狩生 恵 さん

 

10月17日、富山県立山町に建設されるリゾート施設「Healthian・(ヘルジアン)wood(ウッド)」の詳細が発表された。

4万平方メートルの「美容」と「健康」をテーマにした大リゾート施設には、アロマ工房やエステサロン、ヴィラなどの宿泊施設が併設される。施設のデザインは世界的建築家の隈研吾氏。富山県をあげた大プロジェクトだ。

 

この一大リゾート施設美容部門に、セラピスト狩生恵さんが選ばれた。彼女は元自衛官。昇格が約束されたキャリアの地位を捨てセラピストへ転身、そのわずか4年後の大抜擢だ。

私にしかできないことで、誰かの役に立ちたい。恵さんの中にしなやかに輝き続ける、「好きを仕事に」の真の意味を問う。

 

自分の手で成果を得たい 選んだ進路は自衛官

柔らかな動作にキュートな笑顔。リンパドレナージュサロン「nobby studioナヴィスタジオ」のオーナーセラピストの狩生恵さんは、その外見からは想像できないほどの信念と行動力を持つ女性。それもそのはず、恵さんの前職は自衛官なのだ。

 

「高校時代、本当は美容にも興味があって、専門学校のパンフレットも持っていたんです。でも、裕福な家庭ではなかったので、弟が大学進学を目指していると聞き、高校卒業後の進路は就職を選びました」

 

中学時代はバスケット、高校時代はハンドボールでキャプテンをしていたこともあり、体力と気力には自信があった。ハンドボールでは海外遠征での活躍もあり、企業が持つ実業団2社からのスカウトがあったという。「でも、とにかく練習がハードでしたので、もし怪我をしてもその会社で働き続けることができるだろうかが心配になりまして」。

 

頭を使う仕事よりも体を使う方が好き。何より、人のためになる仕事をしたい。

女性自衛官になることについて「姉も自衛官だったので、抵抗はありませんでした。それに、そのときは実業団よりも自衛官の方がキツくないだろうと思っていたんです。ただ、実際には自衛官の方がキツかったのですが(笑)」という。

 

こうして高校卒業後、恵さんは佐世保の陸上自衛隊相浦駐屯地に入隊。男性自衛官と同じメニューで、3ヶ月の新隊員前期教育課程終了後、熊本の車両部隊に配属となった。

自衛隊での生活や野外訓練内容について「シャワーどころか、顔も洗えない、歯も磨けない、トイレも山の中でしたが、根をあげたことはないです。置かれた環境に屈せず我慢したり、工夫したり、もうどこでも生きていけると思います。

でもさすがに男性には根性でしか勝てませんから、ムカつく先輩には力ではなく、努力・忍耐・根性、それと生まれ持った運の強さで勝とうと思って、結果として本当に勝てたりしていました」と明るく笑う。

 

新入隊員前期教育課程で成績優秀だった彼女が希望した部署は車両部隊。「行先の見えない車の後ろに乗ることが嫌。自分でハンドルを握り、示された場所へ向かいたくて」。この言葉が、恵さんの人生の伏線となる。

 

「自衛官を職業として選択したことは大正解でした。自分のコンディションやモチベーションが整っていれば、自分の手を必要な人に差し伸べることができます。そのことを学びました。娘には勧めませんが、私は生まれ変わっても、やはり自衛官を選ぶでしょうね」。

 

自分の手で誰かを救うことが喜びであり、使命。恵さんの生き方の基盤は、自衛官の経験が培ったものだという。

 

エリートキャリアを手放し 目指したのは昔の夢

もともと体力もあり、負けず嫌いで努力家ということもあり、恵さんは優秀な成績で教育課程を修了していく。キャリア組として迷彩服から制服に着替え、閣僚やトップクラスの秘書をする部署へと配属された。そこは女性自衛官にとって、誰もが羨む花形部署。しかし恵さんの心には、このときから疑問が生まれ始める。

 

「きれいに化粧をして髪をまとめて、小奇麗な制服を着て、お客様や上司にお茶を出し、職場環境も野外訓練とは違い、埃を浴びることもない。部署の人たちもとても良い人で日々充実はしていたんですけれども、これは私ではなくてもできる仕事だと思うようになってしまって。人生のうちのたった数年間ですが、たとえ1年でも“とりあえずの精神”で無駄に過ごすことに抵抗がありました」

 

恵さんは、次第に以前からの夢へ挑戦するタイミングなのではないか、と思い始めた。

 

「辞めようと決めた時に、”あなたが秘書に合格したから落ちた人もいるのに”とか“あと1年いれば昇格できるのにもったいない”など、いろいろな声を頂きました。応援してくれた先輩はたったの2人。

それでも、私の仕事は自信をもってこれですと言える、私だからできる仕事がしたいと思ったのです。自衛官という大きな枠組みで組織に守られているのではなく、これが私の仕事だと胸をはって言える仕事を見つけたかったんです」

 

自分の手で人を助けたい。自分にしかできない仕事がしたい。しかし、現場に出て第一線で体力を駆使する仕事は若くなければ難しいと感じていた。何よりそのときは30歳までには子供を授かりたいと考えていた。当時のパートナーが、自衛官を辞めて家庭に入って欲しいと望んでいることも重なった。

女性が生き方を考える時に立たされる、仕事の限界と結婚のライフステージ。自衛官の辞職は、恵さんの人生にとって、波乱と飛躍の始まりであった。

 

 

リンパドレナージュとの出会い 生き方を変える施術を

実は、恵さんには、高校の時に置いてきた夢がある。身体や美容に関わることだ。この夢を叶えるために、恵さんはさまざまなエステの技術を探しはじめた。

彼女がエステ業界に興味を持った理由は、もうひとつある。自衛官時代に、効果がわからない痩身エステでローンを組まされた上に、体を壊した経験があった。「20歳の誕生日に行った体験エステで、断り切れずにローンを組んでしまったんです」。

 

当時、訓練の日々でたくましくなっていった恵さんは、人知れず体型を気にしていた。痩せておしゃれもしたいし綺麗になりたい。

そんな女性心理は、エステサロンの営業トークに見事に絡め取られる。痩身コースの内容は、マシンを使った施術に大量なサプリメント。そのサプリメントを飲んでいるうちにあろうことか蕁麻疹まで出始めた。この経験から、自分が学ぶなら「機械を使わない」「納得ができる」「根本から体質改善ができる」この3つを満たす技術にすると決めたのだ。

恵さんには、学ぶ資金調達にもこだわりがあった。自衛官を辞めてからは専業主婦。「自分の夢を叶えるために、パートナーのお金を使いたくありませんでした。」恵さんは、授業料を稼ぐために、2歳と0歳の子供を預け、再び外で働き始めた。

 

それからしばらくして、「リンパドレナージュ」という技術に出会った。

「あの頃は病院で働いていたのですが、オペ室での勤務もあり、水分も摂れない、8時間近く立ちっぱなしという環境でしたので、むくみがひどかったんです。それがリンパドレナージュによって、これまでに感じたことのない程すっきりして。効果が目に見えてあったんです。体質を根本から改善することができて、理論も納得できるもので、これだ!と確信しました」

 

こうして2012年、佐世保の自宅にて自らが惚れ込んだリンパドレナージュサロンを開店する。さらに半年後には実際に店舗をオープンさせた。

 

 

夢を叶えるなら東京へ! 後悔したくないなら全力で

最初に開業した佐世保のサロン。サロンの名前は「ナヴィスタジオ」だ。ナヴィの意味は「上品な、粋な、洒落た」。由来は「洗練される」という意味に繋がる。同サロンでは体質から改善し、飾らない内面からにじみ出る健康を目指している。

サロンを始めてから、企業の経営者とも出会う機会が増えていった。さまざまな情報を得ていくことで、やりたいことも増えていったという。いつしか恵さんは、東京で手技を施したいと思うようになっていく。

 

「佐世保に居ても、ビジネスの相談をできる人がいないし、情報がありません。福岡で出会う経営者の方も、多くが東京に頻繁に出ていました。何より東京は、出会う人脈も聞ける話も違います」。

 

そのときには既に離婚していた恵さんは、出資者との出会いもあり、2016年7月に意を決して東京へ移住する。しかし、東京に出たはいいものの、肝心の出資者との間での話が変わってしまった。提示された条件をのめず、結局誰からも援助を受けずに、ゼロから自身のサロンのオープン準備を進めることになってしまった。

 

「子供を2人連れて東京に出たものの、収入が何もありません。ただ、このままおめおめと簡単に諦めて帰るわけにはいきませんでした」。

 

そんなある日、友人のバースデーパーティーで出会った好青年に事情を説明したところ、運よくそれが思いがけない出会いに繋がる。白金台の店舗の一画を半年間ならという配慮をしてもらい、何とかサロンをオープンすることができたのだ。ただ契約は半年間。

その間に自身で新しい場所を探し出さなければならなかった。そして半年後の移転費用も貯めなければならなかった。

サロンと自宅の家賃だけでもギリギリなのに、さらに引越し費用も準備しなくてはならない。どう考えても、今のままの収入では半年後に移転することは無理だった。

 

「引越し費用分を稼ぐために、夜は出張施術に出ました。子供に今日も仕事なのかと聞かれながら毎日2〜3時間の睡眠をしていました。ところが、そんな生活を送り始めたら、たったの2週間で倒れてしまって、3日くらい全く動けなくなりました。

でも、そのおかげで子育てシングルマザー36歳の自分の限界は2週間なんだとわかりましたから、今後はそれ未満で頑張ろうとインプットされました。倒れたこともプラスですね」

 

全ての出来事は自分の行動により作り出される。それが、自衛官の時から変わらない、恵さんの信念なのだ。結局、恵さんは約束の半年の間に動き回って、きちんと品川区大崎にお店を移転させた。

 

「東京に出てきたからの経緯をお話すると、皆さんになかなか出来ないすごい決断だよねと言われます。確かに大変だったと思っていますが、私は何事も後悔したくないから」と笑いながら振り返る。

 

 

やりたいことはたくさん 行動は必ず自身に戻る

「私のサロンは、エステではなくヘルスケアです。お客様の身体が根本から良くなって当サロンに来る必要がなくなって施術を受けなくなっても、当サロンで得た知識を少しでも活かしていただき、健康で元気に長生きしてもらいたいと思っています」と語る恵さん。

その施術は、「掌の温かさと肌の密着度がすごく、何より丁寧だ」と人気だ。じっくりと圧力をかけてリンパを流していくその様は「手が何本もあるみたい」だと言われている。

 

「私はここに来ないと綺麗にはなれない、という商売はしたくないんです。変化が見えないものにリピートしていただくというのはお客様に対して失礼です。きちんと身体の根本から改善していくことができる。さらには、サロン以外の部分(セルフケア)に至るまで、きちんとメンテナンスしていくことを心掛けています」。

 

このコンセプトに、富山の外用剤メーカー前田薬品工業の前田社長が深く共感した。前田薬品工業は、現在プロジェクトが進んでいる富山の『美容』と『健康』のリゾート施設「Healthian・(ヘルジアン)wood(ウッド)」の開発企業。恵さんは、2019年にオープンするこの施設の所属セラピストとして抜擢された。

 

今の恵さんは、この富山のリゾート施設の他にも挑戦したいことが次から次へと湧いてきている。それは、「自分の手で人の役にたつ」ことの次のステップだ。

 

「東京に来て毎朝思うことなのですが、満員電車でも、街を歩く姿、表情に全く元気やパワーを感じないんです。何故みんな朝から疲れてるのかなと思ってしまいます。日々の生活に疲れている方が多いこの東京で、もっと多くの方の疲れを癒したいと感じます。

忙しく働く企業の方々に福利厚生でメンテナンスを取り入れたり、朝礼などで簡単なセルフケアを伝えたり施術技術者を育てたり、とにかく朝から笑顔で働ける方法はないか色々考えています。

あとは、日本人の施術はとても丁寧だと思います。真面目ですし掌から想いが溢れてる。だからこそ逆に、この人からは受けたくないなと感じすこともあります。いつかは海外にも進出してみたいですね。小さな場所で良いので、必要とする人に手技を施したい」

 

自分の手で人のためになることをしたい。その夢を叶え、しなやかに伸びやかに天命を生きる恵さん。子供たちには「好きで楽しいことを仕事にしてほしい」という。

 

「子供に疲れた顔を見せたら、仕事はきつくて嫌なことという記憶が残ってしまいます。だから、仕事を終えて家に帰っても、”あー、疲れた”とは言いません。言うなら”あー今日も頑張ったよ〜今日は◯人施術出来て良かった!”と言ってますね」と笑った。

 

 

狩生 恵(かりゅう・めぐみ)

リンパドレナージュセラピスト兼インストラクター

日本腸内フローラ協会認定講師

日本小顔ストレッチ協会認定ストレッチトレーナー

ジュニアファスティング講師

nobby studioナヴィスタジオ    オーナー

高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。8年後結婚退職し、佐世保にてリンパドレナージュサロンをオープンする。

 

nobby studio(ナヴィスタジオ)

コラーゲン生成とリンパドレナージュ専門のメンテナンスサロン。

リンパセラピスト養成スクールも行っている。
nobby-studio.com

東京店 品川区大崎(詳細非公開)

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