◇取材:加藤俊 /文:櫻井美里

 

2017年10月、東京神田に「日本初の成長型ワーキングオフィス」を謳う BIRTH KANDAが誕生した。起業家支援として無料の法人登記や専用POST、専用ロッカーを配備するなど、スタートアップ企業の成長に必要な要素を兼ね備えて、加速度的な支援を心掛ける「次世代型出世ビル」を標榜している。

「多種多様なスタートアップ企業が共に成長していく、言わば土壌のような場所でありたい」創設者である髙木秀邦さんは言う。

 

髙木秀邦さん

 

ビルオーナー業としては革新的なこの取り組み。しかし、髙木さんがCOO(最高執行責任者)を務める株式会社髙木ビルは1961年創業といういわゆる“老舗企業”である。

貸しビル会社から日本を元気に。その想いの裏には若き三代目の奮闘があった。

 

転機は3.11

髙木ビルは、都内を中心にオフィスビルやマンション・駐車場の開発~管理運営を担う会社。髙木さんが家業である髙木ビルで、貸ビル業の世界に入ったのは10年前の2007年。

東京と地方の二極化に加え、都心では大手の最新鋭のビルが矢継ぎ早に建てられていく時代に差し掛かり、中小ビルオーナーにとっては苦難の時代。自社ビルは経年劣化していく一方でなかなかこれといった有効打が見えにくい状況だったという。

 

「とは言っても、当社が持つビルについてはきちんとテナントさんにも入って頂いていたので、回っていると思っていましたね。いいテナントさんに入っていただいて、祖父の代からの経営も安定していましたし」

 

そんな時に起きたのが、東日本大震災だった。未曾有の大震災に日本経済は大打撃を食らった。影響はもちろん、貸ビル業にも及ぶ。

 

「西新宿は大揺れでした」

 

新宿は日本初の高層ビル街である。言い換えればそれだけ古いということ。構造に問題はなくとも最新の耐震構造を持った他のビル街よりも大幅に揺れてしまったのだ。テナントは逃げるように他の地域へと移っていった。

慌てた大手の高層ビル業者は、値段を大幅に下げ、近場のビルに入居する優良企業を根こそぎ吸収していったという。この煽りを受けたのが髙木ビルであった。

 

なんと西新宿のビル11フロア中8フロアが空室になった。中には、大手と同じ条件まで値段を下げるなら残るんだけどね、と声を漏らし去っていくテナントもいた。

 

それでも、バブル崩壊で似た状況を乗り越えてきた会社だ、そのうち仲介業者がテナントを紹介してくれるだろう。どこか安心している部分があった。当時を述懐して、乱暴な言い方をしますけど、と前置きをしたうえで、

 

「当社も業界に根付いていた左団扇根性が何処かで残っていたんです。日本の高度経済成長期を経てバブル期などを体験してきた貸ビル業特有の考え方と言いましょうか、ビルは建てたらもうあとは客を待つだけ。

貸してあげる、入れてあげる、うるさい客は入っていただかなくてよい……。それで回ってきた業界でしたし、また、そうした態度でなければ会社を守りきれないのがバブル前後の状況だったそうです」

 

 

それで仲介業者からの連絡を待ったが、契約どころか内覧さえ取れない日々が続く。否応なしに髙木さんは気づかされたという。“このビルには、アクセスがない”。

 

「結局テナントを紹介してくれる仲介業者も営業マン。お客様と同じ、一人の人間なんです。あの時の髙木ビルにはそういった外部の人との関係性が希薄でした。だから、危機的状況にもかかわらず、種を蒔く手段すら講じてなかったんです」

 

もともとは営業マンで仲介を担っていた髙木さん。人と顔をつき合わせ、コミュニケーションを通して契約を成し遂げるといったプロセスには慣れているつもりだった。しかし、家業となるとどうしても肩書きや伝統に縛られてしまっていた自分に気づく。

 

それからは行動を根本的に変えた。

仲介業者の社長や営業マンに自ら会いに行き、ビルの状況を伝える。今までのように、ビルという“箱”だけを見せ、あぐらをかいていることは止めた。

 

効果は徐々に目に見える形で表れていった。

 

「営業マンたちの反応は、『なんだ髙木さんのところ、紹介していいんだ』と。いやいや紹介してくださいよ!って感じでした(笑) 」

 

営業マンの反応から、いかに自分たちが内にこもり、外部に壁を作っていたかを思い知った。ビル業界に根付いた頑ななまでの態度は、結局自らの首を絞めていたのだ。

それからは早かった。契約が連鎖的に決まり、危機的状況は一転、ビルが満室になるまでに回復したのである。

 

こうした変遷を経て髙木さんが導き出した結論がある。

 

 

女将さん目当てで宿に泊まるような感覚

BIRTH KANDAのコワーキングスペース 

 

ビルはただの建物ではなく、運営理念、そして何よりどんな人が経営しているかも含めてビルとして捉えられる時代なのではないか。

 

「そこを選ぶ際のポイントにしていらっしゃるお客様が増えているのではないか」

 

状況が改善していく中で出した結論だった。最後に人を動かすのは、ビルのスペックでもければ築年数でもない、どんな人がどういった想いで造り運営しているビルなのか、結局人なのである。

 

髙木さんが内覧に出て、どのような想いでビルを造り、管理しているのかを入居を検討している客に話すことで反応はまるで変わった。それを象徴する一つの出来事がある。

 

発端はある仲介業者からの連絡だった。

 

「以前内見に来たテナントが、一次選考で4つに絞った。二次選考は再度の内見。4つの内見全てにそのオーナーを同席させます。髙木さんなら勝てる」

 

もはやオーナー内見だった。聞いたところ、他の3つの内見では、いかにもオーナー然とした人や内覧に適当に付き合うオーナーもいたらしい。一方の髙木さんはビルへの熱い想い、そしてテナントのパートナーになりたいという想いを伝えた。契約を勝ち取ったのは、もちろん髙木ビルだった。

 

「ビルという”箱”の価値ではなく、自分が経営者であるという違う価値で選んでいただいた瞬間でした。例えるなら、女将さん目当てで宿に泊まるような感覚でしょうか」

 

契約に当たって、価格交渉などビジネスライクな話はほとんど必要なかった。書類は二の次で、テナント企業経営者と今後の展望を熱く語り合うなど話も弾む。企業の隣に寄り添う関係。ビルの運営体制に抱いていた疑問が徐々に晴れていった。

 

ここから髙木ビルの快進撃がはじまる。

 

 

敷金を半額に

2017年6月24日、西新橋の虎の門髙木ビルに、オーナー会社21社、25名が一堂に会して、「次世代型出世ビルプロジェクト ビルオーナーカンファレンス」なる取り組みが開催された。

 

「120年ぶりの民法改正という大きな時代の変換点を迎え、ビル経営における付加価値創造は益々求められている。我々は場所貸しから脱却して、攻めのビル経営をしなければなりません」

 

プロジェクトCEOを務めるのは髙木さん。当プロジェクトはテナント企業の成長の度合いに応じて必要な支援をビルオーナーサイドから提供していこうという革新的な取り組み。

例えば、ビル入居の際の敷金を半額にできる「保証金半額くん」なるシステムが用意されている。

 

背景にあるのは、企業がオフィスを借りる際に、ビルオーナーに対して敷金として、賃料の8~12か月分を預け入れる慣習だ。これは言うまでもなく実績のない駆け出しの企業にとって、オフィスビル入居の際の敷金1000万円は大きな負担である。

 

「それを半額にすることで浮いた分を、人材育成を始めとした実業に投資できるようにして頂いた方がテナントさんの成長にとってはよろしいこと。この取り組みはプロジェクトパートナーの日本商業不動産保証さんの保証スキームを利用しているのですが、昔の髙木ビルならやらなかったでしょう。というのも、敷金はその企業を測る大きな指標、という考え方が業界にはありますから」

 

敷金を一括で払えないほど企業体力のない企業では、テナントを貸すことは危険である。この考え方がビル業界の根底にある。しかし、今の高木ビルは違う。

 

敷金は、スタートアップ企業にとっては大金。目の前のキャッシュは血と涙と汗の結晶なんです。負担が少しでも減って、その分違う形に生かしてもらえれば、さらなる実を結ぶかもしれない。

いずれは返す敷金ですから、実務投資を増やすことは、長い目で見れば企業にとっても私たちにとってもチャンスなんです」

 

敷金を半額にする。これができるのは中小ビルだからこその強みでもある。

 

「大企業のビルにスペック面で勝つことは不可能です。まず資金力が敵わない。でも、私たちの強みはテナントさんとの距離の『近さ』でしょう。テナントに寄り添い、居心地の良いスペースと環境を整えられるのは私たちにしかない強みです」

 

創業1年半のある企業はこのシステムを用い、半額の敷金で虎の門髙木ビルに入居した。

およそ1000万円という大金の支払いが猶予されたことで、選択肢はぐっと広がった。経営者はまだ20代。髙木ビル側からの提案に、涙を浮かべながら「出世ビルの出世頭になる」と宣言してくれた。心震えた。

 

契約時は、自然と力のこもった握手をした。それはどんな押印よりも固い約束だった。

 

「この1000万が、将来的に大企業になる足がかりとなってくれたら、微力ながら日本の未来に貢献したことになる。こっちまでワクワクしちゃいますよね」

 

 

髙木さんはBIRTH KANDAを起業家での“最小単位の提供”だと言う。

駆け出しの企業は創業者が一人で問題を抱え込みやすい。そんな時に未熟な者同士が支え合い、成長できる場を造りたい。テナントがどんどん出世していく、縁起の良いビルを作りたい。そんな想いが形となったビルである。

 

「場所としてただ借りる、というのではなく、テナントにはBIRTHに参加する、くらいの気持ちを持っていてもらいたいです。様々な出会いや刺激のある、一つのコミュニティとして捉えてもらえたら」

 

このように業界の台風の目となって、革新的な取り組みを続ける髙木さんだが、辿ってきた変遷からして異色だ。

 

 

バンドマン、ビルオーナーになる

今でこそ、ビルオーナーとしての地位を確立した髙木さんだが、祖父の代から続く家業を継ぐことに幾ばくかの反発心もあった。小学生の頃から、なんとなく自分の将来は決まっていることは知っていた。

周りの友達が無邪気に将来の夢を発表する中で、パイロットになりたい、と適当な嘘をついてやり過ごした。

 

「パイロットには全く興味がなかったですね、なるべく距離の短い国内線がいい、なんて作文に書いてました(笑)」

 

高校ではロックに目覚めた。初めて自分のやりたいことを見つけ、没頭した。大学でもバンド活動に勤しみ、アマチュアとして活動するうち、才能を買われアーティスト契約を結んでCDも出した。レーベルに所属して活動する中で、初めて人生を賭けようと思った。

1万人以上を前にギターをかき鳴らした瞬間は今でも忘れられない。自分の最大限をバンド活動に費やす日々が続く。

しかし、2000年代になり、CDはぱったりと売れなくなった。時代の流れには逆らえず、契約も打ち切られる。

 

「大挫折でした。契約を切られた後も1年半くらいはあがいていましたね。バンドは私にとって生きた証のようなもので、それを自分から手放す決断はなかなか下せませんでした」

 

バンド解散後は一転して家業を継ごうと思った。しかし父の反応は厳しかった。

 

「ふざけるな、と(笑) 今思えばその通りなんですよね、一人で好き勝手やってきた息子が何の不動産経験もなくいきなり継ぐなんて言い出したわけですから」

 

何とか認めてもらおうと、父の力を借りず一から出直すべく、大手不動産仲介業者に就職した。もちろん、いずれはビル業界に入ることを見越した選択だった。

いち早く功績を上げなければ、という意識がおのずと周りに差をつけた。営業先を駆け回る日々。一年もたたずに社内のMVP表彰常連となった。

 

「根が生粋のバンドマンでしたから、営業はステージの感覚でした。自分をどう見せるかを常に意識していましたね。服装や髪型なんかは相手によって変えて。はじめ社内では、ロッカーが表彰されてるって騒然でした(笑)」

 

バンドマンという、人と異なるバックグラウンドがあったからこその成功だった。徐々に仕事の楽しさを知り、営業にのめり込んでいく。

 

髙木ビルはもはやただの貸ビル会社ではない。顔を合わせて想いを共有し、テナントに寄り添い成長していく”パートナー”である。

無事家業を切り盛りする今、バンドマンそして営業マン時代に培った”人間力”は間違いなく活きている。

 

創業期について

髙木ビルは、私の祖父が立ち上げた会社です。今でこそ幾つかのビルを所有していますが、祖父が第一号ビルをつくるまでには8年もの年月を要しました。もともとは貸家業をしていたのですが、その土地を整理して場所を確保し、第一号ビルを建てました。

立ち退きをめぐって裁判になるなど、膨大な時間とお金がかかったそうです。この第一号ビルは今の虎の門ビルの前身にあたります。府中と武蔵境にビルを建てたのが昭和50年代。まだ武蔵境にロータリーがなかった時代です。

こちらもビル建設に当たって土地整理が必要になった訳ですが、我々地主と開発公社が話し合いの結果、ロータリーの建設に至りました。その取りまとめをしたのが私の祖父と父です。祖父の時代は特にビル建設の”地ならし”に奔走していましたね。

 

営業方針を変更した際のお父様の反応は

半信半疑でしたね。従来のやり方を進める社員もいました。でも父の言葉は「お前のやっていることは古い世代の自分達にはわからないが、このままではダメだということはわかる」でした。

それが後押しになりましたね。何か助けてもらうというよりは、とにかく見守ってもらいました。本当に感謝しています。

 

BIRTH KANDAの名称にかけた想いは

想いやアイデアなど様々なものが”芽吹く”場所になってほしいという想いです。イメージとしてはビルに入居するまでの地中ですね。スタートアップ企業が成長するための、栄養分のある土壌を提供していきたいと思います。

 

人生で一番楽しかったことは

今ですね。ようやく音楽に勝る楽しさを見つけられた気がします。もちろん今まで不動産業をやっていた時も楽しかったんですが、1万人以上の前でギターを弾く様な喜びには敵いませんでした。でも今はそれを超えて、ビル経営を通じて人・企業と共に喜びを分かち合えているという心震える感動が確かにあります。だから、今が一番楽しいです。

 

 

今後の展望は

テナントがどうしたら喜んでくれるかを追求したビルを作りたいです。そしてそんなビルが日本中にどんどん建っていけばいいですね。

何も髙木ビルとしてだけで成し遂げたいというわけでは無いです。全国に星の数ほどあるビルに「こんなことができるんだ」といった気づきを与えて、それが文化として”感染”していけばいいと思います。

日本のビルのうち8割以上のビルは私たちと同じ中小ビルです。そういったビルが髙木ビルのように元気な会社になっていけば素敵だなと思いますね。

 

日本に眠っている敷金がいくらか分かりますか?約30兆円と言われています。もしもその全てが企業の実業に使われたら…もう日本は元気になりますよね。日本は今何千億円という費用をかけて経済刺激策を打っています。でもビル会社はもっと簡単に、日本の経済を元気にできると思うんです。これは私の大きな夢ですね。

今後もいろいろな方と関わって、アイデアを共有してもっともっとビル経営の付加価値を見つけていきたいです。もしも50年後、100年後に息子や孫が私の仕事を継ぐとしたら、同じようにワクワクしながら仕事に向かって欲しい。そんな息の長い、日本を元気にできる会社を作りたいと思います。

 

 

株式会社髙木ビル COO(最高執行責任者)

髙木 秀邦 Hidekuni Takagi

東京都府中市出身。早稲田大学商学部を卒業後、プロのミュージシャンとして活動。その後、信託銀行系大手不動産仲介会社で営業を務めた後、株式会社髙木ビルに入社。東京都中心に自社ビル・マンションの設計開発~管理運営を手がけ、「オフィスビルの新たな価値創生」を掲げて活動。 宅地建物取引士/賃貸不動産経営管理士/相続士

 

<会社情報>

社名:株式会社髙木ビル

住所:東京都港区西新橋一丁目7番2号

電話番号:03-3595-1221

URL:http://t-bldg.jp/

設立年月日:昭和36年4月20日

資本金:9600万円

社員数:25名(関連会社含む)

 

『BIRTH KANDA』http://t-bldg.jp/birthkanda/

東京都千代田区神田錦町1-17-1 神田髙木ビル7階

『CYCLE REST 虎の門』http://cycle-rest.com/

『次世代型出世ビルプロジェクト』http://jisedaigata.com/