ウッデホルム 本社外観

 

外資系、それは自国外(本国)の母体(本社)により、ある一定の資本(株式)が持たれている企業のこと。特殊鋼メーカーとして世界にその名をとどろかすBohler Uddeholm AG(BUAG)

その日本法人であるウッデホルム株式会社も、その一つである。今回、同社を訪ねたのは現在、同社をけん引するトップの“評判”を耳にしたためだ。百聞は一見にしかず。果たしてどのような人物なのか、

じっくりと話を聞いてみよう。

 

創業300年と同500年の
マーケット&ネットワーク統合

皆さんは、日本に進出した最初の外資系企業をご存じだろうか。

 

現在、最古とされているのがジャーディン・マセソン社の日本代理店だ。今年で創業170年を越えた同社は、いまもなお、世界的な影響力をもつ複合企業。誕生当初は貿易目的であったが、昨今の経営の主体はサービス業であり、ここ数年ではマンダリン・オリエンタルホテル等の経営で知られている。

 

日本への初進出は安政のころ、1859年。神奈川・横浜に、ジャーディン・マセソン商会横浜支店が誕生したと記録にある。

 

同社は、後に吉田茂の養父・吉田健三が同支店長を勤めていたことでも有名だ。だがおそらく、「日本の歴史」では、同年に長崎でトーマス・ブレーク・グラバーが設立した日本法人、「グラバー商会」の方がよく聞く名であろう。

 

また、余談ではあるが、ジャーディン・マセソン社の前身はかの貿易商社、東インド会社。このことからも、同社が歴史のなかでどれほど重要な位置づけをもつ企業であったかが理解できるのではないか。

 

――このようなことばかりを言うと、「古いからといって、何がそんなにすごいのだ」との思いを持たれる方もいるかもしれない。なぜなら外資系の枠を外せば、日本には創業100年を超える企業は文字通り「山ほど」存在するからだ。

 

しかし、筆者があえてこうした前置きをしたのには理由がある。「長い歴史」と「外資系」。その二つのキーワードが、今回訪問した企業と非常に深い関係があるためだ。

 

「わが社の母体であるスウェーデンの特殊鋼メーカー、Uddeholm社はいまから20年前の1991年にオーストリアの同業Bohler社と合併し、Bohler Uddeholm AG(BUAG)として新たなスタートを切りました。Uddeholm社は創業約350年、Bohler社は同500年という老舗同士。それだけのノウハウと知識、そしてそれまでに培った世界的なマーケットとネットワークが統合されたことの意味は小さくありません」(ウッデホルム㈱代表取締役/間部泰範氏)
詳しく報告しよう。

 

「国内シェア数%」の捉え方

間部氏は自社について次のように語ってくれた。

 

ウッデホルム㈱代表取締役/間部泰範

「私たちの誕生、すなわちBUAG(当時はUddeholm社)が日本に進出したのが1953年。母体の歴史と比べればまだまだ浅いものの、半世紀以上ですから決して新参者ではありません。高度経済成長、バブル崩壊、そしてリーマン・ショックと日本経済の酸いも甘いも味わってきました。その意味では日本国内の同業他社と何ら変わりないのです」

 
ウッデホルム社の母体、オーストリアを本拠地として世界各地に拠点を置くBUAGは、特殊鋼のなかでも金型や切削工具などに使われる工具鋼が主力。世界シェア約30%という、自他ともに認めるトップメーカーだ。高品質で知られる「スウェーデン鋼」の代名詞的な一社であり、代表的なシリーズはプラスチック金型用のステンレス系工具鋼「STAVAX」などである。

 

「とはいえ、日本には日立金属さんや大同特殊鋼さんなど、歴史も規模もネットワークも圧倒的な力の差がある競合が多数そろっていますから、いくら世界的なシェアがあるといってもまだまだ通用しません。日本国内においては、いまだ全体の数%程度です」

だが、同氏はその事実に対して、決して諦めや妥協をしているわけではない。

 

「もちろん、『あと90%以上も伸びしろがある』と考えていますよ。まだ数%しか到達していないわけですから」

 

笑顔で話すが、それが単なる冗談ではないことは目を見れば分かる。代表就任以来、バブル崩壊後の不景気やリーマン・ショックなど数々の危機に当たりながらもなお、「中国やインドネシアの伸び率は大きいけれど、単純な売上ベースでは日本が依然としてアジアナンバーワン」と言うのだから、それも納得だろう。

 

 

元来の外資系企業とは異なる

袋井ディストリビューションセンター開所式

間部氏は「特殊鋼を鮮魚に例えると、私たちのお客さまがお望みなのは丸ごと一匹ではないのです。切り身やもっと細かく小分けに加工してほしい、と要望されるケースがほとんどです。

 

大型の魚を捌いて刺身にするためには倉庫が必要で、設備が必要で、何よりそれを行うための技術が必要。また、あくまで『刺身』ですからとても小さいですよね。同じように一つの仕事に対して高額な取引をするわけではなく、一年に千数百社、大手が手の届かないようなメーカーさんとも細かなやり取りを行う、いわばニッチの分野。それが、いまの私たちに最も合ったやり方なのです」

 

ところで元来の外資系企業のイメージでいうと、現地法人のトップは悪くいえば「かごの鳥」状態であることが多く、

 

「どんなに努力をしても、所詮、雇われ社長」との、ある種、諦めにも似た感を持つことがしばしばある。

だが、この経営者に限ってはどうだ。発言や表情一つ取っても、なんとも明るく、のびのびとしている。それでいて、良い意味での「野心」もチラリと垣間見えるのだ。中途半端な国内の経営者よりも、むしろ「創業経営者的」な強さや意気込みを思わせるではないか。

 

それを伝えると、同氏は少し照れ臭そうに「母体であるBUAGの方針が前向きな意味での『現地任せ』なので、結果としてモチベーションを高めさせてくれるのかもしれません」と答えてくれた。
間部氏の言うように、BUAGの海外拠点に対する考え方にはやや特殊な一面がある。ひらたくいえば新規に海外進出する際、ほとんどの場合が現地でトップを立て、現地で従業員を募集し、現地で教育を行うのだ。それはある意味、大きな賭けであろう。

 

「その国の風土、マーケットを知るのはその国の民ですから、自然なことともいえるのですが、最終的に成功するか否かは数年経ってみないと分からない。いわば『バイキング精神』ですよね。そういった思い切りがなければ、歴史を築くことはできないのかもしれませんが……」と間部氏。

 

一方で、日本法人の場合は、設立当初は扱いが他国とは異なっていた。同社としては異例なことで、「誕生からしばらくの間、当時の本拠地であったスウェーデンから有能なトップを呼び寄せていた」のだ。
「当時、日本は世界のなかでも最重要市場とされていたため、文字のごとく力の入れ方が違ったのでしょう。でもその基盤があったからこそ、国内の競合に、敵わないまでも肩を並べる位置にいられるのかもしれません」と間部氏。
そのため、設立から半世紀以上でありながら現地(日本)採用のトップは同氏で2代目。しかし、2002年に継承してから今年ですでに10年目。外資系企業経営者としてはきわめてめずらしいケースだ。しかも前述の通りバブル崩壊からリーマン・ショック、そして昨今の急激な円高など、数々の受難を経ても、である。これぞ間部氏の〝仕事力〟のたまものといえるのではないか。

 

モノづくりが見習うべき、
「外資系モノづくり」

ウッデホルム製鋼工場の出鋼

「いや、おそらく経験が功を奏したのでしょう。現在の職に就く以前、縁あってとある日系企業でタイに置かれた現地法人の経営を任されていたことがありました。

その際、『海外進出を図る日本企業特有の悪い部分』と、風土や習慣の違いで起こるトラブル、為替の急激な変動における問題、そして、これは外資系ではなくても降りかかることですが、『労務管理の苦難』を、身をもって味わったのです。確かにここ数年で未曾有の出来事が数多く起こりましたが、それを乗り越えられたのはひとえに従業員のサポートと〝経験〟、本国の後ろ盾があったからこそです」

 

何と謙虚な姿勢であろう。当然、ウッデホルムの母体、BUAGも実績と経験を買って同氏を日本法人のトップに任命したはずが、同氏のもつ器の大きさまでをも見抜いていたのだとしたら、それは相当な先見の明だ。
だが、間部氏はBUAGに対して感謝の念を抱きながらも、「流される」人物ではない。好意的な意味で頑なな一面もある。

 

「やはり風土や国民性の違いから、母体とも行き違いや思いが通じないことは多々あります。外資系である以上、仕方ないことですが、賞与など日本特有の習慣などは特に理解されにくく、ディベートが起こることも少なくありません」
その場合、どのように説得するのだろうか。同氏に聞くと、「もちろん、現地法人トップとして、従業員を代表してファイティングしますよ」と笑って言う。それももちろん、「冗談」などではない。

 

なお、ウッデホルムは現在、10カ国17の子会社が属するBUAGのアジア地区販売組織Assab Pacificグループ(本部/シンガポール)のメンバー企業に属している。

 

最後に、間部氏は「グループとしては皆で成長していけばよいのですが、いまの中国の追い上げはすさまじいですね。良い意味で刺激になります。特殊鋼の需要はなくなるわけがありませんから、これからもどんどん市場を開拓していきます。負けてはいられません」と抱負を述べた。

 

以前目にした、あるアナリストがまとめた「外資系が成功する条件」によれば、成功するために必要なことは二つあるという。一つは本国と歩み寄りの姿勢を持つこと、もう一つは「運」が良いこと。これはあまりに強引な意見とはいえ、筆者も妙に納得させられてしまったことを思い出した。前者はウッデホルムの母体、BUAGに備わっているし、後者は間部氏からふつふつと感じられる。
ウッデホルムの未来。それに  期待するのはもちろんのことだが、国内の中小モノづくりこそ、同氏の姿勢を見習うべきではないのか。そう願ってやまない。■

 

※本記事は2011年10月号掲載記事を基に再構成しています

<プロフィール>

間部泰範(まなべ やすのり)…1952年、大阪府生まれ。
1975年、同志社大学を卒業後に国内特殊鋼メーカーに入社。国内営業を経て、アメリカをはじめとする海外に出向する。同社を退職後、日系メーカーのタイ現地法人社長に就任。同職を退職し。2002年からウッデホルムの代表取締役を務める。

ウッデホルム株式会社 (現 ボーラー・ウッデホルム株式会社)
〒102-0085 東京都千代田区六番町2-8番町Mビル
TEL 03-5226-3771