オビ 企業物語1 (2)

障がい者を前にあなたは何ができますか?これからの日本人が考えるべき「共助」の概念とは

◆取材:加藤俊 /文:山田貴大

オビ ヒューマンドキュメント

プレジャーサポート協会 (4)

障がい者の生活を体験する「ハートフルサポートトレーニング」の様子 明治神宮至誠館にて

 

災害大国である日本では、被災弱者の問題を含めて個人から家族、隣人、地域が助け合う「共助」の概念の必要性が高まってくる。障がい者のスポーツ体験を支援する特定非営利活動法人プレジャーサポート協会を紹介する。

 

プレジャーサポート協会とは?

何らかの原因により、日常生活または社会生活に制限を受けざるを得ない「障がい者」。プレジャーサポート協会ではそうした身体の不自由な人たちの外出支援活動を行っている。例えば、障がい者のアウトドア・スポーツ体験 (スキー・スクーバダイビング・パラグライダー・スカイダイビング等多岐に渡る) を支援するといった内容だ。

同時に、障がい者が気軽に街へ出て買い物や食事を楽しんだり、自由に旅行やスポーツを楽しめたりできる環境づくりや、困っている人への手助けが当たり前のように行える社会にするための啓蒙活動という側面も担っている。

 

創設のきっかけ

協会創設は、理事長・馬場賢親さんが30歳なかばの頃に、これからの人生や社会のために何ができるのかを考えたのがきっかけ。「元々はレーサーをやっていた」と語る馬場さんの人生はドラマティックだ。

 

馬場賢親氏 (1)馬場賢親

「レースでは生活がままならなくなった頃、京都の撮影所にあるスタントチームで車のスタントを行うようになりました。車のスタントから始まり、スポーツスタントという職種が日本にあまりなかったので、豪州で撮影された映画のスタントを行うようになり、様々なスポーツスタントを覚えました」(馬場氏、以下同)

 

そこからプロのスタントマン時代を経て(某国民的子供向けテレビ番組で緑の気ぐるみの中に入っていた時代もあったらしい)、若かりし頃から経験していた様々なスポーツをより多分野で活かせないかと考えるようになったそうだ。

スキーやパラグライダーなどの指導者資格を所持している自分ができることはとは何なのか。どうせならスポーツとは無縁の障がい者の方に、その楽しさを知ってもらえるような活動をしたい。そこでアウトドア・スポーツを道具にすることで、自然の共鳴や体感ができる仕組みを作ろうと考えた。

 

NPO法人・立ち上げ経緯

初めに東京都・港区の役所に連絡し、車いすの押し人や目の不自由な人に対する誘導の仕方などを教えるような勉強会を聞き出そうとしたものの、そもそもその種の勉強会は存在すらしなかった。

ただ意気消沈する馬場さんにとって幸運だったのは、1998年にNPO法が成立し、市民活動や社会貢献を目的とする団体を法人として立ち上げることが可能になったこと。道は開けたとばかりに、厚生労働省で説明を受けた帰り道、思い極まって車いすを購入し、何キロも離れた事務所まで実際に自分が使って帰ることで、バスや電車など乗車時の不便さを実感したとのこと。

 

障がい者側の立場で学ぶ重要性

プレジャーサポート協会のプログラムの一つに、「健常者に障がい者の生活を体験させる」というものがある。「ハートフルサポートトレーニング」といい、主に百貨店やホテルの従業員に車いすや目が見えない人の不便さや不自由さを実際に体験してもらうことで、サービス向上に繋がる気づきを得てもらうことを目的としている(先述した車いすの購入先の新宿某百貨店も、パートを含めた全社員がプレジャーサポート協会の講習を受けている)。

超一流ホテルや百貨店、タクシー会社、全国の商店街組合、国際的な証券会社等でも幅広く実施されているプログラムだ。

 

その内容はどこまでも実践的。例えば受講生が二人一組になり、階段などのシチュエーションで1人が目隠しをし、1人が誘導役に付く。

プレジャーサポート協会 (8)目の不自由な人に対してどういった言葉を使えば効率的に目の前の情景を思い描かせることができるのか、その気づきを得られるトレーニング

馬場さん曰く、自分が障がい者側になって初めて気づくことがかなりあるらしい。そこでの気づきが普段自分が障がい者のお客に対してしているサービスが「これはちょっとありがた迷惑」「こういう風に声を掛けられたらすごく嬉しい」など改善に繋がることが期待できるとのこと。

ちなみに筆者も明治神宮の無道場「至誠館」で行われた一日研修に参加してみた。学校や自治体が積極的に取り入れるべき講習だと感じた。

 

東日本大震災の際に経験した壮絶な現場

さて、馬場さんにはもう一つの顔がある。東日本大震災での大規模なボランティア活動を展開している点だ。2011年3月11日に発生した東日本大震災。多くの人が酸鼻な環境を強いられたが、障がい者もまた被災弱者として尚いっそう苦しんでいた。耳の不自由な人は避難をする時に防災音を聞くことができない。避難所にいたお年寄りや車いすの人は、バリアフリーの設備が整っていないトイレに行けない状態だった。

 

「震災時はハワイにいたんです。アメリカは日本と違い報道規制のない国ですから、遺体などの生々しい映像を目の当たりにしました。居てもたっても居られなくなり、生命保険を解約して400万円くらいの現金を元に、物資や燃料を買い集め、震災が起きてから3日後に日本へ帰国しました。スタントマンだった自分にはできることがたくさんあるはず。そう思い、仲間を集めて現地に直行しました」

 

実際、スタントをこなせるような身体能力の持ち主たちに求められている作業は多かった。悪路など自衛隊も入れない区域などにも率先して入り、津波に流された方などの生存確認を実施。

しかし、現実は残酷だ。津波の影響で斜めになった電柱の杭に人が刺さっている姿やウニや犬が死体を食い漁っている姿は今でも脳裏に焼き付いて離れないという。それでも精力的な活動が実り、初めは1人だったボランティア活動が、最終的に1500人ほどを連れるまでに拡大した。

 

ボランティア参加者への教育の必要性

とは言え、美談では終わらないのが、歴史的な大規模地震災害。被災地のために訪れた学生などの若者は何をすれば良いのかを理解しておらず、食料を持ってきていない上に、テントの張り方やポンプの使い方を知らないという人が多かった。

 

「していることは良いことだし、それ自体は素晴らしいこと。ただ、現実として被災者の方の毛布をその子らのために一枚ずつ剥ぎ取ったり、救援物資のラーメンを食してしまったりと、ある意味迷惑行為に近いケースがあったのも事実でした」

 

ボランティア参加者のスキルアップの必要性を痛感した馬場さんは『一般社団法人 日本災害救援活動士協会』を設立。

 

「テントの張り方から消化器の使い方、チェーンソーや草刈機の使い方など4つのプログラムで構成された講習を展開しています。有時が起きた際に自分の器で個人から家族、隣人、地域、しいては日本まで守れるような意識を根付かせられるようにしないと」

 オビ インタビュー

馬場賢親氏 (2)

さて、ここまで馬場さんの活動を紹介してきたが、この“凄い人”の聖人のような行いの原動力は何処に基づいているのか。ここからは馬場さんに直接インタビューして、海外の事例やプログラムに参加している障がい者の反応、果てはこれからの日本人が学ぶべき「共助」の概念に至るまで語って頂こう。

 

 

初めてスポーツにチャレンジした障がい者の方からはどのような意見が寄せられていますか。

 

様々な声が寄せられています。例えば車いすで砂浜に入れない方の場合は、初めて海の中に手を入れて、ポロポロと泣いていましたね。20歳過ぎの男の子なのですが、初めて海に触れることができたと。目の不自由な方の場合でも、歩く時はゆっくりですが、スキーの際には私と一緒に滑ることで、ものすごいスピードを出しています。誰にも触れていない状態にも関わらず、何かを持たなくても誘導だけで、風を感じられる感動がそこには生まれているわけです。

逆に私としても、この時間を一緒に過ごしてくれて「ありがとう」とさえ思っています。障がいを持っているから「かわいそう」「弱者」「やってあげよう」「健常者」「上の立場」というのは違いますよ。当然してあげることのほうが多いのは事実です。しかし、嬉しいことの方がそれよりも多いのでやり続けられますね。人のためだとか、やってあげている感を持ってしまったら続かなかったと思います。

 

―馬場さんは指導者資格を21種類ほど所有しているとのことですが、それは何かの道を極めるというより、多彩だからこそできたことですか。

 

ある程度までいくと、感覚を身につけることができます。例えばスノーボードができるようになると、ウェイクボードにも対応できる。実はどれも複合していることが多いのですね。ただ、一つのスポーツを極めようとすると、大会では表彰台に上ることは無理ですね。『地球と遊ぶ』というレベルでは、恐らく誰よりも楽しめる自信はありますが。また、多くのスポーツをこなすことで、どれが一番に好きなのかと聞かれることがありますが、状況によって感覚が変わるので、絞ることは難しいのが本音です。地球と共鳴するスポーツだと思っていますから、あまり頑張るような世界観を持ち合わせていないのです。

 

―実際に海外ではこういった活動が盛んに行われているのですか。

 

我々のような組織が外国にあるとは聞いたことがありません。しかし、欧米では各地域に共助の力が存在しています。何かの問題が発生したら皆で助け合おうとする。でも日本では隣に住んでいる人を把握していない事例が少なくないので、我々のような組織が必要になります。

 

「共助」という言葉を強調されましたが、その概念を持ち合わせることで、どのような効果をもたらすのですか。

 

ヒーローになったつもりで、全てを自己完結しようとしても、誰にもそれはできません。そこで私が皆さんにお伝えしているのは「自助」「共助」「公助」という言葉。まず助けようとする力が3つあるとすれば、自分の命を守る「自助」と、警察や消防等の公的な助けを指す「公助」があります。そして、現在の社会に欠けていると私が感じるのが、「共助」という精神です。

例えば救急車が来るまで、交通事故で倒れている人に対して、止血はできなくても後ろから来る車に合図をしたり、救急車を呼んだり、ちょっとしたガーゼを当てたり、傘をさせたりするではないですか。それが共助です。この知識とノウハウが多く蓄積されていけば、助けられる範囲を大きくすることもできます。

 

こういった大切なことを学んだ人が、目の不自由な人にお弁当を配ったら、中身を言葉で説明するので目が不自由でも理解できますよね。トイレの誘導にしても、やり方を少しでも分かっていたら連れて行けるし、車いすの段差の問題も同じように解決することができます。ちょっとしたことでも、すごく助けになることは多くあるものです。なので、突破口と言いますか、私の活動が誰かのために動こうとするきっかけ作りになれればと思います。

 

―ありがとうございました。

(馬場さんへの長編インタビューは近日中に公開予定) 

 

ハートフルサポートトレーニングの様子

プレジャーサポート協会 (2)

はじめに座学。身体の不自由な人への介助方法など、各障がいに対する具体的なサポート技術と知識のレクチャー。

 

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車いすは、写真のようなちょっとした段差でさえ乗り越えるのにかなりの力が必要ということを身を持って学べる。

 

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自販機などは障がい者に対して優しい設計になっていない。

 

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車いすがつっかえてしまい、水を飲むことさえできない。

 

 

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介護を要する者同士のパートナーの苦悩を学ぶ。目の不自由な人が車いすを押す。老人が老人を介護する老々介護が珍しくなくなった時代に、こうした光景は一般的になりつつ有る。

 

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口の動きだけで相手の話の意味を読み取る。なかなか難しい。

 

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視覚にどれだけ頼っているかを体感。

 

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半身不随の状態を知るトレーニング。全て一人で着替える。パジャマを着ることさえ20分は要する。これでは一人暮らしの高齢者は風呂にはいる気さえなくなると実感。

 

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数十メートル歩くことさえ、一苦労。高齢者の方が如何に大変な生活を強いられているかを痛感。

 

※本取材にあたり公益財団法人世界平和研究所・小島弘氏、藤和彦氏、創光技術事務所・筒井潔氏に尽力頂いた。

オビ ヒューマンドキュメント

馬場 賢親氏… 1961年 大阪生まれ。プロドライバー、スタントマンを経て、1992年に株式会社キッズスポーツを設立。オールマイティー・スポーツ・オーガナイザーとして、各種スポーツイベント、番組制作、リゾートホテルのレビュースポーツ・コーディネーターとして活躍。陸・海・空の様々なスポーツライセンスを所有しており、その数 24 アイテム。

現在、特定非営利活動法人プレジャーサポート協会の理事長として、高齢者を含む身体の不自由な人たちの外出を支援するプレジャーサポートの育成、及びバリアフリーネットワークの構築等を手がけている。

 

特定非営利活動法人プレジャーサポート協会

所在地:東京都中央区日本橋箱崎町26-1-1202

TEL:03-5649-0008

HP:http://www.psa.or.jp/

社員数:2人

 

2015年12月号の記事より

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