酒田米菓株式会社  他に無いモノを作れ!会社のDNAで未来を突破せよ

地元庄内米のブランド化に成功 

◆取材:綿抜幹夫

元祖うすやきせんべい

元祖うすやきせんべい

昭和26年創業の酒田米菓は、60年の歴史を持つ由緒ある製菓メーカー。日本で初めて薄焼きせんべいを作ったパイオニアとして知られるほか、「オランダせんべい」は国内はもちろん、海外にも広く「SAKATA」の名を知らしめた名品である。多くの中小企業が疲弊にあえぐいま、同社の強さの秘密はどこにあるのか。TPP問題も含めたそのビジョンをめぐって、佐藤洋社長に話をうかがった。

酒田米菓(株) 佐藤洋氏

酒田米菓株式会社 佐藤洋氏

特産品「オランダせんべい」はいかにして作られたか

せんべい好きの人なら、全国どこに住んでいても、「オランダせんべい」の名を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。わずか2ミリの極薄に焼き上げた逸品で、薄焼きせんべいの元祖として広く知られる銘菓である。

 

「せんべいというと、それまでは厚焼きのしょうゆ味のものばかりでした。しかし弊社では、創業時から〝他に無いモノを作ろう〟という精神が徹底していまして、薄焼きにトライすることになったんです。ちょうど食の欧米化が進んで来た頃で、昔なら食べなかった生の油、いわゆるサラダ油が出回り始めた時期です。〝サラダ油でコーティングしてみよう〟という発想を得て、それを塩味に仕上げました。サラダ味という呼び方も弊社が走りです。今ではすっかり定着した言い方になっていますよね。私もこの業界に入って最初は〝サラダ味? ドレッシングの味でもするのかな?〟と思っていたくらいです(笑い)」

 

佐藤洋社長は愉快そうに笑う。「オランダせんべい」が登場したのは昭和37年。今から51年前のことだ。発売にあたっては、まだ有名になる前の山本リンダを起用したことでも知られている。

 

「昭和40年代に入ると、一大薄焼きブームが来まして、それが追い風になって大いに利益が出ました。そこで勢いに乗って、〝CMを打とう〟ということになったようです。山形放送さんと電通さんが参画していまして、山本リンダさんは当時ほとんど無名でしたが、〝この子はこれから絶対に売れる〟と判断したようです。さすがとしか言いようがないですね」

 

先見の明とはまさにこのことだろう。その後の山本リンダの人気爆発、薄焼きブームが相乗効果となって「オランダせんべい」は正真正銘、酒田の名ブランドとなった。

さて、ところでなぜ「オランダ」なのだろう?

 

「よくいただくご質問です。実はヨーロッパのあのオランダとは直接の関係はないんです。オランダせんべいは、地元の庄内米を使っています。それを地元で売るわけです。地元の人間が地元の米を使って地元で売る。それをこちらの方言で言いますと、〝おらだの米使っておらだのところで売る〟となります。洋風なのと方言の〝おらだ〟が合わさって〝おらんだ〟になりました。まあ、一種の駄洒落ですよ。酒田の田園風景が、創業者が昔オランダで見た田園風景に似ているから、といった説もあるようですが(笑い)」

 

厚焼きのしょうゆ味から薄焼きのサラダ味に変わったことは、せんべいの歴史においては革命的な意味を持つ。食の欧米化という時代の流れを的確に捉えたこと、ブレイク寸前の歌手・山本リンダを絶妙のタイミングで起用したことの意味は非常に大きい。

そしてなによりも、こんなに薄くてコンパクトなせんべいが可能だということが人々には驚きだった。それも、薄くてもしょうゆ味のままだったら、そこまで爆発的なブームにはならなかっただろう。極薄の体裁に加えてまったく新しいサラダ味の提案、さらに「サラダ」「オランダ」といったネーミングのインパクトも加わって、あの「革命」が起きたのである。

 

米屋が作るから「お米の味がする」

ロングセラー商品の本当の強さは、地道に長く売れているだけでなく、それがまさに今日でも強く求められている点にある。「オランダせんべい」は、女優で人気エッセイストでもある本上まなみさんのお気に入りとして書籍、雑誌で紹介されたほか、女性誌などにもしばしば取り上げられている。「庄内のソウルフード」という呼び方もあるようだ。

同商品の最大のポイントは、地元・庄内のうるち米を使用していることにある。

 

「せんべいには通常、くず米が使われるのが一般的です。しかしオランダせんべいは、皆さんが食事で召し上がる飯米、しかも地元・庄内自慢のうるち米を使っています。東北限定の商品にもかかわらず、現在でも年間におよそ2億枚を生産しております。弊社は、オランダせんべいのおかげで今日までやってこられたと言っても過言ではありません」

 

ここで酒田米菓の歴史をひも解いてみたい。同社の創業は昭和26年。創業者は現社長の伯父であり、お父様が2代目、そして洋社長で3代目となる。米菓の製造を始める前は米屋を営んでおり、「米」が会社の原点にあることが、オランダせんべいの大きなアドバンテージになっている。というのも、消費者やファンのあいだで「お米の味がする」と言われていることが同社商品の大きな特長になっているからだ。

 

「弊社では、オランダせんべいを作る前日に精米をします。そもそも精米所を持っているせんべい屋さんって、あまりないんですよ。私が知っている限り1軒、あられ屋さんやおかき屋さんで2軒くらい。それ以外では極めて少ないはずです。ご承知のように、お米というのは精米した直後からだんだん味が劣化していきます。ですから弊社では、おいしいうちにおせんべいにしてしまいます。そのことがお客様の声につながっているのではないかと思います」

 

ファンレターなどもしばしば届くのだという。

「たいへんありがたいことですね。お手紙以外にも、おせんべいの好きな方が集まる投稿サイトがありまして、そこでもオランダせんべいについて、〝お米の風味がしておいしい〟と多くの方が書き込んでくださっています。おせんべいは、人生の折々や日常に寄り添うもので、特別に自己主張するモノではないけれど、〝このおせんべいがあって良かった〟と、ホッとしていただけるものでありたいと考えています」

 

 

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自己責任の時代とTPP いかにして独自製品を作るか

米屋としての原点を最大限に利用し、「他には無いものを作る」精神でオランダせんべいを生み出した酒田米菓。しかし、モノづくりに携わるあらゆる中小企業が困窮する現在、酒田米菓だけがその状況を免れているわけではない。
「ご他聞にもれず弊社も困窮しておりますから皆様、ご安心を(笑い)。なんといっても原料のお米の値段が高くなりました。飯米もそうですが、弊社のラインナップはすべて飯米を使用しているわけではなく、むろんくず米を使っているものもありますから、こちらは倍くらいの価格になってしまいました」

 

そんな状況を踏まえて、では具体的に、どのような対抗策を講じているのだろうか。

 

「弊社の商品は250品目ほどありましたが、それを思い切って100まで絞りました。こうして合理化を図っていることがまず一つ。加えて、薄焼きを作った独自性を生かしながら、おせんべいを丸める技術を使った半生製品を作ったり、お米を使ったかりんとうを作ったり、100%米粉を使ったバームクーヘンなども出しています。ベースがお米であることからは外れませんが、新しい食のスタイルの提案をしているわけです。さらに研究を重ね、もう少し、おせんべいと洋菓子的なものを融合させる試みをしていきたいですね」

 

お米を扱う企業であるからには、今後の日本農業の命運を左右するであろうTPPについて、何らかのビジョンをお持ちと推察した。話をTPPに向けると、老舗企業の3代目リーダーらしい、力強い答えが返ってきた。

 

「私はTPP賛成派です。JAさんや農協さんに依存してきたことが、今の日本の農業を弱体化させていることは、よく耳にすることです。農家さんも自立しないといけないのではと思います。しかし、あくまで条件付きの賛成で、それは農業に対する規制など参入障壁を低くしたりして、作っていける環境を整えていくことだと思います。今のままでは、TPPに突き進んでいっても、農家さんがバタバタつぶれていった場合、モノが作れなくなり、国力が落ちるいっぽうです。戦えるための手を打つとなれば、様々な規制をもっと緩めて担い手を作っていかなければなりません。親子などの踏襲性だけではやっていけないでしょう」

 

創業70年、80年に向けて酒田米菓はどこに向かおうとしているのだろうか。

「弊社の製品は現在、国内販売が9割、海外が1割です。海外はほとんどがヨーロッパやオーストラリア、アメリカでしたが、今後はアジアも増えてくるでしょう。この国には売るが、この国には売らない、というのでは企業のエゴになってしまいます。お求めがあればどこにでも出していきたい。ただしそれは、海外比率を高めるという意味ではありません」

 

佐藤社長はあくまで冷静だ。これからの時代、キーワードはズバリ、「自己責任」だと語る。

「自助努力しようと思ったらTPPも怖くない。農家さんの中でも、〝TPP、やったぜ!〟という方もいらっしゃる。百田尚樹さんの『海賊と呼ばれた男』が本屋大賞を受賞しましたよね。あの本、多くの経営者が読んだと思うんです。今後、〝よし、オレが海賊になってやる〟と思う若い経営者もだんだん出てくるんじゃないでしょうか」

言葉は少々荒っぽいが、今求められているのは「海賊」と呼ばれるくらいの気概を持った経営者だ。それはもしかしたら、佐藤洋社長自身なのかもしれない。
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●プロフィール
佐藤洋(さとう・ひろし)氏…1964年、静岡県生まれ。幼少期から山形県酒田市で育つ。玉川大学農学部卒業後、外資系医薬品会社に5年間勤務。28歳で父が社長を務める酒田米菓に入社。社長職を8年間務めたあと、2年間会長になり、昨年12月から再び代表取締役社長に復帰した。

酒田米菓株式会社
〒998-0832 山形県酒田市両羽町2-24
TEL 0234-22-9541
http://www.sakatabeika.co.jp

 

町工場・中小企業を応援する雑誌BigLife21 2013年6月号の記事より

町工場・中小企業を応援する雑誌BigLife21 2013年6月号の記事より