背景に太い人脈 &〝やらまいか精神〟

デザインモックアップ製作のツワモノ集団  株式会社オクト 代表取締役 社長 池田彰氏

その穏やかな風貌、自由で闊達な物言いからはまるで想像もつかないが、内実は紛れもなく〝軍師〟と、筆者はみる。

会社設立後まだ3年にしかならないが、先ごろは神奈川県の技術開発大賞にノミネートされ、経営革新計画企業にも承認された気鋭のモノづくり集団、オクト(本社・神奈川県綾瀬市)を率いる池田彰氏(68)だ。氏の話を聞けば聞くほど、モノづくりにこそ丁寧で〝心ある〟経営管理、いわゆるヒューマンマネジメントが不可欠と改めて思い知らされるのである。詳しく紹介しよう。

ジェット旅客機のトイレ周りから自動車のシート、各種ノベルティ、モニュメントまで

夢でもなければ野望でもない。あえていえば清算会社の〝受け皿〟である。氏が3年前にこの会社を急遽、立ち上げた動機だ。

清算会社は仮にJ社としておこう。自動車用内外装部品の金型設計製作、プラスティックの射出成型などを主たる事業とし、県下ではとみに知られた老舗製造業者である。

「清算となると私はもちろん社員も全員解雇です。しかし曲りなりにも(私は)社長でしたからね。社員の食い扶持だけは何とかしなきゃと思いまして…」(池田氏、以下同)

詳しくは後述するが、それまで40数年に亘って築いてきた業界の人脈をフルに活用、それぞれに再就職の口を周旋し、自らを含めて残った7人で始めた会社がこのオクト、というわけだ。

ちなみに氏がJ社の社長に就任したのは清算の半年前である。その4カ月前に非常勤の取締役としてヘッドハンティングされたばかりだから、いわば解散を前提にした〝選挙管理内閣〟だ。普通なら全員を召し放ちにして身の安全を図るか、そそくさとお暇しても文句を言われる筋合いではない。しかしそれをしないできちんと始末を付けるところが氏の面目躍如で、筆者は米沢転封の際の直江兼続や、関が原に臨んだ黒田官兵衛の心も度量もある処し方を髣髴するのである。

とまれまずはこの会社の概要と、経営方針について少しく説明しておく。

航空機、自動車産業を中心とした部品開発から各種機械の切削・加工、金型、冶具、試作品などの製作、メンテナンスまで一貫体制でサポートする、いわばモノづくり企業のためのモノづくり企業である。中でも得意分野とし、高い評価を得ているのがモックアップ(完成品に限りなく擬した樹脂や金属の模型)製作技術で、ジェット旅客機のトイレ周りから自動車のシート、健康器具、各種ノベルティやモニュメントまで、それこそ何でも手描きの図面から3Dデータ化して作ってしまうのだ。

「会社こそまだ生まれて間もない赤ん坊ですが、それぞれのスタッフが持っているスキルとノウハウに関して言えば、手前味噌になりますがどこにも引けを取らないだけのモノがあると自負しています」

と、氏が胸を張るのも実のところ理の当然で、先のJ社をはじめ県下の名立たるメーカー工場で、長く部品開発や精密機械加工などに携わってきた飛び切りの熟練技術者たちが主要メンバーという、文字通り百戦錬磨のツワモノ集団なのである。

 

倍々ゲーム!?
1期目より2期目、2期目より今期

しかし、だからといって、立ち上げて間もない会社がトントン拍子で業績を伸ばせるほど商工業界は甘くない。ましてやこのハイパー円高、リーマンショック、金融危機、未曾有の大震災と、モノづくり企業にとってここ3年間の経営環境は最悪である。そんな中で売り上げの嵩こそまだ飛び抜けて大きいとは言えないものの、1期目より2期目、2期目より今期と、ほぼ倍々ゲームで成長を続けているのだ。

「神風が吹いてくれたんですよ。それも1、2、3号と立て続けに」

訊くと1号は、大阪市に本社を置くカバン製造販売最大手系列会社(エースラゲージ)からの受注で、同社としては初めての〝大口取引〟だそうだ。

「北海道の工場へ出向いてプレゼンと商談をしたんですが、私どもの技術力や営業姿勢に甚(いた)く感銘してくれましてね。たいへん仕事のし易い、私どもに有利な条件でご契約いただきました。スタートしてまだ目鼻もろくに付かない頃ですからね、本当にありがたかったですよ」

続く2号は厚木市(神奈川県)の自動車部品メーカーで、3号は川崎市(同)の樹脂加工会社だったという。

「どちらも、経営上ここでもう1つ欲しいというときに取引を始めていただいてるんですね。ここまで順調に来られたのは、偏(ひとえ)にこの3社のお陰だと、心から感謝しています」

なるほど、けだし神風である。

ちなみに同社の取引先(顧客)数は現在、大手自動車メーカーも含めて50数社にも及ぶという。僅か3年前にゼロ、いや、おそらくはある意味でマイナスからスタートした会社である。驚異的といっていいだろう。これは神風だけで片付けられる話ではない。

というわけでここからが本題だ。冒頭に書いたヒューマンマネジメントと、その背景にある氏の太い人脈、そして日本のモノづくりの真髄、〝やらまいか精神〟である。

 

困ったときの池田頼み!?
「お陰で人の何倍も仕事をさせられていました(笑)」

まずはやらまいか精神から述べる。言うまでもないが、浜松(静岡県)発祥のいわゆるベンチャー魂である。やらまいかの意味は、これがやらずにおけるか、よし、出来るか出来ないかとにかくやってやろうじゃないか。

「営業に移って最初に覚えた言葉が、この〝やらまいか〟でした。取ってきた仕事がちょっと畑違いだったんですね。すると当時の役員から、お前そんなの無理に決まってんじゃないかって笑われたんですよ」

30年余り前の話である。順を追っていうとこうだ。

会社は自動車部品大手のプレス工業(本社・川崎市)。1967年、慶応義塾大学卒業と同時に入社している。購買部から人事部係長を経て、営業部販売課長に抜擢されたのが36歳のときだ。そこでたまたま担当していたスズキから新しい仕事を取ってきたところ、役員氏に笑われたというわけだ。

「スズキさんもそうですが、日本の自動車産業には古くからやらまいか精神が深く浸透していましてね。いつの間にか私の頭や体にも沁み込んでいたんですよ。無理かどうかやってやろうじゃないかって気持ちが、ムクムクッて湧き上がったのを憶えています」

 

新たな経営の柱〝最終製品〟づくり
無限の可能性を求めて「集大成にします」

余談ながら浜松はそのスズキ、ヤマハ、ホンダ、ローランドといった世界的モノづくり企業の発祥の地である。

とまれ他にも氏は、普通なら6カ月はかかる金型づくりを100日で頼むと言われて引き受けてくるなど、かなり無茶をしてきたものだと当時を懐かしそうに振り返る。

「それがアチコチに知れ渡ったんでしょうね。周りから〝困ったときの池田頼み〟なんて言われてまして、気が付いたら人の何倍も仕事をさせられていました(笑)」

もうお分かりだろう。そんな中で自然に培われた人(技術者)を動かすノウハウ、つまりヒューマンマネジメント力と、貸し借り勘定にも似た太い人脈が今に生きているというわけだ。先に述べた再就職の周旋などはまさにその典型で、残って一緒に仕事をする社員たちは、氏のその処し方を見て信頼感を一層強くしたに違いあるまい。これを軍師と言わずして何を軍師と言おう。

 

もちろんそのやらまいか精神は、オクトの企業風土として現在もしっかりと根付いている。今や同社の表看板ともいうべきモックアップ製作はまさにその具現といっていい。何度も試行錯誤を繰り返し、創意工夫を重ねながら、1つずつ、1つずつ丁寧に仕上げていく、一見〝割に合わない〟仕事である。しかしそれでも誰1人厭うことなく、正確に、納期を守ってやってのけるのが同社の真骨頂だと、もっぱらの評判なのだ。

そんな同社が今、新たな経営の柱として取り組んでいるのがいわゆる最終製品づくりだという。前記したモノづくり企業のためのモノづくりにくわえ、エンドユーザーをターゲットとした同社ならではのハイテク製品を開発し、世に送り出そうというわけだ。

 

その1つがアクリル製の流量解析(流体計測)機器である。自動車や家電品など、あらゆる工業製品は水や空気、燃料といった流体の活動をスムースかつ効率的に展開させることで、それぞれ仕事を果たしている。同機器はその流体の流れを多元的に可視化し、深刻な問題を未然に防いだりパフォーマンスをより高めたりするための計測装置で、ターゲットとなる産業分野が多岐に亘ることから、

「可能性はそれこそ無限です」

しかしその分、超高度なモデル加工技術が要求されており、コンマ01ミリの誤差も許されない。

「多次元流体計測ソリューションの草分けとされる、フローテック・リサーチさんの依頼を受けてスタートしました。たいへんといえばたいへんでしたが、1号機はすでに最終段階に入っています。見ていてください。私どもが培ってきた技術、ノウハウの集大成にしますから」

言われるまでもなく、どうやら筆者としてはしばらく、目が離せそうにない。

 

池田 彰氏(いけだ あきら)

1942年生まれ、東京都渋谷区出身。1967年慶応義塾大学(商学部)卒業、同年プレス工業入社。3年間の購買部勤務を経て人事部に転任。以降、営業部販売二課課長、営業四部部長を経て1989年海外事業室長、特装開発部部長。2002年の定年退職後も、数社からのヘッドハンティングを受け、業界では知る人ぞ知る存在に。2009年8月株式会社オクト設立と同時に代表取締役社長に就任。

 

株式会社オクト

〒252-1125 神奈川県綾瀬市吉岡東4-11-9

TEL 0467-71-0305