オビ 企業物語1 (2)

10人で年商約50億円!秘密は真の商売哲学にあり。サラリーマン社長が叩き込んだ、確実に数字を上げ続ける営業方法

ジェイソフト株式会社/代表取締役社長 坂井田 浩氏

オビ ヒューマンドキュメント

「たった10人の社員で年商約50億円」と聞けば、一体何を売ったらそんな数字になるのかと思うだろう。ジェイソフト株式会社が販売するものは、業者向けパルプ不織布だ。

ニッチな商材の販売だけで売り上げ約50億を叩き出す商社に仕立て上げたのは、メーカーから派遣された同社の社長・坂井田浩氏。「売り上げを下げることは許されない」という己に課した信念のもと、わずか4年で10億の増収を成功させ、6月に代表取締役社長の任期を終えた。

驚異の年商に導いた、同氏が持つ営業の真髄とは何か。同氏を奮い立たせた信念と、「サラリーマン社長」が持つべきビジネスの哲学を伺った。

 

 

不織布メーカーの前身は味噌屋。先見の明を以って驚愕の転身

ジェイソフト株式会社は、1994年に不織布メーカーのハビックスと三井物産の折半出資により設立した、不織布専門販売商社だ。2008年にハビックスの完全子会社となり、ハビックスの商品を中心に、乾式パルプ不織布の原反と業務用商品を扱っている。

日本の不織布の開発技術や品質は、紙おむつなどの衛生商品を中心に需要が高まっていることもあり、世界的にも注目されている。特に中国や東南アジアの需要が高く、海外に進出した企業も多い。親会社のハビックスも、2012年の8月に「HAVIX TRADING (Thailand) Co.,Ltd.」をタイ王国に設立している。

 

ジェイソフトでは、ハビックスと共同で、バージンパルプをシート化するエアレイド製法による衛生用品や医療用品など、高機能・高付加価値製品の開発に力を入れている。エアレイド製法でつくられた不織布は、シートの中に大量の空気層がつくられ、優れた吸水性とソフトな肌触りを実現する。メーカーであるハビックスが持つその技術は、日本屈指のものだ。

同社の親会社ハビックスの創立は1950年。岐阜県関市にて味噌、たまり醸造業の株式会社大黒屋として始まった。しかし、2年後「福村製紙株式会社」と名称変更し、全く異業種である「黒ちり紙」の製造へと転換する。

 

その後、トイレットペーパーやボックスティッシュなど衛生用品の製造を始めたが、1973年にはトイレットペーパーの製造を中止。紙おしぼり等の原紙製造へと切り替え、1986年に化合性不織布の製造を開始し、以降エアレイド不織布の開発製造をメインに行っている。

その時代にやってきたポイントごとに、業務の転換や新規開発を決行してきた先代の社長について、同社代表取締役社長の坂井田浩氏は「非常に目利きがあったと思いますね」と話す。同氏はジェイソフトが設立してから7人目の代表取締役社長だ。この6月の総会で、任期満了により社長職を退任する。今後は親会社ハビックスの取締役として、営業と開発を担当することが内定しているという。

 

 

不織布業界激動の最中メーカーから出向し、社長に就任

同氏はもともとハビックスの社員である。4年前にハビックスから出向という形で同社の社長に就任した。ハビックスには入社して19年。それまでは現シャープエレクトロニクスの営業職であったが、同社に人材銀行を経由して、42歳の時に入社した。「辞めるきっかけはいろいろあるのですが、縁あってというところですね」と振り返る。

入社当時は営業担当課長を務め、その後次長、部長を経て同社の7代目社長に就任した。

 

同社が社長に就任した2013年頃は、不織布メーカー各社が新不織布の開発販売に試行錯誤していた時だ。ハビックスでも、タイに商社を設立するなどエアレイド不織布の販売拡大を目指していた。

業界全体の競争が激化する中、同氏は就任して4年間のうちに同社の年商39億を49億に伸ばしている。たった10人の社員で、10億もの増収だ。

 

「ハビックスの商社として安定的なお得意先があることと、お得意先の8割が事業領域においてトップクラスの企業様であることが大きいでしょう。また、エアレイド不織布が市場から要求を受けていたことも大きな要因です。需要が増えてきた時に波に乗ることができたのだと思います」

 

しかし、10億もの増収を達成することは、やはり容易ではなかったという。

 

「就任してから一番びっくりしたのは、商社としての考え方が非常に強く、目の前の売り上げを重視する傾向が顕著だったことです。この思考方針を、〝ハビックスカラー〟に変えていくことが私の使命だと感じました」

 

ハビックスカラーとは、営業パーソンが持つべきお客様への姿勢と信頼性であるという。同氏は就任してすぐに、同社営業社員をハビックスカラーへ転換させることに注力すると決意した。

 

 

会社の明日よりも今日の数字

同社営業社員が持っていた商社特有の体質。当然ながらそれは、自身の営業数字達成を最重要とする思考なため、2年先、3年先の企業の行く先や、社会の動向への関心が低下した営業マンの姿だ。そのため、お客様の要求をそのまま受けてきてしまう。

 

「この体質のままでは、せっかく需要が増えても波に乗ることができません。必要なことは、社内での情報の共有化と、営業とは何かを教えることだと感じました」

 

エアレイド不織布の需要が増えてきたこともあり、売上高を上げることは急務であった。

 

「この波に乗るために、多額の設備投資をして新不織布を開発し製造している。伸るか反るかの大勝負です」

 

同社は不特定多数のメーカーの商品を扱う商社ではなく、ハビックスとの共同体だ。親会社のハビックスと共に繁栄していく必要がある。

 

「個人のことだけに関心を持つのではなく、チームや他部門と情報共有をして、会社全体で働くという意識への改革に注力しました」

 

情報を共有することにより、業界、他業種、他企業への関心を持てるようになる。

 

「情報に関心を持ち知識を得ることで、お客様の要求にも関心を持つことができます。正しいことは何かを判断する力がつくのです」

 

その意識が、お客様とWin-Winの関係を持ちながら数字を上げる営業へと変わる。 では、具体的にどんな営業方法で、10億の増収を実現させたのだろうか。

 

 

対等の関係を築くことが真の営業。人の心を相手にする仕事

「営業というのは、人間対人間です。価格の要求だけ聞いてくるのは、お客様と話をしていないことと同じです」と同氏は言う。自分の営業数字にだけ関心が向いていては、「いくらの価格で契約するか」に終始してしまう。

 

「お客様の言うことを丸呑みしてきてはダメなんです。お客様の言うことを聞いて、情報提供をして帰って来ることだけが営業の仕事ではありません。お客様の真の欲求は何かを知ることが、営業の第一歩なのです」

 

同氏は「お客様の言うことが、すべて正しいというわけではありません」と言う。お客様が値下げを要求したり、安い商品を選ぶのは、商品について詳しくなく、比較対象として最もわかりやすい「価格」で判断しているからだ。

しかしそれは、お客様にとって本当に良い選択とは限らない。金額以外の情報を伝え、本来の欲求を聞き出し、課題を解決する提案を行うことが、営業の仕事であるのだ。

 

「お客様に正しい判断を伝えなければならないのです。商売の基本はフィフティ・フィフティ、対等です。ですから、お客様の認識を丸呑みして、そのとおりに提案をしていては、どちらにもメリットはありません。もっと深く、突っ込んで話をして、なぜその金額を提示したのかの理由を知った上で提案しなければ、どちらにも満足感を得ることはできないのです」

 

この深く聞き出す洞察力と、お客様のメリットとなることを訴える説得力が、イコール営業力であると同氏は言う。洞察力と説得力を培うには、経験と知識が必要だ。そのためには、視野を広く持ち、周りの情報に関心を持つことが必要である。

 

「営業をシステム化していては10人で約50億を上げていくことはできません。人間対人間として向き合い、自分の想いを伝えることが私の営業のポリシーです」

 

想いをお客様の心にぶつけて対等に勝負すること。これが、同氏が社員に伝え続けた営業の真髄なのだ。

 

 

勝負をかけてきた歴代の社長たち。プラス経営絶対主義が使命であり信念

増収にこだわり実現させた同氏には、サラリーマン社長としての信念があった。

 

「私はサラリーマン社長ですから、立案した計画は100%絶対にやり遂げなければなりません。安定したプラスを生み出すことが絶対条件でマイナス経営は許されない。必ずやり遂げることが社長としての使命です。これはずっと肌で感じていました」

 

自ら使命を課し勝負に出た同氏。思えば親会社ハビックスは、創業以来、勝負の連続であったという。

 

「ハビックスが設立した当時、日本は経済成長の時でした。モノを大量生産して、量と金と人をぶつける商売が主流でしたが、ハビックスはこの〝量〟で勝負する商売が苦手でした。資本力で勝る大手が勝負をかけているところには手を出さず、不織布というニッチな分野で、〝品質〟と〝開発〟で勝負をかけてきました。エアレイドラインを設置して数年は赤字だったでしょう。先輩方はたいへん苦労したと聞いています」と同氏は20年を振り返る。

 

「ハビックスの現在の酒井会長と、木村社長から教わった事象に対する考え方は本当に大きい。全ての言葉が身にしみます」

 

退任し再びハビックスで営業と開発担当の取締役となる同氏。

「これからもリスクを背負ってでも体を張って、信念を貫いていきます。信念を貫くことは筋を通すこと。商売の基本です」と、同氏は次のステージへの決意を語った。

 

営業の真髄を持った社員を育て、次の社長へとバトンを渡した坂井田氏。商社の改革を実現させた同氏の信念は、ジェイソフトと同氏が帰るハビックスにこれからも生き続けるに違いない。

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

坂井田浩(さかいだ・ひろし)氏…1955年生まれ、岐阜県出身。名城大学卒業。卒業後証券会社に就職、その後現シャープエレクトロニクスへ転職。42歳の時、ハビックス株式会社へ入社。2013年、ジェイソフト株式会社代表取締役社長に就任。

 

●ハビックス株式会社(本社)

〒502-0813 岐阜県福光東3-5-7

TEL 058-296-3911

https://www.havix.co.jp

〈東京証券取引所 JASDAQ(スタンダード):証券コード3895〉

 

●ジェイソフト株式会社

〒101-0041 東京都千代田区神田須田町1-28 フォーラス神田7F

TEL 03-5298-1690

http://www.jsoft.co.jp

 

 

 

◆2017年7月号の記事より◆

WEBでは公開されていない記事や情報満載の雑誌版は毎号500円!

雑誌版の購入はこちらから