画期的な機構を開発し、複数の特許を取得しているその人物は、実は文系出身だった!

 

大手製造会社に勤務しながら30代半ばで志を持って独立、日本の重工業の盲点を突くような技術開発を提案し続けて40年あまり。

現在はなんと、その古巣企業との訴訟まで抱えながらも、自らの技術で地球温暖化対策に寄与したいという熱い思いを持っている。

 

良き時代も苦境もすべて経験してきたミスズテクノ株式会社の髙須益樹氏に、そのドラマチックな半生と、本当のモノづくりに必要な核心とは何か、話をうかがった。

 

─髙須社長は、これまでどれくらいの特許を取って来られたのですか?

 

高須 取得したのは3つです。現在出願中のものが7件ほどありますか。

個人のものもありますし、関連業者と一緒に取ったものもあります。審査請求しなかったものも含めますと、案件はまだまだありますね。

 

 

─ミスズテクノで手がけてこられた製品の開発ヒストリーをお聞かせ願えますか?

 

高須 私はずっと、「省エネルギー」に興味を持っていました。

そこでまず私なりの省エネルギー装置として、「ドレーン回収装置」を作りました。

これは、熱回収装置から出てくる熱水や廃棄熱を効率的に再利用するための装置です。好調な時には年に30〜40台ほど売れました。

 

その傍ら、もう一つ手がけていたのが熱効率を上げるための改良を施した「工業用乾燥機」です。

従来は内部で空気を循環させていたものを、ダクトを通して新鮮な外気を取り入れるように変えたもので、こちらはリネンを大量に使うホテル関連会社を大口顧客とすることができたおかげで、いちばん良い時で年商7億円まで行きました。

 

その後、平成10年ごろの景気の悪化に伴い、今度は自動車業界に目をつけ、自動車業界が液体の異物除去に対してフィルターに依存していることがわかったので、フィルターをなるべく使わない濾過装置を作って、省資源化、低コスト化が図れないかと考えたわけです。

 

 

─そこで、いま注目をされている遠心力を活用した濾過装置の誕生となるわけですね?

 

高須 その前段階があります。自動車業界を対象に私がまず考えたのは、フィルターを完全になくしてしまうことではなく、「プレス鋼板洗浄油用クリーンフィルター」を開発することでした。

これはコイルばね式の濾過装置で、溜まったスラッジの除去はもちろん、フィルターも交換不要の製品です。

 

この「プレス鋼板洗浄油用クリーンフィルター」を関東自動車工業に納品しました。結果、同社の製品手直し率が、導入前は2.9%だったのが0.2%にまで低下したんです。

関東自動車工業は、トヨタ自動車の全製品の約1割を手がけている会社ですから、私はこの製品の開発により、トヨタ自動車から平成16年2月に技術開発賞をもらいました。

 

 

─世界のトヨタが認めた技術ですね。

 

高須 こうした過程を経て次に取り組んだのが、フィルターをまったく使用せず、もっぱら遠心分離方式を使った濾過装置の開発です。

開発には成功したのですが、ここで思いがけないことが起こりました。

開発にあたって業務提携をしようじゃないかと話し合っていた会社と、訴訟になってしまったのです。ここでストップしてしまいました。

 

 

─訴訟ですか? もし差し支えなければお話いただけますか?

 

高須 公開裁判ですし、事の経緯を理解していただいたほうがいいと思いますので、すべてお話します。

私が原告で、相手を訴えた裁判です。

 

相手は、私がかつて勤務していたIHI(旧石川島播磨重工業)から紹介を受けた、関連会社のIHIMT(IHIメタルテック株式会社)です。

私が先に開発した「プレス鋼板洗浄油用クリーンフィルター」に対して、古巣のIHIから、「これは実にすばらしい装置だ」ということでアプローチがあったんですね。その際、「プレス業界よりもむしろ、もっと市場規模の大きい圧延業界に販路を広げたほうがいい」とアドバイスされました。

そこでIHIを通してIHIMTを紹介され、フィルターを一切使わない、もっぱら遠心分離方式による濾過機の開発を進めていくということで、業務提携に向けて話し合いを重ねてきました。

開発にはお金がかかりますが、そこはIHIMTが出す、製作はミスズテクノが責任を持ってやる、その代わり、買取の形で販売権はIHIMTが独占という方式にして、販売利益の還元はしない、大筋そういうことで話がまとまりかけていたのです。

 

─開発から製造・販売まですべて自社ブランドとして展開できれば最良かもしれませんが、自ら手塩にかけた技術にかつて在籍した会社が注目をし、業務提携をして大きな販路でビジネスをしていくというのは、なかなか良い展開のように聞こえます。

高須 そうなんです。私も70を過ぎましたし、誰かに技術を継承したいという思いはありました。

その継承先がIHI、なるほどこれも巡り合わせで良いと思ったのです。

 

ところが、とんでもないことになりました。

どういうことかといいますと、いっこうに開発費をIHIが出さないのです。

のらりくらりと話を交わしながら、なかなか払おうとしない。IHI側とすれば、技術も製品も欲しい。特許もほしい。しかし金は出したくない。これが本音でしょう。

そこでとうとう私も我慢の限界を超えて、訴訟に踏み切ったんです。

 

─大手企業の技術者は、自分で開発もできない技術を、あたかも買うような振りをしながら、結局盗んでいくということがありますね。

高須 今回がまさにそれです。

私もこれまで、苦境に立った時もあり、また非常に好調にやらせていただいた時もありますが、まさかこの年齢で、古巣の企業からこんな手ひどい裏切りにあうとは思いませんでした。

 

 

─いま苦境に立った時も、好調な時も、とありましたが、IHIという大企業に就職しながら、志を持ってそこを離れられたという、その「志」とこれまでの人生の歩みにたいへん興味があります。

 

高須 私は実は技術者でも理系の人間でもなく、文系出身です。

明治大学の経営学部を出て、当時の石川島播磨重工業に入社したのが昭和37年でした。営業の仕事に携わり、13年半、勤めました。

 

 

─次々に製品を開発し、特許もさまざまに取得されてきた髙須社長が文系のご出身とは驚きです。

どうして技術畑に進もうと思われたのですか?

 

高須 昭和37年に入社して、39年に転勤になったんです。

転勤先では製品のカタログを渡されて、「さあ、売って来い」と。私はボイラーを売り、個人トップの営業成績を挙げました。

 

ところが、機械を納めた先では、どうしても故障やトラブルもありますね。

苦情の電話があると、「すぐサービスの者を行かせます」と答えるんですが、「おまえが売ったんだから、おまえが来い」と。そこで出かけて行って、簡単なトラブルなら、腕まくりしてお手伝いすることになります。

 

そんなことを繰り返していくうちに、技術というものの面白さに興味を持つようになったんですね。
こういう経験があると、人間、発想の仕方が違ってくるものです。

「ここはどうにかならないか」「こうすればもっと喜ばれる」ということを考えているうちに、自分自身が段階的にステップアップしていきました。

 

当時IHIの中に社内スカウトがありましてね、光栄なことに私もスカウトされて、開発営業室という部署に入りました。

世界中どこに行ってもいい、金を使ってもいい、その代わり飛び切りいい商品を見つけて来い、という部署でした。スカウトされてうれしかったのですが、しかし部署が変わるタイミングでもあるので、「独立するなら今しかない」と思って辞めました。

 

 

─いとも簡単におっしゃいましたが(笑い)、経営学部出身の人が、特許をいくつも取るほどの技術開発に携わることができるとは、普通はなかなかそういう発想ができないと思うのですが。

 

高須 私がこれまで作ってきた製品は、すべてシンプルなものです。

いま、何でも分業化が進んでいますね。となると、その中間の技術が抜けているはずなんです。圧延についても、圧延の機械はいいと。

ところがそれに使う濾過装置には目を向けない。そこに目を向けること。

 

それから私は、大企業の工場に行って、もちろん許可を取ってですが、ラインのあちこちに行って、製品ができるまでの流れを、じっと凝視するんです。まる1日、24時間ひたすら観察してみる。

そうすると必ず、この部分には自分が何か関与できるのではないか、という、ヒントのようなものが見えてきますよ。

 

 

地球温暖化対策に自らの技術で貢献を誓う

 

─いま、日本の中小企業の経営者たちは、モノづくりの現場で疲弊し、苦境にあえいでいます。どんなアドバイスが考えられますか?

 

高須 私の信念は、けっしてあきらめないこと。それから自分を追い込むことも大事。食うや食わずの危機になれば、そこから何かが生まれてきます。

 

それと、開発に際して、ヒット商品のマネみたいなモチーフで取り組んでしまう方が多いのではないでしょうか。

「ウチの製品はオリジナルだ」という誇りを持っていただきたい。

 

 

─その点、髙須社長は、ミスズテクノの製品に絶対の自信をもっていらっしゃる。

 

高須 まず自社で作った商品は、自社で直せるという前提でやっています。

そもそも、ウチの製品にはメンテナンスが不要です。その証拠に、納めてから11年間、オーバーホールを一度もしていません。

他社の濾過機は、3カ月に1回、1回あたり50万円もかかるメンテが必要です。

 

ある大企業の人から、「売った商品に対して、毎月なり隔月なり、メンテをやってそれでお金が入ってくるようにしなければ、商売にならないではないか」と言われたこともあります。

なんと志の低い、汚い発想かと思いました。

ミスズテクノの圧延機用濾過装置を使えば、それぞれのラインごとに、大型トラック1杯分の産業廃棄物が出るような、そんなバカな体制にはストップが掛かります。

しかし今回のトラブルでそれも止まってしまった。今後は、私の技術はもっと別の市場で考えたいと思います。

 

 

 

─それでは最後に、髙須社長の今後のビジョンをお聞かせください。

 

高須 地球温暖化の問題に対して、自分のできる技術で、守備範囲で、いったい何ができるだろう、ということについては、これからも真剣に見つめていきたいと思っています。

 

それから技術を誰に、どんな形で継承していただくか。そのことも、近々に決めていきたいと考えています。

 

髙須益樹(たかす・ますき)氏

 

略歴…1938年、神奈川県鎌倉市生まれ。その後、東京・深川で育つ。

明治大学経営学部卒業後、石川島播磨重工業(現IHI)に入社、営業職を13年半、務める。

36歳で独立し、ボイラーの熱回収装置や新型濾過装置の開発を次々に手がけ、平成16年、「プレス鋼板洗浄油用クリーンフィルター」により、トヨタ自動車から技術開発賞を授与される。

平成6年よりミスズテクノ株式会社代表取締役社長に就任、現在に至る。