◆文:櫻井美里

 

掻き鳴らされる抒情ギター。その弦をつま弾く指先のように、妖艶にして華麗なタップ。

叫びはジプシーの悲哀と激情を伝え。圧巻のステージが見る者の心を揺さる。

新宿駅から5分、伊勢丹会館の6階に抒情的なフラメンコ音楽を鳴り響かせるステージをかねたレストランがある。「Tablao Flamenco GARLOCHI(タブラオフラメンコ ガルロチ)」。生演奏と本場のアーティストによるフラメンコとスペイン料理。まさに五感で楽しむレストラン成功の裏には、社長の奮闘があった。

 

 

「自分が着たい衣装がない」

もともとは夫婦で広告代理店を営んでいたという村松尚之社長。大学で出会った奥さんに経理を任せていたが、もっと違う働き方をしたい、という彼女の要望から、次第にフラメンコという未知の世界に足を踏み出すことになる。

「時代はちょうどバルセロナオリンピックの頃。フラメンコが国内でブームになり、愛好者は10万人とも言われていました」

 

村松尚之 株式会社バモス 社長

 

その当時フラメンコ衣装は基本的に輸入するものだった。日本の会社による製造はほぼ行われていなかった。そこで立ち上がったのが村松夫妻である。もともとフラメンコを習っていた奥さんの発した「自分の着たい衣装がないならば作ってしまおう」という想いが村松社長を触発し、日本人の好みにあった衣装作りを自らの役目と見定め、奔走するようになったのだ。

ただ、上半身は身体の曲線にぴったり、下のスカートが舞にあわせてふわりと広がるフラメンコ衣装は、きわめて高度な仕立て技術を擁するものなのだという。これを日本で製造するには人件費が高くなりすぎる。そこで目をつけたのが、常夏の国ベトナムだった。

 

「ベトナムの民族衣装であるアオザイは世界一採寸箇所が多い衣装として知られています。そんな高い裁縫技術のある国ならいけるだろう、と思いました」

 

従来の衣装との一番の違いは「日本人の好み・体に合った」ものであるということ。日本人とスペイン人は比較的体型が似ている人種ではあるものの、顔の彫りや目の色、髪の毛や腰まわりなど、やはり違う部分が多い。本場の衣装が必ずしも日本人に合うとは限らないのである。

 

「着る衣装によって気分の高揚がありますし、フラメンコの奥深い世界に足を進めていくには、似合った衣装を着ることが重要ですよね。踊りも上手く見えますし」

 

フリルを取り入れるなど、日本のカワイイ文化も意識した今までにない衣装はたちまち評判となり、販売会に決まって行列が出来るようになったという。

 

「刺激発信型」フラメンコショップ

フラメンコのブームはオリンピック終焉とともに次第に落ち着きを見せはじめたが、フラメンコはまず習得までに多大な時間を要するダンスゆえに、ブームが去っても根強いファンは多く生まれた。中には「フラメンコこそが私の人生である」という人もいるぐらい。

フラメンコは踊る人の世界観によって全く様相が異なる。衣装は、その世界観を醸し出すために必要不可欠であり、同じデザインでも生地が違ったり、色違いを多く取り揃えたりするのは、1人ひとりの世界観に少しでもマッチする選択肢を用意するためだ。

「ショップのコンセプトは『心躍らせたい』です。アーティストの世界観をより豊かなものにする。また想像力を広げるきっかけになる。そんな『刺激発信型』のフラメンコショプでありたいですね」。

 

 

機関誌「Latido(ラティード)」に見るフラメンコ

そのフラメンコの世界で新しい刺激を発信していくというコンセプトを地で行くものとして、無視できないのが定期的に発行している機関誌の存在だ。名前は「Latido(ラティード)」。スペイン語で鼓動、という意味。このLatidoが日本におけるフラメンコ文化普及に貢献してきたのは、多くの人が語る通りである。

 

企画として目を引くものがある。ショップの三周年記念に行われた”三代フラメンコ”である。

「三周年記念に伴い、『あなたの夢をサポートします』と銘打ってフラメンコに関する夢を募集したんです」

 

何通もの応募から選ばれたのは、とあるフラメンコ教室の受講生からのもの。その方が通う、教室には、親子でフラメンコを教える学院長がおり、その先生に生徒から特別なフラメンコ衣装を贈りたい、という内容だった。しかし、企画の採用が決定した矢先に東日本大震災が起こった。自粛ムードに国内が取り巻かれる中、開催を危ぶむ声もあったが、人々に勇気を与えることを信じ開催したそうだ。

 

機関誌には他にも、ページを彩るさまざまな衣装、アーティストの写真が並ぶ。フラメンコの衣装の色合いは多岐にわたり、必ずしも派手であるわけではない。また、独特な拍取りが要求され、その中で喜怒哀楽が表されている。

 

「フラメンコを見て涙する人は多いんです。それは単に美しいという理由ではなくて、何か心に訴えかけるものがあるからなのでしょう。一生懸命さとか、踊りの裏側にあるものが表現に滲み出てくることで共感を呼び起こすんですね。若い人の元気な踊りよりも、年配の方のほうが感動を呼ぶような気がします」

 

Latidoがこのようにフラメンコ愛好家から愛され、巷で話題になりだしたころ、村松社長にある話がもちかけられた。

 

 

エルフラメンコの継承

GARLOCHIの店内の様子

 

2016年夏、新宿のスペイン料理店「エルフラメンコ」が49年間の長い歴史に幕を閉じた。エルフラメンコは、本場スペインから招聘したプロのフラメンコショーを鑑賞しながらディナーを味わうスペイン料理店であり(「Blue Note Tokyo」のフラメンコ版とでも言えばよいか)、全国のフラメンコ愛好家が通う、紛うことなき日本におけるフラメンコの聖地であった。この聖地を継承してくれないか。当時のオーナーから村松社長に持ち掛けられた相談である。

 

結論から言うと、村松社長はエルフラメンコの想いを引き継ぐ形で、新たなフラメンコレストラン「タブラオ・ガルロチ・フラメンコ」をオープンさせる。今も変わらず聖地としてフラメンコ文化を発信し続けるガルロチだが、引き継ぐにあたり想定を超えた苦労の連続があったという。

 

「音が漏れている」。リニューアルしてショーを開始してから幾日かが過ぎたころ、下の階から苦情が来たそうだ。不幸なことに、フラメンコのアーティストたちが情熱的なタップを踏むステージの下の階は、リラクゼーションスペースとなっていた。

 

「どうしたって、舞台を一からつくり変えなければならなくなりました。想定外の予算がかかりましたが、音漏れしない舞台をつくるべく、騒音問題の専門家に監修してもらい、突貫工事を実施したんです。ところが、今度はアーティストから苦情が入りました。というのも、当初はステージの板を外して中に吸音材を入れて凌ごうとしたんです。そうしたら、ステージをタップした際の感覚がほんの僅か変わってしまったそうで、『この舞台では踊れない』と。そのときショーは明日に迫っていました。もう引き下がれないと、そこからまた急いで業者を呼んで、戻してもらったり」

 

 

想い返すだけで、苦笑してしまうほどの苦労の連続だったという。

それでもフラメンコ文化を潰えさせてなるものか、という想いを掲げて戦い続けた。

例えばショーのサイクルの変更である。エルフラメンコ時代はスペインから同じグループが約6ヶ月にわたりショーを行っていた。しかし、村松社長の考えはこうだった。

「いくらショーのクオリティが高くても、6ヶ月も本国に帰らずにいられるグループとなると、スペインでの超一流アーティストはなかなか呼べない状態だったのです。むしろスペインでのエルフラメンコの位置づけは、若手の登竜門のような存在になってしまっておりました。せっかく、フラメンコの魅力に直に触れていただくステージを作るのならば、今が旬である当代一流のアーティストも呼べるようにしたいという想いがありました。”本物”を体感してもらいたいんです」

 

今ではショーのサイクルは1〜2ヶ月と、以前よりも格段に短くなり、よりバラエティに富んだショーが実現している。また、料理にも気を遣っている。以前までは主役はフラメンコ、料理はあくまで脇役といった位置づけだったそうだ。これを変えるべく奮闘したが、なかなか難しかったそうだ。

 

「ショーの時間は照明を落とします。必然的に、暗い中での配膳が求められます。これがなかなか難しいこと。そして、客数が毎日読めないんです。作り置きではなく出来立てのものを高いクオリティで出そうと思うと、オペレーションがますます大変で。悩まされましたね」

 

ショー・料理・サービス。3つを一度に提供するからこそ、全てに妥協なく向き合う社長の姿勢が、今日のフラメンコの聖地を形づくっているのだ。

 

 

こうして孤軍奮闘を続けて、なんとか生まれ変わったガルロチ。そこに寄せられた言葉には温かいものがあったという。エルフラメンコを引き継いだことへの感謝。本物にこだわる姿勢への賞賛。

 

「ガルロチは他にない”贅沢な空間”でありたいんです。それじゃあ本場スペインで見ればいい、と思うかもしれませんが、スペインに行けばむしろ本物に触れることが難しくなるんです。フラメンコはかの国では観光客が目にするものです。観光客向けのわかりやすいショーが横行していますし、観光として滞在時間に限りのあるなかで、素晴らしいショーに触れることはなかなか難しいんです。その点、ガルロチに来てくださるような方は本当の”愛好者”ですから、騙しだましの安物は通用しない。アーティストたちも本気でショーに取り組むんです」

 

フラメンコは「薔薇をくわえている」「男女が絡み合っている」……。そんなイメージを持っている人も多いだろう、と村松社長は言う。

「フラメンコは心の喜び、叫びを訴えかける場所なんです。それは、日本人のDNAがどこか渇望するものなのではないでしょうか。」

 

フラメンコの聖地を背負いながら、”本物”への飽くなき追求を続ける村松社長の奮闘は続く。

 

 

 

<プロフィール>

村松尚之 株式会社バモス 代表取締役

株式会社バモス

住所:東京都港区赤坂3-8-15 THE AKASAKA 3F

電話番号:03-6272-5620

URL:http://garlochi.net/

設立年月日:2016年10月

資本金:500万円