やる気とアイデアは 顧客の〝笑顔〟から生まれる

豊富な水源と加工技術力の高さを誇る北欧・スイスは、いわずと知れた精密機械大国。そして日本国内には同国同様、精密機械と関連部品の製造が盛んであり、環境の類似点や秀でた技術力を称えられ、〝東洋のスイス〟と呼ばれる地域がある。

 

それが、長野県の諏訪市周辺。今回は、そんな同市に隣接する上伊那郡でモノづくりを営む一人の経営者を訪ねた。

 

「東洋のスイス」と呼ばれる地域で

今回、筆者が訪問したのは長野・上伊那郡。この近辺は周知の通り、隣接する同県諏訪市と並び、第二次世界大戦後から精密機械、およびその関連部品製造が盛んなことで有名だ。同地域が精密加工で名高い欧州・スイスにならって「東洋のスイス」とも称されるのは、同業が盛んであるとともに風土的にも山と湖を有するという似通った点があることに由来する。

 
「具体的にいえば一般的に『東洋のスイス』は県内でも諏訪湖周辺を指すことが多いので、わが社もその一帯に加えていいものか……。いや、当然ながら少し外れていようとも、志や製品の質はどの企業にも負けていませんが」

 

温和な笑顔ながらはっきりとした口調でそう話を切り出したのは、前述の経営者、株式会社コジマエンジニアリングの代表取締役社長、小嶋氏だ。

 

株式会社コジマエンジニアリング
代表取締役社長 小嶋秀夫氏

同社の主力は光学素子製造装置やレンズ研磨機。

創業約10年と同業のなかでは比較的若い企業でありながら、主要取引先には大手企業が名を連ねるという優良企業として地元では高い評判をもつ。

 

ところで余談になるが、「東洋のスイス」とはそもそも戦後、日本の産業界に掲げられたスローガン、「(日本は)東洋のスイスたれ!」でうたわれたのが始まりであることをご存じだろうか。

 

そこには、二つの思いが込められていた。一つは乏しい資源を有効活用するべく大型航空機の生産を廃止し、スイスが生産国として有名であり、かつ日本人が得意とした時計やカメラ、精密機械の製造などを盛りあげていこうという希望、もう一つは「スイスのような、小さいけれど中立で平和な国になりたい」との願いだ。

 

残念ながらそのスローガンは戦後数年で徐々に廃れてしまったが、その心意気は何とも素晴らしいではないか。いまの多くの中小製造業経営者には足りない精神、世界に立ち向かわんとする、がむしゃらな〝モノづくり大国、日本〟を象徴している。

 

同氏の凛とした物腰からそのことを思い起させ、「かつてのモノづくりたちの心を受け継いでいるようだ」と感じさせられた。

 

そう話すと同氏は照れながらも、「確かにいまの中小製造業界の姿勢には、同業でありながら不安を覚えることがある」と眉をひそめた。

 

 

モノづくりは「楽しいこと」

「いまのモノづくりは、ある程度一定の成長を遂げてしまったのかもしれません。とはいえ目先の問題や『常識』に囚われて考えて工夫することを諦めていたり、自分で自分の限界を決めている方が多いと思うのですよね。モノづくりは固い頭ではできない。それを忘れてしまったのではないかと思います。『これは、こういうものだから』と決めつけている。そのようなことでは……」

 
そこまで話し、小嶋氏は口を閉ざした。「その先は、自らの頭で考えてくれ」。筆者には、そういわんとしているように感じられた。

 

「何しろ、私にとってモノづくりは楽しいことです。新しいモノを生み出すのはワクワクしますが、その気持ちは人に押し付けたりできるようなものではありませんからね」

 

自ら言うように、同氏は仕事としてではなく、純粋に楽しみながらモノづくりに勤しんでいるのだ。だからこそ、現在、一部の中小製造業に蔓延している「妥協した製品を大量に生産する」という姿勢が許せないのであろう。

 

「もともと電子業界で技術課と呼ばれる部署にいたのですが、ひょんなことから自分が発注していた先の、ある中小の加工業者さんでお世話になることになったのです。そこである機械の開発を請け負ったのが、モノづくりを始めたきっかけ。大変でしたが自分の知っている知識やノウハウをもとに部品をつなげ、カタチにしていくのは快感ですよね。思えば、いまも根底にあるのがそのときの楽しさなのかもしれません」と目を細めて振り返る。

 

そして、「『そんなものが本当にできるのか』といわれるような機械をつくるのは、それはそれは楽しいですよ」と笑った。

 

 

目指すは常に、
顧客の笑顔のために

小嶋氏は、今の中小製造業界にこう訴えかける。

 

「自分たちにしかできないこと、自分たちにしか生み出せないモノをつくること、提案することも含めてモノづくりであり、その心さえ貫けば廃れることなどないと思うのですよ」

 

さらに、「無難なモノばかり製造していては中国をはじめとするアジア諸国に取って代わられてしまうだろうし、一方、ただ技術で勝負してもドイツをはじめとする『工学の先人』のブランド力には敵わない。もともと日本人が得意とするのは生産技術や解析力の部分ですから、そこでプラスアルファの価値をつければ良いのです。何も難しいことではなく、自分が積み重ねてきた技術と知識の積み重ねで新しい発想はいくらでも生まれるのです。それが、開発ということ」と続けた。

 

それは、日本の技術力の高さを十分に分かっているからこその思いだろう。その表情から、同氏の抱くそこはかとないもどかしさが垣間見えた。

 

 

「あとは、匠と称する方々の『腕』に頼りすぎる考え方を変えなくては。匠に頼らざるとも最新技術を活用することで、私たちは人の手ではたどり着けないミクロな単位の精度を手に入れることができるのです」

 

今年、コジマエンジニアリングは同業他社に奮起させるようなある行動に出た。なんと約1億円かけての新社屋、工場の建築である。冒頭でGDP改定値の下方修正要因について「設備投資の減少」をあげたが、同社はまさにその逆をいく行動をとってくれたのだ。

 

 

「ただ単に、手狭になったからという単純な理由なのですが」

 

そう小嶋氏は謙遜するが、その前向きなアクションの一つひとつが結果的に中小製造業、ゆくゆくは日本経済復興の第一歩へとつながるのだ。

 

また、新社屋建築に関連し、同氏は自身の考える中小製造業のあり方を語ってくれた。

 

「一つの製品、一つの機械をつくりあげるには、それに適した企業の規模があると思うのです。それぞれキャパシティがありますから、受注をたくさん請ければよいというものでもない。工場は大きすぎても手狭でもいけない。逆にむやみに規模を大きくすると、自分の首を絞めることになる。中小企業は、投資に関しては大手以上に頭を使わないと」

 

 

結論として、最後に小嶋氏が目指していることは何かと尋ねると、前述の言葉を繰り返して「お客さまの笑顔を見ることですよ。根底はそれだけ。

逆をいえば、担当者に会わないとその方の『最高の笑顔』が想像できないのでやる気が出ないし、モチベーションも上がらない。最初に会っておけば、『この人の笑顔を見るにはこういうものを提案し、つくればいいのだ』とピンとくる」と即答してくれた。まさしく、天性のモノづくりである。

 

企業としての展望は、「ひらたくいえば、『常に世の中に必要とされる会社であれ』、ですよね」とのこと。

 

筆者もそう思う。思想は広く、いわば「おおざっぱ」ともいえるほどだが、技術は緻密。そんな小嶋氏のバランスの良さは製品にも多々、生かされている。綿密に組まれたバランスの良さ。まさに「ここにしかない」機械がつくり出されているのだ。

 

 

新社屋も完成し、年内の増産体制も整った。コジマエンジニアリングには、今後もますます注目が集まりそうだ。 ■

 

<プロフィール>
小嶋 秀夫(こじま ひでお)氏
1948年、長野県生まれ、63歳。
1967年、地元の工業高校を卒業後、電子メーカーに入社し、工場の技術課に在籍。同社を退職後、機械加工を営む中小製造業に入り、機械の開発に従事する。2000年にコジマエンジニアリングを創業。現在に至る。

株式会社コジマエンジニアリング
〒399-4601 長野県上伊那郡箕輪町 中箕輪10500−335番地
TEL 0265−71−1844
http://kojima-eg.com/index.html

※本記事は2011年10月号掲載記事をもとに再構成しています。