バイオ、コンサルタント、モンゴルの産業創出 3つの柱でアジアと日本の架け橋をめざす

中原昭雄社長の話は、とにかくスケールが大きい。

中国でのバイオ事業について説明したかと思うと、日本企業とアジアとの関係を語り、いつしかモンゴルの産業創出について思いをめぐらす……。

しかし、そこにあるのは夢のような理想論ではなく、果敢にトライしてきた先行投資で痛手を受けた苦い経験と、日本社会への痛烈な批判のまなざしだ。

前例のない挑戦をサポートしない日本の風土に半ば絶望しつつ、それでも架け橋的な存在になろうとする中原氏。そのクールで熱いビジョンを紹介しよう。

 

 

3年間かけて広大な土地を浄化水力発電、米の生産、魚の養殖も

地球環境の危機が懸念されるようになってから、バイオ燃料に対する熱い期待が続いている。

バイオ燃料とは、生物体(バイオマス)が持っているエネルギーを利用したアルコール燃料もしくは合成ガスなどを指し、石油に代表される枯渇性燃料の代替エネルギーとして注目されている。

学術的には諸説あるものの、二酸化炭素の総排出量削減につながると見られていることが、人気の最大の理由だ。

 

大豆の畑の傾斜部に植えている中国の独特の木

 

パートナーファームではおよそ5年前からバイオ燃料を活用した、クリーンな土壌づくりの事業を進めてきた。舞台は、中国・江西省泰和県の広大な土地である。

 

「たいへんのどかで水が豊かな、日本で言う里山のような場所です。現在489エーカー(60万坪)の土地を所有していますが、そこのおよそ10エーカーほどに大豆、ひまわりを植え、3年間で土壌にあった砒素のうち、99%が無くなるほどきれいになりました。

とにかく、無農薬野菜や有機栽培ができるくらいにきれいにしようじゃないか、というのがテーマだったんです。

あしかけ5年間かけて実にいい土壌になり、現在はそこで稲作をしていますし、豊富な水を利用して魚の養殖も行っています。来春には15トンの魚を出荷できる見込みです。

また、いちばん大きな仕事としては水力発電ですね。約1600Kw/hの発電を行い、これで近隣の農家に対して電気を供給しています」

 

もともと中国は、バイオ燃料とは親和性の高い国なのだという。

「バイオというと、最先端のことをやっているように聞こえますね。確かに技術を駆使して大規模なシステムを作るのは大変ですが、バイオ燃料そのものは、彼らは昔から自家製で作っていました。

今でも中国の農村に行くと、バイクが白い煙を吐きながら走っているのをよく見かけますが、あれ、バイオですからね。石油由来の燃料を買うには金がかかるが、農家に飛び込んで、大豆を搾ったような安い油をもらって、それをディーゼルエンジンにつっこんで走れば、ただ同然(笑い)」

 

しかしながら、中国でバイオ燃料は公式には認知されて来なかった。ましてやバイオ燃料を大規模に使用して土地を浄化するなど、思いもよらない。そこには、中国独特の食文化が横たわっている。

「バイオ燃料というのは、穀物、つまり、人間の口に入るものを使いますよね。中国では、食べ物をエネルギーに変えるなんて、ご法度もいいところだったんです。

ところがここ数年、にわかに風向きが変わり、一転して、中国政府はバイオ燃料を推奨し始めました。このめまぐるしい変化の速さも、これぞ中国文化、ですよ(笑い)」

 

 

プロジェクトの頓挫、頭脳流出……チャレンジャーゆえの苦闘の歴史

バイオといっても、むろん良いことばかりではない。

それどころか、あまり語られないがゆえに課題が地下に潜行し、解決の糸口すら見えていないような事柄もある。具体的には、廃棄物の問題である。

 

「バイオ燃料を作る過程で、どうしても不純物、廃棄物が出てきます。

さてそれをどうしているか。率直に言いますと、多くの場合、埋めたり、捨てたりしているんです。

これは日本政府も内緒にしていることです。バイオだ、バイオだと騒いでおきながら、実は相当量の廃棄物が出ている。その廃棄物の処理に困り、1トンあたり何円、何十円で売りさばき、それをまた燃やしている、というのが実情です。

私はこの問題になんとか取り組まなければいけないと思いました」

 

パートナーファームでは、横浜市にある研究開発事業・受託研究業務を行う株式会社メタボスクリーンと提携し、精製時の副産物である廃グリセリンの処理方法について研究を重ねてきた。

江西省泰和県にあるバイオディーゼル(以下BDFと表記)燃料精製工場において、精製装置を2台設置し、エンジンへの負担を軽減するため、純度100%のBDFを生産すること。高純度のBDFを生産することで廃グリセリンの有効利用を可能にし、具体的には化粧品の原料などとして再利用すること。

 

ところがこの取り組みが、大きな困難に見舞われる。

「私が廃棄物の処理についてのレポートを書き、メタボスクリーンとタイアップして、廃棄物処理の機械を開発しました。当時、横浜市は中田宏市長の時代でしたが、盛んにクリーンエネルギーの追求を謳う中田さんのところにプレゼンに行き、横浜市から助成金を出してもらったんです。そして1年間研究して機械ができあがりました。

ところが、皆さんご承知のように任期を終える前に市長が辞職してしまい、同時にプロジェクトは頓挫です。いくら助成金をもらったとはいっても、こちらも相当な金額を投入していますから、大きな痛手を蒙りました。

その機械はいま、慶応義塾大学の湘南キャンパスのラボに置いてありますが、完全に宝の持ち腐れになっています。1年半だけ展示をして、市役所の方が見学に来たりしましたが、後の祭り。

日本のバイオ受容はせいぜいこんな程度だと、大いに失望しましたね」

 

不況の影響もあり、近年は、日本では新しい技術の開発に対して、まったくと言っていいほど助成金が降りなくなったと中原氏はいう。

結果、優秀な頭脳の流出まで招いているというから、事態は深刻だ。

 

「こういうパテントを取ったのでこんな実験をしたい、というお願いに行くじゃないですか。これまで何度も繰り返し、様々な形で助成金の申請をずっとしてきましたが、ことごとく撥ねられました。

私たちがやる事業は半分くらいが産学共同でやる業務ですから、そうなると、アカデミーの人間もモチベーションが下がってきます。優秀な大学の先生はみんな、アメリカに行ってしまうんです。

私の知人のおよそ8割はすでに日本に見切りをつけてアメリカに行きました。いま話題のiPS細胞、あれを研究している先生などはまだ残っていらっしゃいますが、惨憺たる状況といわざるを得ません」

 

民主党政権の売り文句ではないが、事業仕分けによって中止になった、というレベルの話ではない。

投資をし、自治体の助成まで受け、製品もすでに完成しているにもかかわらず、それを生かす場所がなく、ノウハウもない。それがいまの日本の姿なのだ。

しかし、それでも中原氏はまだあきらめない。

 

 

日本社会の弱点、アジアの願い双方を知る立場からのビジネス展開

中原氏の目は日本の政治や製造業の現場を離れ、いま、アジアに向いている。

先に挙げた中国・江西省から、さらにモンゴルの大地に飛躍しようとしているのだ。

「モンゴル政府から、産業の創出、という大きなテーマで依頼を受けています。モンゴルという国には、日本はODAでだいぶお金を出していますが、いま、韓国の影響力が大きくなりつつあります。中国との関係はけっして良好ではありませんし、すぐお隣にはロシアがありますね。そして、最近はドバイのお金がかなり流入してきている。外国マネーがいろいろ入ってくるものだから、いま、モンゴルはお金持ちなんです。ただ、産業がない。資源は家畜と鉱山くらいですが、せいぜいそれを売るだけですよ。あとはひたすら消費です。4800万頭も遊牧しているのに、なおかつ外国から家畜を買わされたりしています。なぜかというと、あの国は検査体制が非常に脆弱なんです。まず私は、しっかりとした検査体制の仕組みづくりから取り組もうと考えています」

 

一国の家畜の検査体制を、日本の一企業人が作ろうとしている。あたかもモンゴルの草原のように、なんとも雄大な話ではないだろうか。

あるいは、もはやこれは企業人という枠を超えて、社会事業家の仕事かもしれない。

 

 

 

「中国での事業も、このところ様々な形で協力者が現れ、泰和県から、県として公人をもてなすためのレストランを作りたいという相談を受けています。そこで使う食材を、私たちの土地で作って供給しようじゃないかと。

それから、日本でいうところの〝ふるさと創生〟ですね。

中国はいま、上海や北京のような大都市は大いに発展し、二番手の都市もどんどん発展中です。しかし、もっと小さい地方都市はまだまだ問題を抱えていて、国としてお金を入れて支援していこうという動きがあります。

その流れの中で私たちの持っているクリーンな土地を活用しようということですね」

 

不況にあえぐ日本を尻目に、アジアの地で描くダイナミックなビジネス地図。しかし中原氏はもちろん、日本のことを忘れたわけではない。

それが、これからやろうとしているもう一つの仕事、コンサルタント事業だ。

 

「中国に進出したのはいいが、撤退を余儀なくされた日本企業を、たくさん見てきました。

そこで私は、日本と中国のマッチングをする役目を担っていきたいと思っているんです。中国に工場を作るならどこの土地がいいのか、中国の企業と提携したほうがいいのか、あくまでライバル関係で競争したほうがいいのか、そのあたりを私の経験でしっかり見極めて、助言していく。

 

一方の中国に対しては、食の安全性を高めることができるようなシステムづくりをしていきたい。中国は、極端に言えば減価償却という概念がないような、全部が儲けになるような国なんですね。世界に通用する経理処理もしていません。

その国がいま、地に足の着いたモノづくりの技術を、すごく入れたがっている。そこで私が、上手に日本企業とのパイプづくりをしていきたいと考えています」

 

整理しよう。1つめは、中国江西省の広大な土地とバイオ技術を駆使した食品、レストラン、水力発電など一連の事業。

2つめは、モンゴルの産業創出のためのブレーンとしての事業。

そして3つめの柱として、日本企業が中国進出をする際のコンサルタント事業。

 

一方に、新しい技術の開発やアジア進出に弱腰になっている日本企業を叱咤激励する気概があり、また一方に、大きく飛躍しようとしているアジアの国々のウィークポイントを冷静に見つめるまなざしがある。

双方の事情に精通しているからこそ、できること。それが、ビジネスを通してアジアと日本の架け橋になるということなのかもしれない。  

 

 

中原昭雄(なかはら・あきお)氏…1952年、東京都墨田区生まれ。

千葉大学工学部卒。丸紅勤務を経て、父が経営する会社(製造業)の5代目社長に就任。

50歳で退き、2004年からバイオ技術を駆使したベンチャービジネスを立ち上げる。

2007年に株式会社パートナーファームを立ち上げ、現在に至る。

 

 

株式会社パートナーファーム

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