ機材でコンサートを行える会場だった。ワールドツアーに日本を組み込むアーティストが続出、この年だけでコンサートが4〜50本開催された。

週末は野球、平日はコンサートと、稼働率の極めて高い東京ドーム。ところが、その稼働率の高さが、ある困った事態を引き起こすようになった。アーティストがリハーサルを行う時間が十分に取れなくなったのだ。このとき同社がとった大型の設備投資が今日の盤石な体制を築くことに繋がった。

 

「1990年、千葉県袖ヶ浦市に『千葉スタジオ』を建設したのです。7000坪の敷地に工場を建て、木工だけでなく鉄鋼の溶接まで可能な体制を整えました。当初は、設備面のリハーサルを目的に建てられたものでしたが、ステージや舞台装置を組み立て、照明まで含めたゲネプロ(通しリハーサル)を行えるリハーサルスタジオ(通称「ゲネ小屋」)として、ここまで大型の施設が他にないために、千葉スタジオでリハーサルを行いたいというアーティストの方が増えたのです。

アーティストの方にしてみれば、本番に近い環境でリハーサルを行いたいのは当然のことだから、結果的に、千葉スタジオの建設は正解でした」

 

 

2002年、FIFAワールドカップ

3度目の成長のきっかけは、2002年の日韓共催でのFIFAワールドカップだ。東京ドームや国立競技場での実績が認められ、日本10会場のうち8会場の警備を請け負う。警備のみならず、仮設施設の施工・看板の設置など舞台設営系の業務も多かった。大仕事だったが、この経験とノウハウが、その後の同社に大きな発展をもたらしたという。

 

「特に成長したのが警備力でした。ワールドカップには各国の要人が来日するほか、国際的なテロへの警戒が必要で、開催前はフーリガンに対する懸念もあった。間違いがあってはいけませんから、これを警備するにあたって、スペシャルセキュリティ部門として警備部門を新設しました。それまでは係員の中から警備員を振り分けていたのですが、警備専門のスタッフを育成する体制を整えたのです」

 

実際のところ、スペシャルセキュリティ部は野球部などを中心とした屈強な体育会系出身者で構成され、警察OBにも指導を仰ぐ。設備面でも、空港で使われているような門型やハンディタイプの金属探知機を導入している。こうした体制を整えている企業は同社の他ないことも、業界内での確かな地歩を築くことに繋がった。

 

オビ インタビュー

社長インタビュー

株式会社シミズオクト 清水太郎氏 (3)

さて、ここまでシミズオクトの物語を見てきたが、日本で行われる大型のイベントには何かしらの形で同社が携わっている。

では、来る2020年のオリンピックに関してはどういった関わり方をするのだろうか。ここからはインタビューでお届けする。

 

―前回の東京オリンピックは御社が飛躍する契機となりました。2020年はいかがでしょうか?

 

清水:まだ、確かなことは何も決まっていないのですが、何らかの形でお手伝いはさせていただければと、今から警備員を含めて社員をたくさん採用し、金属探知機などの設備投資も積極的に行っています。

昨年には「ゴールドメダルプラン」という中長期事業計画を策定しました。それまでは1年ごとに、部門の計画を立て目標を設定していたのですが、オリンピックという目標に向けて部門ごとに3年後、6年後という2段階で事業計画を考えていくことにしたのです。

スタートから1年が経ったこの4月に各部門の面談を行ったのですが、従業員の意識がこの1年間で大きく変わったことを感じています。2020年という、ちょっと遠くて、そして大きな目標ができたことで、従業員が自分自身を遠くから見渡せるような視点になっています。

 

―コンサート関係の仕事のやりがいはどんなところですか?

 

清水:我々は、アーティストの方の要求に応えることが好きなのです。誰も見たこともないような演出を求められることも多く、それはもう苦労が多い仕事です。現場は本当に大変です。それでも、我々自身どこかで、誰も見たことのないものを作ることに夢とやりがいを感じています。

音楽業界はこれから、よりライブやコンサートに力を入れていくと言われています。実際に、音楽ファンの方にとっても、これだけネットで何もかもが手に入る時代ですから、だからこそ現場に足を運んで、そこでしか得られない時間や空間を共有することが、いっそう価値を持つ時代になっています。ですから我々も、ワクワクしながら、アーティストの方の要求に応えていき、足を運んで頂いたお客様に感動を届けるお手伝いをしていきたいと思います。

 

 

―御社が裏方に徹する理由は? 「裏方ひとすじ」は現場主義でもあるように感じますが。

 

清水:感動の場を支えることで得る喜びって、本当に大きいのですよ。また、そこに喜びを見いだせる者達が集まっている会社ですし。現場主義ということで言えば、モノづくりや現場の部分は外注し、営業に特化する戦略を採る他社さんも多いですが、弊社は真逆で、自社で人とモノを抱え、現場で仕事をすることを重視しています。コンサートやイベントはオーダーメイドで一点モノを作る仕事。自由に意見を言い合える技術者やスペシャリストを社内に育てていくことが大切だと考えているからです。

現会長である清水卓治の言葉なのですが、社員に求めるのは「名より実」なんです。実は誠実の実と、実力の実です。人間は、自分自身がやる気にならなければ、指図をしてもなかなか動いてくれません。会社がやらなければいけないことに対して、自分からモチベーションを高めて動いてくれる人間を育てることが、経営者である私の役割だと思っています。

 

 

―小誌の企画(2015年3月号『インターンシップレポ 東京都立田無工業高等学校』)でもお世話になりましたが、高校や大学からインターンシップを積極的に受け入れていますね。何故なのでしょうか。採用に直接繋がるわけでもないでしょうから、負担は大きいかと重いますが。

 

清水:弊社は、内部登用や、常勤アルバイトを経て社員に上がる人が多い企業です。仕事の内容や雰囲気を知ってもらった上で正社員になってもらえば、即戦力にもなり、定着率も上げられます。インターンシップの学生を受け入れているのも、仕事を知った上で入社してくれる方が一人でも出てくれれば、それは金の卵ですからね。今後も継続して受け入れていくつもりです。

 

 

―最後に現社長として改めて「裏方ひとすじ」の精神を語ってください。

 

清水:色々な資料を読んでいると、創業者の清水芳一は非常に一本気な男だったと感じます。当時は特に、努力・忍耐・根性の世界である野球は一本気な生き方の象徴でした。国民的なヒーローである野球選手の近くで働ける喜びや誇り、主催者の期待に応えたいという裏方の精神。これは今日シミズで働いている全員が共有しているものと思っています。

全員が自分は裏方のプロだと思っていて、スターだとは思っていません。スターの裏方として働くことに生きがいと誇りを感じて、日々仕事をしています。1000名を超える社員をはじめ、シミズで働いているスタッフが一人残らず「裏方ひとすじ」の精神を持っていること。これが弊社の財産であり、何よりの武器なのです。

 

―有難うございました。

 

オビ ヒューマンドキュメント

清水太郎(しみず・たろう)…1969年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、シミズグループに入社し、映像部門、管理部門等を経て2005年に代表取締役に就任、現在に至る。

株式会社シミズオクト

〒161-0033 東京都新宿区下落合1-4-1

TEL:03-3360-7051

http://www.shimizu-group.co.jp/

年商:376億円(グループ計・平成26年度)

従業員:1,143人(平成27年4月1日グループ合計)

 

2015年7月号の記事より
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