創業70年超 の順送プレス加工メーカー 株式会社𠮷野電機/取締役社長 吉野隆重氏

モノづくりのメッカ・東京大田区は大森にある吉野電機。鉄・非鉄金属による順送プレス加工メーカーとして、実に74年もの歴史をもつ老舗企業だ。

 

 

1985年、プラザ合意の年に2代目社長に就任した吉野隆重社長は、「特筆すべきことは何もない」と謙遜しながらも、今日まで無借金でしっかりと存続させてきた。

飾ることのない、あけすけでユニークなその物語を紹介しよう。

 

 

大学の卒論で3期決算書の分析をやった

本社

「ウチの会社なんか取材したってしょうがないですよ。オンリーワン技術があるわけじゃなし、先代が築き上げた歴史でなんとか食いつないでいるような有り様ですから」
吉野隆重社長には、いきなりこう、かまされた。
「提案型企業なんていうけれど、そんなレベルの高い会社は、数あるモノづくりの会社のせいぜい2割くらいじゃないですか。ウチはいただいた仕事をこなしていくだけです。偉そうな口を利けるようなことはまったくありません」

 

厳しい不況にさらされる日本のモノづくり。その現状の渦中にあって、むやみに「希望」など語りたくない、という意志のようなものが感じられる。その眼光は鋭いが、しかし相手を突き放す類のものではないようだ。

 

「さしあたって私などは、大田区によくある、典型的な〝2代目バカ社長〟です(笑い)。いま、ウチの会社が細々とやっていられるのは、先代がきっちりと基礎を固めてくれたからです。それを崩さず、維持し続けることが私の役目」

 

それでもポツリポツリ、持論を語っていただく。

 

「私どものように、金型を使って商売をしていく会社では、金型の所有権を持つ、ということが何より大切だと思います。所有権が親会社に行ってしまったらもうどうしようもないわけで、時間はかかるかもしれないけれど、所有権はしっかりキープするべきです。

実際、私も金型台を持っていかれたことがありましてね。ある会社を訪問した際、そこがウチの金型を使っていることに気がついて、〝なんだここはウチの会社じゃないか〟と思ったこともあります」

 

金型については、先代である父上の教えもあった。

 

「ある時、まったく知らない会社の人がやってきて〝仕事を頼みたい〟と言うんです。すべて現金で支払うという条件だったので引き受けてやっていたところ、半年経つか経たないかというタイミングで、〝すべて引き上げたい〟と言ってきた。ウチの技術を盗みに来たんですね、要するに。その時、父は、〝もらった金は全部返してやる。しかしこの金型は固有の技術だ。これを渡すわけにはいかない〟と、つっぱねたんです。これこそまさに生きた教育ですよね」

 

吉野氏が2代目社長に就任したのは1985年。43歳の時である。バブル前夜ともいうべきタイミングだった。
「G5がプラザ合意を発表した時、父が〝これで世の中が変わる。ここからはおまえがやれ〟と言ったんです。私は大学の卒業論文で、ウチの会社の3期決算の分析をやったんですね。

これは、卒論としてはかなり異色かもしれない(笑い)。で、分析してみたらさほどの黒字でもなくて、〝もっと利益率を高める努力をしなければならない〟なんて書いた。

そういう頭でっかちな、しかし現場の仕事のことは何も知らない男がやってきて、しかも私は入社して即、専務ですから、役員たちは〝冗談じゃない〟と思って当然です。皆、辞めてしまいました。ところがいっぽうで、上がつかえてなかなか役付きになれないでいた実力のある職人が4人ほどいて、彼らが、〝これからは私たちの時代です。がんばりましょう〟と言ってくれた。それで救われましたね」

 

 

わが生涯最高の幸運はプリンターとの出会い

レンズホルダーパーツ/高度な真円度とカム形状

𠮷野電機は、鉄および非鉄金属による順送プレス加工メーカーである。特に真鍮・燐青銅・ステンレス(SUS)など、t0・03㎜〜t0・5ミリメートル程度の薄板による精密加工・微細加工の技術に定評があり、自動車電装品や、デジタルカメラ、プリンターなど、精度と信頼性に厳しい分野に多数の実績を誇っている。

薄型プレス加工+プラスチック射出成形、金型製作から複合成形まで、ワンストップでサービスを提供しているのが特長だ。

 

東京・大田区の本社および工場のほか、長野県茅野市に茅野工場、長峰工場、さらに塩尻市に信州𠮷野電機株式会社を持つ。
「この仕事を続けてきて、私にとって最高に幸せなことは何だったかといえば、プリンターという新しい文化と出会ったことです。プリンターのパーツを射出成形したり、インクカートリッジ部品を成形したり、そうした仕事に携わることができたのが大きいですね」

 

新しい「モノ」が出てこなければ中小の製造業は厳しい、と吉野社長は断言する。

 

「冷蔵庫があったり、テレビができたり、洗濯機ができたり。そういうものは、それまでどこにもなかったわけですからね。だから皆飛びついたし、それで生活が大きく変わっていった。そういう起爆力のある新しいモノが出てこない限り、製造業が抜本的に回復するなんてことはありえないでしょう。むしろ、〝金型屋なんて必要ないでしょう? いつまでそんな仕事をしているの?〟と言われてしまう」
それでも会社を維持するためには、業務の内容を細かくコントロールしていく以外にはないという。

 

「以前は1次下請けだったものが、どんどん2次、3次の下請けになっていって、なかなか厳しい時代です。〝材料比率が50%以上の仕事は請けない〟など、自分たちなりの基準を設けて自衛していくしかないですね」

 

孫の作文に励まされあと10年は現役続行!

プリンター機構部品(C7701)/バネ性と導電性を活かした接点部品

吉野社長がいちばん気を配ってきたことは、金銭面の管理だという。

 

「父からも、〝お前は新しいことをやると必ず失敗するからな、とにかく金の管理だけはしっかりやれ〟と言われました(笑い)。父はとにかく、〝会社を興すとか、設備を更新するとか、そういう特別な時はもちろん借り入れは必要だが、それ以外に通常の会社運営にあたっては、一切、銀行から借り入れしてはならない〟という考えの人でした。ですからウチは自己資本率は60%を超えていますし、基本的に無借金経営です」
昭和13年に創業、以来74年の歴史で社長が2人というのは、実に長期安定体制ではないか。

 

「ウチは男ばかり3人兄弟なんです。私が長男で会社を継ぎ、次男は世間で一流、と呼ばれるような会社に行き、三男はこれがいちばんモノづくりが好きで、昭和40年代には早くもアメリカに行って学んでいました」

 

吉野社長はこれまで数回、様々な形でアジア進出の誘いを受けてきたが、一度、真剣にインドネシア進出を考えたことがあるという。それを止めたのが、その三男だった。

 

「〝賃金が安いという理由で東南アジアに行くなんて、何の意味もない。俺は賛成しないし、応援しない。やるなら勝手にやれ〟と言われました。しばらくは、〝やっぱりあの時、行っておけばよかったかな〟と思い悩むこともありましたが、多くの日本企業が苦杯を舐めて撤退している現状をみると、弟の言うとおりにして良かったな、と今では心から思います。弟はその後、帰国して会社を興し、景気の良い時は日系ブラジル人を100人くらい、使っていましたね。ただし彼らは派遣だったので、景気が後退してからも、社員のクビを切らなければならないような羽目にはならずに済んだようです」

 

「私自身が創業者だったら、たぶん会社は畳んでいますね。それをしないのは、この会社が父から受け継いだものであり、次の代に渡さなくてはならないからです」と語る吉野社長。最後に将来の展望をうかがった。

 

「後継者ですか? いるといえばいます。まだ中学2年生の孫です。彼がもっと成長して自意識が高くなったら、きっと自分のやりたいことを見つけるでしょう。しかし、淡い期待も寄せているんです。実はこの孫が、作文を書いたんです。〝ぼくのおじいちゃんは𠮷野電機という会社の社長です。昭和13年にできた70年以上の歴史のある会社です。ぼくも将来は𠮷野電機でがんばりたい〟と。それが学校の目立つ場所に貼ってあったので、〝ウチの孫なんですが、コピーをください〟と言って、もらってきました。いつもカバンに忍ばせていて、しんどい時はこれを取り出して読み、〝よし、もう少しがんばろう〟と思うんです(笑い)」

 

今年でちょうど70歳になった吉野社長。そのお孫さんが成人するまで、あと10年は現役続行を決めている。

 

「80まではやらなくちゃ、と思っています。今の私の、最大の目標です」

 

 

生半可な希望を語らない、一見、ネガティブ志向にも見えかねない人の言葉は、この国のモノづくりの将来を考えるにあたって、重く響くのである。

 

【プロフィール】
吉野隆重(よしの・たかしげ)氏…1942年東京都大田区生まれ。中央大学工学部経営工学科卒業後、父の経営する株式会社𠮷野電機に入社。85年に2代目社長に就任し、現在に至る。

 

株式会社𠮷野電機

〒143-0015 東京都大田区大森西2-15-24
TEL 03(3761)4923

従業員数:20名

年商:4億円

http://www.ydenki.jp/